学院編Ⅰ
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(どこで間違えたのかなぁ)
京楽はぼんやりと天井を見上げる。
淡い光でぼんやりと浮かぶ木目は普段見慣れないもの。
隣にはいつも通り、同室の浮竹はいるけれど、今いる場所は護挺の十番隊隊舎だ。
ため息をつきかけて、慌てて止める。
隣で浮竹も眠れているわけではないだろうが、互いに負の感情を強めあう事は今は避けたい。
目を閉じれば浮かぶのは、あの惨状。
眠ればうなされること間違いなしだろう。
何とかあの状況を考えないようにしたいものだと、眉を顰める。
(なんでこんなことなっちゃったんだろう。
目立たず楽してのうのうといきたいと思っていたのに)
上流貴族の次男だ。
比較的自由に育てられた。
兄は基本的には何でもできる人で、霊力こそ劣れど、剣拳走鬼の腕はいずれも春水を超える一番隊の席官だ。
真面目だが優雅で物腰が柔らかく、思慮深い。
若いころから彼のその才気は有名で、貴族たる者、そして上流貴族の当主となるべき人の手本のような男だった。
ある意味兄は、自分の道を春水に見せていたのかもしれない。
自分は京楽家の次期当主であり、次男である春水に隙は無いのだと。
あまりに実直で、努力家で、堅物で、自由人の春水には家は居心地が悪い程であったが、それが彼なりの道の示し方だったに違いない。
春水も聡い子どもだった。
兄と同じくらい、何でもできる子だった。
だからこそ兄からのメッセージを敏感に感じとり、生きる道を選んでいた。
のびのびと剣をふるうことを好み、時には女の子を追いかけたりして、貴族としての風格など微塵も見せなかった。
兄弟は自然と離れて行った。
当然と言えば当然かもしれない。
外から見ればしっかりした兄と自由人弟といった構図に見えただろう。
両親もそう思って疑わなかったかもしれない。
しかし本人たちにすれば、少なくとも春水にすれば、いつからか演じ始めた自分が、一体どこまでが本当の自分で、どこからが演じている自分なのか分からなくなっていた。
(兄上が今回のことを知ったら、なんて言うかなぁ。
後輩のために危険に飛び込んだなんて。
しかもそれで護挺で軟禁だ)
次男坊春水はそんなことをする性格じゃないはずだ。
家名を汚すようなことはせず、だからと言って家名を立てることもせず、次男は気楽でいいなと呆れたように笑われながら生きていくはずだったのに。
何にも縛られず、上級貴族らしくのうのうとして、適当に過ごしているはずなのに。
(こりゃ父上からも怒られそうだ)
いったい何がどうなっているのか。
なぜ山上家の屋敷が無残なことになっていたのか。
虚がいたのか。
咲がいたのか。
何も分からないけれど、どうやらずいぶんまずい状況であることは分かった。
京楽はちらりと隣に寝転ぶ浮竹を見る。
こちらに背を向ける白髪の友人。
(全ては浮竹に出逢ったころから、狂い始めたかもしれない)
考えてみれば、霊術院に入学し同室に決まって、何となく一緒にいて気持ちがいいから普段も一緒にいただけなのに、いつの間にか一緒に飛び級の勉強なんかもして、いつの間にか後輩の心配して、いつの間にか……
(空太刀のことも、やまじいに頼めば少しは助けになるだろうけど……
ボクって、他人のためにそんなことまでするような性格だったかな?
演じている自分はどこからだろうかなんて、不毛な問いをするのは、まだまだ若いっていうことか……)
いつもまっすぐな隣の人は、いつも誰かのために一生懸命な彼は、きっと自分に嘘をつかないのだろうと、抑えきれないほどの羨望が胸を占めた。
ずいぶんまずいことになった、と浮竹は布団にくるまりながら思う。
なんだか危ないことに首を突っ込んでいたらしい。
いったい空太刀はいつの間にこんなことをしていたんだろう、彼女は何を知っているんだろうと考えても分かるはずのない疑問が渦巻く。
目を瞑れば浮かぶのは、あの無残な死体。
血の匂いと、赤と、そしておぞましい虚の姿。
しかしその中に立ち、戦う咲。
更木出身、ということが急に目の前に突き出された気がした。
普段の鍛錬では自分達の方が強くとも、生きる術という意味ではあんな彼女に敵うはずがない。
自分たちでは到底かなわない虚を、殺せる力が彼女にはあるのだ。
そして、そんな次元の世界に、自分たちは足を踏み込んでしまった。
(眠れそうにない)
両親は苦しい家計のなかで、十四郎の病をここまで回復させ、学をつけさせ、霊術院に入れてくれた。
幼い弟妹は、十四郎が立派な死神になることを心待ちにしている。
何より、化け物と言われるほどの強大な霊圧を持つ自分を、ただ1人の息子として、兄として大切にしてくれる。
そんな家族はいつも温かくて、だから十四郎も立派な死神になって家族を養いたいと必死に勉強した。
(護挺で軟禁されるなんて、霊術院に帰れるのだろうか。
もし、退学させられたら……)
両親は馬鹿だと言いながらも、受け入れてくれるだろう。
弟や妹は残念がるだろうが、すぐにまた遊んでとまとわりついてくるだろう。
(だが、その先はどうする?)
自分の病で家庭には大きな負担を掛けている。
ただでさえ苦しい下級貴族の暮らしは、更に厳しくなった。
自分が長男で、家をこれから支えていかなければならないという立場にありながら、生まれてくることがまず負担になってしまった。
かさむ治療費に、生きていることが家にとって負担になる。
今でこそ健康体とまでは行かないが、霊術院で寮生活を送れる程度にはなったものの、薬を手放すことはできないし、倒れることも多い。
子を成すことも、長生きすることもできないかもしれない。
そんな自分だからこそ、死神になって少しでも家族を楽にしてあげたい。
これから弟や妹も大きくなっていけば物入りだし、妹は結婚する時にはきちんと調度も揃えてやりたい。
自分が護挺に入るころには、ある程度の稼ぎを持って家計を支えられるはずだと思って、この道に進んだのだ。
このまま下手したら、家名までをも汚すのではと思うとぞっとする。
だが、だからといって窓から見た咲の姿を追いかけないという選択肢はあっただろうかと自身に問いかければ、答えは否だ。
自分が来たからと言って、彼女には何の助けにもならなかったけれど、あの状況を見て見ぬふりすることなど、自分にはできなかった。
しかしそんな世話好きで素直すぎる自分自身に、浮竹はため息をつきかけ、慌てて止める。
隣に横になっている京楽にまで重い感情を分けてしまうのは良くない。
しかし考えてみれば、京楽に出会って、自分はどこか肩の力を抜きすぎていたのかもしれない。
上流貴族の次男、しかも才気があって身体も丈夫なんて、自分には喉から手が出るほどうらやましい。
もちろん、だからと言って大切な家族が憎いわけはないが、それでもその自由には憧れる。
初めはそんな相手と同室なのは自分の嫌な面が見えそうで嫌だった。
でも話して行くうちに、どこかお気楽を装いながらも思慮深い姿には好感が持てた。
ただただ実直な自分とは違い、いつも何か一枚衣をかぶって隠れているような姿に、そう言う生き方もあるのかと感じた。
自分には性格的に到底真似できそうにはないが、そうすればよかったのかもしれないと思う。
咲ともっと距離を取っていたら、こんなことには巻き込まれなかったかもしれない。
こんな、自分が家族にとってただでさえお荷物なのに、唯一捕まえた未来を棒に振って、更には家名を汚すかもしれないなんて。
(しかしこんな場になっても、自分の身を思うなんて、どうやら俺は相当自分がかわいいらしい)
思わず嘲笑が漏れる。
あの血にまみれた咲を見ながら、何かのために血にまみれるほど命を削った咲を見ながら。
(俺はやはり彼女の嫌いな――貴族様なんだな)
そんな醜い自分が嫌で目を閉じるも、浮かぶのはあの惨状で、諦めて目を開ける。
(俺は弱く、そして汚い)
見つけられない答えと、隣の友人への羨望に、浮竹は自分の胸をえぐり出したいほどの自己嫌悪に駆られていた。