学院編Ⅱ
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「咲、京楽家からお手紙が届きましたよ」
夜、食事の作法の復習が終わると、谷口は一通の手紙を渡した。
「ありがとうございます」
「何が書いてあるのかしら、早くあけて御覧なさいな」
不思議そうな顔をして受け取る咲は、谷口のウキウキとした表情に押され、そっと手紙を開く。
優しい桜色から白へと変わっていく紙に、ふわりと広がる春を思わせる甘い香り。
上流貴族らしい、流れるような美しい字がつづられている。
「素敵……お花見のお誘いではありませんか。
それにしても素敵なお手紙だこと!
文字も美しいけれど、紙の色合いも、香りも上品で、流石春水様ですね」
「ええ……流石です」
目を輝かせる谷口。
初めて受け取る貴族らしいやり取りが垣間見れる手紙に、咲は急激に心が冷めていくのを感じた。
きっと卯ノ花家の者にもみられることも考えたうえで、このような形にしたのであろうが、あまりに見事な出来栄えで、自分との格の違いを痛感せざるを得ない。
(私ではとてもご一緒できまい)
無意識に唇を噛む咲の心中を察した谷口は一瞬驚いて、でもそんなところがこの子らしい、と、思った。
烈がこの誘いを断るはずがないと、谷口は確信していた。
むしろ、喜ぶに違いない、と。
「何で顔してるんです。
こんな素敵なお手紙をいただいたのですから、お返事差し上げねば!」
「そうですね……」
なんだかひどく乗り気な谷口に、咲は若干うろたえ気味だ。
「そう言えば、咲、春物の着物は持っていましたか?」
「春物……?」
急に変わったように思える話に、咲はついていけず、眉をひそめるばかりだ。
「これは……どうしましょう!!」
谷口はというと慌てた様子であれやこれやと考えを巡らせている。
その時、さっと襖があいた。
現れた姿に、咲と谷口は慌てて頭を下げた。
「お帰りなさいませ、烈様」
「ただいま帰りました。
2人とも、どうしたのですか。
そんなに騒いで」
卯ノ花は2人の前に腰を下ろす。
彼女は主従関係に比較的寛容なのだ。
「実は咲が京楽家のご子息春水さまより、お花見のお誘いのお手紙をいただきまして」
「そうでしたか」
卯ノ花は嬉しそうに微笑んだ。
谷口の予想通りである。
「それで、お返事は?」
「……まだです」
小さな声で咲が返事をした。
卯ノ花は少し考えてから口を開いた。
「手紙、私も見てもいいですか」
「はい」
咲はそっと卯ノ花に差し出した。
卯ノ花も、その手紙を開いて一通り読み終えると微笑んで頷いた。
「春水さんにはまだ幼いころにお会いしたことがありますが、立派な大人になられたようですね」
どうやらその手紙が気に入ったらしい。
「そうですね。
咲、貴方さえ良ければ、ご一緒させていただくとよいでしょう」
卯ノ花の言葉に、咲は溢れんばかりに目を見開く。
霊術院なら別として、格が違いすぎるため、私用としては当然行くべきではないと思っていたためだ。
「十四郎さんと3人で、と書いてあるではありませんか。
友達同士、内内に出かけるだけでしょうから、それほど気負うこともないでしょう。
お返事、書き終わったら、どんな手紙にしたのか教えてくださいね」
「あの……は、はい」
まだ驚き顔のままの咲にそう言って、卯ノ花ご機嫌な様子で部屋を後にした。
咲の書く手紙を後ろからちらりと覗きこんで、谷口は思わず微笑む。
紙も香も咲が自分で選んだ。
風呂上がり浴衣姿で緊張した面持ちで筆を取る姿は、普段の剣を振るう姿とは一変。
そのたおやかな文字といい、貴族の娘にしか見えない。
(このお手紙なら、京楽家に差し上げても大丈夫そうね。
それにしても、出会ったころは言葉さえままならなかったのに、たった2年でこれだけ上手く文字をかけるようになるとは……
やはり烈様が連れてこられたのには何か訳があったのかしら。
まぁそんなことは今はいいわ。
これでもし、春水様と十四郎様のどちらかと素敵なことになってしまったらどうしましょう!)
谷口は咲の持っている着物を取り出しながら、一人妄想を膨らませてしまう。
(咲だって、容姿も良いし、頭もいい。
護挺に入隊して、卯ノ花家の養女になれば、それこそ全て揃うもの、なんの見劣りもしないわ。
私が保証します……!)
やはり稽古着ばかりで見当たらない春物に、これは新しいものをそろえる必要がありそうだと微笑む。
いくつになっても女というのは、新しい着物ときくと晴れやかな気持ちになるものなのかもしれない。
「谷口さん、私、手紙を届けてまいります」
後ろでそんな声がして、慌てて振返る。
「待ちなさい、いけませんよ、こんな時間に女性が一人で出歩くなど。
誰か家のものに持たせましょう……」
「お、来た来た、空太刀ー」
声の方に向けば2人の人影。
「京楽様、浮竹様」
こちらに向かう2人に咲は駆け寄る。
橋の上で3人は久しぶりに顔を合わせた。
私服姿はお互いどこか新鮮で、じっくり互いを眺めてしまう。
「良く似合ってるよ」
京楽口から出た言葉に、咲は微笑んで見せる。
彼が女たらしなのは、噂に疎い咲でも知っていて、その癖が出たのだろうと思った。
「京楽様もお変わりなく」
「ちょ、それどういう意味……?」
咲の言葉にうろたえる京楽。
浮竹は小さく噴き出した。
「まぁまぁ、早速行きますか」
のんびり3人で歩く。
試験に向けて鍛錬をしたり、勉強をしたり、そして山上家の一件もあって、この1年はゆっくりする暇もなかったというのが本音。
久しぶりの穏やかな時間に、3人の足取りも軽い。
(本当にいろんなことがあった)
隣を歩く京楽と咲の足音を聞きながら、浮竹は青い空を見あげた。
ずっと平和に、明るく清く正しく生きようとしてきた。
失いかけた命の分、人の為に尽くせる人になろうと思って生きようとしてきた。
そうでなければこの命の意義を、見いだせなかった。
学級委員もして、友達もたくさんできて、それこそが正しい生き方だと思っていたのに。
ちらりと横を見ると呑気にこの前甘味処でであった女性の話をしている京楽。
それを軽く聞き流す咲。
(2人を見ていて、苦しくなった)
自由な京楽。
真っ直ぐな咲。
山上の一件でも大して動揺を見せない京楽。
もとより家名などないからただただ人のために尽くそうとした咲。
家名を心配して眠ることができなかった自分の暗さにぶち当たって、ただただ苦しくなった。
家柄や環境の良い京楽を妬んだ自分に、その後で絶望し苦しんだ。
そして、自分が分からなくなった。
これでいいのか。
でも、これ以外どうして生きていけばいいのか。
だが自分の性格は簡単には変わらない。
なるべく考えないようにして、勉強をして、笑って、試験を受けて、六年に進級が決まって、こうして花見に出かけて。
(馬鹿だな、俺は)
張りつける笑顔。
でも目を閉じれば見えるのは、あの山上家で見た血の海だ。
自分がいつも吐く赤よりも一層黒く、一層生々しい臭いの、血の海。
(見たくなんてなかった)
人は簡単に死ぬ。
虚の前で、弱きものは簡単に死ぬ。
そんなことは知らずにいたかった。
知らなければきっと、強くなるために努力していけただろう。
(俺も、きっと今のままでは、護挺に入ってきっと)
変わってしまったと、思う。
自分がどこまで強くなれるのか。
自分が戦っていけるのか。
自分が生きていけるのか。
この命に、意義を持たせて死ぬことができるのかーーそんなことばかりを考えている気がする。
そしてどこか、弱くなってしまった気がする。
(こんなことを考える時間なんて、俺にはないかもしれないのに)
何も変わらない2人の隣にいるはずなのに、すっかり黒く染まってしまった気がしていた。
それが辛くて、苦しくて。
(この2人と居たくない。
だが、この2人と居ないと、俺は……)
「ねぇ、そう思うよね、浮竹?」
急に京楽に話を振られて目を瞬かせる。
「ちょっと聞いていなかったの?」
茶色い目が浮竹を見て、そう尋ねる。
「ああ悪い、あまり気持ちがいい天気なものだから」
「歩きながら寝ていたって言うの?
もう」
呆れたように、京楽が笑う。
咲が小さく微笑む。
この場に、自分のような化物が居てはいけない気がした。