原作過去編ー伊勢家
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「おい」
「はい」
咲は振り返る。
眼鏡をかけたおさげの女性が咲を睨んでいた。
「あんたやな、六番隊の卯ノ花は」
「はい。
なにかご用でしょうか」
背筋を伸ばして対応する。
相手は八番隊副隊長であることを示す腕章をつけている。
戻ってきてから一応隊長、副隊長の一覧には目を通し頭にはいれてあるから、彼女が矢胴丸リサであることは直ぐに分かった。
ただ分からないのは、彼女がなぜ咲を睨んでいるかと言うことだ。
京楽は十番隊四席から八番隊隊長にまで上り詰めていた。
元より才能があったのだから昇進が早いのは当たり前かもしれないが、隊長となれば格が違う。
並の努力でなれるものではない。
「顔かしな」
投げ付けられるような言葉に、事が分からぬままに咲はその背中を追った。
早いペースの瞬歩に、自分の知らない間に入隊した者達の才能の豊かさを知り、少し寂しくなる。
着いたのは今はもう使われていない荒れ果てた訓練所だった。
50年前はこんな状況ではなく、よく響河との訓練でも使っていたことを思うと、近々整備する旨の立て看板があることがまた、寂しさを誘う。
「あんた、うちの隊長唆しとる?」
唐突な言葉に、咲は目を瞬かせる。
「変な意味やない。
ただ最近、全く仕事をしとらん。
……いや、全くではない。
最低限はしとる。
だが今までとはその量が明らかに違うんや」
ぼんやりと話を聞きながら、すっかり見慣れない顔ばかりになったものだと、咲は独り時代の流れを感じていた。
親しかったはずの京楽はすっかり遠い存在となり、彼の異変を察して理由を探ろうとする立派な部下を持つようになった。
彼の異変を誰よりも気づけていたはずの自分は、逆に彼の異変の元凶だと疑われている。
そしてきっと、彼女を始めとする隊の事を思い、京楽を思う優秀な部下が八番隊にはいるのだろう。
やはり蚊帳の外となった自分に寂しさを感じずにはいられない。
「だから聞いてるんや。
あんた、なにしてくれたん?」
彼女の鋭い声に、咲は浸っていた感傷から引き戻された。
そして質問に質問で返すのは失礼だと知っていながらも、思わず尋ねてしまった。
「そんなに勤勉にされていたのですか?」
「はぁ?
京楽のきは勤勉のきや言われとったくらいやぞ」
あまりのことに驚く。
学生時代は不真面目で有名だった。
入隊してからは真面目云々言う暇もなく働いた。
咲が裁かれて以降は、彼らと距離を少し取るようになったから、その間の仕事ぶりは不明だが。
「もともとそんなに勤勉な方ではなかったように思います。
勤勉な間の方が何かあったのでは?」
咲は空を見上げた。
そこに桃色が舞うのを見えたからだ。
「いかがですか、京楽隊長?」
矢胴丸は驚いたように振り仰ぐ。
「なんでっ!!」
「そりゃあ、副官が顔貸せだなんて言って連れていっちゃぁ、気になるじゃない」
彼は笠を被るようになっていた。
桃色の女物の着物も羽織るようになった。
ずいぶん目立つ出で立ちになったものだ。
咲はくすりと笑った。
「いい天気だねぇ、咲」
「ええ、本当に」
「ちょっと自分ら何呑気に!」
「じゃ、ボク今から休憩ねー」
「な、なにゆうてんねん!
仕事終わってないやろ!
急に仕事サボりはじめて、ほんまなんやねん!!
みんなも不安がっとる!」
「だから、休憩。
用事が終わったら帰るから」
ふわりと良い香りと共に背後に京楽が舞い降りた瞬間、咲は無意識に体を退いていた。
それは本当に無意識で、京楽は目を見開いたのを見て、咲は自分のしたことを自覚した。
「違うんです、癖で……」
実力のあるものから無意識に距離を保とうとしたのだ。
虚圏にいたときに身に染み付いた癖だろう。
慌てて口早に謝れば京楽はそれで事情を理解したらしく、ひとつ頷いて咲の腕をつかんだ。
「行こう」
その反対の腕を矢胴丸が掴む。
「んなこといってまた逃げるつもりやろ!」
鋭い眼光に、腕を掴む手を放させ、そっと上から握る。
「ちゃんと責任もってかえしますから」
思わず苦笑を浮かべた咲を、一瞬の隙に京楽が瞬歩で拐った。
(だから、その勤勉な間にあったことはあんたの存在がなかったことやって!)
矢胴丸は深いため息をついた。
「いい副隊長でございますね」
「でしょ。
もったいないくらいさ」
「大切になさってください」
「ボクが君を大切にできなかったからかい?」
「私を、大切に……?」
昔、三人でお花見をした桜の上で、京楽は感情を見せずにそう問うた。
まだ1分咲きの桜は、どこか寒々しく、期待を孕む。
過去を思い返せば、そこにあるのは彼らとの温かな記憶だ。
「何を。
私はずっと、心に貴方達を思い、戦ってきました。
待っていてくれるという、その言葉を信じて」
歳を重ね、以前よりも一回り大きくなった京楽は、貫禄が付いた。
隊長としての責任と、彼の自信がまたそう見せるのだろう。
「このような私の為に嘆願書を出してくださったとうかがいました。
なんと御礼を申し上げたら良いか」
「だがそれも無駄だったさ」
咲きかけの蕾に目を向けたまま、京楽は静かに言葉を返す。
「わかりきったことです。
100年の勤めを投げ出したことを咎められずに済んだことで、帳消しにされたのでしょう。
そのお気持ちだけでも、身に余る光栄にございます」
京楽は深く溜息をついた。
「ボク達さぁ、頑張ったんだよ」
菅笠で表情を隠したまま、言葉を続ける。
「あれから、10年で隊長になった。
ボクと浮竹二人ともね。
山じいなんかもう鼻高々でさ……
それからも死物狂いで働いて、功績も、信頼もできるだけのものをつけて。
それで嘆願書を出したのにさ。
……もちろん分かってはいた。
だけどさぁ、なんか、溜め息くらいつきたくなるじゃない?」
はあ、と、彼は一際大きな溜め息をついた。
立派な隊長になったはずの彼の、拗ねた口調がおかしくて、咲は思わず小さく笑った。
その笑い声に不機嫌そうに、菅笠を片手で押さえて見上げる瞳は、あの頃と何ら変わっていない。
髪紐も一緒だ。結び目に差された風車さえも。
いくら質の良いものだったとはいえ、50年も経れば劣化するそれを、京楽や浮竹は度々修繕をしながら、咲は霊圧で繋ぎ止めながら使い続けた。
(姿は変わっても、根っこのところは変わらないんだ)
咲は心の中で安堵する。
もう一度、京楽は大きくため息をついた。
「その口調、気持ち悪いからやめてよ」
思わぬ指摘に、しばらく理解が追い付かず、やっと意味がわかったときには笑ってしまった。
この話し方は、50年間の日常だったのだ。
たった二人の上司しかいない世界で、それまでの京楽達との話し方など忘れてしまうほどに。
「50年間厳しく躾られましたので」
「え?
向こうで?」
「李梅殿は潔癖の上礼儀作法にも厳しいのです」
「そりゃ驚いた。
だけどもう帰ってきたんだ、元通りで頼むよ。
隊長って呼ぶのも、無しだ」
花曇りの空の向こうに、虚界があるわけではないけれど、二人を思い出して咲は空を見上げる。
「寂しいなんて、言わないよね?」
不安げな声に彼を見下ろす。
穏やかな表情なのに、彼女の空気はぴんとはりつめているように京楽は感じた。
昔会った、李梅と同じ空気だった。
それが長い時を虚圏で過ごすということなのだろうと思う。
帰ってきたはずの彼女は、昔より鋭さを増していた。
それは刺々しさというよりは、澄み切った鋭利さ。
緊張感と美しさが一体となった、独特のものだった。
彼女が綻ぶように笑う。
その鋭い空気のガラスが花開く様だと思った。
「でも、向こうもなかなか過ごし良かった」
「相変わらずだねぇ君ってやつは」
京楽もやっと笑う。
「こっちも咲がいない間いろいろあったけれど、今は落ち着いているよ。
ゆっくり飲みにでも行こうじゃないか。
いい場所があるんだ」
咲だけではなく、京楽と浮竹も大きな壁を乗り越えた50年で、昨年辺りからようやく落ち着いてきたと言うところだ。
平和だった学生時代はよく食事にも行ったものだった。
また昔に戻れるはずだと、京楽は思う。
時代は代わり、力も手に入れた。
(もうあの頃のように足掻くばかりではない)
にやり、と口角を上げる。
抜かりなく、やってきたのだ。
上司からも、部下からも、信頼を得るために。
「あ、そういえば君が帰ってきたら会わせるって約束した子がいたなぁ……
ま、それは次にしておいて」
ふと思い出したように頭をかく姿に、咲は目を瞬かせる。
「とりあえず、今夜どう?
浮竹にも聞いて連絡するよ」
彼は真面目だった。
そんなところは浮竹とそっくりだ。
「隊長のお誘いをお断りするはずがございません」
わざと丁寧に言えば今度は京楽が目を瞬かせる。
そしていたずらっ子のように笑った。
「こりゃ便利な肩書きを持ったもんだ」