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今日は崩れかけた諏訪の一軒家で一泊することとした。
なんだかよくわからないけれど、薬草らしいものをたくさん摘んでいたら遅くなったのだ。
湖で水浴びもし、すっきりして今日は眠る。
ただ眠るはずなのだが。
(本当に空気読めないよね!
水浴び進めたのはオレだけど!
薬と包帯持ってきたのもオレだけど!
薬塗って、包帯換えるっていったのもオレだけど!!)
彼女の傷口に薬を塗る。
腕と腹で、どちらもひどい痕になっている。
痛々しく赤い傷跡はオレのためにできたものだ。
それでも、こうして焚火の炎で照らされる彼女の傷に薬を塗るのは何とも言えない。
一応見えては困る部分は隠してはいるものの、上半身は裸に近い。
水の滴るその肌は、目の毒だ。
どうも二人旅は辛い。
その上、喉が渇いている。
血を欲しているのだ。
最期に血を飲んだのは3日前だから、当然と言えば当然だ。
(嫌な身体だ。)
ようやく包帯が巻き終わり、彼女は服をまとう。
ちらりと見えた肌は焔で血の色が透けるように見え、思わずごくりと唾を呑んだ。
「飲。
(飲め)」
紅の目が焚火で揺らめく。
きっと彼女はオレの渇きを知っているのだ。
耐えるのには慣れているはずだった。
谷の底では食事などあるはずもないかったから。
何十年も凍えて過ごしていた。
自分の希望など通らないと知っていた。
なのに不思議と、目の前の血だけは、耐えられない。
瞳孔が細くなった、人に有らざるオレの瞳が、黒たんの瞳に映る。
彼女は喰われると言うのに、恐怖を微塵も感じていないようだ。
オレは深紅の瞳から逃げるように彼女の後ろに回った。
「如何?
(どうした?)」
「・・・オレを見ないでくれ。」
傷に触らぬようにそっと抱きしめた。
この旅で、オレはどれほど彼女を傷つけているのだろう。
今では姿の消えたサクラちゃんや小狼くんまでが心配するほど、オレは彼女を傷つけた。
そして、今もなお。
襟をくつろげ、首に唇を寄せる。
ぺろりと舐めて、牙を立てた。
甘い香りが鼻をくすぐり、渇きを癒す。
「不泣。
俺選事、也。
(泣くな。
俺が選んだことだ。)」
彼女の、わずかに上ずった声が耳に届く。
オレ達の罪は消えないだろう。
歴史を変え、人の運命を変えてゆく。
その根底に、叶えられない願いを抱いて。
彼女を抱く右手に、彼女の右手が重なった。
「今度はオレが、守るから。」
オレはその手を左手で包む。
彼女はそのオレの左手を包む手を、もう持たない。
「だから・・・。」
浅い呼吸が鼓膜を打つ。
オレはただただ、彼女を喰らった。
「勝手に出かけて!
まだ傷も治りきっていないんですよ!」
城の門で待ちかまえていたのは、俺を担当していた医者の千鶴だった。
俺の性別を知る数少ない人間の一人だ。
「悪い。
どうしても行かねばならなかったんだ。」
ぷりぷりした小さい千鶴をなだめ、馬の背中から薬草を入れた籠を下ろす。
その籠をちらりとみた千鶴の目がキラキラと輝く。
「青柳草じゃないですか!
それもこんなにたくさん!!
こっちは水竜胆ですね、それにこっちは・・・どうしてこんなに珍しい薬草が!」
「諏訪にいってきた。
お前は知らないかもしれないが、もともと薬草が名産だった場所だ。
株ももらってきたから、薬草畑で栽培してくれ。」
「はい!
ありがとうございます、助かります!
あ、でも、もう勝手にいなくならないでくださいね。」
釘を刺され、俺は千鶴の頭をかいぐる。
「悪かった。」
「反省しないんですから、全く。
ファイさんもお怪我はありませんか?」
後ろにいた青年にも声をかける。
「ないよ、ありがとー。」
言葉が通じるとやっぱり安心する。
黒様がいたから通じなくてそれほど困ったわけではなかったけれど。
「この薬草、摘むの手伝ってくださったんですか?」
「良くわかんなかったけど、黒たんがいっぱいほしいって言うから。」
「ありがとうございます!
とっても貴重な物なんです。」
ファイもずいぶん城の者と親しくなった。
いい傾向だと思う。
「黒鋼さん!」
小狼の声がして、俺は片手をあげる。
「悪かったな。」
駆け寄る頭をかいぐってやれば、頬を染めた。
「いえ!
もしかしてそれは・・・。」
小狼の視線の先を辿り、彼の頭に乗せていた腕を銀龍にかける。
「正真正銘、諏訪の銀龍だ。」
彼は見たのだろう。
俺の父が死んでも離さなかったこれを。
「目が、紅い・・・。」
「ああ。
父の力が込められているからな。」
小狼は懐かしそうに微笑む。
ここに、諏訪を忘れていない人がいることが、どこか心を温かくした。
「おいファイ、身を清めて着替えたら月読にあいさつに行く。」
背後にいる連れに声をかける。
「あ、りょーかい。」
ようやく通じた言葉。
別に通じなくて困ったわけでもないけれど、やはり通じるとほっとする。
遠い将来のことまで考えるなら、彼にもこの国の言葉を教えるべきなのかもしれない、と思った。
白鷺城に帰るまで結局5日かかった。
それでも国で1、2を争う早馬を借り、急いだおかげで予定よりは早かったらしい。
出立は明日に迫っていた。
久しぶりに知世ちゃんに会うから、黒たんはいつも以上に綺麗にしている。
着物は、今日は深いネイビー。
右肩にはこの城によくある三日月模様。
裾にはピンクの花が咲き乱れている。
桜の花だ。
帯は銀色でこちらは四角が織で浮かび上がっているシンプルなものだ。
この国の物の価値は分からないけれど、どちらも質がいいものだということは分かる。
聞いたところによれば、これも知世姫のお手製らしい。
髪は数本の細い銀の紐飾りと一緒に高い場所で結っている。
揺れるたびに艶やかな黒髪と銀色がキラキラと見えるのが綺麗だ。
「俺だ。」
「お入りなさい。」
大きく月の模様が描かれた襖をあけると、知世ちゃんがいた。
「只今帰った。」
ずかずかと入っていく黒りんの後ろをついていく。
「全く。
蘇摩も千鶴も心配していましたよ。」
「悪い。
どうしても必要だったからな。
知っていただろう?」
黒様が腰に差していた銀龍を握る。
「ええ。」
「母に聞いていたのか?」
「はい。
貴女の願いを聞き入れず、申し訳ありませんでした。」
黒たんは言っていた。
本当はこの諏訪の銀龍は、母の亡骸とともに葬るよう知世ちゃんに頼んだのだと。
実際は諏訪の亀神様がずっと護っていてくださったのだ。
彼女のお母さんの遺言に従って。
「いや。
お陰で親不孝者にならずに済んだ。」
黒様が小さく笑い、それにつられるように知世ちゃんも笑う。
本当にこの二人は仲がいい。
うらやましいくらいだ。
「出発まで残り少ないですが、ゆっくり休みなさい。」
「ああ。」
「食事の用意ができています。
ファイさんもご一緒にどうぞ。」
「ありがとう。」
オレ達をいざなおうとする知世ちゃん。
でも黒様は動こうとしなかった。
「その前に。
・・・もう一度誓いを。」
するりと刀を抜く黒鋼に、知世ちゃんは少し驚いた顔をした。
「ここに戻ると誓うというのですか?」
「ああ。」
知世ちゃんは困ったようにオレを見て、それからもう一度黒たんを見た。
彼女が誓うということ。
それは帰る場所があるということだ。
分かりきったことだ。
オレとは違うのだから。
それは羨むべきことではないはずなのに、どこか悲しい。
「貴女はもう、約束する必要はないのですよ。」
知世ちゃんが念を押すように言うが、黒たんは銀龍の切っ先を見つめ、静かに言った。
「それでも俺は誓う。
生き残るために。
約束は人を強くする。」
紅の瞳がその切っ先から知世ちゃんに移る。
両者の瞳がじっと見つめあい、そして知世ちゃんが頷いた。
「分かりました。」
二人は部屋の中央に行き、黒様は片膝をついて銀龍を捧げた。
知世ちゃんはその前に立つ。
遠い昔、黒様のお母さんが祭事をおこなうのを見たけれど、それに似ている。
神聖な空気にオレは固唾をのんで見守る。
「我が全ては主君の御為に在り、
我が全ては主君の懐所で有る。
我それのみを真実とし、此処に誓わん。
我が真名に掛けて。」
「御武運を。
咲。」
大切な彼女の真名を呼ぶ人が、ここにもいた。
きっと黒様にとって、誰よりも大切な人。
必ず傍らに戻って来たい人。
(・・・オレとは違う。)
儀式を終え、オレの隣に立つ黒りんを見下ろす。
「帰ってこようね。」
紅の瞳がオレを見上げた。
「当然だ。」
勝気な言葉に、オレは微笑む。
黒たんは歩くのが早くて、一歩先を進む。
銀の髪飾りが目の前で揺れた。
はやっぱり良く似合っていて綺麗だ。
「・・・お前もだ。」
足音に掻き消えそうなくらいの小さな声に、オレは思わず足を止める。
でも、黒りんが止まってくれるはずもなくて。
オレは自分のつま先をじっと見て、それからもう一度歩き出した。
そして今度は、彼女の隣を歩く。
「オレも目指そうかな、忍び。」
「・・・勝手にしろ。」
彼女の襟に埋もれた口の端が、微かに上がったような気がした。