斬魄刀異聞過去編
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「……河…殿、響河殿!」
囁くような、それでいて縋るような声に蹲っていた響河が顔を上げると、格子に縋り付くようにして蒼い顔をした咲がいた。
「卯ノ花……お前……!」
存在を確認できた安堵と不安が入り混じった表情に、響河は思わず淡く微笑む。
それを勘違いしたのか、咲が目を見開いて頭を振る。
「響河殿、逝き急いではなりません!
明翠様もずっと待っておられます!」
格子にしがみついて、そう叫ぶ。
その片手には、勝守りがあった。
今になってようやくそれを落としてきたことに気づいた。
脳裏に明翠の姿が蘇る。
愛しい愛しい人で、朽木の名を背負ってでも伴に生きていきたいと思った人だった。
罪人となった今、彼女は自分をどう思っているだろう。
大切な朽木の名に、誇り高き朽木の名に泥を塗った自分を、今尚心配しているだろうかーー響河は答える事ができなかった。
自分でさえ妻を、義父を信じられずにいるのに、目の前の少女は愚かなほど純粋に彼らを信じている。
(実に愚かだ……)
思わず微笑みが漏れた。
あれだけ長い間付き従ってきた部下達は誰ひとりこんな地下牢に姿を現すことはないのに、深い傷を負った彼女は一人、自分を尋ねてきたのだ。
「そう騒ぐな。
傷が開くぞ」
「こんな傷など!」
痛むのだろう。
きゅっと服を握りしめるどこか幼い仕草に思わず目を細める。
(忠義なことだ)
そんな彼女にまで、罪がかけられる。
全ては自分に向けられた妬みと、村正への恐怖に煽られた愚かな浅ましい者の策略のせいだ。
「響河殿、どうぞもうしばらくご辛抱ください。
必ずやその身の潔白も証明されます」
(そんなことはあるはずがない)
響河は権力争いも、貴族の興亡もずっと見てきた。
だからこそわかる。
敵はこの好機を逃しはしない
それに彼女も巻き込まれるのは明白だ。
自分の腹心の部下であったが為にである。
自分もろとも、目の前の純粋な少女も消えてゆくのだ。
「お前も明日はああなる身。
何ができると言うのだ」
見張りをしていた男がぼそりとこぼす。
「そんなこと!」
咲が小さく反論して首を振った。
「大丈夫です、響河殿。
朽木家からの嘆願書と、証言があれば、時間はかかるかもしれませんが、きっと!」
彼女の純粋に信じる言葉に歯軋りする。
その言葉が真実であるはずがないと響河は思っていたし、咲も共に潰される可能性が高いというのにそれを伝えず、無知を良いことに言いくるめた者ーー恐らく銀嶺か蒼純だろうと響河は思ったーーに対して激しい怒りが沸いた。
(俺は何一つ間違いなど犯してはいない!
奴らがぬくぬくと隊首室に逃げていた時も、酒宴をしている間も、反乱を治める為に奔走し、護廷の為に傷だらけになりながら足掻いた!
実力も、高い志もあったはずなのに、奴ら愚者によりなぜ俺は亡き者にされねばならんのだ!
何故それを義父上方も見過ごすのか!
どうせ保身の為だろう!!
裁かれるべきものが私腹を肥し、実力の有る本来評価されるべきものが裁かれるなど、間違っているッ!!!
この、腐り切った世界めッ!!!)
昼に開いた手の傷に再び爪が食い込み、血が流れた。
「……村正殿!」
聞こえた驚くような声に、響河は顔をあげた。
格子の向こう、咲と対面するように村正がいる。
「何故お前がここに!」
「お前の本能が、胸の内の怒りが私に届いたのだ。
お前が呼びさえすれば、私はどこへでも駆けつける。
生きよ、本能のおもむくままに」
彼は他者の斬魄刀に呼び掛けるように、響河に自由を呼びかけた。
美しかった瞳は、蝋燭の炎を映し、激しく燃えているように見える。
その瞳に見つめられると、怒りと闘争心と力が湧いてくる。
「何をおっしゃいます、村正殿!
今は耐えるときです!」
咲が大きな声をあげたのが聞こえたのだろう。
番兵が刀を抜き走ってくる。
「何奴だ!」
しかし次の瞬間、彼は呆気なく倒れ伏した。
咲は目を見開く。
村正の手によって見張り番が息絶え、崩れ落ちたからだ。
「なぜこのようなことを!
これは罪にとわれてしまう、無罪を主張するべきなのに!」
咲が村正の腕を取って揺さぶる。
「今さら不可能だ。
お前にはわからんだろうが」
咲は恐れをなしたように手を離し、1歩、2歩と後ずさった。
彼女に長い爪を突きつけ、村正は迫る。
「お前も一緒だ。
お前の斬魂刀に秘められた力、尋常ならざるもの。
それは、私と同じ」
薄々と自分の斬魄刀の能力が風殺系では無い事に気づきはじめていた為、言葉を返すこともできず小さく首を振る。
「弱きものにとって脅える対象にしかならん。
いずれお前も響河と同じ目に遭おう」
怒りの瞳に射竦められ、咲は格子に背がぶつかった。
それ以上下がることはできないが、村正の殺気に手を握りしめる。
村正が格子に向けて手を振ると格子が破壊され、飛び散った破片が咲の手を深く傷つけた。
「行こう響河。
我々の力を忌み嫌い妬むこの世界に合わせることはない。
我々の力で全てを変えてしまえばいいではないか。
あの愚か者等粛清し、正しい世界を、この手で!!!」
そして村正の手が、咲に差しだされる。
一瞬の空白は咲の躊躇いだ。
「お前も来い」
咲は萎縮したように身を縮こませ!首を横に振る。
「行ってはいけません!
ここで耐えなければもう戻ることができなくなってしまう!」
鎖の音に振り返ると、響河が立ち上がっていて、咲は驚いて目を見開く。
「響河殿、なりません!」
彼の前に飛び出して立ちはだかった。
その咲を、響河はじっと見据えた。
「戻る必要なんてない。
こんな腐り切った世界を壊し、俺は正しい世界を作る」
「なりません、響河殿!
一人の力では難しいからこそ、今皆で協力しているのではありませんか!」
「退け!」
後ろから村正が咲に命じる。
ばっと振り返る咲は彼を睨みつけた。
「いけません!」
村正は咲を睨み返し、一歩咲に近づく。
「いけません、村正殿。
今ここで耐えねば、本当に反逆者になってしまう。
奴らの言い分を真実にしてしまってもいいのですか!?」
「もう一度しか言わん。
そこを退け!」
村正の冷たい声にも屈することなく咲は首を振り、また一歩、一歩と近づいてくる彼に背を向け再び響河を見た。
「響河殿、なりま……」
響河が目を見開いた。
咲の背後には村正がひどく苛ついた顔をして立っていた。
その手の長い爪は彼女の腹部を貫通し、響河から見える爪先からは血が滴っている。
咲は血を吐き、よろけたが何とか踏ん張った。
「村正、お前なんてことを!!」
繋がれたままであることを忘れ、青褪めた響河は咲に駆け寄ろうとし、鎖がガシャンと音を立ててその行動を阻む。
鎖を睨みつけ無理に取ろうと何度も暴れた。
一方村正はそんな響河など見えないかのように顔を歪めて咲を見下ろした。
「……何故避けない」
咲は口元を拭った。
静かな怒りを秘めた鋭い視線は、どうしても外れない鎖から顔をあげ、自分を呆然と見つめる響河に向けられていた。
村正の激しい怒りに燃える視線を背中に受けてもたじろぐ様子も見せない。
「銀嶺隊長、と、明翠様に、誓った、からです……。
響河殿を、守ると。
私は、私は、響河殿を、お護りする。
無実を、証明す……」
耐え切れないと言わんばかりに、村正は咲の体から手を抜きとる。
「くだらん」
どさり、と咲は気を失い倒れた。
見開かれたままの目は、苦しみからか涙があふれていた。
血が、床に広がる。
村正は苦しげに歪めた顔に怒りを露わにする。
感情が制御できないのだ。
ただただこみ上げる苦しみを解放したくて、目の前のこの女を消しさえすれば、この感情を根本から消し去ることができるだろうかと、止めを刺そうと手を振りあげる。
「村正、やめろッ!!!」
響河がそれを見て叫ぶ。
村正はちらりと主を見た。
「お前はこの世界に怒りを覚えた。
自らの手で、この世界を変えると。
それを阻むこの女にも、怒りを覚えた。
なぜ自分を選んではくれないのかと。
愛おしさを超えるほどの怒りを!」
「違う!」
「違わない。
ここからの脱出は一刻を争うのだというのに!」
咲がピクリと動く。
「しぶとい小娘め!
なぜ私についてこない?!
見れば見るほど憎たらしいッ!!!」
再び振りあげる手。
「やめろッ!!」
村正の手がぴたりと止まる。
「……言っておくが村正、主はこの俺だ。
斬魂刀であるお前に指図される覚えはない。
放っておけと言っているのは、俺だ」
村正は振り上げていた手を響河に向け、彼を束縛する鎖を砕いた。
響河は牢からゆったりと出ると、咲の傍に片膝をついた。
抱き上げて連れて行こうと手を伸ばしかけるが、その手をためらうように戻す。
「響河」
焦る村正の声に、響河は落とされた勝守だけを掴むと、その場を去った。
ふと、月を見上げると、雲がかかっていた。
おぼろげに見える月のシルエットに、明翠の心がざわめく。
(なぜかしら……)
虫の知らせ、とはこのことかもしれない、と思った時だった。
母屋の方が俄かに騒がしくなった。
駆けてゆけば、今日は帰ってこないはずの銀嶺と蒼純がいた。
死覇装に身を包んでおり、その表情は暗く、鬼気迫るものがある。
「いったい、なにが……」
聞いてはならないと分かっていた。
昨日から家中がおかしいのだ。
「……お前はまだ知らなくていい」
父はそれだけ言うと姿を消した。
(……あなた)
胸を押さえて、明翠はその場にうずくまる。
「明翠様……」
侍女が駆け寄った。
「私は……」
嗚咽が堪え切れない。
「私は何もできないっ……」
響河の朽木にはそぐわないかも知れない人間味や優しさが愛おしかった。
彼ならば多くを吸収し、いつしか素晴らしい当主に、隊長になるだろうと信じていた。
だがその全てが崩れ去ってしまったのだと知った。
もう2度と戻ってはこないあの愛おしい日々に、明翠は一睡もする事なく泣き明かした。