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「咲ッ咲ッ!!!」
「黒鋼さんッ!」
「黒鋼!」
オレ達の声に、彼女はピクリとも動かない。
体が冷えていく。
明らかに彼女は、躯を失いすぎている。
内臓も、腕も、血も。
微かな脈だけが、その生命を教えてくれるが、それもどんどん弱まっている。
「オレの……オレのせいだ……」
ようやく思い出せた。
楽しかった場所、愛おしい友、宝石のようだった7日間。
ようやく生きたいと思った。
一緒に生きていきたいと。
苦しいことも、悲しいこともあるだろうけれど、それでも生きていたいと。
地面が赤く染まっていく。
(だめだ、だめだ、このままでは死んでしまう!!!!)
「ファイさんッ!!!」
小狼君の鋭い声に顔を上げた。
そしてようやく、あたりに人が囲まれていることに気づいた。
ただの人ではない。
顔までを布で覆っているが、その気配でわかる。
武人だ。
オレ達は軍隊のど真ん中にいる。
視線に振り返れば、白馬の上に女。
彼女が大将だ。
あっという間に覆面の武人たちが黒鋼に駆け寄り、担架に乗せようとする。
「待てっどこへ!?」
彼女は瀕死の状態。
オレは無様に震えていた。
堪え切れない悲しみと、苦しみと、恐怖に、震えていた。
彼女を失う。
その事実に。
「大丈夫、黒鋼は……咲は死にません」
頬に手が触れた。
見上げた先で、知世ちゃんが、否、知世姫が、優しく微笑んだ。
オレの涙をぬぐい、血塗れの手をそっと握った。
「咲は強い子です。
貴方が待っていてくださるなら、死の淵からでも帰って来ましょう」
真っ黒の円らな瞳は、どこまでも黒鋼を信じていた。
どこからその信頼がわき出てくるのかと、疑問に思うほどに。
「ここは……?」
小狼君が尋ねる。
「ここは日本国。
黒鋼の故郷ですわ。
そして私は月読」
安心させるように、彼女はやわらかく微笑んだ。
「暫し旅の疲れを癒し、安らかな時をお過ごしください。
みなさんも治療を」
急を要するサクラちゃんと黒鋼は先に運ばれ、オレと小狼君は馬車のようなもので運ばれる。
座った途端、どっと疲れが出た。
もう一歩たりと動ける気がしない。
でも、ひとつ聞きたいことがあった。
「もしかして……知っていたのかな。
オレと黒鋼のこと」
オレのつぶやきに、小狼君は俯いた。
「すまない」
「謝ることじゃないよ。
……小狼君にまで辛い思いをさせたかなと思ってね」
小狼君は静かに首を振った。
「うらやましかった。
貴方達が」
意外な言葉だった。
「失ってしまった物は取り戻せない。
いっそのこと、忘れてしまった方がいいのかもしれないと、何度も思った」
サクラちゃんの記憶のことを言っているのだろう。
小狼君の口ぶりだと黒鋼もオレのことを忘れていたことになる。
ーお前の過去は関係ない。
ただ、お前の未来から逃れられないのは、お前だけじゃないことを忘れるな。
俺達もまた、お前のために命をかける。
俺が、お前たちを守る。
だからいい加減、今の自分に腹括れー
黒鋼が言っていた言葉がふと蘇った。
彼は自分にもそう言い聞かせてきたのかもしれない。
両親を失い、故郷を失い、新しく守る知世姫に出会い、今の自分に腹を括って。
「でも、記憶の中の貴方達に負けないくらい、おれもさくらと幸せだったから」
そう言って小狼君は優しく微笑んだ。
優しい子だ。
どこまでも、もう一人の小狼君と一緒で。
屋根の上で星を眺めていると、ひとつ気配が近づいてきた。
「無事治療がすみました。
体力が回復すれば、自然と目が覚めるでしょう」
蘇摩さんの言葉に、オレは迷いながら言葉を紡ぐ。
「あの、左手は……」
彼女はひどく悲しそうに首を振った。
「日本国の医療はそこまで発達していません。
失ったものは、失ったままです」
「……そうですよね。
ありがとうございます」
「いえ」
蘇摩さんも何かを言おうと迷っているようだった。
オレはちらりと隣を見て座るように促す。
彼女はそれに応じることはなく、オレの瞳を見下ろしていた。
「黒鋼は強い子でした。
日本国に、黒鋼を超える者はいなかった。
それが、私は恐かったんです」
「……なぜですか?」
「皆が彼女を狙う。
最強の名欲しさに。
彼女もそれを貫くために、また多くの人を殺める。
それだけではありません。
この国を守る戦いとなれば、黒鋼は先陣切って戦に臨みます。
日本国を、天照様を、月読様をお守りするために。
彼女を守れるものなんていなかった。
彼女が一番強いのですから」
そうしている彼女が目に浮かぶようだった。
血飛沫を浴びて、鬼神のように舞う彼女が。
「守るために強くなり、守るものが増えるに従って強くならなければならないと自分に課した。
……黒鋼は強い子です。
でも、それ以上に、優しい子なんです」
蘇摩さんは顔を両手で覆った。
彼女は辛かったのだろう。
オレと同じで、大切な人が自分を犠牲にしてまで己達を守る姿に、心が痛んだのだろう。
それでもなお、強くあろうとするその背中を守れぬ不甲斐なさに、己を責めたことだろう。
「私の……大切な大切な……いもうとのような子なのに」
こんなに優しい人に傍にいてもらえて、黒鋼は幸せだと思った。
日本国に帰りたいと言う気持ちが、よくわかる。
ここは彼女の家なのだ。
無事に帰ってくることを望む人たちがいる、この場所こそ。
それなのに、黒鋼はオレのせいで瀕死の重傷を負った。
「今までもひどい戦に何度も臨みました。
でもこんな怪我を負ったのなんて、初めてです」
震える声に心を締め付けられるようで、オレは蘇摩さんから目をそらした。
命こそあったものの、彼女の心配していたことをオレが現実にしてしまったのだ。
「負け戦のような戦いだったのでしょう。
でも、彼女はきっと、多くを学んだ。
守ることも、守られることも」
彼女がオレを責めていないことに驚いて振り仰ぐ。
そこで蘇摩さんは優しく笑っていた。
「貴方は強い力をお持ちですね」
「……今はもう、大半は失いましたが」
「不躾なお願いだと分かっています。
どうか、旅の終わりまで、黒鋼とともに生きてあげてください。
ここまでして守りたかった貴方が生きてくれることが、この子の支えとなるでしょう」
この人も黒鋼に負けず、強くて優しい人だと、そう思った。
だからオレは言わなければならないと思った。
ありのままを、全て。
「少し、オレ達のことを聞いてもらってもいいですか?」
蘇摩さんは静かにうなずいて、オレの隣に腰かけた。
「オレと黒鋼が出会ったのは、この世界では十数年前のことです。
諏訪の湖のほとりで、オレ達は出会った。
そしてわずかな時間でしたが、かけがえのない時を過ごしました。
オレはそれからそのことをすっかり忘れていた。
再会した時も、思い出すことなく、彼女に何度もひどいことを言ったし、ひどいこともした。
……でも彼女は、あの幼い日にした約束を違えることはなかった。
オレが死にそうな時、むしろ死のうとした時でさえ、彼女は自らを差し出してオレを生かしました。
オレは命を長らえる代わりに、彼女の血がないと死んでしまう吸血鬼になったんです」
蘇摩さんは驚いたように目を見開いた。
「だから、許されるのであれば、オレはずっとずっと、彼女といます。
でもそれは、オレが彼女を喰らうのと同義だ。
オレが生きる限り、彼女は傷つきます。
……それでも、同じことが言えますか?」
漆黒の瞳を見つめる。
さっき泣いたからだろう。
目元が微かに赤い。
「もちろんです」
静かな声だった。
瞬く星のように。
優しくオレを、許す言葉に胸がうずいた。
オレはずっと世界が憎かった。
双子で生まれただけで不幸を背負い、人を不幸にする。
そんな自分が嫌いで、消えてしまいたかった。
ずっと、ずっと、ずっと。
なのにそんなオレを仲間と言ってくれる人ができて、守ると言ってくれる人ができて、そして実際に守ってくれて、その人とともに生きることを望んでくれる人がいてーー
蘇摩さんは嬉しそうに笑った。
「貴方が幸せそうでよかった」
言われて初めて、自分が微笑んでいることに気づいた。
(オレの幸せを喜んでくれる人がいる)
視界の端で星が流れるのが見えた。
蘇摩さんも気づいたのだろう。
はっとした顔になって、すぐに目を閉じて両手を合わせた。
「黒鋼が早く目を覚ましますように……」
オレも同じ言葉を心の中で繰り返す。
「……この国でも、流れ星がお願いを叶えてくれるんですか?」
問いかければ、蘇摩さんは少し照れたように笑った。
「子供だましの迷信といいますか……
でもなんだか、叶いそうな気がして」
オレはもう一度、空を見上げた。
「オレも……対価を払わなくても、星は願いを叶えてくれると思います……」
世界がちょっとだけ、優しく思えた。
