浮竹は眉を顰めた。
隣の咲が見せている、まるで誰かを慈しむ母のような顔。
ただただ幸せな時を思うかのような、甘い微笑みだ。
長年誰よりも彼女を見つめてきたはずの浮竹でさえ、そんな顔は知らない。
いつもはどこか取り残されたような孤独の中で、彼女は寂しげに微笑む。
白哉との関係が回復し苦しみが一つ減ったにせよ、それだけで満たされるような孤独ではない筈だ。
では何が原因なのか。

まるで彼女の過去から変わっているようで、肌寒さを感じる。

彼女は辛く暗く悲しい過去を背負う。
過去はもう変えようのない物だ。
その闇を含め、全てが咲。
今彼女が見せる幸せそうな顔が嫌なわけではない。
ただ直感が訴える。
何かがおかしいと。
これほど穏やかな幸せそうな顔を見ているというのに、背筋が寒くなる。
無意識に乾いた唇を舐めてから、浮竹は素知らぬふりして尋ねた。

「どうした？
何か……良い事でもあったのか？」

「えっ？」

咲は驚いたように声を上げた。

「随分幸せそうな顔をしていたんでな」

無自覚だったのかと説明してやると、咲は戸惑った表情を見せた。
咲は浮竹に秘密など作ったことはない。
だが、月島との関係は死神には誰にも秘密であるはずだ（・・・）。
それは目の前の浮竹に対してもまた同じ。
霊圧の高い人間は報告し経過観察をしていくのが常であるが、月島は人でありながら人でない。
体内にいるときに親が虚に襲われた為に身につけた完現術という力を持つせいで、それは死神にまだ知られていない秘密なのだと、彼等に説明されたと記憶している（・・・・・・）。
だがそもそもそれを、護廷が把握しない事などあり得るだろうかーー　そこまで考えて咲は頭を押さえた。
銀城と月島がいうことに、嘘などあるはずがない、疑う自分はおかしい（・・・・）、と。

ではやはり浮竹に嘘をついてきたというのか？
これ程の信頼関係を築いてきた彼に、嘘をつくなどーー






咲の顔色が急に悪くなったのを見て、浮竹は話を逸らすために口を開いた。

「そう言えば、白哉君とはどうだ」

そう問いかけても頭に手を当て、青い顔で考え込んでいる。
これは相当おかしい。
なぜ、良い事の理由を尋ねたのに彼女はこんなにも混乱し、苦しんでいるのか。
今までこんな姿は見たことがない。
まるで彼女が見えない何かに変えられていくような錯覚に陥る。
微かに震える唇に、思わず頭を抱えていた手を掴んだ。

「おい咲」

はっと浮竹を見上げてくる顔に、彼女が戻ってきた気がしてほっとする。

「大丈夫か、遠征の帰りなんだろう？
やはり疲れが……」

話を自然と逸らす。
これ以上彼女を苦しめてまで聞き出す程の早急性はまだ見出されていない。
ならば一度様子を見るべきだだ思ったのだ。

何より、彼女の苦しむ様子は心臓に悪い。

「いや、違う……違うんだけれど……」

「無理するな、中で休むか？
それとも帰るか？」

「ううん、大丈夫」

頑なに首を振る様子に、一つため息をつく。

「頼むから、俺の前くらい無理をするな」

そう言ってから、彼女に辛い任務を当てているのは自分なのにと胸が締め付けられる。
少しずつ顔色の戻ってきた頬に、無意識に手を触れていた。
彼女はそっと目を閉じる。
深い悲しみを湛えた漆黒の瞳は薄い瞼に覆われた。
触れた場所から少しずつ温もりが戻っているように感じる。
咲も無意識にだろう、猫のようにそっと頬を手にこすりつけ、溜息をついた。
ただそれだけの所作に、胸が満たされる。
自分が彼女の安心できる居場所であることが、何よりも喜びだった。