原作過去編ー伊勢家
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「御入学おめでとうございます、ぼっちゃま。
主席だったと伺いました。」
「当然だ。」
その自信に満ちた顔に、咲は優しく微笑む。
膝を折って屈まねば視線が合わなかった幼子は、いつの間にか自分より少し背が低いほどまでに成長し、爽やかなその姿は頼もしい。
「昔は私の足にしがみついて立つ練習をしておりましたのに。」
「いったいいつの話だ。」
「ぼっちゃまのおむつも変えて差し上げておりましたのに。」
「そんな昔のことは言わんでいい!
それからぼっちゃまと呼ぶのはもうやめてくれ!」
腕を組んでぷいっとそっぽを向いてしまう。
こんな子供らしい顔をいつまでもみたくて、ついついからかってしまうのだ。
「私も制服姿を拝見したかったのに、早くも着替えてしまわれたのですね。」
「私は嫌いだ、あんなもの。」
若様はどうやらご機嫌斜めらしい。
「そうですか?
機能性にも優れた制服です。
懐かしいものです。」
咲を悔しげに振り返る切れ長の瞳。
愛らしさから凛々しさへの過渡期にあるのは一瞬で、だからこそ美しい。
「お前が懐かしがるものなどいらぬ。」
それにしても随分大人のような顔もするようになったものだと目を瞬かせていれば、彼は頭を振った。
美しい黒髪が弛く揺れる。
そして明るい顔を作ると、彼は咲を見つめた。
そんな表情は、今は亡き母に良く似ている。
「咲、祝いだ!
茶屋へ行くぞ。」
咲と並ぶと姉弟のように見えると、蒼純に言われた。
だが、弟の心の内は違うらしい。
「私の心は未だ変わらぬ。
いつか越えて見せる。」
挑戦的な視線に、咲はくすりと笑った。
幼子の優しい愛の言葉は、何一つ変わらない。
それが嬉しく、愛おしく、そして切ない。
「その時まで、その御心がお変わりないのでしたら。」
子どもの夢物語には夢で答えるもの。
咲は穏やかに微笑む。
「もちろんだ!」
遠いあの日と同じ、戯れの約束。
いつまでも変わらず、彼には明るい笑顔のままでいてほしい願う。
母のように命を落とすことなく。
父のように血の涙を流すような死を目の当たりにすることなく。
叔母のように愛する人を喪うことなく。
祖父のように大切な者を自らの手で傷つけることなく。
(どうかずっとずっと。)
それが不可能だと思ってしまうのは、たくさんのものを無くしてきたからか、彼の朽木家次期当主としての宿命を思えばか。
着物に身を包む咲の歩く早さは何時もよりも少し遅い。
仕事とは異なった、急ぐことも焦ることもない、ゆったりとしたリズム。
「店はもう決めている。」
「まぁ。」
「葛饅頭が有名な店だ。
父上が美味だとおっしゃるのだから間違いない。」
きらきらとした瞳が父を思う。
それがまた嬉しい。
母を奪ってしまった自分が言うのもおかしいが、よくここまでまっすぐに育ったと思う。
「ではお土産に買って帰って差し上げましょうか。」
「そうだな、きっと喜ばれるだろう。」
50年という月日がたったのも忘れてしまうほど、彼は咲への態度を変えない。
畏れも軽蔑もない。
50年の溝に臆することさえない。
真っ直ぐなままだ。
始めは咲の方が戸惑うほどであったが、若さゆえの優しさだと、ありがたく受けとることにした。
年長者は皆、微妙に距離を置いている。
近づいては互いにうかがい、互いが傷つけ合わぬように見定めているのだ。
だが彼にはそれがない。
成長するにつれ咲が罪人であることも知っただろうに、少しの負の感情さえ抱いてはいない。
真っ向から向かい合って、もし互いの傷に触れたらそれも正面から謝り、また笑顔に戻る。
年を重ねた咲達にはない、若さというエネルギーあってこそなせる業だ。
普段と違う服装のせいか、時代の流れが咲を忘れさせたのか、護挺の者は咲に気づきもしない。
50年と言う時と平和が、こんなにも簡単に罪からの抜け道を与えてくれる。
(二度とあんなことは起きてはならないのに、私は今自由だ。
あの日、罪の象徴のようであった私が・・・)
「なぜそんな顔をしている。」
静かな声に顔をあげると、白哉が咲を見つめていた。
彼の言葉にまったく心当たりがなく、咲は目を瞬かせる。
「なにを恐れているのだ?
まるで常に気配を探っているようだ。」
強い瞳は、無邪気な剣だ。
地位も才能もあってなお、努力することで磨かれた、鋭い剣。
咲の体に染み付いた癖を見抜き、それを突き付ける。
「なにを後悔しているのだ?」
混乱する咲に、更に疑問を突き付ける。
「今を見よ。
お前がいるのは荒れ地でも戦場でもない。
休め。
父も案じていたぞ。」
咲の戦う手をとり、労るように撫でた。
「ゆっくり心を休めて良いのだとおっしゃっていた。」
彼は温かく微笑む。
剣を思わせる鋭さを覆し、彼の父のような優しい微笑みをみせる。
彼は人としての魅力を十分に備えていると、咲は思った。
「着いたぞ。」
力強く手を引く。
あの日泣いていた子どもは、もう目の前にはいない。
(お父上のような、立派な方になられるだろう。)
「いつの間にか大人になられたのですね。」
「見直したか?」
きっと京楽なら惚れ直したかと聞いただろう。
そう言わない女慣れしていない所が初々しい。
「ええ。」
だから少しだけ、手を握り返した。
席に通されて自然と手が離れる。
「葛饅頭のセット2つ頼む。」
「かしこまりました。」
落ち着いた店内。
中年の女性は笑顔で店の奥へと消えた。
「霊術院、楽しみですね。」
「そうは思わぬ。」
渋い顔に首をかしげる。
「私が首席と言うことは、同じ組に私を越えるものがいないと言うことだろう?」
「でも新しいことを学べる良い機会です。」
「家でも充分に学んでいる。」
「今では団体での戦術訓練もあるそうですよ。」
「魅力を感じぬ。」
不満そうな顔に小さく笑う。
「そうおっしゃらず。
飛び級制度もございますし。」
「言われなくとも、すぐに卒業してやる。」
強気な瞳は澄んでいて頼もしい。
自分にもこんな頃があった。
烈に憧れ、必死に学んでいた日々。
そしてようやく入隊できたと思ったら、そこは想像を超えた過酷な場所だった。
「お待ち申し上げております。」
今のように平和な時代ばかりではないだろう。
それでも彼の宿命と家の名が、他の道を許さない。
ならば精一杯守りたいと思うものだ。
葛饅頭が運ばれてきた。
涼しげなそれに、二人とも表情を崩す。
「いただきます。」
躾られてきたとおり言ってから口に運ぶ。
ひやりとした上品な甘さに、咲が微笑み、それを見た白哉も微笑んだ。
「本当に甘いものが好きだな。」
「ええ。
嫌なことも忘れてしまいます。」
「そうかもしれぬ。」
自分の知らない沢山の"嫌なこと"、彼女は取り巻かれているのだろうと思う。
嫌なこととの形容に収まるだけ忍耐力があると思う。
白哉は彼女が罪人だということを知った。
それが、本来これ程罰されるべきではない内容であることも、彼女一人に責任を負わされているようであることも、薄々気づき始めていた。
「私がいない間、お父様はお怪我をなさいませんでしたか?」
「時おりされていたようだ。
お前がいないとダメだと明姉様が笑っておられた。」
彼の直属の部下として、以前は戦場へは必ず同行していた。
もちろん、怪我などさせたことはない。
蒼純が鬼道に優れていたとはいえ、滅多に剣を握らせなかった。
彼は確かに戦いには向いていないが、センスは抜群だった。
「懐かしい・・・。」
帰ってからまだ一度もともに戦場へは赴いていない。
「もう過去ではない。
すぐにまた行かねばならぬようになる。」
あの美しい鬼道を見れると思うと嬉しかった。
「ぼっちゃ・・・違いますね、若様。」
「うむ。」
咲は持ってきた巾着から包みを差し出した。
「なんだこれは。」
訝しげに白哉が受けとる。
「入学祝でございます。」
驚いたように顔をあげた。
「私にか!」
その笑顔の眩しいこと。
「ええ。」
咲も自然と笑顔になる。
「開けても良いか?」
了承すれば丁寧に包みをほどいた。
「美しい・・・。」
悩んだ甲斐があった、と咲はほっとする。
優しい彼は何をあげても喜ぶだろうが、やはり心から嬉しいと思うものをあげたかったのだ。
選んだのは紅い紐に真珠が美しい飾り紐だ。
咲が白哉の名前を付けたとき、白く輝く真珠を思ったのだ。
母である月雫は、月の雫、つまり真珠を表す名前を持ち、黒真珠と歌われる美しい瞳を持っていた。
だからこそあの最悪の夜に、全ての血も闇も祓う、白く輝く真珠のような、母のように強く美しい子を願い、名付けた。
そんな彼にと選んだのは、その日を思い出させる髪紐。
彼に流れる母の血を思わせる紅と、真珠の白が眩しく、美しい。
(若様は強くなる。
すぐに誰かを守れるほどになる。
そして誰かを守ろうとするだろう。
だから・・・。
今度こそ、私が守りたい。)
自分の決意を込めるのはあまりに我儘かとも思われたが、この品を見てから他のものを選ぶ気は起きなかった。
髪紐には佐々木の兄が継いだ神社で祈祷もしてもらっている。
「礼を言う。」
優しく微笑んで、白哉は噛み締めるようにいった。
「私の母は真珠の名を持っていたのだそうだ。
・・・だから殊に嬉しい。
ありがとう。」
写真でしか見たことのない母が、父と祖父の直属の部下である目の前の女に殺されたなど、彼は知らないのだ。
母親代わりと慕っている明翠の夫の存在も。
きっと母の最期がいかに壮絶なものだったかも知らないだろう。
(その方がいい。
できることなら、ずっと。)
それは願いでしかなく、いつか伝えなければならない日は来るのだろう。
「それはそれは。
喜んでいただけて嬉しく思います。」
咲は笑顔で、そう答えた。