墨染桜編
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「素敵な着物だ、桜にも同化するが花の中から出ても、なお」
静かに低い声でそういわれ、彼の顔はもう見るまいと咲はうつむいたままそっと乱れかけた髪を耳にかけた。
この服を仕立てに行った時のことを思い出し、思わず口の端が緩む。
少しだけ言葉に迷い、小さく口を開いた。
「……ありがとうございます」
「贈り物だね……それも男性からの」
確認ではなく、断定する言葉に思わず目を見開く。
彼といると驚かされることばかりだ。
思わず相手を見上げた。
「なぜ、それを」
「自分で選んだものならば、君の性格だ、謙遜するだろう。
違うかい?
あとは……君の表情かな」
覗き込むように目をじっと見られる。
この人は本当に人を良く見ていると感心する。
隊長格にもいろんな人間がいる。
人の様子にそれほど頓着のないものもいるが、彼や京楽や浮竹のように人を見る目に長けた者には度肝を抜かれる。
また彼らは良い意味で、自らの持つ力や魅力を理解し、巧みに人の心を操ることにも長けていた。
そして末席の自分は、それに甘んじることに決めていた。
はるか昔、響河の罪の象徴として生きることを命じられた時からーー
だが目の前の男にはそうすべきでないと、心のどこかで警笛が鳴る。
その理由は何だろうかと心の奥を掘り下げていくと、蒼純が彼と距離を置いていたような気がするというぼんやりとした理由に落ち着いた。
その警笛を打ち消すかのように、男の目が歪む。
「悔しいな」
掠れた声に紡がれた音。
このまま流されてはならない、冷静にならなければと、一歩下がった。
「この着物を選んだのは誰だろうか」
追い打ちをかけるような、かすかに怒りをはらむ言葉。
彼は過去にも何度かこうした、まるで男女の仲を求めるような振る舞いを咲にしてきたことを思い出す。
なぜ自分のような罪人に、わざわざ手を出そうとするのか。
目をそらしたのに、それを許さないとでもいうかのように手が伸びてきた。
普段ならばなんとでもできようものなのに、身を竦ませることしかできない。
「ここまですれば、君もようやく自分の価値を認識できるだろうか」
影が遠のいて、ふと顔を上げると、穏やかに微笑む藍染がいた。
最後に発された言葉を反芻する。
彼は、自分に手を出そうとしたわけではない、ということだろうか。
そうした価値があるということを伝えるために、今まで男女の仲を求めるかのような行動をとってきたということになる。
それをするだけの価値があるということを伝えようとしてきたということになるが、本当にそんな価値が自分にはあるのか、そもそもなぜ彼がわざわざ行ったのかという、更なる疑問が湧く。
「……不思議かい」
全て表情に出ていたのかと慌てて俯く。
否、おそらく彼が表情を読むのに長けているのだ。
高い観察力、考察力を兼ね備えた彼の前では、多くの隊士は子どものように見えるのかもしれない。
「僕は君に、君の人生を大切にして欲しいと思うんだよ。
君は罪を課せられてはいるけれど、それは決して君が罪人だからではない。
自分を卑下しすぎて、ともすれば誤った道を選びかねない危うさが君にはある」
その言葉が、自分と空悟、そして秀九郎とのことを指しているようでどきりとした。
自分はこの尸魂界では罪人と貶められ、ならず者の様に扱われてきた。
この場に相応しくない、ただ一匹の獣のように思っていた。
ーーだから、同じく孤独の存在である彼らとならば、悲しみを埋めあえるのではないかと思ったのだ。
それならば誰にも迷惑をかけずに、自分のこの胸の穴を埋められるのではないかと。
事実彼らと過ごす時間は、この尸魂界のしがらみの中での時間とは比べ物にならないほど、ただただ優しく、温かい。
闇など存在しないかのような、陽だまりを感じる。
それは今までの咲の人生では存在し得なかった
「君は朽木副隊長をはじめとする、多くの人の命も、心さえも守ったじゃないか。
大切なもののための美しい桜のような潔さは、尊敬に値すると僕は思う。
自己犠牲が過ぎるのは考え物ではあるが、君を思う人の"君も生き残る"という願いを汲かみ取る実力を君は備えているはずだ。
そしてそれを願う人がいることも、今の君には分かるだろう。
また君は言ったね。
哀しみに飲み込まれず、ひとつひとつ乗り越えるからこそ、また立ち上がれる。
哀しみは、人を生かす様に思う、と。
それを理解する人はそう多くはない。
……君は自己卑下する必要などない。
もっと自分を大切にしなければ」
蒼純の最期にともに立ちあい、蒼純のような穏やかさを湛える彼の言葉は、心に染み入るようだった。
「きっとーー蒼純副隊長も同じ思いだったのではないかな」
顔を上げると、穏やかに凪いだ瞳が咲を映す。
そっと大きな手が咲の頭に乗せられた。
優しい仕草は、蒼純を懐古させるには充分であった。
ふと藍染は顔を上げた。
咲もその気配に顔を右に向ける。
「やぁ、ここにいたのか」
「浮竹」
「話中だったか」
「いや、終わったところだよ。
新郎新婦のところはそろそろ空いてきたかい」
「ああ。
行ってくるといい」
「ありがとう」
にこやかにそう交わすと、藍染は咲をもう一度見た。
「一度考えてごらん。
きっと、君の大切な人の気持ちに応えることにもつながるはずだ。
ではまた」
穏やかな笑みを最後に、藍染は2人に背を向けて朽木邸内へと向かっていった。
2人はじっと、その背中を見送った。
先に口火を切ったのは浮竹だった。
「藍染とは親しいのか」
「え、あ、前に五番隊との任務でお世話になった事があって」
「実力もさる事ながら、人当たりも良いし、部下の面倒見も良い」
「すごい方だよね。
でも浮竹だってそうだよ。
本当に……すごい」
「異動したいか」
「え?」
唐突な言葉に理解が追いつかない。
「異動って、私が?」
「ああ」
「まさか、どうして、なんでそんな事」
じっと藍染の去った方を見つめる彼は、いつもとどこか様子が違う。
とび色の瞳は、暖かな春の日差しを受けて穏やかに明るい。
一つにまとめられた色素を失った白髪の髪は、春風を受けてさざめき、その毛先が光を受けて煌めく。
いつ見ても美しい彼であるが、その腹の奥に何か黒いものがちらつく気がして、その対比がより、彼の人間性に深みを見せる。
「……いやいいんだ、お前が働きやすい場所はどこだろうと思ってな」
「なら今のままがいい」
やっと鳶色が咲に向けられた。
思慮深い瞳が、心まで見透かすように覗き込む。
彼のその瞳が、好きだった。
彼にならば全てを告げられるとそう思うほどにーーだからこそ咲は目を逸らす。
彼に知られてはならない秘密を、今まさに抱えているからだ。
「どうした」
静かで温かいゆったりとした声が、咲を追い詰める。
彼は気づいている。
自分が何か彼に隠していることに、気づいている。
それをきつく問いただした若かりし院生時代彼はもういない。
目の前にいる男は、もうそんな生易しい存在ではない。
この秘密に価値を見出せば、彼はどんな手を使っても暴くだろう。
それを知られる前に、別れなければ。
「……どうもしない」
その声は微かに震えた。
変わらなければならない。
変えなければならない。
このままでいいはずがないのだ。
「もう大丈夫」
口早にそう言って背中を向けた。
その姿に男が眉を顰めているとも知らず。
(これで大丈夫だろう)
朽木邸への足取りも軽く、藍染は笑みを深くした。
元来、自分のものに手を出されるのはあまり好きではない。
少しずつ絡めとっている途中であったのに、それをまるで横取りされるかのような真似をされるのであれば、暇つぶしがてら追い払うに限る。
何よりこのまま下手すれば現世のあの2人は、精霊廷に見つかりかねない。
殺されてしまうにはやや惜しい。
希少価値のある駒はおいておいて損はないだろうと藍染は考えていた。
その上、都合よく浮竹にも自分とのやり取りを見せることができた。
あの番犬にも少しずつ、自分と咲の関係について刷り込めてきたに違いない。
(今日は本当に、善い日だ)
髪に止まった桜の花弁に気付き、そっととると、軽く吹き飛ばした。