桜都国

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部屋の喧騒から離れるために、玄関ポーチに酒を持って腰を下ろす。
目を閉じれば思い出すのは、龍王の最期。

(だめだ、感情に飲み込まれるな。
全ては過ぎ去った過去だ。
目の前だけを見ろ。
干渉者もいるんだ……気を取られれば殺られる)

目を開けて酒を煽る。
それでもこの胸の疼きは消えない。
別人とはいえ魂の元は同じ。
さっき会った時、人懐っこい笑顔に溢れる思いを隠しきれたか定かではない。
あの日俺が奪った彼の全てが、目の前にある様に錯覚してしまった。
魂の元は同じとはいえ、赤の他人であるにも関わらずだ。
この世界にいる間、何度この錯覚を覚え、また落胆せねばならないのだろう。
何度この胸の痛みに耐えなければならないのだろう。
思わず漏れるのは重い溜息だ。
力なく頭を垂れる。

あの頃は俺が頭を撫でられていたのに、彼との間にあった身長差はいつしか逆転して、俺が撫でることができる程になっていた。
彼の死からそれほど日が経ったーーなのにこの様だ。

彼の死は経験した仲間の死の中で殊更辛かった。
死後しばらくは胸が締め付けられる様で食事も喉を通らず、息をする方法を忘れてしまったんじゃないかと思った。
彼と過ごした3年は、それ程濃密なものだった。
彼よりも深く想う仲間に出会う事は2度とないだろうと思ったし、彼ほど俺を理解してくれる仲間にもまた出会う事はないだろうと、そう思っていたのだ。

「黒様」

柔らかな声が夜風に乗って耳に届いた。
中で姫や小僧と楽しく飲んでいたはずなのに、いつの間に隣に来ていたのだろう。
気付かない俺はやはり、どうかしている。

「……隣いい?」

「勝手にしろ」

無愛想な返事に気を悪くするでもなく、男は優雅な仕草で並んで腰掛ける。
カランと氷を鳴らして酒を飲むと空を見た。
憎い程爽やかな男だ。

「魂が同じ人、だったんだね」

「ああ」

やはりばれていたのだ、気まずい。

「大事な人?」

この質問に答えたところで、この過去を彼に知られたところで、なんの問題があるだろうか、と一瞬考え、大した事はないと結論づけた。

「……そうだった」

掠れた声は思ったよりも力なかった。

「蘇摩は生きてる。
死んだのは……」

「ごめん、変な事聞いたね」

遮る様な男の声に、こんな奴に気を遣われるなど地に落ちたものだと思う。

「俺が任務に連れて行ったんだ。
……そして俺が殺した」

「君が殺したくて殺したんじゃないだろ」

「……さぁな。
あんな男にあいつの命をくれてやるくらいなら殺したいと思ったかもしれない。
少なくともあいつはそうだったかもな」

男は黙ってグラスを回していた。
室内の楽しげな笑い声と、カラカラという氷の音だけが聞きながら、俺は彼の顔を見る事はできなかった。

「愛していたの」

「忍びは愛など語らん」

「語らないけど」

「俺もまだ幼かったしあいつも」

「でも」

「言うな」

俺はまた項垂れた。
龍王の事は口にしても大して問題は無いはずだった。
なぜなら過去で全て済んだ話だからだ。
だがここまで話すつもりはなかった。
これ以上は、決して話ではならない。

「酒で……酒で有る事無い事口から出ただけで」

「そっか、ならよかった」

慌てる俺に男は急に明るく言った。
その声色に驚いて見上げると、男はどこか切なげに微笑んでいる。
その表情の意図を読み取る前に、男はグラスを持つ俺の手を引き寄せた。
カランと、氷が音を立てた。
俺がバランスを崩して、男の膝にもう片方の手を付くと、その手を上から押さえ込まれる。
蒼い瞳が間近で弧を描く。
そして手を握ったまま、俺のグラスを飲み干した。
だらしなく俺の手を伝って垂れる一筋を、唇が追いかける。
吐息が、一息、二息、悪戯に三息かかりそして、舌がーー舐めとる。
思わず短く息を吸い込んだ。
逃れようとするのに、両手を掴まれた変な体制で力も入らない。

「ならよかったよ、オレに勝算があるらしい」

「な……」

なんの勝算があるのかと問おうとしたのに、変に上擦った声が出て慌てて口を噤む。
やはり至近距離で男が嫌に微笑んでいるから、いたたまれず顔を背ける。
妙だ、俺も、彼も。
まるでいつもと立場が逆だ。
手のひらで転がされる様なのがあまりに悔しい。
必死で睨むと、また彼が笑みを深めた。
何がそんなに可笑しいのか。
すっと細められた蒼い瞳は冷静なのに何処か纏わりつくようで、引き剥がしたくてもそうはさせてくれない強制力を持ち、俺を支配していた。
心臓の脈拍があまりに早く大きくて、彼にも聞こえているかもしれないと思うととてつもなく恥ずかしかった。
ようやく離された手に、数本下がって庭木にもたれかかる。
まだ彼の視線に晒されていると気づき慌てて木の裏に回る。
グラスは彼の手に渡っており、吐息や唇や舌の這った生々しい感覚を消そうと反対の手で手を擦るのに、到底忘れられそうにない。
この程度でなんとも愚かしい。
忍び失格だ。

「じゃあ、冷えないうちに戻りなよ」

男はくすりと笑うと室内に帰って行った。

「な、何なんだよったく!」

小声で悪態を付く。
それでもなお、彼の全てで頭がいっぱいで、思わず座り込んだ。








「黒鋼さん、大丈夫でしたか」

部屋に戻るとサクラちゃんが心配そうに尋ねてきて、この子は本当に人の気持ちに敏感だと思う。

「うん、たぶんね」

そう微笑めば安心したのか一つ頷いて小狼くんの方へ走って行った。
大丈夫じゃないのはオレの方だった。
お酒を入れに行くのを装ってキッチンに向かう。
三人から見えないところまで来て、壁に持たれてずるずると座り込んだ。

(あんなの、反則だ)

妙だ、オレも、彼女も。
酒のせいか、あの少年のせいか、彼女は普段とはまるで違った。
それともそれも全て、忍びの彼女による、何かの為の作戦なのだろうか。
鉄壁の彼女があれほど弱々しいなんて、室内の3人を思って手を出さなかったオレは伊達に300年生きていない。
涙さえ流れそうな揺らめく赤い瞳、長いまつ毛が影を落とす、微かに赤らんだ白い頬、黒い髪が触れる細い首、そして着物が隠しているその下をーー

「ーーッ馬鹿!」

自分の頭を拳で殴る。
彼女と遊びの関係だけを作るなら問題ない。
だが、オレにそれが可能かと言われれば、それはーー

(こんなはずじゃなかったのになぁ……)

深い溜息をついて、今度こそ酒を飲む為に立ち上がる。
瓶の中から目が醒めそうな強いものを取り出し、手に持っていたグラスに注ぐ。
自分のグラスはポーチに置いてきてしまった。
これは彼女のものだ。
そう意識するだけでただのガラスの汗さえ艶かしく見える。
白い腕の滑らかな感触を思い出し、そっと結露にキスをした。
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