桜都国
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難しい顔をしたままの黒様。
彼女が好きなココアを飲んでいるのに眉間の皺が取れないのは、それだけ問題が深刻なのかもしれない。
「小狼君、心配?」
そう聞けばちらりとこちらに目をあげて、それからまた一口ココアを飲んだ。
「師匠に殺されかける恐怖は、俺には分からない。
……だが生きる覚悟が崩されないなら、あいつは乗り越えられるかもしれない」
静かに告げられた言葉は、
オレにとってどこか他人事ではないような気がしたし、彼女が乗り越えてきた過去かもしれないと思った。
閉店後の店は寒々しい。
ココアの湯気が、彼女の顔を淡く隠していた。
鍛錬の一環として目隠しをして気配を探りながら帰るよう黒たんから告げられた小狼君は、傷だらけで帰ってきた。
鬼児に襲われたところを龍王君に助けられ、その後とても強い人と大量の鬼児殺されかけたらしい。
その人は小狼君が戦い方を教えてもらった人で、黒様が殺されかけた例の危ない人だった。
彼女はつい最近小狼君に剣を教えはじめたばかりで、その結果がどれだけ現れたとしても、黒様が危険だと言う人と互角に戦えるほどに成長するとは考えがたい。
彼女は小狼君だけを心配しているわけではないだろう。
ココアの水面を眺めながら、彼女は考えている。
サクラちゃんを、モコナを、そしてきっとーー
「何か事が起きたら決して気を抜くな。
事が起こった後もだ」
静かだが鋭い声に、彼女は何かを決意したのかもしれない。
「……分かったよ」
オレは笑顔を張り付ける。
彼女はオレを一瞥すると外へ出ていった。
「ゆっくりで良いよー
サクラちゃん」
翌日、黒りんと小狼君が出かけてから、オレ達はお店を開ける準備をしていた。
サクラちゃんは洗い物。
オレはメニューの下ごしらえ。
「はい、でももうちょっとだから。
一緒に旅しているみんなに、わたし何もできないから。
できることだけでも頑張りたいんです。
いつか……少しでも辛いこと分けてもらえるよう……」
サクラちゃんの体が傾くのが見えて、オレは駆け寄る。
「きゃー!
サクラ危ない!」
倒れる身体を抱き止める。
ギリギリ間に合って、よかった。
モコナもほっとしたみたい。
「……本当にいい子だね、サクラちゃん。
他にかまっている暇なんてないはずのオレが、
幸せを願ってしまうくらい」
オレの体にもたれるようにして眠っている温もりに、頑張りすぎちゃったね、と話しかける。
「モコナ、タオル取ってくれる?
手を拭いてあげないと」
「任せとけ!」
手を拭いてから、彼女をソファに運んだ。
「サクラどう?」
「大丈夫ー
よく寝てるよ」
陽だまりみたいな子だと思う。
頑張り屋さんで、素直で、温かい。
ぴょん、とモコナがサクラちゃんの寝るソファに飛び乗った。
「ファイ。
前に大きな湖があった国で言ってたよね。
笑ったり、楽しんだりしたからって、だれも小狼を責めないって」
少し前のことだ、オレも覚えている。
「うん、それがどうかした?」
「ファイのこともね、誰も叱らないよ。
小狼も、サクラも、黒鋼も、みんな」
小さなこの子も、陽だまりみたいだと思った。
素直で、温かくて、柔らかい。
「オレはいっつも楽しいよぅー」
モコナを抱き上げてえへへ、と笑って見せる。
「でも、笑ってても違うこと考えてるって……」
「……誰が言ってたの?」
だいたい見当はついている。
でも、意地っ張りで、無口で、
人のことを見ていないようでよく見ていて、オレのことを嫌っているだろう彼女が、そんなことを言うなんて、少し意外だった。
「秘密。
モコナ、約束したから。
でも、モコナもわかるよ、寂しい人は。
ファイも、小狼も、黒鋼も、どこか寂しいの。
でもね、一緒に旅をしている間にその寂しいがちょっとでも減って、サクラみたいなあったかい感じがちょっとでも増えたらいいなって」
きゅっと抱きついてくるモコナ。
その気持ちが、温かすぎてオレには辛い。
胸を焦がされるような、チリチリとした痛みが走る。
「そうなるといいね」
オレのことを、こんなにまっすぐ見てくれる人が周りにいるのに。
オレはそれを、やっぱり許せないんだ。
カランカラン
店の戸口のベルが鳴った。
オレ達は振り返ってまぶしいくらいの笑顔を浮かべる。
「いらっしゃいませ!」
だが、そこに現れた人物の目を見て、オレは身構える。
殺す者の目だ。
「モコナ、サクラちゃんの傍にいて」
そう小声でモコナに伝えれば、怖いだろうに気丈に頷いてソファに飛び移る。
「何になさいますか?」
その人は穏やかな表情を浮かべたまま、オレの問いを無視して、言葉を返した。
「ここに鬼児狩りがいますよね」
今、ここにいなくて、本当によかった。
「そうですが今はちょっと外出中ですー」
「あなたは違うんですか?」
「オレはここで喫茶店やってますー」
相手のにこっとした笑顔。作られたそれ。
見ていて気持ちのいいものじゃない。
だから黒ぷーはオレのことが嫌いなのかなって思った。
だから、オレも思いっきり作った笑顔を浮かべてやった。
「それだけの魔力があるのに?」
これは、どうやら遊んでばかりはいられないらしい。
「貴方もね。
で、ワンココンビに何の御用でしょう?」
オレの問いに、答えるかのように、
男の周りに黒い影がうごめいた。
そこから現れたのは、鬼児。
「消えてもらおうと思って」
ワンココンビがここにいなくてよかった。
特におっきいワンコ。
お店が壊れるのもかまわずに刀を振るうだろうから。
昨夜会った星史郎さんの情報が分かるかもしれない。
そう市役所で言われて、鬼児を従える者について教えてくれるという「小人の塔」にやってきた。
辺りに気配はない。
この国の鬼児には生きているものの気配はない。
だから、この中にどれほどの鬼児がいようと、
おかしいことではない。
「中には鬼児がいる。
おそらく、武器なしでは倒せないくらいの、鬼児が。
それでも入るのか?」
黒鋼さんの問いに、おれは頷いた。
「はい」
いつも通り、表情の読めない黒鋼さん。
だけど、きっと心配してくれているんだろう。
「俺がお前を連れていくのは、
お前が少女のために、羽根を手に入れたいからだ。
お前の死体を葬るためじゃない」
その言い方が、なんだかおかしくて。
「はい」
思わず少し笑ってしまえば、黒鋼さんは少し顔をしかめた。
ずんずんと中に入っていく背中を追いかける。
いつかおれも、こんなふうに、
頼もしく、優しい大人になりたい。
「薄暗くてほとんど見えませんね。
火をつけるものを持っていますからそれで」
「点けるな」
ポケットをあさるおれに、黒鋼さんが止める。
「敵に居場所が知れる。
それにお前の鍛錬も兼ねられるしな」
その言葉にはっとした。
黒鋼さんには、見えているのだと。
不意に耳に届いた音におれは見えない当たりを見回す。
「風の音?」
「伏せろ!」
反射的にその声に従った。
背後で何かが斬れる音がする。
地面に落ちるもの音から、たぶん岩を切ったんだろう。
「鎌鼬!?」
見えない中で、黒鋼さんを探す。
「違う」
その声は、少し離れた場所から聞こえてきた。
落ち着いたその声は、この音の正体を知っている。
ザン
一瞬だった。
風の音は止んだ。
「……鬼児だ」
辺りに数体の鬼児が落ちる音がした。
やはり、黒鋼さんは強い。
おれも、なにかーー
「もう立ち上がってもいいぞ」
不思議そうな声色におれは地面から耳を離した。
「確かめていたんです。
下からは何の音も聞こえてきません。
この塔には地下はないようです」
「そうか」
暗いから分からない。
でも、黒鋼さんの声はどこか優しい。
照れて赤くなったおれの顔も、もしかして見えてしまっているかもしれない。
ぼんやりと見える影に駆け寄れば、頭に手が置かれ、わしゃわしゃとなでられた。
「目隠しをしていた時を思い出せ。
気配を探すんだ」
そう言われて、目を閉じる。
少し先を歩いていく気配、
生きているこの気配は黒鋼さんの。
「階段だ」
「はい」
誰よりも強く、誰よりも頼もしいこの人に、ついていこう。
階段を上がると広い部屋に出た。
生きている者の気配も、生きていないものの気配もない。
ピチャーン
響く音。
足を踏み出せば、冷たく、濡れていることが分かった。
突然現れた気配に天井を仰ぐ。
ぼんやりと触手のようなものが伸びてきていることが分かった。
「うわぁっ」
あっという間に捉えられ、体が宙に浮いた。
「動くな」
静かな黒鋼さんの声の後、
拘束が解かれ、ぐいっと腕をひかれる。
しかしおれが地面に落ちるよりも、鬼児のスピードの方が早く、また捉えられてしまう。
強くなっていく拘束に、体が痛む。
でも切っても切ってもきりがない。
ー小僧、敵には必ず倒す術が存在する。
それを見極めろ。
特に鬼児は意思もない。
倒されるのをを待っていると思えー
鍛錬をしてもらっている時に黒鋼さんが言っていた言葉を思い出す。
その時はこの字面のまま受け取った。
だが今考えてみるとまた別の意味が思い浮かぶ。
この塔は暗い。
真っ暗だ。
足元に広がるのは水。
「右手に……巻きついている方を……斬ってください」
ぼんやりと感じる黒鋼さんの気配にそう声をかける。
「わかった」
その瞬間、右腕が軽くなる。
すぐにズボンのポケットからライターを取り出し、それを触手に着火する。
予想通り鬼児は火に弱かった。
あっという間に身もだえながら燃えていく。
「来い!」
ほんのしばらく見ていないだけなのに、
炎に照らされた黒鋼さんの顔にホッとしてしまう自分がいて、まだまだだと思いながら、駆け寄る。
しかし次の瞬間には黒鋼さんの剣は新しい鬼児を斬っていた。
まったくもって油断していたおれは驚いて立ちすくんでしまう。
「油断するな」
「は……はい!」
慌ててまた気配を探った。
まだこの辺りに鬼児はいるようだ。
進んでも進んでも、鬼児は湧いてくるかのように現れてくる。
それも街で見た鬼児よりも断然強い。
「7%の鬼児狩りしか帰ってこられないのもわかります」
おれの言葉に黒鋼さんは足を止めた。
「でも、それなら、戻ってこなかった鬼児狩り達はどうなったんでしょう。
ここまで、死体らしいものはなにもありませんでしたよね」
一瞬の間があった。
「……喰われたのかもな。
骨も残さず、生きながら」
「……黒鋼さん?」
いつも感情をほとんど感じさせない声だけれど、
今の黒鋼さんは少し変だった。
わざわざ不謹慎なことを言う人でもない。
「まぁ死体がないのも当たり前かもな……行くぞ」
何が当たり前なのか、聞きそびれたおれに背中を向けて、彼女は歩き始めていた。