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「さんなん先生」
「うん?」
「なんぞ、ええ事でもおありどすか?」
明里が酒を注ぎながらそう訊いた。
「どうだろう?」
「さっきから、お顔が緩んでますえ」
そう言われて、山南は自分の顔を撫でる。
「明後日からしばらくの間は大坂どすやろ?
もうちょっと寂しそうなお顔しとくれやすぅ」
拗ねた顔を作って、明里は山南の二の腕をキュッとつねった。
「なんだい、痛いじゃないか」
苦笑いで言って、注がれた酒を喉へ流し込む。
「寂しいに決まっているだろう?」
そう言いながら、山南はある女の顔を思い浮かべていた。
───サンナンさーん
彼女はそう呼ぶ。
土方が唯一側に置く特別な女であるのに、彼女自身はその自覚が薄い───いや、無いといってもいい。
大坂へは山南とともに土方も赴くことになっている。
その自覚が無いとはいえ、いつも世話をしている土方が永く留守をすれば、やはり彼女も「寂しい」と眉を寄せるのだろうか───。
そう考えた途端、胸の中にもやが立ち込めた。
もやを晴らすように、山南は酒を流し込む。
「うそばっかり」
明里は山南の肩にもたれかかる。
「ええ匂い、やっぱりさんなん先生によう似合(にお)といやすなぁ」
「うん?」
明里が山南の袂を持ち上げた。
「こ、れ、」
それは、明里がくれた匂い袋だった。
とても清々しい良い匂いがする。
明里が山南を想って作らせた香り、ということだった。