斬魄刀異聞過去編
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「出没情報あり!
五三七イ!
西に向かって移動中!」
すぐに地図上で場所が確認される。
それは咲が響河に渡した発信器が示す番号だ。
咲達が受け取ったころは3ケタの数字でしか地区の分類がされていなかったが、さらに精度が上がり、イロハが付くようになった。
より狭い範囲での特定が可能になったことから、移動する方向までも短時間で割り出すことができる。
「私も行きます」
引き締めた表情の咲に、蒼純は頷く。
響河捕縛部隊は一番隊と六番隊の上位席官で組まれている。
山本と獄寺もその一員である。
地獄蝶を通して二人にも連絡が渡り、他の隊士を含め10人が指定された建物の前に集まった。
「……こいつもですか」
獄寺の無愛想な声に、蒼純は表情を変えずにうなずく。
「行こう」
「……死ぬんじゃねぇぞ」
小さく耳打ちされた山本の言葉に、咲はひとつ、力強くうなずいた。
現地へ向かう道中で、蒼純の指示に従い、二人ひと組になる。
本来であれば心を閉ざして戦うことのできる咲を真っ先に投入すべきであるが、彼女の情緒面の不安定さを考慮し、まずは様子見だけにさせることになっていた。
「ここで様子を見ていなさい」
蒼純の言葉に、咲は頷く。
屋根の上からそっと言われた方を見ると、確かに懐かしい背中が見えた。
高い塀の上に彼は独り立ち、その先の3人組の隊士を狙っているのだろう事はすぐにわかった。
「響河」
蒼純の声が静かに響く。
響河は緩慢に振り返った。
「なんだ、またお前か」
次の瞬間、激しい剣劇が鳴り響いた。
蒼純の刀と響河の刀が火花を散らして交わっている。
「そうだ。
朽木家の罪は、朽木家で正す」
蒼純がこれほどまでに冷たい声を出すなど、咲は予想だにしていなかった。
いつも温和で、妹の婿であり己に替わる後継ぎである響河と、あれほど仲の良い義兄弟であったのに。
蒼純の握るのは浅打だ。
斬魂刀は他の隊士が持ち、響河の解放した際の能力範囲外で待機している。
「何を!
身体も弱く当主になり損ねた分際でッ!!」
「その身に粛清される側になった己を恥じろ響河」
「うるさい!
お前などすぐに切り刻んでくれる!!!」
咲は手で口を覆った。
仲の良かった上位席官二人が、あの互いを思いやっていた義兄弟が、罵りあいながら火花を散らして刀を交えている。
後ろから安心させるように肩を抱かれた。
「落ち着け。
霊圧が揺れているぞ。
見つかる」
低い声が落ち着けるように耳元でささやく。
山本だ。
「……申し訳、ありません」
震える手で斬魂刀を握る。
咲だけが、斬魂刀の帯刀を許されているのだ。
「……お前はまだいい」
その手を山本が押さえる。
「覚悟決めろ。
それからでも遅くはない」
気づけば響河は姿をくらましていた。
蒼純だけが、月の光を受けて立ちつくしていた。
響河の為に刀を握ると決めた時、こんなことは望んでいなかった。
望んでいたのは反乱の平定と穏やかな日々だった。
その為に響河を守りたかった。
彼の命も、優しく強い彼の心も。
彼は銀嶺らに比べれば弱いかもしれないが、決して特段弱い心の持ち主ではなかった。
孤独な力に負けず、中傷をものともしない凛とした強さもあった。
正義感も、朽木家として、六番隊三席としてのプライドもあった。
人を惹きつける魅力的な人間性もあった。
その全てを、咲は守りたかった。
だが彼は、それゆえに陥れられたのだ。
そして多くの人が傷つけられた。
自分があの晩、彼を信じた為に。
最後まで信じて、逃してしまったが為に。
守ると決めた彼をーー差し違えてでも止めなかったが為に。
響河は全てにおいて卓越した能力があったわけではない。
銀嶺らに比べたら、人間らしい弱い面も持ち合わせており、それがまた彼の親しみやすさでもあった。
そんな彼だからこそ、陥れられたと思うと胸が締め付けられるようで、咲は立ち尽くした。
もっと弱ければ、もっと正義感がなければ、貴族でなければ、プライドがなければ、魅力的な人柄でなければーーこんな筈はなかったのに、あまりに、あまりに哀れだ、と。
「おいてめぇ、朝飯は?」
翌朝塾から出勤しようとする咲の前に、影が立ちはだかった。
「獄寺十席……」
割烹着をつけて顔をしかめた先輩だが、見慣れてしまって笑うことはもうない。
「食ってねぇだろお前」
喧嘩を売るかのような恐い顔だ。
十二席だった彼は、この春に十席に昇進した。
そのとなりで呆れ顔で笑う山本。
彼もこの春九席へと昇進した。
「こんな顔でも心配してんのな。
ほら、今日こいつ休みだし」
獄寺が舌打ちをした。
「黙れ」
割烹着を身につけた獄寺はぐいっと咲の方に包みを差し出した。
「せいぜい気をつけろよ」
先輩のぶっきらぼうで優しい言葉に、咲は小さく微笑んだ。
「はい……
ありがとうございます」
そして足早に隊舎へと向かっていく。
小さくなっていく細い背中を二人はじっと見つめていた。
「たとえば、だ。
……今は亡き日野さんが護挺の敵になっていたとして」
山本が呟く。
「雀部副隊長に討伐部隊長の任が下ったとして。
自分が日野さんの弱点を討つ唯一の持っていたとして」
獄寺は見えなくなった咲の背中に背を向け、柱にもたれかかった。
「……討伐部隊に志願するって言うのは、どんな気持ちだろうな」
山本の問いに、少し間を開けてから、獄寺は口を開いた。
「さぁな。
……だが、俺も、お前も、あいつみたいに志願するだろう。
たとえ殺されることになるとしても。
相討ちになって死ぬのが関の山だとしても」
「ただ……そんな彼女を見るのはなんか辛いな」
「馬鹿言ってんじゃねぇ。
チビガキだがあいつもあれで1人の隊士。
……オレ達が支えねぇで、誰が支えるんだよ」
「お前たまにスゲーいい事言うよな」
「たまには余計だ」
突然塀を乗り越えてきた影に襲われ、咲は本能的に抜刀して斬撃を受け止める。
首筋ギリギリで止めた刃が、カタカタとなった。
咲はその相手を見て目を見開く。
それは相手もまた同じだった。
「響河、殿……」
先に声を発したのは咲だった。
「……卯ノ、花」
ぽつりと呟くと響河は我に返り、飛び下がる。
その様子は最後に見た時とずいぶんと変わっていた。
牽星箝もなく、半分壊された猿轡が残る頭。
死覇装はところどころ破れ、血が固まっているところもある。
貴族としての、六番隊三席としての姿は、どこにもなかった。
あたりに異変を感じた隊士たちも集まり始め、響河は焦りを感じているようだ。
「お待ちください!」
逃げようとする響河に、咲は思わず叫んだ。
「お前が来い!」
飛んでもない誘いに首を横に振る。
「どうしてそのようなことを!」
「お前の刀の能力も特殊。
すぐに俺のようになる!」
咲は
あまりに恐ろしい言葉だ。
自分も彼のように陥れられるならばーー自分よりもずっと強く賢く朽木家という家名も持ちながら陥れられた彼のことを思うならば、自分はどれ程容易くこの世から消されてしまうことだろうか。
息が詰まるほどの圧迫感を持つその可能性に歯を噛みしめた。
彼を見つけたら言わねばならないと心に決めていた諫める言葉の数々が喉元で渦巻くが、言葉にならない。
(だめだ、私はっ!!!)
入隊当時で多くの反乱者を殺害する彼に恐怖を抱いていた頃、彼は言った。
ー俺たちは駒にすぎない。
命令に従うのみ。
己の力を最大限に発揮し、お役に立つために努めるのみだ。
それが今、俺達にできることー
美しく静かに自分を見下ろした緑の瞳を思い出す。
ーそれに耐えきれぬなら、心が壊れる前に、ここから去れー
突き放すようなその言葉こそ彼の優しさだと言うことは、壮絶な日々の中ですぐに分かった。
そして誓ったのだ。
自分の命を救ってくれた、そして自分の心を救い、歩むべき道を教えてくれる人の為に剣になろうと。
自分に告げたまさにその人の心が壊れてここから去ったとしても。
ー私は、私にできることを、精一杯やります。
壊れません。
少しでも護挺のお役にたてるように。
それから、響河殿のお役に立てるようにー
(そうだ、私は決めた。
この方を護ると、この方の為に戦うと。
私は響河殿の命も、心も護りたい。
このままでは響河殿はどちらも失ってしまう。
ーーだが彼を捕らえて、どちらかが守られるのか?)
続けて蘇る銀嶺の言葉が背中を叩く。
ーお前を響河捕縛部隊に任命する。
だが、お前は六番隊隊士、蒼純の部下だ。
響河の部下ではないことを肝に銘じておけ。
よいなー
噛み締めていた歯を解き、息を吐き出す。
今答えなければならない言葉はただ一つに決まっていた。
響河はもう加害者で、大罪人なのだ。
彼を守りたかったーー守れなかった弱い自分は、彼がこれ以上誰かを傷つける事をやめさせる為に命をかけなければねらない。
「これ以上罪を深めることはおやめください」
「そうか……お前はもう、俺の敵だということか」
睨みつけられ、咲は胸の鋭い痛みを振り払うように首を横に振る。
「敵味方の話ではございません。
これではただ罪を深め」
「ふざけるな!」
目を向いた響河が咲に食ってかかるように打ちかかってきた。
咲も応戦する。
腕がしびれるほどの一撃だ。
「俺は騙された!
殺されるところだった!
それをしようとしていたやつらを殺して何が悪い!」
咲は静かにその言葉を受け止めた。
「なりません。
響河殿のお心はそれで晴れましたか。
お優しい貴方はそれで心が晴れるはずがない!
傷つけられる苦しみをご存知の響河殿ならば!
どうかこれ以上、罪を深めることをお止めください!」
「黙れ!!」
歯軋りをしながら響河は怒鳴り返した。
激しく打ち合いが続く。
言葉こそは対立しているものの、どちらとも、それ以上には攻めあぐねていたのだ。
戦えば共に傷つくことは目に見えていた。
それは、身体の傷だけではない。
「どうか……!」
咲の悲鳴のような懇願を聞くことなく、響河は身を翻した。
唇をかみしめ、追いかけようとする咲の前に大きな影が差した。
「深追いは無用」
静かな声に、仰ぎ見る。
「狛村五席!」
彼は虚無僧のような鉄笠や手甲を着用し、常に顔や手を隠している。
班が違うためずっと交流は薄かったが、現在咲が所属する三班を率いている。
咲は響河捕縛部隊での活動が基本とはなるが、籍自体は彼のもとに置かれることとなったのだ。
「でも一刻も早く彼を止めなければ!」
「落ち着け、今のお主では捕らえられん」
つい今自覚しただけのことを指摘されはっとする。
自分の覚悟のない姿が見抜かれたのだと思うと、彼が向けるであろう疑念の眼差しに苦しくなるほどの恐怖を覚えた。
(私が響河殿側の人間だと思ったに違いない)
鉄笠の隙間からのぞく瞳に、咲は震えながら俯いた。
少しの間をおいて、声が降ってきた。
「こちらも人手が足りん。
相手が逃げたのだ、こちらも無理に負う必要はあるまい」
その声は困ったような声で、思っていたよりもずっと優しい。
「罪悪感に駆り立てられるのは分かる。
だがお前は無席の新入隊士だった。
いくら強くとも、お前はまだ、儂らにすれば子どものようだ」
恐る恐る顔を上げようとすると、大きな手が頭に乗り、思わずまた俯いて身を竦ませた。
本当に彼は大きく、彼の言う通りだとその温もりに思い、ようやく解けた緊張に目を閉じる。
優しい手が、どれほど自分が緊張していたかを思い知らせた。
「先に飯でも食え。
今日持ってきていただろう」
予想外の言葉に思わず見上げる。
彼とは蒼純に引き合わされて以来、まともに会話したのもさっきが初めて、というくらいだったのに、なぜ自分の昼飯のことまで知り、気に掛けてくれるのかと。
思わず返事を忘れていれば、鉄笠の向こうで微かに笑う気配がある。
「これでもお前が所属する三班を率いているんだ、馬鹿にするな」
包み込むような大らかな低い声に、咲は慌ててうなずく。
「はい」
「行っていいぞ」
深く頭を下げ、言われた通り包みを取りに行った。
練習場にある木の上に駆けあがり、獄寺に持たされた包みを開けるようとして、自分の手が震えていることに気がつく。
「馬鹿だ……」
もし狛村が止めねば、自分はどうしていただろうか。
義務と責任と懺悔に追い立てられて間違いなく響河を追いかけていただろう。
だが、そんな状況で彼を殺せたろうか。
答えなど解りきっていた。
「何も……何も解ってはいなかった」
両手で顔を覆ったまま、咲は独り、肩を震わせていた。
「覚悟、決めろ……
覚悟……決めろ……」
山本が囁いた言葉を、何度も自分に言い聞かせながら。