SSS
遠くったって追いつくよ(宮トガ)
2025/11/09 00:40 百メートル。たった、であるけれど、時と場合によっては、それほど、でもある。平均身長くらいの人がゆっくりめに歩いても二分かからない。
俺たちが走るなら、十秒と、少し。
それだけのために人生を費やしてきた。
ゴールにたどり着いたといつの日にか思うのだろうか。予選での財津選手のように。いや、かの人の考えなんて俺には及びもつかないけれど。
俺はどうやら走るのが好きだったらしく、この距離に夢中になっている。今さら気がついたのだけど、基本的に一途ではあったのだから、許されたい。許されるって何にだろう。俺自身にだろうか。
嫌になるまで走っていたい。なんて、思う。
まあ無理だろうけど。
二十五歳。ピークは過ぎている。怪我もした。無所属。崖っぷちもいいところで、だというのに妙に清々しく、あの日俺は自己ベストを更新した。IHで追い抜かれてからずっと遠ざかっていた背中は誰よりもきっと近くにあって、俺たちはたぶん同じ景色を見ていた。足音は重なって、ずっとどこまでも行けそうだった。この景色が見れたならもういいだろと思う自分と、もっともっとと渇望する自分があって、結局辞めるなんて言い出せずにゆっくり脚の治療をしている。貯金がどんどん切り崩されていって、まあ焦る。普通に。
アパートを解約して実家に戻った。親は気を遣ってくれているのだか懐かしい名前を出す。話題は結婚したらしいね、とか子どもができたらしいよ、とか。人生のステップアップが早いな。俺は未だに足の速さ一本で人生を乗りきろうとしている。馬鹿なのかもしれない。でもそれなりの実力は自負していて……、って、俺は誰に向かって言い訳をしているんだ。俺自身か。まあいつもそうだもんな。
なんとなく座りの悪い実家から逃げるように出かける。許される程度の運動として、ゆっくりと歩く。河川敷に着いた。懐かしい。変わっているけど変わってなくて、射してくる西日に小宮くんの気配すら感じる、とか思っていたら、本物がそこにいた。
小宮くんが。
あれ以来縁も所縁もないだろう場所に、小宮くんがいる。マジ? マジでいるな。なんで? とりあえずの社交性として、声をかけてみる。
「久しぶり」
「日陸以来、だね」
普通に話すのか。小宮くんて。
「懐かしいね」
ちょっとしたジャブ。
「うん」
そこで会話は途切れた。まあそんなもんだよな。俺も今びっくりしてるだけだし。会話をしようという気もあんまりなかった。よくなかったな。一人で反省会をしていると、小宮くんが言った。
「見てて」
小宮くんはアップをはじめる。俺はそれを見ている。手持ち無沙汰だ。必死で心の中の焦燥を鎮める。大丈夫……ではないけど、だって、俺だって、俺だって……。
よし、と小宮くんが呟くのが聞こえて、遠ざかっていた意識が戻ってくる。小宮くんが顔を上げる。
「あの木、まだあるね」
ここからおおよそ、百メートル。昔よりも背丈を伸ばしたその樹は、太い枝を一度伐られた痕がある。風の音がした。正面からの太陽が眩しい。
追い風が吹いている。
小宮くんがこちらを見た。
「スタンディングでいいの」
「あのときもそうだったでしょ」
ふう、と息をついて、小宮くんは一瞬だけ目を瞑った。求められていることはわかった。遠くから列車が近づく音がする。
「オンユアマーク」
がたんがたん、がたんがたん、がたんが、がん。
「セット」
風が髪を揺らす。
ガタン!
列車が頭上を通り抜けるその音と同時に小宮くんが走り出す。小宮くんの動きで生まれた風が俺まで届く。視線で追いかけると西日に目を瞑りそうになって、意地で目を開けた。
十秒。たったそれだけ。
小宮くんがこっちに戻ってくる素振りを見せたのを、手を振って押し留める。小宮くんって足速いね、と伝えるためだけに俺はゆっくりと歩きだす。何分かかるだろう。たった百メートルに。もしかしたら、何年もかかるかも。
小宮くんは俺が手振りで頼んだ通りにそこにいる。遠いな! でも絶対に行ってやろうと思って、ゆっくり急ぐ。きっと彼は待っている。俺がゴールするまで待ってくれる。
そして俺はたどり着く。その距離の先に。
そうしたら今度は、百メートル、一緒に歩いて戻ってこよう。例えばあの日見た景色の話なんかをしながら。百メートルあれば、俺たちには大抵のことができるのだ。
俺たちが走るなら、十秒と、少し。
それだけのために人生を費やしてきた。
ゴールにたどり着いたといつの日にか思うのだろうか。予選での財津選手のように。いや、かの人の考えなんて俺には及びもつかないけれど。
俺はどうやら走るのが好きだったらしく、この距離に夢中になっている。今さら気がついたのだけど、基本的に一途ではあったのだから、許されたい。許されるって何にだろう。俺自身にだろうか。
嫌になるまで走っていたい。なんて、思う。
まあ無理だろうけど。
二十五歳。ピークは過ぎている。怪我もした。無所属。崖っぷちもいいところで、だというのに妙に清々しく、あの日俺は自己ベストを更新した。IHで追い抜かれてからずっと遠ざかっていた背中は誰よりもきっと近くにあって、俺たちはたぶん同じ景色を見ていた。足音は重なって、ずっとどこまでも行けそうだった。この景色が見れたならもういいだろと思う自分と、もっともっとと渇望する自分があって、結局辞めるなんて言い出せずにゆっくり脚の治療をしている。貯金がどんどん切り崩されていって、まあ焦る。普通に。
アパートを解約して実家に戻った。親は気を遣ってくれているのだか懐かしい名前を出す。話題は結婚したらしいね、とか子どもができたらしいよ、とか。人生のステップアップが早いな。俺は未だに足の速さ一本で人生を乗りきろうとしている。馬鹿なのかもしれない。でもそれなりの実力は自負していて……、って、俺は誰に向かって言い訳をしているんだ。俺自身か。まあいつもそうだもんな。
なんとなく座りの悪い実家から逃げるように出かける。許される程度の運動として、ゆっくりと歩く。河川敷に着いた。懐かしい。変わっているけど変わってなくて、射してくる西日に小宮くんの気配すら感じる、とか思っていたら、本物がそこにいた。
小宮くんが。
あれ以来縁も所縁もないだろう場所に、小宮くんがいる。マジ? マジでいるな。なんで? とりあえずの社交性として、声をかけてみる。
「久しぶり」
「日陸以来、だね」
普通に話すのか。小宮くんて。
「懐かしいね」
ちょっとしたジャブ。
「うん」
そこで会話は途切れた。まあそんなもんだよな。俺も今びっくりしてるだけだし。会話をしようという気もあんまりなかった。よくなかったな。一人で反省会をしていると、小宮くんが言った。
「見てて」
小宮くんはアップをはじめる。俺はそれを見ている。手持ち無沙汰だ。必死で心の中の焦燥を鎮める。大丈夫……ではないけど、だって、俺だって、俺だって……。
よし、と小宮くんが呟くのが聞こえて、遠ざかっていた意識が戻ってくる。小宮くんが顔を上げる。
「あの木、まだあるね」
ここからおおよそ、百メートル。昔よりも背丈を伸ばしたその樹は、太い枝を一度伐られた痕がある。風の音がした。正面からの太陽が眩しい。
追い風が吹いている。
小宮くんがこちらを見た。
「スタンディングでいいの」
「あのときもそうだったでしょ」
ふう、と息をついて、小宮くんは一瞬だけ目を瞑った。求められていることはわかった。遠くから列車が近づく音がする。
「オンユアマーク」
がたんがたん、がたんがたん、がたんが、がん。
「セット」
風が髪を揺らす。
ガタン!
列車が頭上を通り抜けるその音と同時に小宮くんが走り出す。小宮くんの動きで生まれた風が俺まで届く。視線で追いかけると西日に目を瞑りそうになって、意地で目を開けた。
十秒。たったそれだけ。
小宮くんがこっちに戻ってくる素振りを見せたのを、手を振って押し留める。小宮くんって足速いね、と伝えるためだけに俺はゆっくりと歩きだす。何分かかるだろう。たった百メートルに。もしかしたら、何年もかかるかも。
小宮くんは俺が手振りで頼んだ通りにそこにいる。遠いな! でも絶対に行ってやろうと思って、ゆっくり急ぐ。きっと彼は待っている。俺がゴールするまで待ってくれる。
そして俺はたどり着く。その距離の先に。
そうしたら今度は、百メートル、一緒に歩いて戻ってこよう。例えばあの日見た景色の話なんかをしながら。百メートルあれば、俺たちには大抵のことができるのだ。