SSS

proof

2025/11/17 03:03
text仕分け済み
 オンユアマークス。セット。

 スターターピストルが鳴る。すべてがはじまる。
 証明はできる、と、知っている。
 条件はとてもシンプルな、ただひとつ。誰よりも速く走ること。それだけだ。

 百パーセント自分の意識下なのにいっそ自動的だとすら思う。スタートはよかった。隣も、同じくらいか、それ以上によかった。フライングにならないちょうどその瞬間。零コンマ一秒よりもシビアな時計のなかを生きている。
 スタートはかなり得意な方なので他人の背中が見えるとげえという気分になる。すぐにそれどころじゃなくなるけれど。速い奴がいくらでもいる。そういう世界に身を置いている。人間の反射速度の限界の零コンマ一秒、音がするところから十秒ははじまる。音を追いかけて蹴りだす。ピッチの違いで隣とずれていく足音を他人事のように聞く。空気がごうと鳴っている。誰にもこの感覚は共有したことがないけど、通り抜ける瞬間に音は少し変化して、虹色の風みたいに見える気がする。今日はとくに。調子がいい。
 陸上男子百メートルで世界一の記録を出せば、世界最速の人間と呼ばれることができる。時速三十八キロメートルを越える速度で移動する乗り物なんてありふれたこの時代に、身一つで、たかだか十秒足らずでその称号が獲られる。そこまで届かないことを知りつつも、俺は、百メートルを誰よりも速く走れば全て解決する、というひとつの真理をそれよりも強く知っている。
 俺は足が速かった。誰かに教わるよりも先にまず、その事実があった。アイデンティティ以前の自己認識。だから、未だにそれを事実として認識してしまっている。実際在野にいる大抵の人よりは足が速い。こと百メートルに関しては。この競技場では、話はまた別だけれど。
 ショートスプリントっていう競技は現役でいられる期間も限られているし、続けてたらタイムが縮むってわけでもない。身体的な最盛期と技術的な成熟期が重なりあう期間が大抵一瞬だけあって、あとは身を削りながらタイムを絞り出している。何したって結果に結び付かない時期だってあった。結構長く。相対的にみたとき、俺の身体的かつ精神的なピークって小学六年生か高校一年生だったんじゃないか、というのが定期的に浮かぶ黒くて靄がかった想像のひとつで、そうではないことは年毎の自己ベストを見ればわかりきっているのだけど、想像は未だに消しきれちゃいない。それでも何もかもが上手く行くような一瞬っていうのはたまに来る。ごく稀に。それを知っているので、たまにその事実をオカルト的に信じこんでみたりする。大抵っていうか勝率ゼロパーセントだ。今のところ。コンディションはいつだって最善目指して整えていて、その上でブレが出る。ときどきブレブレにもなる。もっと上振れしたって良いはずだけど、まあ望みすぎか。
 いつだって心底怖い。こんな人生ありえないなって思う。だって俺はただ足が速いだけの人間だ。そんな一点だけにすがってここまできた。来れてしまった。まわる独楽を想像して、あれがゆっくり回転速度を落としていくところを思う。はたからみたらあんな感じなんじゃないだろうか。でもまだ、止まっていない。走っていたい。そして希望と経験則とを言うなら、一度やめようとしたって、止まらざるを得なくなったって、また走り出すことはできる。俺たちは何度だってスタートを切れる。
 究極、ただより速く走るだけの競技だ。陸上競技っていう名前を背負うだけのものだろうと思う。こと百メートルにおいては、コーナーすらない。スタートラインとフィニッシュライン、それを繋ぐ最短距離の百メートル。二点を繋ぐ最短距離はいつでも直線で、俺らはそれを愚直になぞる。同じ横並びでスタートして、同じラインを目指す。地球は丸いはずだから、もしかしたらこのレーンもものすごく緩く湾曲しているのだろうか。そんなことはないか。地球一周が四万キロメートルなら、四十万回この距離をリピートすれば一周だ。そんなことしたら死んじゃうな。円周の四十万分の一は不思議ときっと正しく直線で、一・ニニメートル幅のレーンは誰にも侵略されない。そのなかを、駆けるだけ。
 そんなシンプルなものにこれ以上なく必死に夢中になって、人生を費やしている。それってとても嬉しいことだ。そう思う。
 
 走っているといろんなことを考えるし、ゴールまでのこと以外考えられなくなる。このタータンの上で見える景色を走馬灯って言っていたのはたしか椎名さんで、言い得て妙だと思う。本気で走っているとそれもすべて薄れていって、視界がただただ煌めく瞬間がやってくる。こんだけ何度も何度も人生のフィルムを擦りきれさせていれば、寿命が縮まりそうでもある。でもこの景色が見れるのなら、人生なんてどれだけでも支払えるとも思う。風の音がする。自分と、彼らの足音がする。空気の響く音がする。思い返すとき、トラックからの景色はいつも少し白んで光っている。たぶん酸欠もある。
 そういえば、○○知らないなんて人生損してる、って競技を理由に誘いを断ったときに言われたことがあるけど、それを言うならこの景色を知らない方がよっぽど損だ。あまりにも喧嘩腰過ぎるのでそう返したことはないけど、そのぐらい思う。俺の人生にこれ以上の瞬間はあるんだろうか。そうだな、なくていいや。俺はまだ、もう、ぶっちぎりの一番って訳じゃない。視界の端に隣のユニフォームの色が見える。一瞬絶望する。必死で走る。こンの! 俺は、足が、速い! 普通に生きててこんな必死になることってあるか? ない。ないだろ。楽しい。苦しい。苦しくてしあわせだ。好きだ。走ることが。この距離が。

 この約十秒の一瞬が永遠になればいいと思うと同時に、自分はなんて恐ろしいことを考えるんだと思う。フィニッシュラインを踏んだ。そのことを頭で認識するより先に、足音に加えて、心臓の音が聞こえるようになって、肺で息を吸えるようになっている。ゴールしたのだと気がつく。それでもまだ怖くて、足がそのまま回転し続ける。たどり着いた。今日も、また。

 俺は走るのが好きなのだ。証明には百メートルあれば十分だ。
 これだけ苦しくて狂おしくて煌めいていて憎たらしくて怖くて楽しくてみじめで誇らしくて空しくて高揚する競技なんて、俺にとっては他にない。感情は一口には収まらず、ともすればまるで、愛とでも呼べそうだ。
追記
トガシくんによせて

コメント

[ ログインして送信 ]

名前
コメント内容
削除用パスワード ※空欄可