斬魄刀異聞過去編
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(しまった、食堂今日は早く閉まるんだったか……)
そういえばそんなことを京楽が昼に言っていたような気もなくはない。
すっかり忘れていた自分のミスだ。
食堂の前で咲はうなだれる。
ようやく残業が終わり、やっと食事にありつけると思った先がこれだ。
張り紙を見ると料理長の娘の結婚式が明日だとか何とか書かれている。
祝い事だから致し方ないものだがやるせなさは残る。
(おなかすいた……)
「お、卯ノ花」
振り返れば片手をあげている響河がいた。
咲は深く頭を下げる。
どうも先日の戦闘を見てから、響河のことが分からなかった。
自分も人を殺した身だ。
違いなど有るわけはないのだが、彼の超越した力と戦場における冷静さには若干の恐れを抱く。
「しまった、食堂今日は早く閉まるんだったか……」
看板を見た彼は、咲と同じ反応をした。
「そのようです……」
覇気のない咲の声に、響河はおかしそうに笑った。
「そんなに腹が減っているのか?」
「い、いえ」
さすがに恥ずかしく首を振るが、体は正直で空腹を訴えるように情けなく鳴いた。
それがまた響河の笑いを誘う。
「ではせっかくだ、家へ来ないか?」
笑いが途切れたと思ったら、こんどは唐突なお誘い。
咲は目を瞬かせる。
「お前の話をしたら、妻が会いたがってな」
話が全く読めない。
だがこのままいくと大変なことになってしまうことは、何となく予想できた。
上司、それも朽木家の奥さまとご対面など。
「滅相もございません。
そんな、突然お邪魔するなど」
必死に首を振るが、相手はお構いなしだ。
「構わない。
途中で食べて帰ってもいいが、せっかくだ。
どうだ?」
「ど、どうだと言われましても、」
嫌だというのも失礼だと思い断りきれず、ただただ困惑するばかり。
「じゃあ決まりだな。
着いてこい」
明るい笑顔に、咲は頷いてしまった。
一歩遅れて後ろを歩く。
近くにいるだけで彼の実力は感じられる。
霊圧はもちろん、みなぎる自信も、器の大きさも。
話題も見つけられず、無言のまま進んでいると、咲はふと気配を感じて間をとった。
本能的に空けた場所には、響河の手が浮いており、咲の肩に触れようとしたのだろうことがわかる。
月の光がその節ばった手を映しだしていた。
たったそれだけだった。
上司に対する態度ではありえないことに、咲は目を見開く。
しかし響河は驚く様子もなく、じっと咲を見おろすばかりだった。
謝れば自分が彼から逃げたことを認めることになるから、それはできない。
だが他に言い逃れする言葉は見当たらない。
永遠にも感じられる沈黙の後、口を開いたのは響河だった。
「……俺が恐いか」
緑色の瞳が、咲を静かに見つめていた。
怒りも蔑みもない、静かな美しい緑の瞳だった。
咲は返答に困り、逃げるように俯く。
「俺も……始めはそうだった」
その言葉に驚いて顔を上げる。
澄んだ優しい瞳は、咲のことを怒ってなどいない。
「平気で多くの死神を斬り伏せる義父上が、恐ろしかった。
一瞬で多くを奪い得る力を持つ存在が……もう何十年も前のことだがな。
だから、卯ノ花が俺を恐がるのも、分かる。
たとえお前が人を殺したことがあったとしても、だ」
そして昔を思い出すように月を見上げた。
銀色に、しんしんと輝く大きな月は、銀嶺を思わせる。
この人にも自分の様な若かりし日があったのだと、力に畏れを抱いた日があったのだと、その事実が咲を勇気づける。
「俺たちは駒にすぎない。
命令に従うのみ。
己の力を最大限に発揮し、お役に立つために努めるのみだ。
それが今、俺達にできること」
緑の瞳が、静かに咲を見つめた。
まるで彼らに追いつけない様に見える自分も、年月を重ね、努力を重ねれば、いつかは少しは彼らに近づけるのではないかとそう思わせてくれる。
月の様に遥か彼方にいるわけではない。
響河は、咲の手の届くところにいる1人の死神だった。
貴族であり努力も重ね実力もある存在でありながら、幼い程の咲に寄り添う、優しき死神であった。
「それに耐えきれぬなら、心が壊れる前に、ここから去れ」
破涙贄遠を握り締めると、咲は首を振った。
(私は、烈様のお役に立つために、ここまでやってきた)
「私は、私にできることを、精一杯やります。
壊れません。
少しでも護挺のお役にたてるように。
それから、」
(私の命を救ってくれた、そして私の歩く道を教えてくれる、)
「響河殿のお役に立てるように」
響河が少し驚いたように目を見開き、それから、はにかむように笑い、彼の手が咲に伸びる。
咲はもう逃げない。
ふわりと頭の上に置かれた手は、
ー大丈夫だ、俺は斬ったりしない。
安心しろ。
怖かっただろう?ー
院生だった咲を助けたときに頭をなでた大きな手に、変わりはなかった。
「お帰りなさいませ」
帰るとずらりと迎えてくれる女中達。
卯ノ花家も上流貴族だが、流石に五大貴族となると格が違う。
その奥から静々と歩いてくる女性がいた。
「お帰りなさいませ、響河様」
何と美しい人だろう、と思う。
きめ細かく透けるような白い肌、利発そうな翠色の瞳、艶やかな黒髪。
繊細なガラス細工のようなこの人が、自分の上司の娘であり、妹であり、妻なのだ。
(六番隊は朽木家で占められ過ぎている……)
蒼純や銀嶺の顔立ちを見ていればある程度の想像はできたものの、こんなに美しいとは。
卯ノ花のような凛とした強さを秘めた美しさとは違う、深窓の姫君らしいたおやかな様子は、咲には眩しすぎる。
「ただいま、明翠」
優しく微笑む響河。
実にお似合いの夫婦である。
思わず見とれてしまう。
「そちらのお嬢さんは?」
ふと話が振られ、咲は咄嗟にばっと頭を下げた。
「初めてお目にかかります。
六番隊でお世話になっております、卯ノ花咲と申します」
「そう言うことだ」
響河のにやりと笑っていそうな声が降ってくる。
「まぁ。
頭を上げてくださいな、咲さん」
いきなり名前を呼ばれ、驚いて顔を上げると、目を輝かせた明翠の姿があった。
美しい瞳が自分に向けられているだけで、頬が熱くなる。
それほどまでに美しいのだ。
「妻の明翠です。
お噂はうかがっておりましたが、こんなにも愛らしいお嬢さんだとは」
咲はぶんぶん、と音が出るほど首を振った。
「め、滅相もございませんっ!」
愛らしいなどという言葉は言われたこともない。
ましてやこんな方に自分が言われていいはずがない。
「是非お話を聞かせてくださいな。
霊術院のこともうかがいたいわ。
それから流魂街のことも」
変わった方だ、と思う。
貴族でない自分に興味を持つなんて。
「悪いが食事が先だ。
俺もこいつも食堂が定休日で食いっぱぐれてしまった」
タイミング良く咲のお腹が鳴る。
恥ずかしくなって慌てて押さえた。
それを聞いて、夫婦は顔を見合せて笑う。
「腹がすくのは霊圧が高い証拠。
結構なことだ。
ついてこい」
楽しげな様子に、響河の後ろを静々と付いていく。
通された部屋には膳が二つ据えられている。
「遠慮するな」
「か、かたじけのうございます」
促されるままに席に着く。
すると咲と響河が正面に座ることになり、明翠はその響河の隣に並んで座った。
「召し上がってくださいな」
鈴を振るような声に、咲は頭を下げ、そして手を合わせた。
響河が食べるのを視界の端でとらえてから、自分も習う。
卯ノ花家で十分躾られてはいるが、さすがに緊張する。
出し巻き卵を口に運ぶ。
ふわりとした触感と卵の香りが何とも言えない。
さすが朽木家だ。
「おいしい……」
「それは良かった」
響河も満足げに笑っている。
「ねぇ咲さん、今日はどんなお仕事で残業なさったの?」
待ちきれないというように、明翠が尋ねる。
「は、はい。
本日は、虚の討伐遠征にかかわる布陣資料を集めておりました。
その後は東門の警護でございます」
「まぁ、咲さんもそんな堅苦しい調べ物をなさるのね」
まさかそんな答えが返ってくるとは思わず、咲は目を瞬かせた。
「死神の仕事に堅苦しいも何もない。
仕事は仕事だ」
響河も苦笑を浮かべる。
「そうですけれど、まだお若いのに」
きょとんと首をかしげるようすは、可憐で花でもそこにあるかのようだ。
「警護ですか。
不審な者が現れましたら、咲さんも、その、斬魂刀で戦われるの?」
明翠の視線が咲の隣に置かれた斬魂刀に向けられる。
「もちろんでございます」
「まぁ、本当に?
ずいぶんと危ないではありませんか。
大丈夫なのですか?」
目を瞬かせる様子に咲は思わず微笑む。
「こいつの実力は席官並みだ。
一人で複数体の虚を相手する実力もある」
思わぬ言葉に今度は咲が目を瞬かせ、顔を赤くした。
軽い褒め言葉であるはずなのに、ここまで照れるとはと、響河は驚き、そして目尻を下げる。
「まぁ本当に?
それでも心配いたします。
どうぞお怪我なさらないでくださいね」
眉を寄せた本当に心配そうな顔を向けられ、咲はぶんぶんと何度もうなずいた。
