学院編Ⅰ
名前変換
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「また怪我したの?」
小さな背中に声をかける。
ふてくされたように丸められた背中には、つやつやとした黒く腰まである長い髪が風に揺れていて、それが愛おしくて微笑む。
「本当に、じゃじゃ馬だ」
前に回りこんで顔をのぞけば、端正な顔には血がにじんでいるが、それでも泣くことはなくふてくされているところが彼女らしい。
よいしょ、と隣に座って、おいで、と言えば、大人しく私の膝に座る。
子どもとはどうしてこんなに温かくて、お日様の匂いがするんだろう。
そっと頬に手を翳し、治療を行う。
「君は強いよ、心配いらない。
あんな歳上の男達がよってかからないと君を倒せないんだからね」
そう言って髪を梳いてやれば丸められた背中が伸びるから、その長い髪を編んでやる。
「……でも勝てなかった!!」
負けた、と言わないところがまた彼女らしいと思い、小さく微笑む。
「いつか君はだれにも負けないくらい強くなる。
心配いらない」
振り返ってくるりと見上げる瞳がうっすらと潤んでいる。
真っ黒の瞳。
この子が大人になったら、どんなに綺麗な女性になるだろうか。
「本当に?」
「ああ、本当だよ」
そう言えば勢いよく立ちあがって、私の手を握った。
柔らかいのに豆があってところどころ硬い手が、私は大好きだった。
「じゃあ早く稽古をつけてちょうだい!」
「稽古をつけてください、だろう?
また師範に叱られるぞ、」
そしてその子の名前を呼ぼうと口を開いて―――
ぼんやりと見える天井は見慣れないものだ。
(なんと言う名前だったっけ……)
どうやら今見ていたのは夢だったことに気づく。
そして夢の中の世界は決して更木でも、卯ノ花邸でも、ましてや霊術院でもなかったことを思い出し、ではあれは自分の記憶ではないのだろうかとぼんやりと思った。
まだ霞がかかったような思考の端で、部屋の戸があく音がした。
その音につられて顔を向ける。
「目が覚めたか」
人が近づいてくる。
烈と同じ、死覇装に身を包んだ男性だ。
「自分の名前を言え」
男性の声とともにぶっきらぼうな声とは相反して優しい手が、額に触れた。
「……名前?」
「ああ、名前だよ」
「私の、名前は……」
ぼんやりとした意識の中で、答えようとしたけれど、何となく迷ってしまって言葉にはならなかった。
「まだ呆けているようだね、質問を変えよう。
卯ノ花隊長はいつも君を何と呼んでいるかい?」
「う、のはな……隊長……」
聞き覚えのある言葉。
そんな自分に胸がジワリと痛む。
忘れたらうのはなという人に申し訳ないと思う。
確か、そのくらい大切な人だった。
「そう、卯ノ花烈様。」
「れつ、さま。」
何となく舌を転がる名前に、その人の姿をぼんやりと思い出す。
もう一人、人の気配が近づいてきた。
「……清之介」
優しい女性の声がする。
大好きだった、声だ。
自分の名前も呼んでほしいと思ってしまう程。
「まだ駄目ですね。
思いのほか薬が効いているようで、意識がはっきりしていません」
「そう」
男の手が額から避けられ、一人の女性が顔を出した。
温かい手が、頬に添えられる。
その手に剣道で作られた豆があることを、咲は知っていた。
懐かしい感触に目を細める。
優しく柔らかいのに、豆があるーー夢で見た子の手とよく似ているとふと思い、それはまた微睡に飲まれて薄れていった。
「烈、様……」
自然と口が動き、それからそうだ、烈はこの人のことだったと思う。
「ええ、烈ですよ」
そして呼ばれて初めて、この人が自分につけてくれた名前を、人として初めて呼んでくれた名前を、思い出した。
「私は……咲」
烈はほっとしたように顔を綻ばせた。
「正解です。
薬湯を飲みましょうか」
椀が唇にあてがわれ、揺れる淡い緑の液体が口に入る。
それはほんのり甘くて、ほんのり苦い。
渇いた喉にはそれがとても美味しい。
「もう少し、眠っていなさい」
優しい声に誘われ、咲は再び眠りに落ちた。
「清乃介、十番隊に行って伝えてきてくれますか」
やはり自分が拾った子どもだからだろうか。
他の患者の回復を見る以上にほっとした顔を見せた卯ノ花に、四番隊副隊長山田清乃介は頭を下げ、部屋から出て行った。
卯ノ花は椀をベットの傍の机に置き、そっと咲の髪に触れた。
「切ってしまったのですね。
綺麗な髪でしたのに」
そして優しく頭を撫で、静かに目を閉じた。
「思い出さないことが咲の幸せなのに、私は貴方の面影を重ねては、思い出すことを願ってしまいます。
いけませんね、貴方に叱られてしまいます。」
――烈、貴方はみんなの傷を癒して――
(最後に見たあの姿よりもずっとあどけない姿なのに)
結局眼が冴えてしまい、布団に入ってからも京楽と浮竹は眠ることはなかった。
2人してただただ天井を眺めているうちに、夜が明けたというのが正しいだろう。
思い悩んでばかりだったせいか、胃が持たれ、浮竹の方は鈍く痛んでいる。
おかげで布団に入ったのが遅かったことを気にしてか、護挺の者が部屋に顔を出したのは10時を回っていたが、疲れが取れることはなかった。
「おはよう、京楽くん、浮竹くん。
昨日は眠れ……なかったようだね」
朝食と共に現れたのは月城だった。
疲れた顔の2人を見て、申し訳なさそうに微笑んだ。
「君たちはもう事情聴取も終わったし、怪我もないようだから、ご飯を食べたら帰ってもらえることになったよ」
月城の言葉に、咲はそうではないのだということを2人は知る。
「すみません……空太刀は」
昨日から何度も同じ質問を続ける不安げな浮竹の声に、月城は笑顔を見せる。
「空太刀さんは今朝目を覚ましたらしいよ。
傷も致命傷になるようなものはないみたい。
ただ、少し」
「しゃべりすぎだ、ゆき」
聞き覚えのある声に扉の向こうを除けば、木之本が眉を顰めて立っている。
「でも、友達だから心配しているんだよ、桃也」
「中途半端な情報は心配を煽るだけになることもある」
そう言われると月城さんは納得したようで、ごめんね、と2人に言った。
「ただ、大丈夫だと思うよ。
あの卯ノ花隊長が直々に看病してくださっているらしいからね」
その言葉に2人は顔を見合わせ、頷き合う。
卯ノ花が彼女の保護者であることは知っていたし、彼女の治療の腕を知らないほど無知ではない。
「霊術院の方には一応連絡は入れてある。
お前たちにはなんの問題もなかったから心配はいらない」
木之本のその言葉には、2人が家に汚名を着せる心配はないことを示している。
そこまで表情に出ていたのかと苦笑を洩らす二人に、首を振る木之本。
「若者にはしがらみは辛いもんだな」
胸に刺さる微かな呟きに、二人は目をそらす。
そう言う彼もやはり、同じ苦しみを背負っているのだろう。
上流貴族として有名な木之本家も、早くに奥方がなくなり、後妻をとるかでかなりもめたと聞く。
ちなみに今の護挺はほとんどが貴族出身だ。
流魂街出身者は本当に実力のある者で、それは大抵十一番隊に所属している。
半ば野生のままのような隊員が多い。
いわばならず者の巣窟だ。
でもだからこそ力があれば十一番隊ならばやっていけるが、他ではそうもいかない。
「でも、君たちは僕たちとは少し違う」
どこか嬉しそうな顔を見せる月城。
「臆することなく彼女の為に駆け付けた」
淡いグレーの瞳が優しく弧を描く。
「なんだか期待しちゃうね」
その優しさに、京楽と浮竹は思い悩んでいただけに気まずく俯いた。
(俺達に、力があれば)
浮竹は悔しそうに手を握りしめる。
(家名なんか気にしなくて済むくらいの、力があれば)
京楽も眉をしかめる。
黙り込んでしまった2人に、月城と木之本は何か悪いことでも言ったかと顔を見合わせる。
「強く……強くなります」
浮竹がぽつりと呟いて、顔を上げる。
その顔は覚悟を決めていた。
鳶色の瞳は、驚くほど意志を秘めている。
「期待に応えられるくらい、強くなります」
同じく顔を上げた京楽も、やはり覚悟は決まっていた。
思慮深い瞳が、恐ろしいほどの決意を持っている。
初めは驚いた木之本だが、目を閉じて静かに破顔した。
「頼んだぞ」
そしてわしゃわしゃと2人の頭をかき混ぜる。
血生臭い幾多の死線を、そして醜く弱い己を乗り越えた強い人の手に思えて、2人は力強くうなずいた。
「そ、やっぱりね」
部下から説明と書類を受け取り、報告を聞きながら、大道寺は目を細めた。
「これは山上末雪の遺書に書かれた内容にも一致します」
「分かった、助かったわ。
今からこの話をしに隊長のところに行く。
あなたも来なさい、小狼」
「おれもですか?」
少し驚いた顔を見せる。
彼は十番隊におととし配属されたばかりの、大道寺が可愛がっている部下の一人だ。
「あなたのその真実を見ようとする目を買っているのよ。
大人しくいらっしゃい」
その言い草に小狼はくすりと笑いを漏らして、はい、と返事をすると副隊長の後を追った。