虚圏調査隊編
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元字塾の中庭に音もなく降り立つ。
響河に襲われて全焼したと聞いた建物は全て新しく建て替わっているが、その間取りは昔のままだ。
京楽と浮竹は相部屋から個室になったと聞いた。
中庭に面した東の角から二つ、京楽、浮竹と並んでいると。
そして隊舎よりも勝手がよいからと基本的にこちらにいることが多い、とも。
彼らへの挨拶は気が引けた。
出会ったときから変わらず、咲にとって欠けがえの無い友でありながら、今では顔を会わすことさえ滅多に叶わない。
遠征先で1人過ごす夜に、一緒に買いに行った髪紐を指で遊んでは彼らを思い出し、自分を奮い立たせていた。
負けてはいられない、帰ってまた彼らの隣に立つのだと。
あの、暖かな場所へ、かならず帰ろうと。
上位席官としての地位も名声も人望も欲しいままにしながら、二人は咲への態度を変えることはなかった。
いつも笑顔で迎えてくれながらも、常に心配をしてくれる。
それがこそばゆく、そして、胸が締め付けられる。
本来であれば彼等の隣に立つことの許されぬ、自分に。
浮竹の部屋は明かりが消えており、留守であるようだ。
京楽の部屋からは明かりが漏れている。
近づこうと踏み出しかけた足を、再び下ろす。
明かりの中にいる彼と、闇の中にいる自分が、正に自分達の立場を示している。
その立場の違いが、今回の任務を与えるのだ。
護挺のために受けた見せしめの刑だ、役目を与えられたのだと自分に言い聞かせるのと同時に、響河を止められなかった己への刑だといつも言い聞かせている。
だが当然の事であるが、罪人である咲の現実は過酷だった。
その一方で、時に響河の事を懐かしく思い出すことがあるとは、口が裂けても言うことはできなかった。
過激な反乱の中にいても、彼の側は安心できたのだ。
誰よりも自分を認めて、使ってくれた。
彼の側なら思う存分力を発揮できた。
いずれその力は、彼を殺すために発揮することになったけれど。
(100年の間に、忘れるだろうか。
護挺の人は、私の罪を。
私は、響河殿を。)
物思いに耽っていたからだろう。
京楽の部屋の襖が開いても、咲は立ち尽くしていた。
明かりの中で部屋の主が、寂しげに微笑み、手招きをした。
それだけで、彼は咲がここに来た理由を知っていると気づく。
躊躇っていた足を前に進める。
近づくと彼は目を細め、咲の手を引いて室内に招き入れ、襖を閉めた。
繋がれたままの手が、熱い。
「話を・・・聞こう。」
それが彼の譲歩である事は分かった。
例えこれから紡ぐ言葉を知っていても、咲が自ら伝えることを待ってくれるのだと。
遠征に出る事など、今まで一度も告げたことはなかった。
それをいつも恨めしく指摘していたのは彼だ。
静寂に、互いの脈の音まで聞こえる気がした。
「虚圏調査隊に任命された。
100年の長期任務だ。」
静寂を破って、告げられた言葉に京楽はひとつ頷いた。
「迷いはないのかい。」
以前浮竹が言っていた。
迷いは命取りだと。
「ない。
私は、私にできることをしたい。
それにここを離れるのは、私にとっても良い機会だと分かっている。
向こうでは自ずと腕も磨かれるだろう。」
そこで一度言葉を切り、京楽から目を逸らして、口早に続ける。
「もう二度と、大切なものを失いたくないんだ。」
切な気に細められた瞳に、京楽は堪らず咲を抱きすくめた。
自らが封印した上司、喪った人、温かな場所・・・彼女が失ったものは数えきれない。
「・・・分かった。」
咲の辛さをいくら思っても、そう言うことしかできなかった。
言葉にならなかった。
今ここで生きている咲が、腕の中にいるのに。
癖毛に頬を寄せてくるのが、愛おしい。
くすぐったいのか、彼女が微かに笑うけれど、その吐息は震えていた。
彼女を腕の中にずっと納めておけたら、どれ程良いだろう。
「頼むよ・・・帰ってくると約束しておくれ。」
消え入るような声はいつも見かける四席の、どんなことにも狼狽えることのない力強さからは程遠い、弱々しいものだった。
「当たり前だろう。
ばかだな。」
咲泣きそうな顔で癖っ毛をぽふぽふと撫でた。
今までも何度も黙って遠征に行った。
黙って行って、黙って帰ってきて、また黙って行った。
それと同じだと、自分に言い聞かせてきたのに。
「ボクは君を待つ。
百年だろうが、千年だろうが、ずっと・・・ずっと、待つよ。」
噛み締めるような声は、微かに上ずっている。
咲は目を細めた。
罪人と呼ばれる自分を、これほどまでに大切にしてくれる彼らは、何にも代えがたい、唯一無二の存在だと。
「ありがとう。
必ず、帰ってくるよ。
どんな世界が待っていようと、どんな敵に出会おうと、必ず。」
京楽はようやく咲から身体を離した。
そして懐から一本の簪を取り出し、彼女の髪に刺さっているものと取り換えた。
話はその日の昼過ぎにさかのぼる。
「ひどいことを言うとわかっている。
でもこれに祈祷してほしいんです。」
京楽は一本の簪をさしだした。
それは彼が咲にプレゼントしたものと、全く同じもの。
渡された方は、それをそっと手に取り、愛おしそうに撫でた。
彼女こそ、春水の兄の妻、六架であり、伊勢家のでであった。
「奇遇と言うか、やはりと言いますか。」
義姉の言葉に京楽は目を瞬かせた。
彼女は渡された簪を一度置くと、懐から一本のかんざしを取り出して京楽に見せた。
それは自分が渡したものと全く同じ。
そこでピンときた。
「兄上・・・?」
「ええ。
やはり兄弟ですね。」
眼鏡の奥で、義姉の瞳が嬉しそうに笑った。
「ちなみに、あの人も同じものを待っていますよ。」
「え、それ本当!?
勘弁してよ!」
義弟の言葉に楽しげに笑った。
「強く、運命に抗おうとするところもよく似ている。」
京楽は思わず俯いた。
「ボクはどうしたら、いいのでしょうか。」
「そうですね。」
義姉はいつも通り、穏やかで優しい口調で相槌を打つ。
「貴男の兄上は、ありのままにいる方がよいと、おっしゃっていましたよ。
最近貴男は頑張りすぎていると。
もちろんとても良いことなのですけれど、肝心なことは我慢してはいけません。」
すくりと立ち上がり、彼女は刀を抜いた。
何度見ても美しい刀だと思う。
人を切ることなく、神に仕える刀。
(彼女の斬魂刀も、こんな刀ならばよかったのに。
そうしたら、こんな遠征に行かずに済んだ。
今のような罪人扱いも受けずに済んだ。
たとえそれが、呪われた刀であっても、彼女が死ぬようなことはなかった。
・・・ボクなら彼女のために死んでも構わないのに。)
そんな京楽の心の内を見透かしたかのように、義姉は寂しげに微笑んだ。
「人は皆、苦しみを背負いながら生きる。
貴男がその子の事を思い苦しむ道も、また生きるということ。
それがまたその子を支える力になりましょう。」
京楽は眉尻を下げた。
「会ってみたいです、その子に。
いいえ、会えるように祈りましょう。
あなた達の友情が、壊れてしまわないように。」
京楽はひれ伏して目を閉じた。
風車が回る音がした。
優しい風が、あたりに吹いているのだ。
「御武運を。」
からりと、咲の黒髪の上で風車が回ったような気がした。
時間は止まることはない。
別れの時は、刻一刻と近づいてきているのだ。
京楽は髪から離れた手で、そっと咲の頬に触れ、視線を合せる。
瞳に自分が写り込んでいる。
澄んだその瞳を再び見ることは、早くてあと百年先。
滑らかな白い頬に手を滑らす。
彼女の肌はこれほどまでに美しく、滑らかだと、今まで知らなかったし、考えたこともなかった。
薄紅色の唇は、もう100年に渡って彼の名前を呼ぶことはなくなるのだろう。
手離したくない温もりであるのに、別れは差し迫っている。
胸が苦しい。
まるで、握りつぶされそうなくらい。
京楽は無意識に吐息がかかる距離まで近づいていた。
そしてその時ようやく、自分の想いの名前に気付き、目を見開く。
「そうか、ボクは君が・・・好きなんだ。」
至近距離のまるで呟くような言葉に、今度は咲が目を見開く。
あまりに驚いたのか、中途半端に口を開けたまま、何も言うことができない。
(今頃になって想いに気づくなんてとんだ間抜けな話だ。
・・・ほんと、呆れるよ。)
目の前の咲の呆気に取られた顔もひどく間抜けで、京楽は思わず笑った。
「馬鹿だなぁ。」
(本当に馬鹿だ、ボクは。)
「ご、ごめん。
今までいろんな女の子を口説いているのは見ていたけれど・・・。」
何を勘違いしたのか、咲がそう慌てて言った。
「それとこれは別。」
「そうだな、そうだよな。」
咲は何やら納得したのか、一人頷き、それからにっこりと笑った。
「私も京楽が好きだ。
だから必ず帰る。
寂しがり屋のお前を置いて、死んだりしない。」
京楽は小さく溜息をついて、それから困ったように笑った。
「そういう別ではないんだけど・・・ま、いっか、この方がきっとボク達らしい。」
それからがばっと咲に抱きついた。
「100年たってボクの顔を忘れていたら許さないから!」
「忘れるわけないだろ、馬鹿。」
「この簪はお守りだからね、失くしちゃだめだよ。」
「じゃあもう一本の方は京楽が持っていてくれる?」
義姉に同じことを言われてはにかんだ兄の気持ちが、京楽にはよくわかった。
そしてまた、危険に飛びこむ大切な人を待つ身の辛さもまた、よくわかった。
背中を優しく撫でてくれる咲に見えないように、京楽は下手くそに笑った。