語られなかった世界

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俺達は彼らを信じると決めた。
彼らもまた俺達を信じると決めた。
彼らの瞳に、嘘偽りはないと判断したーーだがその判断がもし誤っていれば?

その疑問は、小僧達の胸に一滴の不安となり、波紋が広がったに違いない。

それでも、信じると決めた。

手を握りしめている小僧。
白饅頭も不安げに目尻を垂れている。
俺の腕の中のプリメーラも固唾を飲んで見守っている。
男もそうだ。
不安そうに、でも目を見開いて、姫と箱を見比べている。
目が離せないのだろう。
虚勢だけでも張れば良いものを、俺とは違って素直さはまだ失っていないらしい。

姫は深呼吸をすると、静かに木箱に向かって歩き出した。
緊張が走る。
白い部屋の中に、姫と木箱だけが色を持つ。
それは春霞の中の桜を思わせた。
押し花にして封じ込められた桜花を思わせた。
湯の中に一輪浮かぶ桜の塩漬けを思わせた。
ーー多くを暗示させる姿だが、目を逸らすわけにはいかない。
突きつけるナイフを握り直す。
姫は不思議と落ち着いているように見えた。
美しい手が、箱に伸びる。
小僧が息を飲む音がした。

「きゃっ!」
「姫!」

木の箱を中心に煙と強い風が起こる。
咄嗟にプリメーラと小僧を庇う。
めきょ!と目を見開いた白饅頭も、ついでに。
焦げた匂いはないから、この煙はレーザーによるものではないだろう。
浅黄らは動く気配はない。
こちらを安心させるためにわざと気配を消していないのだろう。
あの男ならば気配くらい消せそうなものだ。
となれば全てうまく行ったと思っていいのかもしれないが、何かあれば動けるようナイフは仕舞わずに体勢を整える。
視界の端で、状況を確かめようとする男の姿が見えた。
煙の向こうを見ようと必死に目を凝らしている。
彼女の気配がそこにあるのは確かだ。
生きている。
それでも安否を確認したがる様子が、憎めない奴だと思った。









「姫!」
「サクラちゃーん、大丈夫?」
「サクラーっ!」

オレ達の呼びかけから少しだけ間があって。

「はい!」

元気なサクラちゃんの声と共に晴れていく煙の間から本人が笑顔で顔を出した。
胸に抱く木箱の蓋は空いていた。
中には円筒型のガラスケースに収められたサクラちゃんの羽根。

「めきょ!」

「姫の羽根だ」

ほっとした小狼くんの声。
オレ達の後ろで、ほう、と溜息が聞こえた。

「まさか私の代で、本物の神の愛娘さまにお会いできるとは」

浅黄さんはひどく安心した顔をしていた。
彼の全ては真実で、信じたことは正しかった。
だがその信じる事がどれ程難しかったかことか。
それはまた、互いにそうであったに違いない。

「保管してくださって、ありがとうございました」

サクラちゃんが頭を下げれば、彼は緩く頭を振った。

「私たちの文明を作ってくれたのは、神様の羽。
お礼を言わねばならないのはこちらの方だよ。
ありがとう。
最後にガラスケースのロックを解除しよう」

おじさんの手がガラスケースに触れ、
何かの形を描く。

「桜の花びら……」

小狼君が驚いたように呟いた。
ガラスケースが開くと、羽根はサクラちゃんの方にすぅっと飛んで、胸の中に入って行った。
いつものように倒れるサクラちゃんを、いつものように抱きとめる小狼君。

「しかし、なぜこの羽を見つけた時に公表しなかったのだ。
世紀の大発見だろう?」

浅黄さんは苦笑を洩らした。

「確かにそうだ。
世界を無に帰するほどの、大発見」

彼は立ち上がると機械のモニターに触れる。
いくつかボタンらしきものに触れると、
そこに映し出されたのは、荒れ果てた大地だった。
小狼君が息を飲む。
展示されていたものよりも遥かに残酷な映像だった。
黒様が眉を顰める。
それはこの映像の悲惨さに対してというより、これを見た小狼君のショックを思ってのことだろう。

「2000年前の世界大戦終結時の映像だよ。
生物を根絶やしにする兵器による大戦争で、この国の人間はほとんどが死んだ。
ここに保護されている遺跡はどれも、この大戦のときに博物館の地下の保管庫に保護されていたものたちでね。
地上にあった遺跡はほぼすべて、吹き飛んでしまったよ。
そこに存在していた素晴らしい過去からのつながりが、全て消え去ってしまったのだ」

「だが全て過去だろう。
この世がどうなるかはわからなかった。
発表すればお前には巨万の富が与えられたに違いない」

「何が言いたい?」

黒たんにしては私欲に走った発言だし、それは浅黄さんも感じたらしい。
彼女らしくない、と。

「違うな、何を恐れている?」

鋭い視線が黒様の赤い瞳に向けられるが、黒様は沈黙を通した。

「私は若いころ、空軍の将軍だった。
だから分かるよ。
君も、兵士だろう」

黒りんはじっと浅黄さんを見つめてから頷いた。

「力が欲しいかい?」

「欲しい」

今度は即答だった。
本当に。

「何のためだ?」

彼女はちらりとオレたちの方を見た。
オレ達がいるから答えにくいのかもしれない。
ーーそう信じたかった。

「大切なものを、奪われないために」

彼女の大切なものが何なのか、知りたいようで知りたくなかった。
それが、オレが壊すものだったら、オレは黒様も壊さないといけなくなる。

「そのために奪いに来る者の命は奪うのか?」

「当たり前だ」

「その命が、誰かにとって大切なものかもしれないのに?」

「構わない。
俺の大切なものを奪うのならそれ相応の覚悟があるはずだ」

「その敵がまた、お前にとって大切なものだとしてもか」

黒様は、口を噤んだ。
いつになく強い眼で、じっと浅黄さんを見つめたまま。
美しい瞳だ。
彼女になら全てを奪われてもいいかな、と心のどこかで思ってしまう愚かな自分がいる。

「強いものは生き、弱いものは死ぬ。
それは事実ではあるが全てではない。
強い力は恐怖を生む。
強い力は争いを呼ぶ」

紅い眼が徐々に閉じられていく。

「強い力を持つからこそ、失うものもあるのでは?」

自分の過去のことを言われているような気がした。
閉じられても、オレの目にはあの強い意志を宿した紅い瞳が焼き付いている。
気づくと黒りんは浅黄さんに背中を向け、サクラちゃんを抱き上げていた。

「強い力を持つ者こそ、真の強さの意味を理解せねばならない。
お前が守りたいものの為に」

彼女は一度歩みを止め、僅かに振り返った。

「……努めよう」

小さな会釈を残し、部屋から出ていく。

「あの、ありがとうございました」

小狼君が礼を言う。

「いや。
こちらこそありがとう。
君たちと一緒なら、きっとあの子も、真の強さの意味を理解できるだろうね」

どん、とオレの背中を叩かれる。
にやりと笑顔を見せられたが、その意図を計りかね、曖昧に笑顔を返す。

「どう、でしょうね」

オレは知っている。
力の恐ろしさを。
果して彼女は、それを知ったらどう変わるのだろう。
オレ達の未来はどう変わるのだろう。
オレの返事に浅黄さんはまたにやりと笑った。

「知らない事を知っている彼女は伸びるさ、心配いらん。
良き仲間を持ったな」

嬉しそうに微笑む小狼君。
でも鋭い視線を受けるオレには、浅黄さんの言葉はただの褒め言葉とは聞こえなかった。

牽制だ、これは。

彼女はきっと真の強さの意味を知る。
きっと、真に強くなる。
それでもオレは彼女に刃を向けるだろう。
彼女を殺す為にーーそしてきっと、己の業の深さに、彼女の後を追って死ぬだろう。

サクラちゃんを大切そうに抱える背中。
凛と伸びた、美しい背中。
その背中を親しげに追いかける小狼君とモコナ。

この胸を締め付ける幸せな時を永遠に続ける事ができたなら、オレは生き、この仮の名を返す事ができない。
二つの願いは、同時に叶えられやしないのだ。
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