学院編Ⅲ
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「囁け、村正」
耳に届いたのは、静かな声だった。
身構えていた体に衝撃は来ず、逆に身体の拘束が解けて、その場に崩れ落ちてしまう。
「なんだ?!」
「斬魂刀が動かん!」
「一体何が!?」
状況が分からぬまま、男達は飛んできた数本の黒い輪に縛りあげられてしまった。
黒い輪は鬼道の道具か何かなのだろう。
そして一人の男が目の前に近づいてくる。
背の高い男で、短い青みがかった艶やかな黒髪をしている。
左のこめかみの辺りだけは赤く染められており、どこか見覚えのある髪飾りで止めていた。
首に巻かれた高級感のある赤い紗もどこかで見覚えがあるが、今それは思い出す余裕がない。
咲は震える足に力が入らず立つことすらできないのだ。
呼吸も震えていて、心にも余裕がない。
目の前の男はあの3人の動きを止めた。
それは斬術や白打よるものではない。
そして彼のその力は強い。
咲に抵抗の余地がない程に。
(殺されてしまう!)
脅え、震える手でなんとか刀を構えた。
せめてもの反抗だ。
しかし切っ先は震えていて、みっともないくらいだ。
こんな抵抗なんて意味がないことは、あまりに明白であった。
男は少し驚いた顔をして、呟いた。
「あんなことをされた後……
仕方ない、か……」
その言葉に、彼は自分の味方なのかもしれないと思う。
敵の敵は味方、という言葉が正しいのであれば、その予想は正しいはずだ。
でも刀を下ろせるほど、余裕はなかった。
下ろしてしまえば、咲を守るものなど何もない。
必至の形相の咲に、男は苦笑を洩らして自身の刀をしまい、片膝をついた。
咲の震える切っ先は、彼の眼と鼻の先にある。
いつでも傷つけられるだろう。
(否、彼は強いからきっと無理だ)
分かっていても手を退けることはしなかった。
怖かったのだ。
これ以上、たとえ少しでも危険に身をさらしたくなかった。
たとえ無駄な抵抗でもしていたかった。
「怪我はないか?」
淡い緑がかった目に、咲怯えた表情が映り込んでいる。
「大丈夫だ、俺はお前を傷つけたりしない。
助けに来たんだ、安心しろ。
怖かっただろう?」
大きな手がそっと頭を撫でた。
咲の持っていた刀がゆっくりと降り、鋒が地面に触れた。
「よし、いい子だ」
穏やかな優しい声、温かな眼差し。
咲はまた唇をかんだ。
そうしなければ、声をあげて泣いてしまいそうだったのだ。
虚に襲われるよりもずっと、死神に刀を向けられるのは恐ろしかった。
更木で残党に襲われるよりずっと、彼らの目が恐ろしかった。
憧れていた黒い死覇装に刃を向けられるのは、恐ろしかった。
(それでも私は……烈様の役に立ちたい)
獣のような自分を人にしてくれた人の為に戦いたいという強い意志は変わらない。
また同じ黒い死覇装を着ていても、目の前の男は違う。
彼はおそらく、元柳斎が言っていた反乱因子ではないのだろう。
「お前は強い。
良い死神になる」
優しい手が頭から離れる。
咲は唇をかむのをやめ、まだ震える息を吐きだした。
そして、男を見上げる。
強い強い、彼を見上げた。
彼は笑顔を見せた
「俺は六番隊三席 朽木響河。
お前は?」
その名前に、彼の付けている髪飾りや首を彩る赤い布をつけていた人物を思い出す。
(朽木隊長だ……)
朽木と言えば、四大貴族。
六番隊隊長銀嶺、副隊長蒼純は見たことはある。
それでどこか見覚えがある装いだと思ったのだ。
「お手を……」
声が思いのほか震えていて、これではいけないと、咲は腹に力を込めた。
「お手を煩わせてしまい、申し訳ございませんでした」
平伏すと相手は拍子抜けしたような顔になって、それから声をあげて笑った。
「お前、真面目だな!
さっきまで震えていたのに、大した奴だ。
だが気にするな。
これでも今話題の朽木家の婿養子だ。
あの家で育ったわけではない。
生まれはもっと低い。
ほら、早く頭を上げろ」
明るく温かい響河に、咲の震えも納まっていく。
おそるおそる頭を上げると、目に入るのはやはり穏やかな響河の顔だ。
「ですが」
朽木家に嫁げるだけの名家であることに変わりないと言おうとしたけれど、彼はその言葉をさえぎってしまう。
「気にするな。
お前の名は?」
その優しくも強い声に押されて、咲は名前を紡いだ。
「空太刀咲と申します」
「院生だな。
見学に来たのか?
他の奴らは?」
「私の不注意ではぐれてしまって……」
「しょうがない。
うちの隊長は山本総隊長と親しいから、今日の見学のことも何か知っているかも知れん」
「そんな!」
「気にするな。
むしろこっちが礼を言わねばならんからな」
響河はちらりと咲が捉えた男達を目で見やってから明るく笑った。
人を引き付ける魅力のあるその笑顔に、上に立つ者としての人柄を見た。
「後は頼めるか?」
「承知!」
彼が立ちあがって振り返るのを目で追って初めて、響河の部下が居たことに気がついた。
「それにしても院生にやられるなんて大したことねぇな」
「全く、府抜けた奴らだ」
部下たちの会話が頭上を通り越して行く。
今の咲には、もう何かを考える余裕はない。
「否、彼女は強いぞ」
だから、響河の言葉も流れて行ってしまっていた。
「ちゃんと手加減している。
全力の相手を簡単に倒せなければ出来ないことだ。
良く鍛錬を積んでいるな」
だから響河に急に褒められてきょとんとしてしまう。
「聞いてなかったみたいっすね」
部下たちが楽しげに笑った。
咲は何のことやら分からないなりに、響河に悪いことをしたと気づいて、小さくなった。
「怖い思いをしたんだ、仕方ないさ」
響河も笑うと、咲の前にしゃがんだ。
「立てるか?」
足に力を入れてみる。
もう言うことを聞いてくれるみたいだ。
「よし、じゃあ行くか」
響河の後をついていく。
「気をつけてな!」
「入隊楽しみにしてるぞ!」
そんな部下たちの言葉に、咲は振り返ってぺこりと頭を下げた。
「律義な奴」
小さく響河が笑う。
それに気づいて不思議そうに顔を上げる咲の頭をわしゃっと撫でた。
「俺も楽しみにしている」
眩しい眩しいその笑顔。
運命などという言葉を信じる質ではなかったが、そう信じたくなる何かが、彼との出会いにはあった。