学院編Ⅰ
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「おい、どういうことだよ!?」
腕が見えないわけではなかったが、咲はその男子生徒の力に従って床に倒れ込んだ。
顔をあげれば咲が話しかけた女子生徒をかばうようにして他の生徒が集まり始めている。
もう一人の女子生徒が、大丈夫?と心配げに話しかけているのを見て、咲は視線を床に落とした。
そういえば彼女は1組の中でも位の高い貴族出身だった。
咲を殴り倒した男子生徒は、音を立てて一歩咲の方に踏み込んで睨みつける。
「口がきけないのか?」
約束に遅れるわけにはいかない。
でも、掃除をしないわけにはいかない。
「今日は先輩から呼び出しを受けているのです。
少しだけお手伝い願えないでしょうか」
道場内の空気が、一瞬で嘲るようなものに変わった。
「ふざけるなよ、そんなはずないだろう。
お前が先輩に声をかけられること自体が、まずあり得ない話じゃないか」
「無駄だ、これには言葉なんて通じない。」
馬鹿にした笑いが起きる。
「ですが」
起き上がろうとすれば、強く肩を踏みつけられ、その場に仰向けに倒される。
その胸を一人の男子生徒が踏んで、起きることを許さない。
灰が圧迫されて声もあげられず、思わず目を固く瞑った。
「なにが、お手伝い願えないでしょうか、だ?
獣は獣らしく、更木の奥にでも」
「空太刀、まだぁ?
遅いから迎えに来ちゃった」
その声に、咲の上の学生が黙り、クラスメイトが一斉に後ろを振り返る。
西日の中、扉にもたれかかる二つの影。
「おい、あれってもしかして……」
「言っただろう、7時間目が終わったら第3剣道場に来いって。
終業の鐘が鳴ってから、もう20分もたっているぞ」
どこか冷たく響く声。
二つの足音が、練習場に響く。
「3年の……浮竹先輩と、京楽先輩だ……」
分かっていながらも、学生たちは動くことができなかった。
「足、どかしてもらおうか」
京楽の、決して荒々しくはない言葉のはずなのに、声をかけられた男子生徒はまるで殴られたような顔をして、慌てて咲から離れる。
むせこむ咲の身体を、優しくおこして背中を摩る浮竹。
「大丈夫か?」
「……はい」
「じゃ、いこうか」
咲は浮竹に助け起こされ、唖然とするクラスメイトを残して、そして彼ら以上に唖然としながら2人とともに道場から出た。
聡い2人は、これで牽制としては十分だと言うことを分かっていたのだろう。
上流貴族の京楽の名は知らぬものはいない。
だが上流貴族であると言うことを鼻に掛けない分、自分と同等の上流貴族に対しても下流貴族となんら変わらず接する。
つまりは、制裁も全て同等に与えるつもりなのだ。
彼が親しくしている浮竹は下流貴族だが、京楽のおかげもあって頭角を現すにいたったと噂されている。
しかもその2人が霊術院始まって以来の秀才ともなれば、1年生への牽制はいとも容易い。
「すっかり時間を取られてしまったな。
早く練習を始めよう」
打って変わって、温かな笑顔で話しかける浮竹。
「今日は負けないよ」
「俺だって今日も負けないさ」
「今日もって、浮竹ぇ、今のところ力量は五分五分だろ」
2人は、ふと咲が足を止めていたことに気づき、振返る。
「空太刀?」
京楽の理由を問うような声に、咲は口を開きかけるも言葉が続かない。
礼をいいたいが、自分ごときを助けてもらうなどなんと恐れ多いことかとも思う。
クラスメイトがあの場面を見て何を思ったのかも気になる。
頭が混乱してしまっていて、できることならば自室にでも引きこもってしまいたいくらいだった。
「どこか痛むのか?」
心配そうに寄ってきて顔を覗き込む浮竹に、俯いて必死に首を振る。
「もしかして、俺たちなんかと練習するのは嫌なのか?」
その言葉に驚いて顔を上げる。
「そうだったらすまない。
君の意見も聞かずに無理やり練習に付き合わせてしまって」
逆に俯く浮竹に、咲はどうしたらいいのかと焦る。
「違います!
……練習、誘ってもらえて嬉しいです」
今度は浮竹が、はっと顔を上げる。
「本当か!?」
まぶしいくらいの笑顔に、考えていたことがなんだかとても小さなことに思えて。
「はいっ」
ただ、短く返事をした。
「良かったぁ」
京楽も目を細めて浮竹の肩に手を回す。
そして2人は顔を見合わせて微笑みあった。
その様子に、胸が温かくなる。
「じゃ、行こうか」
2人の優しい視線に促されて、咲は2人の隣に立った。
それを確認すると、自然と3人は歩きだす。
2人に並ぶと、違う世界が見える気がした。
2人に並ぶと、護挺が近く感じた。
2人に並ぶと、自分も、ただの人間なのだと思えた。
竹刀が、重い。
こんなに重い攻撃は、同級生との練習では受けることはできない。
押し返そうにもぐいぐいと押され続けてしまい、一歩、後退した。
「空太刀、ボクは構わないけど、君は鍔迫り合いは不利なんじゃないかい?」
気づいた時には体が吹き飛ばされていた。
宙返りをして体制を整え直し、足が着くと同時に竹刀を構え、思いっきり床を蹴る。
パァン
気持ちいくらいの音を立ててその一撃は受け止められる。
「君くらいの体格でこれだけ重く打てるならば、相当なもんだねぇ」
今度は吹き飛ばされるタイミングを見計らい、京楽の力を使ってそのまま竹刀を振り、体を回転させて胴に一本入れた。
「うっ!」
着地して彼を確認すれば、片膝を床についていた。
「空太刀一本!
身軽さが武器だな、お前は」
「ほんとだよ。
どこから竹刀が飛んでくるかわかったもんじゃない」
わき腹をさする京楽。
大丈夫かと尋ねようとしたところ、京楽に手を振って止められる。
「全然大丈夫!
平気平気!」
その言葉に浮竹が噴き出す。
「後輩に一本取られて痛いとは、流石に言えないよなぁ」
「そういう浮竹ももう一度やってもらいなよ!
今度こそ負けるから!」
「生憎、サボりぐせのあるお前とは違って、俺はまだ負けるつもりはないぞ」
「待ってください、私、休憩したい、です」
荒い息の中、座り込んで手を振る咲。
勝ちはしたものの、やはり京楽との手合わせは桁違いだ。
「わかってるわかってる、すぐにじゃない」
明るい笑いがはじけた。
「そろそろ昼にしようか」
週末は静霊挺のはずれの野原で稽古に励む。
3人は並んで大きな木の下に腰かけ、食堂で作ってもらったお弁当を広げる。
「ここに来ると、護挺の建物がよく見えるねぇ」
「そうだな。
本当に、大きな建物だ」
「なんだか迷っちゃいそうだねぇ」
「そういう心配は入ってからで十分だ」
「夢がないねぇ、浮竹は」
「現実的だと言ってもらいたいな」
この世の魂達を導き、調整者として働くには、このくらいの大きさが必要なのだ。
そしてその死神をまとめる一人として、大きな働きをする一人に。
(烈様はおられる)
「3人で、行きましょうね。
護挺」
咲のまっすぐな瞳に、2人も頷いた。
「絶対、な」
「そうだねぇ、頑張んなきゃなぁ」
「ようし!
歴史の復習をしたら、今度は白打をしよう。
咲は週明け確か試験だろう?」
「はい、よろしくお願いいたします」
先日の牽制のおかげで以前のように暴力を振るわれないのは、何よりもありがたかった。
腫れもののように扱われるものの、掃除当番も下級貴族の者が一緒に取り組むようになった。
こうして週末に共に勉強できることも何よりもうれしい。
(不思議な方……)
この温もりを、決して手放したくないと思ってしまった。
