学院編Ⅱ
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走り回り続ける。
時折休憩を交えながらも、無言で町を探した。
どのくらい走っただろうか、先を走る咲が不意に足を止めた。
「どうした?」
眉をひそめる咲の指先が、道端の塀に触れる。
そこには、赤黒い何かがついていた。
浮竹は息をのむ。
「これが関係者のものとすれば、それほど遠くには行っていないでしょう」
まだ肌寒い季節。
乾燥するにはしばらく時間がかかる。
かかりはするが、まだ乾いていないなら、望みはある。
しかし浮竹はその血に表情を暗くした。
山上の一件が頭をよぎったのだ。
月が雲に隠れる。
一瞬、辺りに闇が満ちた。
見えない視界の中、浮かぶのはあの惨状。
血の匂いまでもが思い出されてくる。
「もし、京楽が……」
浮竹は自然とつぶやいていた。
しかしその先に言葉は続かない。
続けることができない。
咲はじっと血を見つめたまま、浮竹に言った。
「死んでいたらそれで終わりです」
浮竹を驚いたように咲の方を見る。
そこに見えるのは影だけで、ただ、彼女がそこにいるということが分かるだけだ。
「生き物はいつか死ぬ。
その時が今だったと言うことです」
ほとんど見えないその顔が、言葉を発する。
それは当たり前と言えば当たり前で、冷たく感じた。
だからこそ胸に込み上げてくるものがある。
「そんな、京楽は!」
「まだ死んでいない」
咲は静かにそう言った。
「まだ死んでいないと信じて、足掻くことが私たちには許されています」
咲が刀を抜いたのを、浮竹は気配で感じる。
「京楽様の生を念じて、私たちは一刻も早く彼に辿り着かなければならない。
そのためには、迷ってはいけません。
たとえそれが誰かを傷つける様なことであっても、京楽様を助けるためと信じ貫くのみ。
迷いの一瞬が、隙を生む。
その隙で命を落とすことのないように」
闇の中にしんと声だけが落ちた。
次の瞬間、咲は壁と自分の背中で浮竹を挟むように移動する。
その動きに、浮竹はなにごとかと驚くばかりで。
キン
高い音が響く。
浮竹は慌てて辺りに目を凝らした。
(……誰かいる!)
再び現れた月により、辺りの様子が明らかになる。
自分たちは、黒づくめの何者かに取り囲まれていた。
咲に刀を弾かれた者は、右に跳んで再び構えた。
「命を落とさないように」
静かに咲が繰り返す。
「……す、すまない」
言われた傍から出来ていなかったことが分かった。
自分が恐怖にとらわれている間も、彼女が辺りの気配に気を配っていたのだと知ると、無性に恥ずかしくなった。
せめて赤くなった顔に気取られないよう、平静を保とうとする。
「貴方達が、京楽様を連れ去った犯人?」
構えを緩めることなく、咲は問いかける。
「さぁ?」
先ほど剣を交えた男が答えた。
多勢に無勢とはまさにこのことだと咲はあたりを見回す。
しかも浮竹は刀を持っていないときた。
鬼道だけでどこまで応戦できるのか。
(6人か。
5人殺して、ひとり生け捕りにして居場所を吐かせる……)
それが理想なのは分かるが、どこまで通じるだろうか。
霊圧、刀の構え、体格を見る限り、少なくとも3人には勝算はあると咲は感じた。
(問題はあの男)
屋根の上に胡坐をかき、見下ろしている男だ。
鋭い視線は、背筋が凍る程である。
(一番強い)
考えている暇はなさそうだと視線を戻す。
早くも襲いかかってくるのは、初めに刀を向けた者だ。
その男の目を見る限り人を殺したことがないことは一目瞭然だった。
それでも手加減するつもりなど、咲には微塵もない。
敵のスピードは知れている。
咲は刀を寝かせ、相手の腹部を狙おうと刀を構えた。
わざ分かりやすく構えた。
避けたところを心臓を一突きにするつもりだ。
「破道三十一、赤火砲!」
すぐ横を赤い火の玉が通り過ぎ、不意打ちとなって敵は吹き飛ばされ、壁にしたたかに身体をぶつけた。
力なく崩れ落ちるところを見れば、気を失ったのだろう。
しばらく戦闘離脱とはなるが。今ので死ぬはずはない。
振り返れば浮竹が咲を見ていた。
それは彼の戦意を示す行動であり、同時に咲の殺意を否定する行動でもある。
強い鳶色の瞳は、これほどの窮地にあっても命を尊んでいる。
(甘い)
胸を掴まれるような息苦しさを感じた。
彼は分かっていないと、怒鳴りつけてやりたいと思うほどに。
「せいぜい死なないようにしてください」
なんとか怒りを抑えてそう言うと、次の標的に向けて咲は走った。
(屋根の男は手を出すつもりはないだろう。
嫌な奴)
ただ鋭い視線ばかりをよこしてくるが、気を取られている場合でもない。
目の前の敵と刀を交え、薙ぎ払い、足を払って転ばせる拍子にみぞおちに拳を叩きこむ。
人攫いが使う気の失わせ方だ。
見たことしかなかったが、どうやら効くらしい。
うっ、と一瞬呻き声をあげ、相手の体重が重くなったので、その場に放っておく。
不本意ながらも、過去の経験というのは役に立つものなのだ。
振り返れば浮竹の方は一人を吹き飛ばしたが、背後からもう一人が襲いかかろうとしている。
咄嗟に手を向け、短く叫ぶ。
「破道三十二、黄火閃!」
咲の霊圧は一般的にかなり強い方だ。
虚相手ならば破道が当たれば大抵四肢の動きを奪う程度の効力を持つ。
それは今回の相手にも同じだったらしく、力なくその場に倒れ伏した。
浮竹に吹き飛ばされた男の方はゆっくりと立ち上がる。
「院生にしてはなかなかやるな、お前。」
唯一見えている京楽よりは色素の薄めの瞳は、月の光を受けて楽しそうに光った。
つまり、ここまでで倒れたのは3人だ。
倒せると見込んだ3人はこれで終わった。
屋根の上の男は論外。
手を出す気配はない。
相手にしなければならないのは目の前の男と、北側の家の壁に腕を組みながらもたれている男。
(7人いたと言っていたから、あと1人は見張りに残ったと言ったところか)
浮竹は眉をひそめた。
(襲い方に違和感がある。
なぜわざわざ部下から順に襲わせる?
まるで俺達の力を調べているかのようだ)
「なぜ俺達を襲うんだ?」
浮竹の問いに、男は目を細めた。
「お前たちがオレ達を探しているからだ」
「京楽はどこにいる?
目的はなんだ?」
「ただのお家騒動だ。
てめぇらには関係ねぇ」
嫌な言葉だ、と浮竹は眉をひそめた。
上流貴族はいつもそうだ。
自分たちの利権を求めて、家族内で苦しみを生む。
「関係ある。
俺達は一緒に護挺に行くと決めた。
京楽には、約束を守ってもらわないと困る」
目の前の男は驚いたように目を見開いた。
「けっくだらねぇ。
友達ごっこかよ」
壁に背を預けて黙っていた男が口を開いた。
「京楽春水の死に脅えていた野郎が言うことか」
吐き出されるように言われた言葉に、浮竹は拳を握りしめる。
「……脅えていた馬鹿野郎だからだ」
男は訝しげに眉をあげた。
「脅えていた俺だから、口に出して言わないといけない。
俺は根っからの頑固者で、言った言葉は守らないと気が済まないんでな」
武器も持たないしがない院生が、刀を持つ実力の勝る相手に、自然と笑顔を浮かべていた。
敵の男達はそれに興味をそそられたのか、どこか嬉しそう口の端を上げた。
「浮竹様」
静かな声に振り返ると、何かが飛んできた。
咄嗟に受け取るとそれはずしりと重い。
「これは……浅打?」
投げられた方を見れば、咲が倒れた男の傍から立ち上がったところだ。
黒い咲の瞳は、月を映して光って見えた。
鋭い視線は、まるで獣のようで、凛としていた。
「浅打手に入れたくらいで良い気になるな」
凄味の利いた声。
その意見はもっともだけれど、ないよりもあった方がよほどいい。
浮竹は咲の目をじっと見た。
「空太刀背中は預ける。
遠慮はいらん、呼び捨てにしてくれ」
すると咲はきょとんとした顔になって、困ったように頭を掻いた。
「こんな時に何を言うかと思えば……
分かったよ、浮竹」
照れたその声に、浮竹は敵を振り返る。
ただただまっすぐ、射貫かんばかりに壁の男を見た。
そして静かに刀を抜く。
その気迫に男はまた嬉しそうに口の端を上げた。
「付き合ってられねぇ。
跳ね馬、すぐに片つけろよ」
「言われなくても」
4つの銀が、月光を映して煌めいた。