学院編Ⅱ
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ぼうっとしていたのを悪いと思ったのか、今度は浮竹が話し始めた。
兄弟の話なんて彼らしい、と京楽は思う。
別の道を歩む兄とはどこか疎遠で微妙な関係にあり、自分は彼の話題は好き好んで選ぶことはない。
ただ、平和に、何の責任もなく、生きていきたいと思っていた。
上流貴族の次男坊として、悠々自適に。
ただそれだけだった。
与えられた状況を甘受して、生きていきたいと思っていた。
単純な思考か。
ただの甘えか。
そう言われればそれだけだろう。
だが何の野心も抱かずに身分相応に生きようというのは、それはそれで苦しみなのではないだろうか。
それともこれは、贅沢な悩みとやらだろうか。
山上家の一件はすぐに家にも知れたようだが、後輩の為に駆け付けただけであるというきちんとした説明が護挺から届いたらしく、お咎めなしだった。
だが春休みになって1年ぶりに帰省してすぐ、兄の自室に呼ばれた。
ー失礼しますー
開かれた襖から顔をのぞかせれば、茶を片手に庭を眺めていたらしい。
淡い笑みを浮かべ弟を呼んだ。
ーこの度はずいぶん大変だったようだな。
うちの隊まで話が聞こえてきたぞー
飛び級試験の勉強もあり、山上家の一件の時も家に帰ることはなかった。
もう忘れてくれていることを祈っていたが、そうは行かないらしい。
一番隊の席官ともなれば情報が入るのも早いに違いないし、詳細も知っていることだろう。
何と答えるべきか迷い、ただ、はぁ、と気のない返事を返した。
ーその後輩とやらは愛らしい娘なのか?ー
口ぶりから察するに実際に咲が女であるということは知らないらしい。
まだ女性の死神がほとんどいないのだから、男だと思うのが当然であり、春水の性格を踏まえて"愛らしい娘"という言葉が冗談として成り立つ。
だが、本当に女の子の咲である事を前提としている春水の場合、それが冗談なのだと気づくのには少し時間がかかった。
ーええ、そりゃもう、変わり者で……捨てられた子犬を通り越して、野生の狼みたいな娘ですよー
言っていて、咲にはぴったりな言葉な気がして口の端が緩んだ。
兄はははは、と笑った。
それがあまりに自然過ぎてーー不自然だった。
春水は思わず黙る。
空気が変わった。
ーその者との関係を続けたいなら、腹を括れよー
その鋭さにどきりとしている間に、兄は表情を戻した。
返事を待つ必要はないと判断したのだろう。
ー私の婚儀が決まった。
半年後だ。
お前に義姉ができるぞ、喜べー
喜べと強制する言葉に、兄が自分の道を示しているように思った。
ーおめでとうございます。
素敵ですね、お綺麗なのでしょうー
ーお前は手を出すなよー
兄上の視線が一瞬鋭くなる。
これは、姉上になる人のことではないな、と思った。
御家騒動なんて春水自身も真っ平御免だ。
兄弟で争うなんて、馬鹿げている。
ー流石にボクでも分かっています。
ボクは護挺にでも入って、どこかもっと身の丈に合った娘を探しますからー
兄は微笑んだ。
ー飛び級試験、通ったらしいな。
私も鼻が高いー
ーありがとうございます。
今後も励んでいきたいと思ってはいますー
ー思ってはいます、か。
お前らしいなー
兄は朗らかに笑った。
彼も人を、守りたいと思ったことがあるのだろうと、その笑顔に思う。
その背中を見て育ってきた春水だからこそ、分かること。
もしこの疎遠さと微妙な距離感の理由が当たっているなら、もしそう思うことが傲慢ではないのなら。
ー兄上、ありがとうございますー
たった一人の兄なのだ、彼には永遠に敵うことはないだろう。
京楽家は安泰に違いない。
婚儀が決まれば当主もじきに代替わりするが、その新しい当主が彼なのだから。
ー何だかしこまって。
まぁ、お前も少しは大人になったということかー
瞳を閉じると浮かんでくる、山上家で見た赤く生臭い惨状。
自分たちを偽ることでしか生きてはいけない貴族の中で、京楽家はどうあるべきなのか。
それを兄は、よく分かっている。
(ボクにはやっぱり、浮竹達のように自分に正直には生きられないようだ)
偽って、はぐらかして、笑って、そして……
(そしてボクは、あの死体のように虚に無残に切り殺されるのだろうか)
そう思うと背筋がぞくりとした。
浮竹はいつもまっすぐだ。
山上家の一件の後、霊術院のクラスに戻った後も彼は少し哀しげに笑ってから、
ー彼の分も立派な死神にならなければいけないなー
そう言ってみんなを励ましていた。
彼だけがその場で、一人年上に見えた。
幼い時に辛い病を乗り越えたからか、彼にはそういう節がある。
どこまでもまっすぐ自分の道を見続けられる力が。
咲はと言えば、やはり更木出身のためか、動揺など見せることはなかった。
どれほど過酷な世界で生きてきたのだろうか。
想像を絶する。
(それに対して、ボクは、いつまでも消えない血の匂いに、気が滅入りそうだ)
「どうだい、いいところだろう?
毎年京楽とここで花見をするんだ」
見上げる限りの桜色だ。
どれほど昔からここにあるのだろう。
「とてもきれいですね」
陳腐な言葉でも、2人は満足げに笑った。
しかしその笑顔にどこか影があることは、咲も気づいていた。
山上家の一件の後、出会った時には2人は変わってしまっていたのだ。
でも、それには気づかないふりをしていた。
「特等席があるんだ」
京楽がにやりと笑う。
「空太刀はここで少し待っていろ」
浮竹はひとつ京楽に頷くと、京楽の持ってきた風呂敷を受け取り、木に登り始めた。
その後を追うように京楽が枝を一つ登る。
そして京楽は咲の方を見下ろし、手を出した。
「さぁどうぞ、お嬢さん」
その言葉に驚いて首を振る。
「そんなことしていただかなくとも、自分で……」
「でもさ、ほら今日は着物じゃない?」
確かにこのまま木を登ればはだけてしまう。
「遠慮なんていらないから」
ちょっとの間俯いて考え、それから思い切って京楽の手に自分の手を重ねた。
次の瞬間ぐいっと身体が引き上げられ。
「よっと」
その声が耳元で聞こえる。
「さ、ちょっと待っていてね」
京楽はまた一つ枝を上り、そして咲を引き上げた。
2,3度繰り返せば、浮竹と同じ枝に上る。
「ほら、どうだい?」
「素敵……」
桜色の中に、3人だけがいた。
「こうすると、何もかも忘れられるな」
「ホントだねぇ」
3人は落ちないように気をつけながら腰を下ろした。
ひらひらと舞い散る花弁が膝の上に止まる。
咲はあることを思いつき、そっと指先に霊力を込める。
「縛道の六十三・鎖条鎖縛」
小さく呟けば、2人は不思議そうに咲を見た。
咲はと言うと、器用に舞い落ちる花弁を鎖でつなぎとめている。
最後に輪状にして両端を器用につなぎとめる。
隣に座る京楽を見て、そしてその頭にそっとそれを乗せた。
「あ……ありがとう」
一瞬顔が赤らんだのを感じ、京楽は柄にもなく早口で礼を言った。
咲は微笑んで、もうひとつ冠を作り始めた。
次は浮竹の分だろう。
「なるほどなぁ。
俺もやってみよう。
縛道の六十三・鎖条鎖縛」
浮竹も隣で花弁をつなぎ始める。
だが、なかなかうまくいかない。
花弁を鎖に通すのも、気をつけなけれな花弁が全部裂けてしまう。
その前に花弁を上手に捕まえるのも難しい。
浮竹は一人枝から立ち上がって、降ってくる花弁を捕まえようと奮闘を始めた。