学院編Ⅰ
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図書室で思い立って、医務室の前まで来たものの、咲は扉の前で立ち止まってしまっている。
なんと言えばいいのだろうか。
ただ申し訳ないと謝って、それでどうなると言うのだろう。
あれほど優秀と有名な浮竹は、自分のせいで意識を失うほど体調を崩してしまったのだ。
なのにただ謝って、それで許されるのだろうか。
何かしなければとは思うけれど、それから先の知恵は働かない。
貴族の付き合いも、そもそも人としての付き合いもしてこなかった咲。
虚との戦い方は一流でも、勉強はできても、本当の意味で相手のために熟考することは今まで無かったといってもいい。
(どうしたらいい?
どうしたら許してもらえる?)
一昨日の晩、京楽に会って、自分のような人が彼らの隣にいていいはずがないと言うことも確信した。
(そうだ、隣にいていいはずがないのだ。
嫌われても当たり前なのだ。
なのに、どうしてあれほど優しくしてくださったのだろう。
その恩を、私は仇で返したのだ)
「こんにちは」
不意にかけられた声に咲は驚いて肩を震わせる。
考え事に耽っていたせいで相手の気配に気づけなかったのだ。
滅多にないことなので、心臓がバクバクいっている。
それに相手も気づいたのだろう。
苦笑を洩らしながらごめんね、と謝った。
整った顔立ちに、ひとつに結わえられた緩やかに波打つ美しい茶髪。
同じく印象的な茶色い瞳の彼は確か。
「山上様」
「そう、よく覚えていてくれたね。」
彼は笑顔を見せた。
それから目の前の扉をちらりと見、それから咲の目を見た。
「浮竹君のお見舞いかい?」
当然と言えば当然の問いかけだが、いきなり山上に的を射たことを言われ、咲は目をそらした。
なんと言えばいいのだろう、と考えるばかりで言葉が出てこない。
「君、考え込むのは苦手だろう?」
そう言われて、咲はようやく彼の目に視線を戻し、少し間をおいてからひとつ頷いた。
「なら、行動するしかないな。
佐々木先生、山上と空太刀です」
咲に何の断りもなく、扉に向かって山上がはきはきと挨拶をする。
あまりのことに、咲はただ口をパクパクするばかりだ。
「お入り」
返ってきた言葉に、山上は扉を開けた。
「ほら」
促すけれど、足がすくんで前に出ない。
見かねた山上が背中を押して、咲を医務室に入れた。
それを見た佐々木は笑顔を見せ、咲は固い顔をして、深く頭を下げた。
その後ろで山上は相変わらずの笑顔で会釈する。
「浮竹君のお見舞いかな?」
「はい、彼女が」
咲が否定する前に山上がさらりと答えてしまう。
唯ですら悩んでいて頭がいっぱいなのに、急に行動に移すことを強要されて、咲は今にも目を回してしまいそうだ。
「そうか。
こっちじゃよ」
佐々木は柔らかい目をして、咲を奥にいざなった。
どうしようもなくなって、それについていく。
「空太刀さんがお見舞いに来てくれたよ、浮竹君」
さっとこぎみいい音を立ててカーテンを開ける。
「空太刀……が?」
小さくつぶやいて丸くなった布団から、浮竹が顔を出した。
佐々木は小さく笑いながらカーテンを閉めて出ていった。
「ご……ご無沙汰しておりました」
深く頭を下げる咲を見て、浮竹は目を見開いてから少し困ったように微笑んだ。
「ああ、久しぶりだな。
京楽から空太刀が心配してくれていると聞いたんだ。
すまなかったな、色々と気を遣わせて」
いつも通りの明るい声。
元気そうに振舞う様子に耐えきれなくなって、咲はもう一度深く頭を下げた。
「申し訳ございませんでした!」
部屋に声が響く。
咲はそのまま慌ててその場で平伏した。
浮竹が驚いたように眼を見開き口を閉ざす。
「心優しい浮竹様のご容体がすぐれないにもかかわらず、私ごとき卑賤な者のためにご指導してくださり、申し訳ないばかりにございます」
そこまで一気に言うと、少しの間ができた。
浮竹は少しの微動だにしない。
だが、その霊圧の変化は一瞬で起きていた。
激しく波立つ霊圧。
突き刺すように鋭く冷たいそれが示すのは、怒り。
強いその霊圧は咲が今まで ーー 更木でさえ感じたことのないほど強いものだった。
隣の山上が息を飲むのが聞こえた。
咲は震えを抑えようと拳を握りしめた。
自分も霊圧を上げれば体は楽になるのは経験上知っていたが、彼の怒りを真摯に受け止めなければならないと堪えた。
「以後このような傲慢な真似は致しません故、どうか……どう、か」
強い霊圧にあてられたのか、喉が締め上げられ、声にならない。
「浮竹君、落ち着きなさい!!」
佐々木が大声と共にカーテンを開け、咲は意識を手放した。
(どうか……どうしてほしいのだろう?)
薄暗い意識の中で咲は自分に問いかけた。
霊術院に入ったころは、ただただ卯ノ花に認められるようになりたかった。
自分を見つけてくれた、あの優しくも強い四番隊隊長の役に立ちたかった。
そのためにも一刻も早く霊術院を卒業して、護挺に入隊したかった。
浮竹と京楽に出会って、院生生活はがらりと様変わりした。
2人に会うのが、2人と勉強するのが楽しくて仕方がなかった。
何事にも代えがたいものだと感じた。
ではもし、今回の件で、浮竹が自分を本当に憎んでいるのなら。
(そんな浮竹様のいる霊術院には……いたくない)
そう思い至った時、咲は目を開いた。
何事もなかったかのようにベッドを仕切るカーテンが風に揺れている。
さっきの事が嘘だったかのように思えるが、自分がベッドに寝かされているということは、事実だったのだろう。
彼があれほどの霊力を秘めていたなど、知らなかった。
咲は喉に手を当てる。
恐怖の中でも、咲は浮竹から嫌われたくないと思ってしまった。
その上浮竹というたった一人からの感情で、卯ノ花の恩を仇で返すようなことを考えた自分が、とてつもなく恥ずかしい。
だが、それでも浮竹に怒られたくないと思ってしまう。
でも浮竹は怒っているに違いなくて、そんな浮竹からは逃げてしまいたい。
怒った浮竹のいる霊術院からは逃げ出して、更木の奥に逃げかえりたいとまで思ってしまう。
でもやはりそれは卯ノ花にあまりに申し訳ないし、あの方の役に立ちたくてーー
咲の頭はただただ無限ループに陥って行く。
(どうすればいいの?
わからない……わからない、わからない)
ふと頭に温かな手が乗せられて、驚いて顔を上げる。
いつの間にか寝ている咲の枕元に、浮竹が膝をついていたのだ。
じんわりとした温もりが、髪の毛を抜けて肌に伝わっててき、心地よくて目を細める。
彼の手が咲の頭に乗るのは初めてではないし、咲はそれが大好きだった。
彼のこの穏やかな春の日差しのような霊圧も。
「病気の事、驚かせて悪かったな。
着物もすっかり汚してしまって……本当に悪かったと思っている。
それにずっと黙っていたのも、水臭いよな。
病気のことを言うとお前が気を遣うだろうと思うと言えなかったんだ。
それにお前たちとの練習は本当に楽しくて、休みたくなくてな。
さっきだって、今までのお前の生活を考えれば、当たり前の態度だったのに、あんなに怒ってすまん」
浮竹もそこまで一気に言うと、鳶色の目をすっと細めて笑った。
それはいつものように、まぶしい笑顔で。
「だからお互い様ということで、今回の件は水に流してくれないか?」
どうすればいいのか分からない。
彼のいうことに従うのがいいのだろうか。
否、そんなことで済むはずがない。
ではどうすればいいのか。
咲の頭は混乱していく一方だ。
「いいんじゃないか?
浮竹君の意見に従えば。
浮竹君は賢いし、悩み事はそれほど得意でもないが、君よりも慣れている方だよ」
後から聞こえてきた声に振り返れば、椅子に腰かけた山上がお茶をすすりながらのんびりとこちらを眺めている。
あれほど強大な霊圧にあてられなかったことへの疑問が一瞬頭をかすめたが、浮竹が口を開いたのですぐに忘れてしまった。
「頼むよ。
また元通り貴族様扱いなんて、そんなのは嫌なんだ」
手を合わせて頼み込む浮竹に、咲は慌てて首を縦に振った。
「わ、わかりました!
本当に申し訳ありませんでした」
「良かった。
俺も本当に悪かったな。
よかった、これで仲直りだ」
差し出された白く大きな手に、咲はおずおずと右手をのばす。
触れた瞬間、温もりに包まれて、咲の手まで温かくなった。
皆が帰り、沈みかけた夕日が窓から差し込む。
「浮竹君」
「申し訳ありませんでした、先生」
渋い顔をする佐々木が言葉を紡ぐ前に、浮竹はベッドに腰かけたまま頭を下げた。
「発作で霊圧が不安定になっていたところ、感情を抑えきれなかった俺が弱かったと思っています」
「そうか。
聞いてはいたが、ここまでとは思わなかったよ。
だが、まだ君は若い。
感情的になることも已むを得ん」
佐々木は穏やかにそう言ってベッドに腰かけた。
「俺……」
「うん」
俯く浮竹に、優しく微笑み、話を促すように相槌を打つ。
「子どものころからいつも霊圧を必死に抑えていました。
でも一度、こういう風に霊圧が荒れた事があって、それから友達に化け物って陰で呼ばれていた時期があったんです。
みんな俺を怖がって近づかなくて、友達もいなくなりました。
……空太刀の今の姿と、なんか重ねていたところがあったと思うんです。
なのに、彼女に恐れられたと思ったら、なんか気持ちが抑えられなくて」
「そうだったのか……辛かろう」
「俺なんかより、空太刀の方が怖かったに違いありません」
「違うさ、どちらの方が怖かったかなんて話はしとらんよ。
君も己が怖くて辛かった。
空太刀さんも霊圧にあてられて怖かった。
……それだけの話だ。
そして私は、より強くなることを必然的に求められる辛さを思っただけだ」
浮竹は俯いたまま小さくうなずいた。