原作過去編ー伊勢家
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突如空間を引き裂いて現れた大虚に少年は目を見開く。
女性かと見間違えるその漆黒の艶やかな瞳は、母にそっくりだと良く聞かされていた。
生まれてすぐ亡くなった母は、その美しい黒真珠のような瞳から、真珠の別名である月の雫の名をもったと聞く。
だが少年は、己の名前がその瞳とは対局の色を持つことを不思議に思いつつも、真の意味を聞かされたことはなかった。
父譲りのしなやかな黒髪が虚に背を向けるのに従って艶やかに舞った。
(死ぬ……)
震えあがる足を叱咤し、駆けだす。
だがその速さなど知れている。
少しだけ、一人で家から出てみたいときがある。
母がいなくとも叔母がいるから寂しくはない。
祖父も父も仕事が忙しいが、それも家のためだ。
自分は自分にできることをと、勉強や鍛練に励んでいる。
でも、それでも時折外に憧れることがあるのだ。
どこかからかあの人が現れるのではないかという淡い期待から。
(こんなことなら言いつけを守るべきだった!)
京楽に唆されたのだ。
―いつも頑張ってると肩凝るよ。
ボク何てよく抜き出して息抜きしたもんさ。
君はまだ若いんだ、もう少し我が儘になった方がいい―
(あいつの言葉に何か耳を貸さなければ良かった!)
今さら悔やんだところで仕方ない。
すぐに影が差した。
「うわぁぁぁぁぁ!!!」
思わず悲鳴を上げた。
そして目の前の虚が、真っ二つに裂けた。
「ぼっちゃま!!
お怪我は!?」
声と共にその間から現れたのは髪の長い女。
幾箇所も繕われた白いマントを羽織り、その首元には銀白風花紗がたなびく。
何度も思い描いた、女だった。
50年の間、彼女を超えることを目標に努力を積み重ねてきた。
よく母代わりの叔母が笑ったものだ。
―あの方を越えられなければ、当主も旦那様にもなれませんわ―
「……なぜ……ここに?」
確か遥か彼方へ遠征に行ったはずだった。
それが100年に及ぶものだと知った時にはずいぶんと驚いたものだ。
そんな長期でどこに行ったのか、なぜ帰ってこられないのかと問い詰めたけれど、何一つ教えてはもらえなかった。
その上その100年にはまだ50年近くあるはずだ。
それまでに席を得て見せると思っていたのに。
咲は星が静かに瞬く空を見上げ、静かに目を閉じた。
彼女の肌は、最後に見た時よりもずっと白くなっていた。
陶器のような、という言葉がぴったりだ。
(別人のようだ……)
死覇装もマントも破れや傷みが目だつ。
歳も取ったようだ。
最期に会った時はまだどこか少女のようだったのに、今はすっかり女になっている。
その上この世のものとは思われない雰囲気があった。
荒んだ冷たい冬の森の中の、ピンはりつめた美しさのような。
この空気を持つものを、遠い昔に見たことがあった。
その二人も、同じく遠征にいっていたのだと、父が言っていたことを、ぼんやりと思い出す。
「いったい……どこから現れたのだ?」
咲は目を開けると首を振った。
漆黒の瞳が一瞬金色に見えた気がした。
「詳しくはまたあらためて。
朽木邸まで送りましょう」
メノスの動きがおかしかった。
一体が何か目的があるかのように動きだしたのだ。
小さな虚達もそれに従うように群れて動く。
偶然同行していた雅忘人、李梅、咲の3人は顔を見合わせてから駆け出した。
長い間虚圏にいれば、メノスの森を駆けるのも慣れたもので、3人は虚達に気づかれないように器用に隠れながら飛び回る。
その先にあるものを、3人は知っていた。
しばらく走った先に現れたのは尸魂界への空間の歪み。
「当たりだな。」
李梅がニヤリと笑う。
虚が向こう側にわたろうとするところで、各々刀を解放し、慣れた手つきで襲いかかる。
その時だった。
その虚の影の向こうで、懐かしい姿を見たのは。
「ぼっちゃま!!!」
メノスの行く先に、見間違うことのない背中があった。
別れた時よりもずっと立派になった。
背も伸び、髪も伸び、霊圧も高くなった。
自分の後ろをついて回り、泣いてばかりだった幼子ではなく、青年への階段を昇り始めている少年がそこにいた。
「っ!!!知り合いか!?」
李梅が怒鳴る。
「朽木家のご子息ですっ!!!」
群れる虚を切り捨てながら答える。
「朽木の倅か!?」
雅忘人も気づいたらしい。
白哉の高い霊圧に、虚が我先にと虚圏から飛び出して行く。
最後にみたときよりも大きくはなったけれど命を守ることが出来ぬか弱い背中に、咲は一刻も早く助けに向かいたい。
しかし自分達も背中に、互いの命を背負っている。
振り返って咄嗟に虚を切り倒した。
「行け!」
李梅が叫ぶ。
「ですがっ!!!」
「あの餓鬼が大事なんだろッ!!!」
咲は一瞬の間をおいてから首を縦に振る。
「行け。
50年前に戻るだけの話だ」
振り返ることなく告げる雅忘人の声が、咲の背中を押す。
「行け!」
「振り返るな!」
この世界に飛び込んだ日も、同じことを言われた。
振り返らぬのが慣わしだと。
決心が揺らいでは困るからだろうと思った。
自分にはそんなことはあるはずがないと思ったものだ。
与えられた任務、任期を終えるまで、堪えねばならぬと腹に決めていたから。
だがそれがどうしたことか。
(まだ半分だ!)
「あの餓鬼が死んでも良いのか!!!」
同じようなことを、こちらの世界に来て、ターゲットとしていた虚を見逃がしたときに言われた。
その時は良いと答えた。
その虚達に友情のようなものを感じて殺せなかった。
(もし、今殺そうとしているのが、彼らだったら?)
今にも食い殺されそうで、必死に生きようとする白哉の背中を見たら答えは覆った。
「行け!!!
教えたはずだ、奪われたくないなら自分の手で守りきれとッ!!!」
「早く行かんかッ!!!」
そう怒鳴る二人に何度守られ、何度守っただろう。
二人の存在はかけがえのないものだった。
でも。
(殺させない!!!)
小さく見える背中に伸びる爪。
「申し訳ございません!!!」
咲は空間を飛び越えた。
「白哉」
呼ばれた肩は小さく跳ねた。
「父上……」
不安げに瞳が揺れた。
大人の階段を上り始めた息子は、素晴らしい才能も、努力する強さも、どちらも十分に持ち合わせ、期待以上の結果を出してきた。
ただ、この年頃ならではの、行き場のないエネルギーに戸惑っていた。
父蒼純も母親代わりの明翠もそれを知っていたが、どうしてやることもできずにいた。
今回のことも、それが招いたと、良く分かっていた。
だから。
「これは誰にも言ってはいけない私の心の声なのだが……
よく、彼女を連れ帰ってくれたね」
頭に手を置いてそう囁けば、少年は驚いたように目を見開いた。
父の表情を見ようと顔をあげたが、父はすでに彼に背を向けていた。
人が入ってきたらしい。
ただ、父の声が何か罪悪感のようなものから解き放たれたような、そんな声に聞こえた。
「卯ノ花隊長。
咲の様子はいかがです?」
「多少低栄養だったようですが、何ら問題ではありません。
ゆっくり休めばすぐに回復するでしょう」
そういう卯ノ花隊長の表情もどこか明るい。
そういえば、咲は血は繋がっていなくともこの人の娘だったと思い出す。
(相当危険な任務だったのだろう)
その人をどうやって自分がつれて帰ってきたのかなど、白哉が知る由もなかった。
ただ。
(皆が喜んでいる)
自然と頬が緩んだ。
咲が居なくなってから、父も伯母もどこか重い何かを背負わされた顔をしていた。
それが彼女の任務が理由だと気づいたのは、ずいぶんと大きくなってからだ。
(良かった)
胸のわだかまりが、すっとほどけた気がした。