紗羅ノ国
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「遅い、もう寝ろ」
不意にかけられた声に、手元の本から目を離し外を見ていた俺は室内を振り返る。
2人の部屋を隔てる内扉を開けてもたれ、男は腕組みをしてこちらを見ていた。
夜に戦があるこの国は夜眠りにつくのが遅く、朝も遅い。
だが彼のいう通り、そろそろ床に着くべき時間だろう。
月の光に金髪が揺れ、ここでは黒く見える蒼かった瞳を微かに細めている。
最近ではずいぶん言葉を覚え、意志の疎通が可能になった。
弓にも馬にも慣れたようで危なげがない。
今では夜叉の左腕とまで謳われている。
箸は未だに苦手なようだが、それもずいぶん慣れてきた様子だ。
小僧と姫と別れてから、半年。
考えてみれば、同時に移動したにもかかわらず、言葉は通じるも離れた場所に落ちてしまった紗羅ノ国。
それが別々に移動したとなればどうなることか。
モコナに再会できないとなると最悪、この世界から移動することすらできなくなってしまうだろう。
この世にあるのは必然だけだと、魔女は言った。
あの旅が全て必然なのだとしたら、何の心配をしなくとも再会できるのかもしれない。
だがもし、俺達がここに来ることが必然なのだとしたらーー
「おい」
むすっとした声に思わず目を細める。
「そうだな、そろそろ寝るか」
窓辺から降りて髪を解く。
髪をかき揚げ、そのまま髪を手櫛で解いた。
ふと視線を感じて男を見る。
じっとこっちを見つめる黒い瞳ーー蒼いままならば月の光を受けて夜の諏訪の湖のように鮮やかに煌めいただろうに、残念だ。
「どうした、見惚れたか」
鼻で笑って挑発すると相手はにやりと口の端を上げた。
「そうだな」
そしてつかつかと歩み寄る。
悔しい事に彼の方が若干背が高く、至近距離になると威圧感に無意識に一歩後退してしまう。
足に柔らかい感触があり、肩を押されて倒れた先はベッドだった。
男は身を屈めて俺の顔の横に手をついた。
彼の体温が空気を介して伝わってくる距離だ。
心地良い。
月光を遮られ影になった顔を縁取る柔らかな金髪は、まるで光に透けるような細さだ。
「どうした、見惚れたか」
今度は逆に尋ねられる。
この国に来て、俺の言葉を真似することが増えたせいで、彼の口調は粗暴になった気がする。
彼らしくない彼の一面が面白くもあり、思わず笑う。
「余裕だな」
「お前の口調が面白くて、ついな」
「それはお前のせいだろ」
「ご最も」
鬱陶しげな髪を耳にかけてやる。
さらさらとした柔らかな髪が心地よい。
旅を始めた頃、彼の心はあまりに細く、その細さ故利用され易いかったに違いない。
どれほど魔力を持ち経験を積み知識と思考力があったとて、精神力が伴わなければいくらでも掌で転がされてしまう。
だが彼はーー変わりつつある。
「何が言えよ」
「昔のお前なら、何か言ってご覧よ、と言うところだ」
男は深い溜め息をついて俺の横にぽすりと寝転ぶ。
月の光の差す天井を眺めながら、思うことは同じだろう。
「お前の旅の目的はなんだったか」
「元いた世界に帰らないこと」
「旅を続ければ、そのうち帰ることもあるだろう」
「そう言うお前こそ」
間ができて、しばらく躊躇い、そして口を開いたのは男だった。
「そうなったら……どうする」
俺はじっと天井を見上げる。
「その時次第だ。
万が一日本国が他国から侵略されて荒れていれば、俺の力がいるだろう」
「再び旅に出ないと言うことか?」
「逆に聞くが、もし次にセレスに行くと分かっていても、お前は旅立つのか」
ちらりと隣を見ると、彼も天井を見上げたまま、考え込んでいた。
「……そうしなければならないのなら」
そこに見えた諦めの色に、やはり彼はまだ弱いと視線を外す。
彼の目的が国に帰らない事なのであれば、そうししなければならない強制力など働くはずがない。
分かりきっていたことだーー彼の旅の目的は作られたもの。
確かにセレスに帰りたくないのかもしれないが、彼の真の目的は、他にある。
そしてそれはおそらく、彼の願いそのものではない。
細い心に付け込まれたか、脅されたか。
ーーいずれにせよ、彼の心をこちらに引き込むには今しばらく時間が必要であるのは確かだ。
誰かの掌で踊らされる旅。
癪であるのは事実だ。
以前の俺ならばとうの昔に壊して逃げ出すに違いない。
だが、今は違う。
隣の金髪に触れると、彼は黒い目を向けた。
「お前は馬鹿だな」
思わずそう呟く。
自分が思っていたよりずっと柔らかな声が出た。
彼は大きく目を見開いて、それから俺に背中を向けてしまった。
オレは矢を放つ。
夜叉王を狙う輩を薙ぎ払う黒様の周りにはたくさんの阿修羅族が群がっていて、それを蹴散らすのがオレの役目。
黒りんがちらりと合図をよこした。
阿修羅王が見つかったのだろう。
オレも馬を走らせて、夜叉王の左手に止まる。
黒様は彼の右手だ。
そこは高い崖の上で、その崖の下には阿修羅王がいた。
月はもうすぐ中央に昇る。
不意に魔法の気配がし、土煙の中を目を凝らす。
そんなオレに気付いたのか、黒たんもきょろきょろとあたりを見回した。
そして、彼女の瞳が一点で止まる。
その頃にはオレもそこにいる二人を見つけた。
半年間、色んなことを考えた方が、やはり最初に込み上げたのは安堵だった。
戦場にいる時点で無事とはいえないかもしれないが、あの阿修羅王ならばひどいことはしないだろう。
半年も戦場で顔を合わせていれば、相手のことは何となくでもわかってくる。
(それにあの二人も、人に好かれる性格をしているから)
黒様をちらりと向けば、ひとつ頷いていて、同じことを思っているのだろうと思う。
ほっとすると同時に心のどこかで残念がる自分がいる。
偶然なんてやはり存在しやしない。
ーーあるのは必然だけだ。
城に帰ってからの黒たんは、どことなく嬉しそうだ。
もとから表情を表に出すタイプではなかったけれど、それでも分かるくらい今日の黒様は機嫌が良い。
それだけ心配していたのだろう。
ただ問題は、敵地にいる小狼くんとサクラちゃんとどうやってコンタクトを取るかだ。
2人が見つけられたと言っても、どうやらさっきこの世界に来たばかりのようだったし、当然阿修羅国は遠く、その位置も定まらない。
つまり、月の城以外で2人とコンタクトを取ることは不可能。
(どうしたものか)
「無事がわかれば心配はいらん。
小僧は賢い」
オレはその言葉に頷く。
「分かっている。
だかどうやって会う気だ」
黒様はオレの顔を見つめて、それからふっと微笑んだ。
呆気にとられてしまって、反応できないオレに彼女は言った。
「生きているんだ、必ず会えるだろう」
その言葉は、図らずともオレの大切な片割れには二度と会えないことを意味していることは、直に分かった。
それでもオレは、その言葉に安堵をおぼえ、そして。
「ああ」
笑顔を漏らしていた。
「ファイさん!黒鋼さん!」
小狼君の声が戦場にこだまする。
黒りんはその声に視線を鋭くした。
それは、小狼君を本人と認識した印だけれど、小狼君の方はそうは思っていないだろう。
黒たんはわざと目立つように大きく刀を振り、小狼君が嫌でもオレ達の方に来るように仕向けている。
オレもそれに便乗していつもよりも派手に矢を打った。
倶摩羅と阿修羅王と何か話すと、小狼君はオレ達のほうに向かって駆けてくる。
剣戟の煌めきの間に、黒様と目が合う。
今日の対応については、昨日黒たんに言われていた。
「黒鋼さん!ファイさん!」
駆け寄った小狼君はどこか焦燥に駆られた表情をしている。
でも、だからこそ、黒たんは試すのだと言った。
蒼氷がすっと振り下ろされ、小狼君の額数センチのところで止められる。
「阿修羅族はこんな小僧を連れてこなければならないほど、戦える者がいないのか」
小狼君はかわいそうなくらい緊張した顔をした。
「……黒鋼さん」
それもそうだろう。
彼は黒たんのことを心から信用し、信頼していた。
サクラちゃんを守るために、彼女のように強くなろうとしていた。
だから、その分この現実を受け入れられないはずだ。
「閃竜・飛光撃!」
黒様は危惧していたのだ。
もし他の世界で、オレ達とはぐれた時に小狼君が今のオレ達に惑わされて、深く考えずに追いかけてきてしまうことを。
小狼君は黒りんの繰り出した攻撃から咄嗟に身をかわした。
初めこそ目を見開いたものの、すぐにじっとオレ達を見つめている。
彼が出会った“黒鋼さん”と“ファイさん”かを見定めようとしているのだろう。
だからオレもためらわずに弓を引いた。
リズミカルに小狼君の服が彼の後ろの大きな岩に縫い止められる。
それに続けて。
「飛光撃!」
黒りんの技が入る。
眩しい光の中、小狼君はなんとか急所は避けたようだ。
しかしそれに畳み掛けるように黒りんが刃を剥く。
「破魔・竜王陣!」
今度は衣を切ってなんとか避けたようだ。
黒りんはそれを見てオレに手綱を預け、竜から飛び降りていった。
小狼君の剣の先生は、半年経とうと健在だ。
それがなんだか嬉しくて、手に持った手綱を握り締めた。