学院編Ⅰ
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更木に住んでいたから街の様子も店のことも何も分からない咲のため、卯ノ花は買い物に出る際は一緒に連れて行くように頼んでいたらしい。
だから、卯ノ花家の者に連れられてよく街を歩いた。
美しい呉服屋、いい香りのするうどん屋、子どもの笑い声が溢れる駄菓子屋ーー 店の名前、物の名前、お金の使い方、歩き方、挨拶の仕方、様々なことを教えられた。
そのひとつに、貴族の屋敷もあった。
ーー この大きなお屋敷は山上様のお宅です ーー
昼間なのに静かな佇まいは、人がいないのではないかと思わせるほどだった。
大きなお屋敷、広い庭、高い塀、豪華な門。
ーー 山上様の末の御子息は今霊術院に通っておられるそうですよ ーー
こんな窮屈そうなところで育つなんて大変だろうなと思ったことを、思い出した。
しかしもうそんな思いをする場所ではなくなってしまったようだ。
月光に照らされる門であったもの。
それはすでに焼け焦げ、崩れ去っていた。
高いと思っていた塀もあちこち崩れている。
なんだなんだと人々が驚いて家から出てきていることにも気づかず、咲は壊れた門を飛び越して屋敷に入った。
一瞬肌に違和感を感じ、振り返る。すると塀の上に結界のようなものが見えた。
壊れた壁や門のところは薄くなっている。
それがどのような術なのかは分からないが、強固な結界であることは咲にも分かった。
(なぜ結界が?)
そして聞こえた唸り声に咲は目を見開く。
(あいつだ!)
広い屋敷はもう大半が壊されている。
家のそこここにある血だまりとそこに倒れる者たち。
逃げ惑う家の者たち。
しかし彼らはいったい何が原因なのか分かっていないのだろう。
ただ蒼い顔をして叫び、逃げ惑っている。
きっと、彼らが逃げてくる方向にあいつがいる。
鼓動が速くなる。
だって、この原因を作ったのは。
腰に刺さった斬魄刀を抜く。
(ここで私が殺さなければ)
見覚えのある姿に地面を蹴り、飛びかかった。
虚は咲に気づいて振り返り、爪ではじき返される。
咲は宙返りをしてまだ壊れていない屋敷の屋根の上に立った。
そこから見える山上家は散々な状況だった。
「来たか。」
咲が封印し連れて帰った虚は、ぽつりと呟いた。
この惨状を作ったのはこの虚で間違いないだろう。
山上はいったい何がしたかったのか咲には到底想像もできないが、ただ多くの血が流れたことだけは分かった。
その原因を、自分が作ったことも。
今更ながら大変なことをしてしまったと背筋が凍る。
鋭い殺気が咲に向けられ、刀を握る力が強くなる。
「なぜお前は山上に毒された?」
唸り声は、咲に絡みつき、喉を締められているような感覚に陥らせる。
「薄汚い偽物め、どんな姿に造り変えられた?!」
「なんのことだ?」
要領が得られず、咲は戸惑う。
しかしそれさえも気に食わないようで、虚は咲を睨んだ。
「惚けるな!」
「惚けてなんかいない。
彼女は山上家とは無関係だ」
虚の言葉にかぶせるように発された言葉。
それは傍の離れの壁の傍にできた影から聞こえる。
二つの瞳が暗い影の中で怪しく浮いていた。
「山上様?」
「来てしまったんだね。
……残念だ」
暗い影の中で、何か違和感を感じる。
それはあの新月の夜に感じたものに似ていた。
「お前が俺をここに連れてきたんだったな。
ならばお前から喰らってやろう!!」
大きく振りかざされた尾が山上の方へと唸りをあげて振り下ろされる。
「危ない!」
もうもうと立ちあがる土煙。
屋敷の大きな離れは、一瞬で崩れ去っていた。
しかし山上の死体は見当たらない。
「ちゃんと殺してくれないと困るな」
その声に降り仰げば、月を背に一番高い建物の上に影が見える。
しかしそれは記憶にある山上の姿とは異なっていた。
「薄汚い偽物が!!」
虚が叫ぶ。
咲は我目を疑った。
山上には肘から先がなく、代わりに大きな白い爪が生えている。
そして足も人のそれよりも一回り大きく、白い“何か”で覆われていた。
(偽物ーー)
その言葉が、何の偽を示すのか。
彼の姿を見れば自然と分かってくる。
(どういうこと?
どうして山上様は、“虚”に似ている?)
「せっかくその薄汚い偽物を全て潰す機会を与えたんだ。
残らず全滅させてくれないと困るな」
月光の中、山上の金色になった瞳が弧を描いた。
きっと彼の言葉は自分をも殺すことを意味しているはずなのに。
それが気にくわなかったのか、虚は唸り声をあげた。
「そこで待っていろ!!
今殺してやる!!!」
何がどうなっているのか、咲には分からない。
なぜ山上があのような姿をしているのか。
なぜ虚は山上を偽物と呼ぶのか。
そして両者は何を知っているのか。
虚の口に青い光が集まる。
咲は山上が動くよりも早く右手を構えた。
「破道の三十三、蒼火墜!」
青い爆炎が虚へと猛スピードで襲いかかる。
山上に集中していた虚はそれに気づくのが一歩遅れ、炎に飲み込まれた。
(こんな程度で奴は死なない)
それでも一瞬の間を作ることができる。
「山上様、今すぐ」
「帰れ」
咲の言葉を遮るように、山上は言った。
有無を言わさぬ圧力が、そこにはあった。
咲は眉をひそめる。
「空太刀、余計なことはせず、今すぐ寮に帰れ」
「ですが山上様は」
「私はもう君の知る山上ではないし、ここは君の来る場所ではない。
すぐに帰るんだ」
金色の目はまるで感情を感じさせない。
ただ、月の光を反射しているだけに見える。
咲をも写していないかのような感覚を受ける。
(余計なお世話、なのだろうか)
貴族の家騒動の大変さは何度か耳にしたことはある。
それはその家のことであり、外に漏れることがどれほど恥であるかということも、雰囲気で薄々は感じていた。
「さあ、早く」
その言葉を聞くよりも早く、咲は地面を蹴り、言い終えることなく山上も宙を舞った。
その直後、山上がいた場所に虚が現れ尾を打ちつけ、大きな建物が傾き、崩れていく。
まだ身体のところどころに炎の残る虚の瞳は怒りに燃えている。
瓶の中に血でつけられていたため、虚も本調子ではないのか、蒼火墜が思いのほか効いているようだ。
不意に聞こえた高い風を斬る音に虚は身体を動かすが、すでにそれに追いつけるほどの速度は出ず、左腕から下が斬り落とされた。
建物の崩れ落ちる音と、虚の悲鳴が辺りに響く。
咲は山上の前に背を向けて降り立つと、血を払うように刀を振り、再び構える。
彼女の目は、崩れ落ちた建物と、その中に埋もれているであろう虚を見据えていた。
山上は空太刀の背中を辛そうに目を細めて見つめる。
「空太刀、やめ」
「やめません」
振り返ることなく、咲は怒鳴った。
「やめない。
山上様は、ここで諦めてはいけません」
「諦めていないよ。
もう私の夢は叶ったんだ、だから」
咲は振り返る。
漆黒の瞳が、山上を捕えて離さない。
「嘘だ!」
その言葉に目を見開く。
「貴方は生きたいと言った。
なぜそれを諦めるんですか?」
咲は気配に走り出す。
そして山上の胴に腕をまわして飛び下がった。
「私は諦めない!」
耳元で爆音に負けじと発された言葉に、山上は目を伏せる。
爆風と共に煽られ、2人は地面に転がるように着地した。
さっきまで山上がいた場所が深く抉れている。
その中心に、片腕を失い焼けただれた虚が目をぎらつかせて蹲っていた。
「貴方が生きることを、諦めない!」
咲は斬魄刀を拾うと座り込んだ山上から離れ、再び構えた。
そして虚を見据え、自分の目を疑った。
「信じられないと言いたげな顔だな」
ニチャっと音を立てて、虚はお決まりの笑みを浮かべた。
「さっきあれ程重傷だったのに、か?」
ぎらついた目が弧を描いた。
「俺は虚を喰らう事で傷が癒える」
その言葉は、信じたくない事実を示している。
「ここには餌が豊富だ」
瓦礫がガラガラと音を立て、その下から複数の虚が姿を現した。
「ど、どういうことだ?!」
「山上家は昔から死神としての力を強めるべく、虚との融合を極秘裏におこなっていたことは、ちょっと知恵のある虚の間じゃ有名な話だ。
お前達は虚を探しては討伐した振りをして連れ帰った。
それが凶と出たな。
安心しろ、直に喰らってやる」
振り返れば、山本は静かに目を閉じていた。
「そんなこと」
「奴がいうことは本当さ」
「まさかそのために」
「それは違う」
短く叫ぶように咲の言葉を遮って、それから少し迷ってから山上は口を開いた。
「お前に頼んだのは、研究のためではないよ。
この馬鹿げた研究を潰すためだ。
ずっとずっと、ぶっ潰してやりたいと思っていた。
それには、この家の者が捕まえてこられる程度の低級虚では役不足だ」
山上が目を開けて立ち上がる。
「君は命を顧みず、頼みを聞いてくれた。
だから空太刀、お前は殺させないよ」