原作過去編ー伊勢家
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「隊長って、ずいぶんと髪が長いんっすね」
下睫毛が特徴的な期待のエースは、人懐っこい性格で、隊長格にも平気で話しかける。
でもそれが嫌味でない明るさと実力を兼ね備えていて、可愛がられていた。
何せ入隊と同時に席が用意されていたのは、今の十三番隊隊長の浮竹と、八番隊隊長の京楽が初めてで、それ以来も数えるほどしかいない。
幼い頃に家が没落して以来、長男の自分が母や小さい弟妹を守らねばと人一倍努力を重ねてきた海燕にとって、実力が認められるのも、その力でようやく家族を守れることも、何物にも変えがたい喜びだった。
「ああ、これかい?
……そうだなぁ、もう長いこと切っていないかもな」
そんな好青年に浮竹は笑顔を浮かべた。
使い古された髪紐でひとつにまとめられた腰まであるほど長いそれ。
光に透けるほど柔らかで、なんとも美しい。
髪紐は何度も修理しながら大切に使われていることはしばらく見ていれば分かった。
「これ以上は伸ばさんようにしているんだがな。
さ、今日の訓練、頼んだぞ」
どこか話をそらされた上、上司の笑顔に影が差しているような気がした。
そんな顔を見るのははじめてで戸惑ってしまう。
(なんか聞いちゃいけないこと聞いたか)
歩き出した背中を追おうとしたところ、声がかかった。
「おはよう。
志波十九席」
「蒼純副隊長。
おはようございます」
自隊の隊長とも親しく、副隊長に身をおきながらも数名の隊長より古株なのは、彼と雀部位だ。
両者とも他の隊では隊長になる気がないの一点張りで、引き抜きを断り続けていると聞く。
「……彼の髪は願掛けなんだ。
もう50年程の間、ああしている。
始めは切らないつもりだったのだろうが、さすがに業務に支障が出るからね」
彼もどこか悲しそうな顔をした。
「50年っすか?
長ぇ……」
「ああ。
だがまだあと50年はかかるだろうな」
「えっ……つーことは100年!?」
「そうなる」
「いったいなんの願掛けっすか?」
「友のための、とだけ言っておこうかな」
あれだけ人気なのに浮いた噂ひとつない上司。
海燕はニヤリと笑った。
「友と言いつつ、想い人だったりして」
言ってから、それが事実だとすればずいぶんとひどい話だと思った。
相手は死神なのか分からないが、100年もの間、願掛けをしなければならないなど。
「そうだな。
そうだと私も嬉しい」
蒼純の顔が妙に切なくて、海燕はそれ以上言葉を続けられなかった。
そしてひとつのここに無い存在を思い出させる。
入隊したら再び会えると思っていた人の一人が浮竹だった。
岩鷲の無事の誕生を祈願した安産守と、一心の合格守を買ってすぐに無くしてしまったのを、京楽と一緒に探してくれた温かい人だった。
兄たるもの、こうあるべきという真っ直ぐな人で、心のどこかで彼を追いかけていた。
だからこそ、彼のもとで働けることはひどく嬉しい。
そんな浮竹に初めて会った時、京楽の他にもう一人一緒にいたはずだった。
女なのに死神なのかと驚いたのをよく覚えている。
後日、六番隊の席官だった叔父に聞いたら後輩だといっていた。
―更木出身の女子だ―
そう言う彼の顔が、どこか優しかったのを覚えている。
そんな彼も、今や亡き人だ。
父と同じ、反乱の犠牲者の一人。
(今だからわかる。
あんな細っこい女で更木出身だなんて、ただ者じゃねぇ)
だがその人が見当たらない。
同期として親しくしていたものが隊長になるくらいなのだから、同等とまではいかなくとも、近い実力があってもおかしくないはずだ。
つまり、生きていれば目に留まるはずで、そうでない今の状況を考えるならば。
もしその人のために願掛けをしているというのなら……
(100年もいったいどこにいるんだ……?)
「ちょっとは手ぇ抜きや。
倒れんで」
お下げの女性が一人執務室に残る男を睨んだ。
「そうだねぇ、これ仕上げたら帰ろうかなぁ。
っていうか、リサちゃんは帰っていいんだよ?
ちなみに副隊長以上は残業代つかないからね 」
「知っとるわアホ」
そしてため息をついた。
隊長は誰もが勤勉である。
だがその中でも、八番隊の京楽と十三隊の浮竹の二人は殊に勤勉なことで有名だった。
「ほら、あんたんとこの義姉さんも言うてはったやろ。
無理をし続けても成果はでない」
「時と運が解決することもある、かい?」
筆を止め、京楽は言葉を続けた。
「木之本はんも、辞めるときに言うてはった。
時間は巻き戻すことも早送りすることもできない」
木之本は家を継ぐため仕事を辞した。
木之本家は代々精霊挺大霊書回廊の管理を任されており、その任を果たすためでもある。
「すごいよリサちゃん。
よく覚えているねぇ」
何度か聞いた言葉に、今は遠くにいる元上司を思い出す。
彼は一定の距離を保ちながらも、気にかけていてくれていたことは知っている。
「アホ。
あんな深刻な顔して言われたこと忘れるわけあるかいな」
腰に手を当てて自分を見下ろす三席に、京楽は目を瞬かせる。
「まるで逝き急いで見える。
……あんたはなんのために生きとるんや」
ぽつりとこぼされた言葉に、京楽は緩く首をふった。
「ボクはねぇ、死にたくはないさ。
例えそう見えているのだとしても。
何としても生きると、誓っているからね」
その瞳に、矢胴丸は目を細めた。
暗いその瞳には、なぜ、とも、誰に、とも聞かせない何かがあった。
「明日から副隊長、よろしくね」
先の副隊長は殉職した。
隊長である京楽を庇って死んだのだと言う。
京楽は実力はもちろんのこと、その人柄からも多くの隊士に好かれていた。
穏やかでおおらかに見えて細やかで。
でもそれが何かの為のような、そんな気がしていたのだ。
本来の彼は、こんな人ではないと、どこかで気づいていた。
偽りの善人ぶりが気に入らなかったが、心のどこかで彼の存在が引っ掛かっていた。
(うちはこいつのためには死なん)
そう思っても、きっと見捨てられないだろう何かが彼にはあるのだ。
でも。
「嫌や」
きっぱりとした返事に、京楽は目を瞬いた。
「あんたみたいに辛気臭いんはいっちゃん嫌いや。
みんな騙されとる。
あんたはそんな善人と違う」
「ずいぶんとはっきり言うねぇ」
京楽は緩く笑った。
ここにいない誰かを慈しむように。
女性隊士はこの顔が好きだと良く黄色い悲鳴をあげているが、そうは思わない。
なぜ、今目の前を見ないのかと。
必死で居ないのかと。
そしてその顔を見て、矢胴丸はもう一人を思い出す。
(浮竹隊長と一緒や)
同期の二人には何かがある。
それはもっぱらの噂だった。
自分達のような若手は知らない、触れてはならない何かがある。
「君とのチームワークに差し支えるようなら、もうちょっと悪人になった方がいいかな?」
まるで駄々をこねる子どもを見るような優しい瞳に腹が立つ。
トップたりながら人にすんなりと合わせてみせる柔軟さがこの男にはあった。
「そんなこと言ってるんとちゃう」
この人とは一生解りあえないだろうと、そう思った。
リン リン リン
ずいぶんと可愛らしい音がして、少女は懐から懐中時計を慌てて取り出した。
初めて与えられた仕事は、この懐中時計を持っていることだった。
そして何かあれば連絡するように言われていた。
慌てて無線をとる。
「ネム!
直ぐに知らせろと教えたダロウ!!」
部屋に飛び込んできた男に、少女は固まる。
いつもはもう数秒遅いはずなのだ。
彼は妙に勘が良いが、こんなに良いタイミングなどそうない。
なにかが始まる予感がした。
「申し訳ありません……マユリ様」
謝るとちらりと見てから、懐中時計を取り上げた。
どれ程見ていても飽きの来ない美しいそれは、主人の趣味とは異なっているように思う。
誰かからか譲り受けたものなのか、預かりものなのか分からないが。
でもその懐中時計を触る手は、最重要な試験管を触る手と同じだった。
ネムに触る手とも同じ。
大切な大切な検体を触る手だ。
一瞬だけ、彼はなにか考える目をして、それから時計を懐に直した。
「出掛けるヨ」
そう一言だけ言って、部屋から出ていってしまった。
一人取り残された部屋で、懐中時計を思い出す。
きれいな装飾、澄んだ音色、しっかりとした重み、マユリの手……
(なにか良いことが起こりそう)
「お!」
入れ替わるように部屋に入ってきた阿近が目を見開くので、ネムは首をかしげた。
阿近はニッと笑うと言った。
「いいことだ。
そうしているといい」
よくわからないながらに、ネムは頷いた。
機械だらけの我が家で、ネムは生まれて初めて微笑んでいた。