学院編Ⅰ
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廊下で見覚えのある後ろ姿を見かけ、咲は声をかけた。
「山上様!」
ゆらゆらと揺れていた癖のある美しい茶髪が大きく揺れ、振り返った彼の柔らかな瞳が咲を捕えた。
「空太刀か。
久しぶりだな」
「先日はありがとうございました。
お陰さまで、浮竹様に謝罪することができました。
なんとお礼を申し上げたらいいのやら……」
その言葉に山上は笑顔を見せた。
「いやいや、こちらもありがたいんだよ。
君と仲直りしたおかげで浮竹君の機嫌もいいから、学級委員の仕事もはかどるんだ」
咲を更木出身だからと特別扱いをしない山上。
浮竹が彼のことを高く評価していたことを思い出し、山上もまた浮竹達のように少し変わった、そして咲にとってこの上なく貴重な存在になつつあった。
「そんなそんな……
ですが、もし私ごときにできることがありましたら何でもおっしゃってください」
「それじゃあ斬術の稽古でも付けてもらおうかな」
「御冗談を」
「冗談じゃないさ」
2人で顔を見合わせて笑い合った後、咲は不意に空気が変わったことに気づく。
「君の腕は京楽君たちと同等かそれ以上と聞くじゃないか。
ぜひご指導いただきたいものだ」
彼の瞳が、先ほどまでとは違うのだ。
咲を試すような、それでいてすがるような、そんな瞳。
どうすればいいのか、咄嗟に判断することができず、一瞬の間が空いた。
ただただ見つめあううちに、咲は不思議な感覚に陥る。
(この瞳、どこかで見覚えが……)
そんなことまで考え始め、これでは埒が明かないと頭を抱えたくなる。
何の根拠もない嫌な予感と、厄介事には手を出すなという警笛との狭間。
しばしの沈黙の後、咲はもうこれ以上悩む時間はないと、意を決して口を開いた。
「私など大してお役にも立てないとは思いますが、お手合わせいただけるのであれば一度お願いたします」
その言葉に山上は、先ほどの表情が嘘のようにぱっと顔を明るくした。
「本当かい?
助かるなぁ、ありがとう。
早速頼みたいんだが、どうも最近課題が多くて」
その言葉が何を意味しているかは咲にもわかった。
「何時でも構いません」
「そうかい?
じゃあ今夜22時ごろに第2鬼道演習場辺りでどうだろう?」
第2鬼道演習場は屋外で、剣道場と違って鍵はかからないから夜間でも立ち入ることができる。
問いかけられてはいるものの、咲にそれを拒否することはすでに選択肢としてはなかった。
厄介事が待ち受けているのは、何となくわかる。
だからこそ指導を乞われた時点で断るべきだったのだと、心のどこかで後悔していた。
だが、ここまでくれば断ることはもうできない。
「はい。
お待ちしています」
そういって頭を下げる。
「じゃあ、またあとで」
山上は爽やかな笑顔で去って行った。
廊下に残された咲ははっと我に帰り、教科書を抱え直して第1鬼道演習場に駆けだす。
3分にも満たないこの会話が、何を引き起こすのか、彼女には想像もつかなかった。
(新月だったか)
鬼道演習場の壁にもたれ、空を見上げる。
月がない分、普段は見ることのできない星も姿を現している。
(月も綺麗だが、星の方が好きだ。
月はまぶしすぎるが、殊に暗い星は観ていて心が安らぐ)
目を閉じれば夜風がそよそよと髪を揺らした。
烈に憧れて伸ばし始めた髪は同級生からの嫌がらせの際にいい道具にされるため、思いきって切った。
せっかく背中の中ほどまで伸びたのにと残念であったが、背に腹は代えられない。
夏の夜風は少し生ぬるくて、髪にまとわりつく。
高い湿度は少し鬱陶しいが、長く更木にいた咲にはどこか懐かしい感じがした。
不意に気配を感じ、その場から飛びのく。
自分が居た場所で紫電が煌めくのが見え、地面に足がつくと間髪いれずに飛びのいた。
案の定。そこにも紫電が煌めく。
(速い!)
その速さは浮竹や京楽を凌いでいる。
次の刃は本能的に避けた。
しかもその刀を扱うものの気配は非常に微弱でほとんど感じることはできない。
それは院生がなせる業とはとても思い難い。
(侵入者?
それならば先生に知らせなければ)
さっと手を空に向け、赤火砲を放とうとするも慌てて手を引く。
手のひらに鋭い痛みを感じる。
きっとさっき手を引く前に切られたのだろうが、傷を確認する時間などない。
それほど血が出ている感触はないから傷は深くはないはずだ。
それにしても相手が悪い。
腰にさした竹刀では真剣とは太刀打ちできないだろう。
(そろそろか)
ざっと音が鳴って、相手の動きが止まる。
「何の用があってここにいる?」
問いかけに相手は答えない。
咲は右手を握り、ぎゅっと引いた。
相手の体制が一瞬崩れたが、すぐに持ち直す。
(相手の方が力も強いか)
右手から相手の刀へとつながる撃の赤い光の糸を見えなくするために掛けていた曲光を解き、撃を両手で引くと、相手の刀がカタカタと音をたてた。
「なるほど。
ということは、今私の動きも撃で止めて曲光で隠しているのかな?」
その声に咲は首をかしげる。
「安心していいよ。
私だ、山上だ」
ふっと相手が隠していた気配がこぼれてくる。
その気配は確かに。
「……山上様?」
薄暗がりの中、相手が笑う気配がした。
「すごいな、流石朽木隊長のお眼鏡に適うだけある」
咲は驚いて両手に込めていた力を抜いた。
相手が刀をしまう音がする。
きっとあれだけ静かに動くことができたのなら、刀をしまうのにも音を立てないことは造作もないことだろう。
それをわざわざ音を立てるのは、咲に対するアピールだ。
「どうしてこんなことを」
「君の鬼道の腕を確認したくてね。
ところで私の体を縛るこれは?」
咲は安堵のため息をついて、演習場全体にかけていた曲光を解く。
「……伏火だったのか。
危なかったな」
霊子をゆっくり分散させ、伏火を消す。
院生にはとてもではないができない繊細な作業に山上は目を見開いた。
「山上様ならば簡単に逃げることもできるのではないですか?」
「いや、まさかこれだけ広範囲に詠唱破棄で伏火、それにかぶせて曲光が放てるとは思わなかった。
てっきり這縄くらいで動きを止めたんだと思ったよ」
「あのスピードでは這縄では追いつけないかもしれませんし、動く這縄に曲光をかぶせたことは今までありませんから、相手の力量もわからないところで使うのは危険かと思いました」
「1年生が戦闘中に良くそれだけ頭が回るものだ。
ということは伏火に曲光をかぶせたことはあるんだね」
驚いたような山上の声に、咲は目を瞬かせ、それから苦笑を洩らした。
「ええ……更木にいたころに」
「そうだったのか。
すまないね、怪我しただろう?」
山上は咲の心中を察したのか話を変え、咲の左手に触れた。
彼の手が予想以上に冷たく、咲の手が一瞬震える。
「すまない、手が冷たかったね」
「いいえ、御心配には及びません。
このくらい、大したことありません」
「その傷ができるのと引き換えに、撃を私の刀に縛り付けたのか」
「はい」
「ほんとうに、戦闘中なのに良く頭が回るものだ」
これなら大丈夫だろう。
小さく山上がそう呟いたような気がして、でもそれはどこかこれから起こる何かを予感させるもので、彼の目を見ようと目を凝らす。
一瞬だけ生ぬるい気温が冷えたように感じる。
「折り入って、君に一つ頼みたいことがあるんだ」