落ちれば椿

 ぱら、ぱら。

 柔軟剤を変えたらあまりにも強く金木犀の香りだった、というのがここまで散々他の話題に寄り道をしながら耳郎と芦戸が話していたことの要約だ。
「別に悪いことなくない?」
「道行く人に振り返られるレベルはあんま良くないでしょ」
「あーそれは確かに。嗅覚鋭いとクるって聞いたことあるかも」
「でしょ」
「でも振り返られるのは普通にイヤホン=ジャックを知ってるからじゃん」
 窓の外を絶え間なく確認しながら話は続く。
「ウチ索敵と探索メインだしそんな顔知られてないって」
「文化祭三年連続オンステージガールがなにを仰いますやら」
「あーそう言われると……そうか、え、照れてきた」
「気付くでしょ!さらに金木犀の香りの」
「ウウー、それだよそれ、問題は。使いきるまでどれくらいかかるんだあ……?」
「捨てちまえば」
「それはなんかさあ。あーでも匂いで具合悪くなったりさせたらまずいな……」
 ヒーローコスチュームは大抵事務所のランドリールームかクリーニングだったりするから耳郎の言う「嫌な匂いではないが凄まじい」金木犀の匂いの気配はない。モニターから声がして準備段階を尋ねられる。そんなのとっくに終わってる。おしゃべりしてるだけの時間があるくらいだ。
「別動C班オーライ!」
 芦戸がハキハキとインカムに返事をする。メインからトップクラスに離れた場所で、今回の任務詳細は逃げてきた敵のいち早い察知と捕縛だ。メインの現場も実力者揃いだからそうそう逃がさないだろうが、逃げる奴がいたらそれなりに地力があるだろうという予測で対敵制圧に長けた爆豪はここに配置されている。
 爆豪の個性は爆音を伴うから決して耳郎の個性とは相性がとびきり良いとは言えない訳だが、三年間の経験を経てそれなり以上の連携が出来る。芦戸は索敵要員の護衛には申し分ないし、いざというときに前線に立つことも出来る。耳郎の戦闘力もヒーロー一人分には十二分に足りる。正直任せられたことに対して戦力が過剰だ。わざわざこの三人で纏められているのは、まあ完全に同期選抜だ。
 例の大きな戦いによって学生生活のリズムが大いに乱された世代は、その事を上司やら何やらから気にされているらしく、そういうチームアップも少なくない。その分濃かったから足りなかったとは同期の誰ひとりとして思っていないだろうが。いつかの春に麗日がジーニアスを訪れていたのもチームアップの後だった。連携は確かに取りやすくあるが、同じメンツばかりというのはどうなんだ、という意見に対して、例えば爆豪の上司は、今のうちだけだよ、と笑ってみせた。確かに後輩が入れば話は変わってくるだろう。
 ミッション前の少しの高揚感を持て余しつつ時間を待つ。今日に関しては爆豪の出番は無い方がいいのだ。そういわれてもただの待機ではそう成果にもならない。来てみろと言う気持ちが沸々と浮かんでは弾ける。耳郎が少し呆れている気配がする。
「待機時間もそろそろ終わりだろ」
 通信が入ったのはそう言った直後だった。
 一言で言ってしまえば少々目算がずれていたということだけで、ミッションが大崩れするようなものではなかったが、大変優秀なセンサー役たる耳郎が通信先の違和感に気がついたからには動かない理由がない。見知った二人を抱えて飛んで移動するのは怯える要救助者を抱えるよりはよっぽど楽だった。芦戸に至っては飛ぶのは多少のアトラクション感覚でいたようにも見える。
 飛んだ先で会敵した相手を蹴散らしまとめて拘束しておく。さして苦戦することもなく、メインのカバー役としての仕事は十分に果たした。捕り漏らした相手なども確認されていない。
「おーつかれぃ」
「こんなもんか?」
「まあ長期ミッションの第一段階はまだまだ浅瀬でしょ」
 今後拘束時間が長くなるならそれなりの歯応えがあって欲しいものだなと考えれば、どうにもそれが気付かれている雰囲気がある。
「すんなり終わればそれ以上ないんだからね」
「わかってるっつーの」
 終わりがけの擦り合わせ兼ミーティングはそれなりの時間がかかった。爆豪たち別動C班の動きはどうやらファインプレーの扱いになるようだ。
「迅速な対応感謝する。連携も素晴らしいもんだな」
「ありがとうございます」
「次回も同じチーム分けで行く予定だ。よろしく」
 三人それぞれ了解、と答えた声は面白いくらいに揃っていた。
 ミーティングが終わったあと芦戸から今週の予定を聞かれる。オフ日がないわけじゃないが当たり前に日程が合わない。
「だいたい中身は何だよ」
「親睦を深めるんだよ。ミッション成功のカギじゃん」
「もう十分深まっとるだろ。三年間で」
「うわ爆豪のデレだ。貴重……!」
「ああ?」
「いいじゃんかー、両手に花じゃん。喜びなよ」
「テメーら花扱いされて満足なんか」
「満足はしないけど爆豪のする花扱いにはウチも興味はあるな」
「やってみてよ。ね、ね? いいじゃん減るもんじゃないし」
「減るわ」
「何があ」
「俺の……優しさ?」
「優しさって筋肉だよ。使って鍛えよ?」
「あーもう行けばいいんだろ行けば!」
「粘り勝ちだね」
「大勝利!」
 そんなこんなで食事の席を設けられた。待ち合わせは店内だ。芦戸の予約した中華料理店は個室で品もある。顔の売れている人間が外食するにはなるほどよさそうだ。予定が合わないからなかなか大人数で集まることはないが、この手の場を構えさせる事においては、芦戸と上鳴は同窓の中でも図抜けて上手い。もう少し真剣な話をすることをやるなら任せやすいのが委員長で、得手が上手く分かれている。
 業務で少し遅れた。先に食べてていいと送っておいたが漏れ聞こえる声はすでになかなか盛り上がっており、微妙に入りにくい。おーす、と言いながら入れば来た来たァ! とふたりともこちらを向く。女は二人でも姦しい。まあ男女差というわけでもない。例えば切島は一人でもとんでもない音量が出る。
 何か甘い香りがしてくん、と嗅げば、それを見た二人が笑い始めた。
「ほらやっぱヤバいんだって」
「まだそうと決まったわけじゃないじゃん。香辛料に反応したのかも。爆豪、なんの匂いした?」
「なんか甘い……あーこれテメーの柔軟剤かよ」
「そーだね、気づくよねぇ」
「もう結構料理の匂い充満してんのにね!」
「香害って言われたら返す言葉がない。やっぱ残りは捨てるかな」
 芦戸のおすすめの柔軟剤を耳郎が聞いている間に注文をする。
「ちょい待って激辛チョイスした?」
「当然」
「ウチらにも空気越しにダメージくるやつじゃん」
「金木犀の香りと相殺したるわ」
「辛さって痛みなのに!」
 ギャイギャイ若者らしく盛り上がりながら腹がくちくなるまでさんざ飲み食いした。少し遅れてきたのもあるが、時間が経つのはあっという間だった。
 三人が引き続き関わるミッションは長引く予定で、年明けまで予定を埋められている。相手たる敵団体の根が深く、それだけの準備をして最終的に一網打尽にすべきという展望だ。しち面倒くさいが仕方がない。この前の作戦で得られた情報曰く想定以上に規模が大きかったようだ。爆豪はまたしばらく芦戸と耳郎と顔を合わせることになるし、場合によっては同期がもう数人動員されることだってあるだろう。珍しいことでもない。
 翌日。長期の特殊任務にアサインされているから日常業務がなくなるというわけでもなく、爆豪はパトロールに出た。
 ふと風が吹いた。もう温度は冷たい風だ。
 ぱら。
 耳郎がいるのかと思った。何か昨日伝え忘れたことでもあったのかと。振り返るとそこにあるのは一本の金木犀の樹だった。
 知っている匂いを嗅いで連想が走ったらしい。プルースト効果だかなんだかだ。案外例の柔軟剤は香りの再現度合いが高いらしい。風がもう一度吹いて、ぱら、とまた花が落ちた。
 足元に散りばめられたオレンジ色の小さな花たちを見て、これは持ち帰れないな、と爆豪は思う。
 なるべく強く踏まないようにしながら樹の横を通り抜けた。風が吹いて雨でも降ればなくなってしまうだろう。それより先に誰かが片付けるかもしれない。今はまだ鮮やかなオレンジもやがて褪せていくだろう。
 惜しいようにも思うが思うだけだ。花は落ち行くものだ。そうしないうちに冬が来るだろう。
 事務所に戻る。長期ミッションの件で送られてきていた情報を確認していたら夜になっていた。
 パトロールから帰ってきたベストジーニストに早く帰れと追い立てられる。言い返したいところだがそうもいかない。
「急いては事を仕損じる。余裕を持つことだ」
 しぶしぶ帰り支度をしているとベストジーニストが言った。
「ポプリの礼にいいことを教えてやる。大通りをずっと行ったところのレンガ造りの前を東に曲がると、金木犀の香りが見事だ」
「今朝パトロールでそこ通った」
「おや。知っていたか。ついさっきも覗いたが、散っていたから香りを楽しめるのもあと少しかな」
 花が落ちていたから一つ拾って見たんだ、と手のひらの上に乗ったオレンジはやっぱりずいぶんと小さい。拾ったのか、あれを。まじまじと見つめる。大きな掌のなかで星のようだった。爆豪はふと問いかけた。
「……あんたあのポプリどうしたんだ?」
「本棚に置いてある」
 思わず黙ると、説得するような声の調子で言ってくる。
「貰ったものっていうのはなかなか捨てにくいんだ。わかるか?」
「あんまり」
「嘘つき。ファンレターなんか無下にしないだろう」
 それとこれとは違うだろう、と言おうとして詰まった。違うのか? 何がだ? 黙っていると、重ねて言う。
「君に貰ったものだ。大事にするよ」
 ベストジーニストは柔らかく目尻を細めた。同時に何か甘い香りがして、ついに自分の頭がどうにかしたかと思えば、覚えのある香だった。金木犀だ。
 その場でその後何を話して帰ったかはよく覚えていない。耳郎がとっとと柔軟剤を変えていればいいと思う。
 嗅ぐ度に思い出してしまっては堪らない。


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