学院編Ⅰ
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「覚えていなさい、獣!」
斬術の授業の練習試合で、咲に負けた女子生徒は、そう耳元で囁いて友人の元へと行った。
咲は静かに離れたところから次の試合を見守る。
「気にすることないわ、竹島さん。
あれは、ずっと更木の奥の奥で生きていたのでしょう?」
「そうよ、先の試合だって、本能のままに戦っただけよ。
まるで剣術がなっていないわ」
咲に聞こえる程度の声でささやきあう、3名の女子生徒。
今年の特進クラスの女子は、咲を除いて3人。
過去になく多いと聞くが、咲という異質な存在は、集団に馴染むことはなかった。
男子生徒達も遠目に、まるで何か汚いものでもいるかのような目を向けている。
彼らはみな貴族出身。
流魄街出身者など、他のクラスにも居はしない。
ましてや最も治安の悪い土地である更木のものなど。
咲は静かに試合を見つめる。
次に今戦っている生徒と試合をするときのためだ。
事前に力量や癖などを知っておけば、試合では当然勝ちやすい。
とはいっても、彼らの実力など咲の前ではたかが知れている。
それでも。
(護挺に……)
ただそれだけを胸に、ひたすら主席を保つ。
その能力は入学試験に引き続き、第一学期中間試験においても担当教諭らを驚かせたのだった。
ーー 獣 ーー
その能力に対する嫉妬と、更木生まれであることに対する軽蔑から、いつの間にかつけられたあだ名。
それが事実であると、誰よりも咲自身が痛感していた。
自分は、本来、人ではない。
ただ、あの人が自分を人にしてくれた。
なぜその人が自分を人にしてくれたのかは分からないけれど、それでも自分に生きる目的をくれた。
ならばその人の期待に応える為に多少の辛苦を味わおうと構わない。
「それにしても、いったいどうやって卯ノ花家に取り入ったのやら」
極秘として学校に伝えていた情報が、いつの間にか漏れていた。
学級の誰かが、権力に物を言わせて何処かで調べたのだろう。
「本当ね。
烈様はなにをお考えなのかしら」
「実験体にでもなさるおつもりじゃなくて?」
咲は続く嘲笑に僅かに瞳を伏せた。
(それでも構わない。
烈様のお役にたてるなら、それでも……)
小さくため息をつく。
やっと終わった第3剣道場の掃除。
学級ごとに担当が回ってくる掃除だが、1組の場合は全て咲のみに任されていた。
否、正確に言うならば押しつけられていた。
教師も気づいているだろうが、上流貴族出身の生徒が多いこともあり、口を出す者はいない。
上流貴族出身の生徒達は、咲に対するこの態度を当然のものと考えている節がある。
それも仕方がないのかもしれない。
蝶よ花よと育てられてきた生粋のエリートばかりで、流魂街の者とは話したことすらないだろう。
そもそも、口をきくなと教えられているはずだ。
上流貴族という区分に属する限り、彼らには彼らの誇りと努力と、それに伴う苦しみがある。
血のにじむような努力の結果入学した者や、主席になることを求められる家系の者にとっては、咲の存在がどれほど憎らしいものか。
だからこそ余計に、咲を人外の生き物かのように扱ってしまうのだろう。
(鍵、外から閉められてしまったみたいだ……。
どうやって出ようか……)
どんなに陰湿な攻撃にも顔色一つ変えないは、反抗もせず、防御すらあまりしない。
貴族の力は恐ろしいと聞かされていたからだ。
そのせいか、徐々にエスカレートしつつあることに気づいてはいるものの、更木育ちの咲にそれを諫めるだけの対人関係スキルがあるはずはなく、嵐が過ぎるのをただ耐え忍ぶことしかできないのが現実だ。
突然激しい眩暈に襲われ、その場に座り込んでしまう。
(まただ……気持ち悪い……)
入学してから時折起こる眩暈。
独り膝を抱えて耐えている姿を知る者はいない。
脂汗が額を伝った。
荒い呼吸を必死に整える。
不意に感じた霊圧に慌ててバケツと雑巾を拾うと倉庫に入り、霊圧を消して扉を閉めた。
収まらぬ荒い呼吸を必死に抑える。
その姿はやはり、獣のようであった。
「今日は俺が勝つ」
「何言ってんの、譲りやしないよ」
「そう言えるのも今のうちだ」
道場の扉の鍵を開けて入ってくる2つの足音は、しばらくして止まる。
「準備はいいかい?」
「いつでも。」
次の瞬間、竹刀のぶつかる音が響く。
踏み込む力強い足音が、気合を入れる声が、館内に響く。
その音から、彼らの腕がかなりのものと知る。
自分の存在に気付かれていないという安堵から興味が出て、僅かに隙間を開けて覗けば、予想通り、自分の学級の者とは比べられないほどの高度な練習試合が行われていた。
思わずその食い入るように見つめる。
自分よりもずっと優雅で、力強いのにどこか舞うようにさえ見える姿。
言葉を失うとは正にこのことだ。
良く見れば昨日の生徒らである。
初めて見る、上級生の試合。
初めて見る、自分よりも実力のある学生。
もう少し扉を開けようと、戸にそっと手を伸ばす。
ガラン、ガランガランガラン……
響くその音に、咲は飛び上がる。
隠していた霊圧が揺れる。
手に握ってたはずのバケツが滑り落ち派手な音を立てたのだ。
「誰だ!?」
「誰だい!?」
二つの声に、ハッとし、扉から離れて奥の方に逃げる。
咄嗟に棚の上に飛び乗り、大きな箱の後ろに隠れた。
すぐに倉庫の扉が開けられ、2人が入ってくる。
「おい、誰だ?
ここは先生の許可なしに使えないはずだぞ」
厳しい声に可能な限り霊圧を消し、息を殺す。
「早く出ておいで。
ここを使うっていうことは1年生かい?」
もう一つの声はのんびりとしていて、相手が下級生と気付いたからか一つ目の声の主の空気も和らいだ。
「それにしちゃぁ霊圧を消すのがうまいな。
全く分からないぞ」
一歩、また一歩と、奥へと進んでくる足音。
置かれているものの裏や箱の中を順に確認しながら、確実に近づいてきている。
自分の心臓の音が大きく、早くなっていくのを感じる。
(もう少し……もう少し近づいたら、すり抜けて外に逃げよう)
心を落ち着けようとゆっくりと息を吐き出す。
「後はここだけだね」
その言葉が耳に飛び込んだ瞬間、咲は箱の裏から飛び出した。
2人の男子生徒は一瞬驚くも、すぐに咲を追ってそして。
「はぁっ!」
咲を倒そうと白打を仕掛けるが、咲はなんとかそれをかわし、その力を利用して一人目を床に転がす。
が、その青年とてただで転ばされはしない。
咲もそのまま腕をつかまれ、青年の上に引き倒された。
「捕まえたぞ!
ーーって君は昨日の!!」
彼がそう言って手を離すのと、咲が慌てて彼の脇に手をついて身体を離すのはほとんど同じだった。
至近距離にある、鳶色の瞳と言い、白い肌と言い、雪のような髪と言い、思わず見とれてしまうその姿。
(何ということをっ!!!)
はっとして傍らに避けた瞬間、眩暈に再び襲われ、正座をして頭を床につけることでなんとか体勢を保った。
「申し訳ありません!
どうかお許しを……!」
今の転倒でくじいた足が、休み時間に殴られた背中が痛むも気にはしない。
激しい目眩も、きつく眼を閉じることで堪える。
今まで級友の仕打ちに耐えてきたのは、単に霊術院を追い出されたくなかったからだ。
ただ危害を加えることなく逃げるだけのつもりだった。
それなのに、咄嗟のこととはいえ自分は何と愚かなことをしてしまったのだろう。
「そんなことしなくていいから、な?
俺こそ無理やり引き倒して悪かった。
しかし、どうしてこんなところに……ん?」
さっと額の下にそろえた手を引かれ、驚いて顔を上げ、その自分の手を見て青ざめる。
「こ、これはっ……今日の斬術の模擬で……!!」
何かの弾みにまくりあげられてしまったのであろう袖口から見えたのは、痛々しい痣。
「確かに竹刀の跡ではあるようだが、ここにこんな形でできることは……」
考え込む白髪の青年。
「君、相当強いみたいだしねぇ?
今だって体格差のあるはずの浮竹とあれだけやりあったし、霊圧だって高い。
君にそんな痣を作れるような子、学級にいるのかなぁ?」
もう一人の青年も咲の隣に座り、顔を覗き込む。
瞳をとらえられ、逸らすことができない。
それは純粋な自分よりも力の強いものに対して感じる恐怖だった。
「……京楽」
握りしめる手の僅かな震えを見た浮竹が、小さく友の名を呼んだ。
「あ……いや、別に君を責めているわけじゃない。
むしろ心配しているんだよ」
その様子に、彼らが自分の事を知らないであろうことを思い出す。
居住まいを正し、咲は口を開いた。
「御心配には及びません、私は」
どこか息苦しさを感じながらも、なんとか言葉を紡いだが、それは途中で遮られる。
「貴族じゃないから、って?」
その言葉に咲は目を見開く。
まっすぐな京楽の瞳から、目が離せない。
「君だろう?
今年の入学試験の主席をとったという、流魄街出身の女の子とはーーっておいっ!!」
咲の身体が床に倒れる。
慌てて浮竹が抱き起こすも、苦しそうに息をするばかりで意識はない。
「すぐに医務室に運ぼう」
「ああ」
そのまま抱きかかえれば、予想以上の軽さとその身体の高い熱に驚く。
「しっかりしろ、おい!」
伏せられた瞼、蒼白の顔。
(更木出身の獣のような子だと聞いたが……ただの女の子じゃないか。)
確かに身のこなしや強く鋭い霊圧は獣を連想させるが、自分の周りに纏わりつく、貴族のしがらみに捕らわれる級友らに比べたら、余程好感が持てると思った。
目を開ければ、白い天井。
右の窓から日が差し込む。
心地よさにもう一度瞳を閉じた。
「ーーえっ!?」
しかしすぐに飛び起きる。
「目が覚めたかね?」
かけられた声に、カーテンをそっと開ける。
「あの、ここは」
「医務室じゃよ。
君は1年1組の空太刀咲さんで間違いないね?」
白髪のメガネをかけた老人がにこやかに尋ねた。
「はい」
「3年生の浮竹くんと京楽くんが運んできてくれたんだよ」
その言葉に、咲は全てを思い出し青ざめた。
ばっと窓を振返る。
掃除をしていたのは夕方だったはず。
日の傾き加減からおそらく午後4時頃。
「今はあれから2日後の午後4時だ。
先生方にもきちんと連絡しておいたから安心しなされ。
それより、まだそんなに動いちゃいかんよ。
すぐに粥を持ってきてやろう」
「いいえ結構です、すぐに行けばまだ6時間目の授業に間に合うはず」
ベットから飛び出して駈け出そうとして、数歩進んでその場に崩れ落ちた。
「ほら、言わんこっちゃない。
じっといていなさい。
過労と栄養失調、それから慣れない環境での無理がたたったのだろう。
私はこの医務室の担当医で佐々木という」
老人とは思えない力で咲を抱き上げ、ベットに横たわらせた。
「ほら、じっとしておいで」
佐々木先生はそう言い残して部屋から出て行った。
(浮竹様と京楽様がわざわざ運んでくださった?
そんなことがあるのだろうか。
……貴族なのに)