SSS

Every day is a new day.(シャリエグ)

2025/07/21 16:08
 生きているので、明日が来る。
 好き嫌いとかなさそうって言われたことがあるけど、ある。普通に。熟れているのだか腐っているのだかわからない熟し方をする果物なんかは苦手に思うし、静音を突き詰めすぎて作動しているのかわからないエアコンは嫌いだ。推理小説のそれまでの描写から一つの真実が象られる瞬間なんかは気持ちがいいと思うけど、他人の思惑を暴く描写はどこか居心地が悪くなる。あっ、そうだ。ジグソーパズルを一つひとつ押し嵌めていくのが好きだ。低重力下では、もうパズルなんてずいぶんやってないけど。探し物をして散らかってしまった部屋だとか、ぐちゃぐちゃで無秩序なものはあんまり好きじゃない。
 他人には他人の考えがあって、それを察しろって言われても僕にはそれがあんまり得意じゃない。なんでも口に出してくれるやつが相手だとだいぶ楽だなと思う。なんにも考えてなさそうだなとか失礼なことを言われたこともある。僕なりに考えてはいる。まあ別に相手の中の僕がなにも考えていなくたって、どうでもいいっちゃ、いいんだけど。
 ボロボロになるまで戦って、結局いろんなものを失って、僕っていつもこうだなと思う。それでも生きている。生きているので、明日が来る。

 たぶん運は良い。

 あの時だってそうだった。よく覚えてないような気がするのに、いまだに時折夢であの時のことを見て汗だくで起きる。起床時間より早くて、あーあ、と思いながら再び眠りにつく。いつ、どこでも十分な睡眠時間と栄養を摂るようにしている。気づいたらそう適応していた、の方がもしかしたら正しいかもしれない。宇宙にも朝と夜がある。人類が持ち込んだからだ。二十四時間で日付は切り替わる。故郷たるコロニーが散り散りになったって、その分の時間が過ぎれば、僕は僕の明日を過ごしていた。運がよかったと思うし、最悪な人生だとも思う。そうやってなんだかんだ生きていることは虚しくもあるけど、嬉しい、とも思う。明日になったらもっとより良い一日が来るんじゃないかって、きっといつも、期待している。
 実際期待は裏切られてばかりなのだけど、それでもたまによいことがある。境遇の似た仲間と出会えたり(みんないなくなってしまったけれど)、優秀なパイロットとして取り立ててもらえたり(その上司は地球人類の虐殺を目論んでいたけど)、行き場のない若人に対して一つ進路を示せたり(その末に彼女はイオマグヌッソのトリガーを引かされた訳だけど)。あと、そうだな、案外優しい上官が、自分の身柄を引き取りに迎えに来て、心配してくれたりだとか。その上官とは殺し合いになった(少なくとも僕はそのつもりだった。あっちがどの程度僕を殺す気があったのかはわからない)けど、結局どちらも生きていて、行動を共にしている。明日の予定を確認して、今日の業務は終了だ。たまにこうやって早く上がれる日があって、ほら、たまにはよいことがある。コモリ少尉は久しぶりのコロニー散策に行くんだって颯爽と去っていった。
 予定を決めていたわけでもない僕はぐうっと伸びをする。あんまり行儀が良くないけど、業務時間外だし。ぐいと首を倒すとふざけた仮面と目が合う。

 何を考えているのだかよくわからない仮面の大人は、僕に予定を尋ねかけるから、なんにもありませんよ、読書でもしようかと思ってます、と答える。おやおやなどと相手は笑う。この仮面を剥ぎ取りたいな、と思う。
「野蛮なことを考えないでくださいよ。この仮面、気に入っているんですから」
「そうですか」
 この人は優しいけどたぶん趣味が悪い。大体どういうつもりなんだか、意味がわからない。ギリギリ赤い彗星の熱狂的なファン、で通るんだろうか。いや私生活でもこの仮面つけっぱなしなのかな、この人。
 僕とシャリア・ブル中佐はあくまでも仕事上の付き合いであるので、この人のプライベートのことはよく知らない。というより、あのゴタゴタの後始末以降僕にもかの人にもプライベートなんてものはない、というのが正しいのだけど。
 そんなことを考えていると|心を読んだかのように《・・・・・・・・・・》目の前の相手が言う。
「短いですがせっかくの自由時間です。私を謳歌しましょう」
 こっちを向いているから、首をかしげる。
「それは、僕とあなたが一緒に、ということですか?」
「そうですね」
 意味のわからない人だ。そう思う。

 男二人で行動することに抵抗とかはないけど、まあそういうのって大体友達とかが相手だろう。相手は言うなれば上司だ。ハラスメントかなにかにあたるんじゃないですかとか言ってしまえばこの人は引いただろう。言わなかったんだから、まあ、僕は別にいっか、と判断してしまったというわけである。迂闊だったなあと服だけ着替えて仮面はそのままの相手をみて思う。ふざけてんのかな。
「ふざけてませんよ」
「本当に?」
「ええ」
 じゃあ本当に本気でやっているんだろう。その方がかえってたちが悪いような気もする。僕、この人と一緒に今日のオフを過ごすのか。
「楽しい一日にしましょうね」
 いけしゃあしゃあ、という感じだ。頷いてしまった僕も僕なのだけど。

 コロニーの市街地には色つやのいい生鮮食品が並んでいた。流通が健全な証拠だ。値はそこそこ張るが、それだけの価値はあるだろうと思う。つやつやの赤い林檎を目の端で捉えて、なんとなしに聞く。
「林檎、お好きですか」
「取り立てて言うほどではないですが、まあ。好きそうに見えますか」
「そうですね、林檎っていうか、赤が好きでしょう、あなた」
 仮面越しに少し驚いたような困ったような気持ちを感じて、ちょっとだけ気分がスッとする。でも向こうの動揺は一瞬だった。
「きみだって好きでしょう、リンゴ」
「そうですね」
 知ったような言い方をして、と思うけど、実際この人にはわかっているのかもしれない。
 林檎を見ると思い出す。

 三つ上の兄がいて、母がいて、父がいた。恵まれた家庭だったと思う。当時ですら薄々そう思っていたのだから、今思うなら尚更だ。わがままを時々諌められながら、のびのび育てられていた。怒鳴られたりぶたれたりした記憶はない。叱るときはいつも確認をするように一つひとつ口頭で諭された。
 母はおっとりした人で、ちょっとだけ融通が利かなかった。兄が小さい頃林檎が大好きだったことをずっとそうなのだと思って、季節になると大量に買い込む。兄としては林檎は好きではあるけれど、熟れすぎた食感の悪い林檎はむしろ嫌いで、だからまだ瑞瑞しいその実を必死になって食べきっていた。それを見て母はますます林檎を買った。あれだけの量を食べさせられても「嫌」と口にしたことはなかったから、兄はしんじつ林檎がとても好きだったんじゃないかと思う。もう確認することはできない。あのままだったら、もしかしたらいつか兄さんが「林檎は嫌いだ」と叫ぶ日が来たのかもしれないけれど、そうではない。そうではないので今も僕の中では兄はなんだかんだ林檎が好きなままだ。きっと母の中では、もっと、永遠に。
 兄さんが「お前も手伝ってくれ」とかなんとか言って、剥いてくれる林檎が好きだった。まだ固くて、かじるとぱーんと割れる。「お前あと何個食える?」とか言って、やたら数を剥くものだから、結局僕のお腹はそれで一杯になってしまって、残りは自分で食べるのだ。あれが好きだった。母さんに見つかると、そんなに好きなのね、なんて言われたりして。兄さんは母さんに似ていておっとりしてなかなか強い言葉を使わないひとだったから、新鮮なやつはね、なんて曖昧に答えて、母さんはまたどっさりと林檎を必死買い込んだ。父さんはちょっと面白がってた。どうにもならなくなったときは父さんがジャムにしてくれて、僕はそれは甘すぎていまいちだったけど、それでも食べてた。
 あの頃と同じ品種ってわけでもないと思うのだけど、林檎の香りは変わらない。なにか旧世紀にそういうフレーズがあったなと思う。確か林檎もバラ科だ。
 林檎の実を一つ手に取ったまま動かなくなった僕を見て、中佐は言う。
「今日出かけなかったら、どんな本を読む予定でしたか」
「そうですね⋯⋯」
 この人の柔らかい敬語は優しいけど、どこか一線を引き直すような、その上で線を侵犯するような、そういう感じがするときがある。あれ以来だ。あれっていうのは、そう、イオマグヌッソの件。
「小説でしょうか。古典の」
 古いものはけっこう好きだ。「遺す」ことは、けして簡単ではないから。あらゆるものはある日突然、簡単に失われうる。それが遺るだけの奇跡と労力を考えると、尊敬できるなあって思うのだ。いいものじゃないと保全しようって気にもなかなかならないだろうから、クオリティが保証されてるっていうのも大きい。勢いだけみたいなバカな超低予算映画とかも好きだけど。でもそれは、同期のあいつの方が好きだったな。ミゲルはもっと小劇場でかかるような質のいい映画を見つけてくるのが上手かった。映画を最後に見たのがスクールの頃だからか、彼らの顔ばかり思い浮かぶ。
 皆失われた。
 新しいものだって嫌いってわけじゃないのだ。ジークアクスを拝領したときもとてもわくわくした。それはそうと、失われ、損なわれる瞬間について考えずにはいられないだけで。ジークアクスだって持ってかれちゃったしな。
「君の感想聞いてみたいですね。今度一緒に映画でもどうです」
 林檎の香りに端を発して、今日はどうにも感傷的で良くない。それはそれと上官と二人で映画はなあと思って曖昧に呻く。この人は僕がどれだけ殺そうとしたって死にやしなかったけど。
「僕はあまり人と感想を共有したくないので、せっかくですが映画のお誘いは辞退させていただきます」
「はっきり言うじゃないですか」
「はっきり言ったほうがいいじゃないですか」
 家族から学んだことだ。
「では何なら私から受け取って貰えるんです? 私も君になにか渡したい」
 横を向く。仮面で表情がよく見えない。どういう意味だ。
「言葉通りですよ。君がはっきり言ったほうがいいと言うから」
 意味がわからない。
「ええと⋯⋯一食分奢っていただくとか⋯⋯」
 目が見たいな、と強烈に思う。この人の顔が見たい。きっと今、初めて思った。

 世界はいつもあたらしくなっていく。またあたらしい、明日が来る。

コメント

[ ログインして送信 ]

名前
コメント内容
削除用パスワード ※空欄可