桜都国
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「やります」
意思の強い眼に、ほらね、と黒様を見る。
でも、彼女は今、小狼君をじっと見ている。
いつもあまり表情の見えない顔だが、最近微妙に違いがあることがなんとなくわかってきてしまった。
それが嬉しい自分は、愚かだ。
「鬼児がどのくらい強いかわからない。
だが、素人では無理だから、専門の仕事があるんだろう」
黒様が小狼君の右側の前髪をかき上げ、覗き込む。
「お前、右目が見えてないだろう。
反応の遅れ、視野の狭さ。
強い鬼児相手に、怪我だけで済むとは限らない」
そんなこと全然気づいていなかったから、驚いた。
だから彼女は市役所で登録するとき、戸惑ったのかと思う。
「出来るだけ迷惑をかけないようにします。
ですから、よろしくお願いします」
まっすぐな小狼君。
でも、黒様はすぐにOKは出せないだろう。
まだ迷ってる。
本当に、過保護なのだ。
誰かが背中を押してあげなければいけないだろう。
彼女は一度懐に入れた者は、たとえ命を脅かされたとしても手放さないだろう。
きっとそれの優しさと強さは、諸刃の剣。
でも傍にいる者達は、その心地よさに彼女に縋ってしまうのだ。
「おっけーだよね、黒様?」
オレがひょこっと聞けば、小さくため息をつき、買ってきた荷物を片づけに行った。
あれは了承した証拠だろう。
「ありがとうございます!」
嬉しそうな小狼君の声に、黒様は一瞬振り返って一つ頷くと、すぐに前を向いてしまった。
照れ隠しだろう、目元が歪に上がっていて、その不器用さに思わず笑ってしまった。
「よかったね、小狼くん」
「はい!
頑張ります!」
やる気に満ちた嬉しそうな顔。
これから多くの苦難が待ち受けるだろうけれど、彼がどうか折れずにいられれば……どんなに良いだろうか。
散々もめながらだろそうだが、市役所帰りにファイさんと黒鋼さんが日用品と服を買ってきてくれていた。
「で、これがサクラちゃんのね」
着替え終わったおれの目の前に、ふわりと広げられた、桜色の上着と深緑のズボンのようなもの。
高麗国の服とどことなく似ていた。
オレとファイさんの服とはまるで様子が違う。
「でもこれどうやって着るんですか?」
となりの部屋で着替えを終えた黒鋼さんが入ってきた。
「それは袴だ。
ややこしい洋服よりも着やすい」
「それ黒りんだけだよーまったく。
でもよく似合ってるよ」
ファイさんが黒鋼さんをみてにっこりと笑う。
上着は深い紫色で、袴は黒色だった。
もちろん男性用だ。
彼女の服と姫の服は同じタイプで、ファイさんの言う通りよく似合っている。
日本国で着ていた服と似ているからかもしれない。
その国の服は、その国の人に合うように作られているものだ。
黒鋼さんは紙包みを姫の服の隣に置いた。
「あ、黒様の方にまじってた?」
「ああ」
ファイさんが包みを解くと出てきたのはエプロンと髪飾り。
「よく似合うだろうねぇ、サクラちゃん!」
姫がこれを着ている姿を思い描き、頬が熱くなるのを感じる。
「お、おれ、ちょっと姫見てきます!」
それが恥ずかしくて、部屋を飛び出した。
ファイさんのくすくす笑いから逃げるように、姫の眠る部屋に入る。
黒鋼さんは女の人だった。
でも、本当に強い。
別に男女差別をするわけではないが、やはり男女で力の差があるのは当然のこと。
それを感じさせない強さは、きっと並みのものではない。
何かを守るために、黒鋼さんも強くなったのだろう。
目の前にすやすやと眠る姫。
昔からずっと傍で、おれを支えてくれた姫。
誰よりも、大切な人。
「おれも、強くなりたい」
誰かに守ってもらうんじゃなくて、おれだって、おれの手で大切な人を守りたい。
「機会を見て、鍛えてもらえるように頼んでみよう」
ーーいつの間にかサクラの眠るベッドに頭を乗せて眠っている小狼を、様子を見に来た二人が微笑みながら見つめていたことなど、当の本人たちは知りはしない。
翌朝。
姫はまだ眠っているようだが、おれたちは喫茶店を開店するための準備を始めた。
開店予定は明日だ。
黒鋼さんはカーテンをつけ、おれはテーブルクロスを引く。
ファイさんは朝ご飯を作ってくれている。
黒鋼さんが手を止めて、音のする方を見た。
その目がほのかに優しく細められているのが分かるようになったのは最近だ。
その視線を追えば、姫が目が覚めた様子だった。
「目が覚めましたか?」
「は……はい」
「あ、オレたち服この国のに着替えたんだ。
ここで喫茶店をしようと思ってさ。
情報もいろいろ聞けるし。
サクラちゃんも一緒にやろうよー」
「はい、がんばります」
「では」
いつの間にか姫の前に立ち、手を差し出している黒鋼さん。
手を重ねながらも首をかしげる姫に向ける視線は、やはり優しい。
「まだ時間がある、着替えるか」
穏やかな声色。
本当に女性なのかと疑いたくなるエスコートだ。
「もーっ黒りんの女ったらしぃ」
「これでも姫の護衛してたんだ、多少の女性の扱い方くらい学んでいる。
だいたい人のことを言える口か?」
軽口のやり取りがおかしくて、おれと姫の口から思わず笑いが漏れた。
「参りましょう」
真面目くさったようにそう言い直す黒鋼さん。
姫は、はい、と笑顔で続く。
なんて楽しい時間だろう。
玖楼国にいた頃に感じた心の穏やかさと、くすぐったい感じに似ている。
この旅の中でこんなことを感じることがあるとは思いもしなかった。
しばらくして、ドアが開き、振り返る。
そこに立つのは、袴を着て、エプロンをつけ、ウエイトレスの格好をした姫。
「変じゃ……ない……かな?」
少し恥ずかしそうに尋ねる姿に、頬が熱くならないようにするのに必死だ。
どんなに隠そうとしても赤くなっていることにはもちろん気づいている。
でも、どうしうようもない。
姫の後ろで黒鋼さんが微かに笑ったように見えた。
空には満月が昇る。
「明るい夜だ」
「綺麗な月ですね」
黒鋼さんと二人、初仕事だ。
「鬼児は夜に出るんだったな」
「はい、特にこの辺りの裏道にはよく出ると市役所の人がくれた案内に……」
カチカチという物音に振り返る。
「出たな」
おれは鬼児に向かって走り出し、蹴りを入れる。
「我流か?」
「いえ、昔おれに戦い方を教えてくれた人が」
おれの戦いを静かに見ていた黒鋼さんの問いに、
もう一体、蹴りを入れながら答える。
振り返ったとき、腕を組む黒鋼さんの背後に、鬼児が襲いかかっていた。
危ないーー
そう叫ぶよりも早く、黒鋼さんは抜刀し、一撃でそれらを倒していた。
ほとんど音も立てずに。
「……すごい」
いろんな国で、いろんな人を見てきたけれど、これだけ強い人はそうはいない。
「あーもうやっつけちゃったんですね。
私たちの獲物だったのに」
近くの建物の上。
ひとりの男と、姫くらいの年の少女、そして一匹の犬がこっちを見ていた。
彼らはビルから軽く飛び降り、おれたちの目の前までやってきた。
「こんばんは!
猫依譲刃14歳、鬼児狩りやってます!
で、こっちが相方の、」
「志勇草薙だ」
元気のいい二人組だ。
「すごかったですね、蹴り技も剣技も。
あ、ひょっとして新しく鬼児狩りに登録した、あの!」
その先の言葉を聞いて、黒鋼さんは鯉口を切った。
「どうやらあの男、命などいらないらしい」
表情は変わらないのに、さっきとは打って変わって発される殺気に、3人と1匹がたじろぐ。
「……帰ろうか、小僧」
その目は本気だった。
ファイさんは看板作り、私は紙ナプキンを折っていた。
黒鋼さんと小狼君は、今日はまだ初日だから、早く帰ってくるらしい。
まだ時間も早いし、帰りを待っていようと思う。
ドアが開き、明るいベルの音がする。
「あっ帰ってきた!」
椅子から立ち上がり、小狼君に駆け寄る。
「おかえりなさい、怪我してない?」
「はい、大丈夫ですよ」
「良かった。
……あれ、黒鋼さんは?」
小狼君が振り返る。
「あ……あれ?さっきまで一緒に……」
きょろきょろとあたりを見回し、そして一点を見て青ざめた。
私もその視線の先を追う。
そこにあったのは、背後からファイさんの首筋に刀を静かに添わせる黒鋼さんの姿。
「ふ……ファイさん!!」
「黒鋼さん、落ち着いて!!」
あわてる私と小狼君をよそに、ファイさんは相変わらずヘラリと笑っていて、黒鋼さんは顔色一つ変えずに、でもその怒っている雰囲気は並みじゃなかった。
「しばらく離れていて寂しかったの?
黒りん?」
へらり、効果音がつきそうな笑顔を後ろの黒鋼さんに向ける。
「馬鹿か。
相当死に急ぎたいように見える」
かすかに眼が笑っていて、その気迫がすごい。
それに押されないファイさんもまたすごい。
「ずいぶんと妙な名前を付けてくれたな」
「あ、あれ?
市役所の子が偽名でもいいっていうから。
でもオレ、この国も文字わかんないから、
こうやって絵を描いてね、」
何気なく黒鋼さんの刀を絵筆で外し、さらさらっと近くに会った紙に2匹の犬の絵を描いた。
「おっきいワンコとちっこいわんこ。
それから、」
別の紙にさらさらっと2匹の猫の絵を描いた。
「おっきいニャンコとちっこいにゃんこ、にしてもらいました!」
ゆらり、黒鋼さんが立ち上がる。
その目は笑っているのに、殺気がみなぎっている。
「一度、頭の中を洗った方がよさそうだな」
カチャリ、刀を構え直す。
「きゃーおっきいワンコが怒った!」
あっという間に鬼ごっこが始まってしまった。
刀を振り回しているのにお店のものを傷つけないのは、黒鋼さんがおふざけでやっているだけなんだろう。
それが、どこか嬉しくて、小狼くんとモコちゃんと顔を見合わせて声をあげて笑ってしまった。
黒鋼さんはこの国に来て、なんだか明るくなった気がする。
今までも決して暗い人ではなかったけれど、こうやってふざけて遊んだりはしなかった。
小狼君が黒鋼さんが女の人だと知ったことも影響しているのかな、と思ったりもする。
兎に角、そんな変化がなんだか嬉しい。
「素敵なお店!」
「本当だな」
入口から声がする。
振り返れば男の人と、私と同じ年頃の女の子が立っていた。
「あ、すみません。バタバタしていて」
小狼君があわてて対応する。
「さっきそこでお会いしたんです。
同じ鬼児狩りだそうです」
小狼君の説明の後、女の子は私ににっこりと笑いかけてくれた。
「こんにちは」
「んーなんかいいにおいがする」
「あ、チョコケーキの試作品なんですけど、よかったら食べてみてもらえませんか?」
黒鋼さんの剣をよけながら、ファイさんは男の人に返事をする。
それに目を輝かせる二人。
「「喜んで!」」
黒鋼さんは刀を止め、ファイさんはキッチンの奥へと入っていく。
美しい赤い瞳は、さっきまでのおふざけが嘘の様な鋭さで、ファイさんの背中をじっと見つめていた。