SSS
いつかは灰になる(供養)
2025/02/21 17:17バスケが好きだ。
コートの中で見える世界が好きだ。ここにしかない時間の流れが好きだ。バスケットボールの手触りが好きだ。ボールがリングに触れずにネットをくぐるその音を愛している。酷使された肺が痛んで喉に血の味がして耳鳴りがしていても、ギャラリーから体育館を見下ろしたあの時間とは比べ物にならないくらい息がしやすい。
この世界から出たくない。コートの中で死にたい。いや、嘘だ、そんな勿体無いことできない。バスケがしたい。
バスケがしたい。ずっと。
人生には最高の瞬間というものがいくつかあって、オレにとってのそれは全てコートの中で起きたことだ。ちょっと言い過ぎかもしれないけど、まあ大きく見積もっても体育館の中。反対に最悪の瞬間というものもほとんどが体育館の中だ。みたいな話を宮城にしたらあいつの最悪な瞬間の一つは上級生に呼び出された屋上でのことだというので、黙って自販機でポカリを買ってきて渡した。半笑いの宮城に帰りラーメン奢ってやると言えばいよいよ声を上げて笑い出し、食いもんで解決しようとすんなと言う。その通りなのでこれは他意なく善良な先輩が後輩に恵んでやっているだけだと言えばじゃあ仕方ねえから奢られようかなと返ってきた。オレがただの善良な先輩だったらビビるぐらい生意気な後輩ばかりだが、まあそうではないのでどいつもこいつも随分いいやつだなとオレは思っている。
オレの部屋には本棚の前に開けてそのままの段ボールがあり、その中には小学生やら中学生のオレがせこせこと書き込んだバスケノートが詰め込んである。どのページを見ても当たり前のことしか書いてなくて、だと言うのに今のオレはその当たり前に体がついていかない。自分の体が自分の言うことを聞かないと言うのはどうしようもなくストレスで、しかしこれについては身から出た錆である。錆を落として磨く方法はノートのどのページにも書いていない。練習をしてひたすら練習をしてシュート練をして吐きそうになって、これで良いのかはよくわからない。良くなくちゃ困る。疲労困憊のなかでスポンジのごとくバスケのやり方を吸収していく桜木なんかを見ていたら、どうしようもなく羨ましくなる。ああ嫌だ嫌だ、この三井寿が他のプレイヤーに嫉妬するなんて。とっとと寝ちまおうと思ってベッドに入ってみた夢では中学生のオレが桜木を完封して勝利していて、寝起きの気分は最悪だった。流石に願望としてダサすぎるだろ。
桜木も早く復帰できたらいいなと思う。病室で過ごす時間は浪費にしか思えなくて気が滅入るだろうから。同時に本当に時間を無駄にしたやつにこんなこと言われたくはないだろう、とも思う。
朝5時の学校というのはちゃんと施錠されているので、オレは下履きそのままで体育館に行き南京錠を開け、バッシュに履き替え、練習をして、下履きを部室に置いて校舎に向かう。1年生の時は確か昇降口の下駄箱を使っていたと思うんだが、復帰したての日に居残り練習をしたら正面玄関の鍵が閉まっていて困ったので、それからずっと部室のロッカーに靴を置いている。学校指定の体育館シューズはいつの間にか、いや2年の間に紛失していて、体育の授業でもバッシュを履くがそれを注意されたことはない。バド部やバレー部の連中も自前のシューズだということに気づいたのはつい最近で、それまでオレは体育の授業のたびにちょっと構えていた。
生徒指導も担当の体育教師は今日もオレを片付けに任命したので、回収したビブスを適当に畳んでカゴに入れ、体育準備室の扉をノックする。体育館の方はオッケーなはずだ。最悪何か忘れ物があったとしても部活が始まる前に気づくだろう。ドアを開ければ体育教師は誰かと電話をしていて、そこで待ってろとジェスチャーをするので、することもないオレはビブスを眺める。これ授業用なんだろうけど女子も同じの使ってんのかな。臭いだろ。かわいそうじゃねえ?
電話を終えたらしい先生におざなりに礼を言われたあと、急に進路について聞かれた。オレの答えを聞いたら露骨に苦い顔になって、ダメだった場合について考えているのか聞いてくる。浪人して進学。まあそうだなとか言うその表情にはちょっとだけ安心が見えていて、悪い方ばっか想像させんなよなと思う。
オレの進学戦略に楽観的な応援をくれたのは今のところ母親だけで、あの人は多分オレがまたグレなきゃなんでも喜んでくれるのだと思う。父親が高校は公立で節約できたから浪人して医大でもお金のことは少しも心配しなくて良いみたいな言い方をしていたのも関係あるかもしれない。学費のことなんてそれまでほとんど考えたことがなかったし、その時は曖昧な返事しかできなかったけど、そもそもそんなに頭が良いわけない。グレてた時一番時間を費やしたのゲーセンの前で屯することだぞ。この2年で多くの期待や信頼を裏切ってハードルを下げさせただろうことに申し訳なさと、ほんの少しの安堵があって、それでも期待みたいなことを言ってくれることにむず痒くなる。親はオレが進学のつもりでいるならなんでも応援してくれるっぽいですと先生に言えば、そうだろうなあ良い親御さんだなと笑われた。良い先生だ、多分。推薦来るように祈っといてくださいと言えば勉強もしろよと返されて、それで話はおしまいになった。
4時限目の終わりのチャイムがなれば校舎は気が抜けて騒がしい空気に包まれる。徳男たちと連れ立って屋上にでも行こうとすれば今日雨降ってるよと教えられた。いつの間に。折りたたみ傘はあるが帰るまでに止めばいいが。仕方がないから教室で食うか。徳男は今日は購買で買うらしい。じゃあ戻ったらオレんとこ来いよと言って席に戻れば、隣の席のクラスメイトはどこかに移動するようだった。ちょうどいい。席を借りてもいいか聞けば5限までには返してねとだけ言って去っていった。戻ってきた徳男は席の持ち主を気にしていたようだった。確かに隣席が元ヤンなのは普通だったら嫌なような気もするが、あのクラスメイトについてはオレが髪を切って初めて授業を受けた、その後の休み時間に友達とあの人誰だっけと話しているところを聞いてしまったので、オレとしては勝手に引き分けな気分でいる。オレと同じくらい英語ができないらしく教師から近くと話し合うように指示が出たら顔を合わせて首を捻るようなことがしばしば起きるし、向こうは本当に気にしていないのだろうと思う。
うちのクラスはオレ筆頭に手のかかりそうなやつが割といて、他のクラスと比べても多いような気がする。武石中出身のメンツは誰もいない。これはもしかするとオレのせいでクラス分けに工夫させたんだろうなと思い、まあ申し訳ない。担任はちゃきちゃきした定年間近のじいちゃんで、ちょっと威圧感があるわりに怒っているところは見たことがない。ベテランらしいがクラスの女子なんかからは普通に舐められている。オレは夏前の三者面談で規定時間30分のところを4時間付き合ってもらった恩もあって結構好きだ。母親はオレよりもっと好きそうだ。オレがグレてる間も色々話していたらしい。その話の内容は怖くて聞いていない。
昼飯を食い終わってだらだら徳男と喋っていると、隣席のクラスメイトが帰ってきた。徳男もそれに気づいてまたね三っちゃんと自分の席に戻っていく。クラスメイトは独り言みたいなトーンでありがと〜と言い、机に掛かったカバンからメロンパンを取り出して食べ始めた。予鈴が鳴る。昼休み中に食べなかったのか聞けば、進路相談に行っていたのだと言う。へえ。進学?そうそ、美大、美術大学に行きたい。すげー。受かればねー。そんで美術の教員免許取りたくてさ、と続いた。先生が将来の夢なのか聞くと、少し首を傾げられた。夢はどっちかというと、絵描いて暮らすこと。でもそれには実力と運とガッツが必要で、実力はこれから伸びる、つか伸ばすとして運には割と自信あって、でもガッツはいつかなくなっちゃう想像ができちゃったんだよねえ。そう言って笑った。でも教免とれたら、そのくらい頑張れるって証明になるし、資格だから役に立つだろうし。考えてるんだなあ、と言った自分の声が思いの外バカっぽくて少し恥ずかしかった。向こうは気にした様子もなく、そう、一応考え中だから話しやすい先生に片っ端からいつ先生になろうって決めたのかとか聞いてる、と答えた。せっかく学校にいるんだし。え、頭良くね?そーでしょ。一緒に行く?
行く、と答えたのに説明できるような理由はなくて、え、マジと驚いている相手に取り消そうか迷っているうちにじゃあ明日の昼休みね、と言葉を重ねられた。驚くくらいならなんで聞いたんだよと思ったけど行くと答えたのは自分だ。わかった、と返事をすればじっと見つめられた。なんかあるのか?いやごめん、名前なんだっけ。真剣そうに言われて思わず脱力する。なんだこの人。オレはそっちの名前知ってるぞ。
放課後の部活というのは毎年この時期残暑との戦いらしいが、オレはそもそも復帰してからずっとバテて倒れそうになっている気がするからそれ以前の問題なのかもしれない。いつかは考えなくてもできるようになっていたことを、もう一度一番基盤から見直して、どうしてその判断をしたのか考えていく。瞬間瞬間で自分の動かない足やら狭まる視界に苛立つ。せめて思った通りに動けよオレの脚、苛立てばその瞬間も隙になる。ホイッスルの音がして彩子が休憩を命じる。全員もたもた外やら窓際に向かっていった。深呼吸しようと吸って吐くのに空気が暑くて重い。ため息になった。雨上がりってもっと爽やかで然るべきじゃないか?
驚きのスピードで彩子からボトルを受け取りに行った宮城がこっちに歩いてきた。今日過ぎれば涼しくなるらしいって言ってましたけどね。視線の先では暑いと漏らしたやつが次々とハリセンでしばかれていく。全員少なからず参っているがその中でも流川は人を殺しそうな目で虚空を見つめている。流川ってさあ、あいつオレのこと先輩って呼ぶけどオレの名前知ってんのかな。いや流石に覚えて、覚えてるで、覚えててほしいけどね。なんだよお前キャプテンって呼ばれるからってよおと絡めばいやあんたが振った話題じゃんなにちょっとウザすぎ!と叫ばれた。というか流川に聞いてみればいいじゃん、と言われる。確かに。いやでもこれで覚えられてなかったらオレ凹むかも。カモじゃなくて絶対凹みますよ、と宮城は笑った。えー三井先輩オレの分も聞いてみてほしいっす、と反対側から潮崎が言う。お前も先輩って呼ばれる?と聞けば、そうっす、いつか潮崎先輩って呼ばれたことある気がするんですけどそう呼ばれたいばかりに見た夢だったかもしれなくて…と言うので思わず笑った。それは流石に夢じゃないだろ、呼ばれたから覚えてるんだろと言う。そうであって欲しいと言う顔がマジっぽいので余計に笑えた。
確かに流川にちゃんと認知されて先輩として認められていると言うのはかなりの名誉な気がするよな、と流川に聞こえないように音量を落として溢す。三井先輩もそう思いますか。三井先輩もそう思うぜ。まあこの三井寿の後輩っていうのもそれなりに名誉だろうし誇っとけよ。うす。えー三井サン今のめちゃくちゃ花道の先輩って感じすね。ああどういう意味だよお前、うるさいな別に貶してないじゃん、宮城はこの潮崎のいい返事を見習えよ、暑いからってキレんなよあんた、いや大体いつもよお、といった調子に声を荒げれば、通りがかった安田がえっ今日はさっきまで仲良くしてたのに…と言ったので思わずそっちに目を剥いた。潮崎は堪えきれず吹き出していた。なかよくはしてねえ。
部活が終わりになる頃には吐くようなものは残ってないだろうと思うのに、今日も吐く気があれば吐くだろうという感じだ。吐きたいわけではもちろんないが、一応バケツの場所を確認しておく。長いスパンで見るとシュート率は上がっていて、それに少し安心する。オレがシュート率と呼んでいるこれはノルマとして決めた本数をこなすまでに掛かった時間のことで、要は入った外したの割合ではないのだが、同じ本数リリースしていたとしてかかった時間が短いならへばっていた時間も短い、つまり以前よりもスタミナが改善されているということだろうと思っている。これをいちいち確認することが習慣になっていて、悪くなっていたらどうしようとたびたび頭によぎる。一日一日で見れば悪い日もたくさんある。実際悪くなってたとして練習メニューをそこまで大きく変えることはないだろうから、計算をし直すたびに自分がみみっちくて嫌になる。つまりオレは自分が正しい努力を積めているのか不安で仕方ないのだ。しばしば宮城と喧嘩になるのもこのせいだろうなと思う。あいつにもきっと似たような不安があって、それは部全体に対するものも含むから尚更引いたりできないだろう。わかってる。積んできた足場に不安があったら思いっきり飛ぶことはできない。よくわかってる。
気づくと体育館にはオレが使っているところ以外片付けが始まっていて、安田からもそろそろ施錠ですと声をかけられる。あと10分くらいくれねえ?と聞けば、ダメですダメです今日暑かったんだからとっとと帰って休みましょうと取り付く島もない。鍵当番のローテーションにオレは含まれていなくて、以前理由を聞きに行ったら彩子は泊りかねないじゃないですか体育館を私物化しちゃうと困るんですよセコムが来ちゃう、流川とか桜木花道も入ってないでしょと当番表をぱらぱら振って見せた。流石にあいつらよりは規律と外面を気にできるつもりでいるが、信頼してくれとは請えない。まだ。三井先輩はちゃんとオーバーワークにならないように気にしてくださいねと釘を刺されてすごすご退散した。
バッシュから下履きに履き替えて部室まで行く。日はとっくに落ちて、通る風は汗を冷やした。風邪ひきたくねえ。南京錠は確かに安田の手で掛けられる。ロッカーの上履きはまだ少し日中の温度が残っているような気がした。テーピングも溶けかねないような暑さだった。
夜、寝つきの悪さを残暑のせいにして水でも飲もうと階下に降りれば、同じことを考えていたであろう母親と遭遇した。母親は黙って台所に行き、すぐに戻ってくるとその手にはカップのアイスが2つあった。デカさが売りのやつだ。お父さんには内緒ねと言われるままにダイニングテーブルに座って食べる。全然知らなかったなこんなのがあるの。というか母親がこんなことしてること。多分オレにも秘密のつもりだったろ。ごく小さい音でテレビをつける仕草が手慣れていたように思う。特に喋ることもなく、黙々と食べ進める。深夜に食べるにはサイズがちょっと過剰だと思いながらも完食した。空になったカップをゴミ箱に捨てようとすると、そっちじゃなくてキッチンのゴミ袋に捨てるようにと言われる。お父さん仲間はずれにしちゃったの気づいたら寂しいでしょ。そうかもしれない。内臓から冷えたのかベットの上で暑さはあまり気にならなかった。
今日は晴れだ。昨日よりはマシといえど、暑いか涼しいかでいえば暑い。HR前に昼は進路相談に行ってくると言えば徳男は力の入った顔でがんばれと言った。頑張りどころがあるのかすら謎だが、おうと返事をしておいた。いざ昼になってスタスタと歩き出したクラスメイトについて行った先は体育準備室だった。
7つの怪談みたいなやつってうちにもあんのかなと聞けば普通七不思議って言いませんかと返ってきた。そうだそれそれ。あれってなんかバスケがらみのやつあったよな。確か。道半ばで死んだバスケ少年が夜な夜な一人でバスケするみたいなやつ。宮城は眉間にぎゅうとシワを寄せてオレその話まじで嫌だわと言う。オレがしたいのは世間話だったから、そーかよと頷いて別の話題を考えようとすると、怖いから嫌とかじゃなくて、と続いた。せっかくやんなら倉庫のボールもなんでも使っていいからさ、ちょっとでも、他のやつとか呼んでさ。声はだんだんボリュームを落として最後なんかほとんど囁き声だったが、オレはなかなか感動してデカい声が出た。宮城お前めちゃくちゃいいやつだな!一応褒め言葉ではあるつもりだが宮城はさらに顔をしかめてハーヤダヤダとため息をついてスクイズボトルを戻しに行った。あーあ。真夜中、照明も落ちた体育館で一人でやるバスケを想像する。どっちにしろ一人じゃあんまりいろんなバリエーションの練習はできないよな。時間は無限に使い放題だろうに。勿体ねえ。シュート練習はできるか。
追記
これマジどうにもなんなくて⋯陰湿だし⋯辛さがある 供養供養!