隠れ家
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治療は水樹という子どもがし、それを松影が確認する。
まだ3日目だが、子どもの手によるとは思えないほど傷の治りは早かった。
師の腕がよくまた、水樹の腕も良いと言うことだろう。
「ひとつお尋ねしてもよろしいですか。」
包帯を巻き直したところで、水樹は礼儀正しく正座して口を開いた。
「なんだ?」
「貴方は毎日本を読んでおられます。
なぜ本を読まれるのですか。」
突然の質問に少し驚き、それから小さく微笑んだ。
「俺は何度も命を救われ生き延びている。
この恩に報いるには、この1日1日に為すべきことを為し、俺の目指す事を成就する他ない。」
「学問というのは続けることで成就するものだ。
1日いちにちを積み重ねてこそ、その努力も実るというもの。
此処には学ぶべき物が幸い沢山ある。
これを享受せぬ手はない。」
水樹は眼を瞬かせる。
「それは、貴方が考えた事なのですか?」
その言葉に1つの可能性を見出す。
「違う。」
ちらりと少年を見れば、真っ直ぐに見上げてくる。
その瞳は知性に溢れ、将来性を感じさせた。
「・・・師の教えだ。」
そう言えば予想通り驚いた顔をした。
「先生とよく似た事をおっしゃる。」
その言葉に、動揺を悟られないようにひとつ頷く。
「ある種の一般論か、教えかなのかもしれないな。」
「そうですね。
多くの人の心に響く言葉は、強い。」
少年は幼さを残した無邪気な笑顔を見せた。
「貴方も貴方の先生から離れたこの場所でなおその教えを実行するのです。
きっと多くの強さを学ばれたのでしょうね。」
その言葉は心に響く。
きっと彼も強くなるだろう。
そしてきっと、誰かを護り導く人になる。
引き戸が開けられ、松影が顔を出した。
「すみません、遅くなりました。」
穏やかな微笑みに、水樹がぱっと顔を明るくする。
「先生!」
その姿に幼い頃の自分達を重ねてしまうのは致し方のないことだろう。
傷の状況を頬を高揚させながら丁寧に説明する水樹を穏やかに見つめて頷いていた松影が、ふっと俺を見て同じ穏やかな微笑みを浮かべたーー過去の、松下村塾の記憶がフラッシュバックする。
まだ小さな学び舎の中にいた俺たちの、細やかな、でも起伏に飛んだ、取るに足らない日常。
泣いて、笑って、悔しがった、色鮮やかな日々。
同時に一瞬、感情も感性も剥き出しの子どもに戻ったような衝撃を受け、俺としたことが、突然のことに表情を作り損ねた。
全てはきっと、
ずっと乗り越えたつもりになっていた、苦しい程の懐かしさが込み上げる。
律して来たはずの己の奥底にある、失われた過去への愛しさが。
そして哀しみが。
「・・・痛みますか。」
突然、
漆黒の瞳の真剣さの中に、憐憫と慈しみを見出した俺は、答えるべき言葉を見失った。