青はいつもうつくし

 春っていうのは毎年来る癖にいつもいつも一度きりの特別みたいな顔をしている。

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 少し前の話である。
 事務処理をして休憩がてらニュースに目を向ければ大・爆・殺・神ダイナマイトが画面に現れたので興味深く眺めた。またどうにも言動がピックアップされているようで、コメンテーターがそれぞれ賛否を言い出す。圧倒的に批判的な意見に偏ってはいる。一つどうにも耳に留まって、眉を顰めた。すぐに意識して普段の顔に戻す。髪型を変えてから、眉の表情はわかりやすくなっているはずだ。所員を萎縮させたらまずい、と考えるだけの余裕はあった。
 新しく建設されたヒーロー専用の訓練施設は、敵犯罪が縮小傾向になるにあたって、暇を持て余すとは言えずとも少し時間ができたヒーロー達が腕を鈍らせないように自分の上限をぶちかましても大丈夫な頑丈な施設だ。とんでもなく莫大な費用が投じられており、その要否にも大変な議論があったのだが、新人育成のための施設も先の崩壊でいくつかなくなったことを受けてどうにか可決された。この施設に裏の顔があることはまあなんとなく大抵のヒーローが感づいており、有事にはどこかのごとく要塞になるかそうでもなきゃ巨大ロボットになるんだろうな、というのが現時点でのベストジーニストの予想である。ジーニアスオフィスからはまあ遠いが行けない距離ではない。午後が半休だったので足を運べば、どこかで見た車が駐車場に停まっている。ああ、話題のあの男もいるらしい。少し浮き立つ自分の心に呆れながらフロントに挨拶をする。
 固く閉じられていた蕾が膨らんでいた。もうまもなく春らしい。
 訓練室に入れば、ダイナマイトはダミーロボット相手に一心不乱に大立ち回りを繰り広げていた。それを見て少々スカッとする自分に気が付く。苦笑した。ダイナマイトは十中八九炎上の憂さ晴らしだろう。この施設をおそらく最も有効活用しているヒーローの一人である。他にはデータ取得のためにアーマーを使いこなすデクだろうか。
 見つめていればダイナマイトは袴田に気がついた。ぐんと加速し、こちらに近づいてくる。着地は静かで、これを意外に感じない程度には袴田は爆豪のことを知っている。
「やあ、大・爆・殺・神ダイナマイト」
「見てねえでやれば」
「見ていたらここにきた目的の八割が達成してしまってね」
「訓練施設だろがここは」
「お前だって憂さ晴らしに来たくせに」
 爆豪ははん、と笑った。
「憂さはらしィ? とっととナンバーワンになってあいつら全員黙らせてやろうと思って訓練に励んでんだよ」
「それは楽しみだ。実はお前にチャートで越されたら引退して後進育成にシフトしようかと思っていてな」
「じゃあ来期だな。準備急いどけよ」
「お前自分の今の順位知ってるか」
「うるっせえな! 知っとるわ!」
 爆豪が爆音を立てて舞い上がり、またダミーロボットに向かって右腕を振りかぶる。その瞬間室内の気象条件が変わる。吹き抜けた風を上手くいなして体勢を立て直すのを見て、近くのケーブルで妨害してやる。ああ!? と大声を出してこちらを睨め付けたと思うと、すぐに獰猛な笑みを浮かべて仮想敵に向かっている。巡らせたケーブルにはっきりと苛立った顔をしたので笑った。とはいえこの会場条件なら爆豪にはさしたる不利ではないだろう。すぐに辺りを叩きのめして、ぐうっと伸びをした。
「あんたとサシで叩き合ってみてえ」
「それは光栄だ」
 すこしスッキリとした表情に見えて安心する。だからこれは余計なお世話だった。
「きみのヒーロー性は確固たるものだと思う。私はそれを信頼している」
 唐突に伝えたその言葉が今朝のニュースでダイナマイトに対して言われていた『ダイナマイトのあり方はヒーロー性への冒涜だ』というコメントについての言葉だとすぐに気がついたらしい。眉間に皺を寄せて見せたと思ったら、獰猛に笑う。
「俺に冒涜される『ヒーロー性』なんてそこまでだろ。ありがたがるような価値もねえ」
 その挑発的な表情に少しだけ見惚れた。目をそらす。
「お前が模範的に『ヒーローらしい』ヒーローだったらな」
「もしそうだったらどうせあんたつまんねえとか言うだろ!」
 ヒーローらしいヒーローのことは好きだ。とても好きだ。敬愛している。それでもベストジーニストは大・爆・殺・神ダイナマイトというヒーローを知ってしまっているから、想像すると爆豪の言う通りで、笑って答えた。
「お前は本当に面白いよ」

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 年齢のせいか時がたつのが早い。
 サマーコレクションのフライヤーを眺めながら、もう春か、と考えた。先週の柔らかい春の雨で桜は散りきって、そういえば事務所近くの花壇も雑草が繁茂し始めたし、ダイナマイトはいきいきし始めた。春だ。ダイナマイトは冬に戦闘力が落ちるとかそう言ったことはないが、何割か増しで不機嫌そうになる。それが鳴りを潜めて、あちらそちらを縦横無尽に暴れ回っている。運動量は間違いなく増えている。体が軽そうだ。
 相変わらずチャートの順位は安定しないが、熱狂的なファンと熱狂的なアンチである種の平衡が保たれているようにも見える。飛び回るには少し暑いのだろう。休憩にすると決めたようで隣に舞い降りてきた。ペットボトルを一瞬で干す。
「ダイナマイト、君、スポーツドリンクのコマーシャルの話とかこないのか」
「……急に何」
「見ていて気持ちがいい飲みっぷりだと思って」
「来たことねえし来ても受けねえ。専属契約遵守できねえだろ。どの現場でも同じメーカーのやつ置いとけっていうわけにいかねえだろうが」
「ああ。でもその辺りは案外融通がきくことがある。事務所の備蓄として扱うだけで大丈夫だとかそういうこともできるらしい」
「ジーニアスはそうじゃなかったよな? 確か、なんか全部パッケージ青かった」
「うちは私監修のプライベートブランドを作っているから。別に他のもの食べたりしても違反にもならないようにしているし」
「暇かよ」
 暇ではないことをよく知っているだろうに手のかかる後輩はそう言って笑った。何かに気がついた様子で、立ち上がってまた駆け出す。短い休憩だったな、と眺めれば走る先にはダイナマイトの同期がいる。すぐに並の威力ではない爆破と電撃の応酬が始まった。大音量が空気を震わせてできた壁が二人の動きを一瞬止める。三人とも何か叫びながら楽しそうに笑っている。
 青春時代の出会いは永遠だ。まだ心の柔らかい時期に一緒に過ごした相手は、その柔らかさに跡をつけていく。跡はわざと壊そうとでもしない限り、時間が経っても、会わなくなっても、化石のように残る。彼らはいい出会いだったんだな、と思う。先達として、これ以上のものはないと思う。
 ところで、学生時代が遠い過去になっても、心に跡を残す出会いというものは発生する。
 ベストジーニストにとって、ダイナマイトはそれだった。正確に言えば、それになってしまった。それをこの春気がついた。
 プロヒーロー用に監修された訓練施設の中でベストジーニストはひとつため息をついた。スマートフォンを取り出してから、館内が通信機器使用禁止なことを思い出した。訓練室から退室し、受付に挨拶して建物を出る。新緑は削りたての色鉛筆の先みたいにはっきりと鮮やかだ。自分の車の中でようやく一息ついて、電話を掛けた。宛先はベストジーニストの青春時代をきっと最もよく知る後輩、エッジショットの私用携帯だ。もう時差はないが、業務中の可能性もある。三コールで出なかったら諦めようと呼び出し音を聞く。二コールで出た。
「もしもし。紙原か?」
『はい、お久しぶりです。会長。何かありましたか』
「いや。……いや、そうだな、相談事だ」
『おや。出ないほうが良かったですか?』
「まさか」
 観念して話し始める。

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 ベストジーニストにとってダイナマイトは、いや、爆豪勝己は言うならば面白い子供だった。初めて見てから指名を入れ、職場体験に至るまで、腕が鳴るな、とワクワクしたものだ。ひどく強情で、同時に繊細な野生動物のようなものだった。己がままならなくて一番苦しんでいたのも爆豪自身だったように思う。端から見ていた分には適当なことをいくらでも言える。本人の業とでもしか言えないような具合で、このプライドがあるかぎり、どれほど苦しい道でももがいて進むのだろうと思った。この子供がもがいて進む先が明るくあるように少し祈っていた部分だってある。
 爆豪が憑き物が落ちたような顔をするようになった。ここ半年のことだ。デクがヒーローに復帰して、業界には嬉しいざわめきが走った。教員としての業務に加えて合間合間でヒーロー活動を全うするのだから、全くとんでもないヒーローだと思う。あの世代の空気感も少しはしゃいだようになって盛り上がった。皆それぞれチャートやニュースでも名を聞く。そんななかで、ダイナマイトはほんの少しだけ――注視でもしていないとわからないくらいに――落ち着いた。
 それに袴田は驚いた。
 大・爆・殺・神ダイナマイトが、というより爆豪勝己という人間がそういった着地ができるということにまず驚き、次に自分がそんなことにまで気がつくほどずっと爆豪のことを見ていたことに驚いた。いや、見ていればわかる程度のことなのだ。別にベストジーニストだけが気がついたわけでもない。ダイナマイト最近イキイキしていますね、なんて世間話はヒーロー活動をやっている間に散々聞いた。あの自家中毒感から少し解放されたように見える。初めて会ったあの時からは革命的に周りのことが見えるようになっているし、そういう成長をしたことを知っていた。嬉しく思っていた。
 人が喋る時案外黙って言い終わるまで聞く子供だった。頭の回転は早くて、打てば響くようなところがあった。時折とんでもないハウリングじみたことが発生することもあった。自分が間違っている時があることを知っていた。万能感に酔っているような顔をして、自分の手では届かない相手がいることを心の底から知っていた。優しい子供ではなかった。厳しいと言うのも違うだろう。もっと理不尽だった。狭い世界の中で叫ぶように息をしていた。ひどく幼いところを秀でたところでカバーしようとするし、それが概ねできてしまう子供だった。
 袴田の知る爆豪は子供だった。どれだけ頼れるヒーローであっても。いつからか、その枠からはみ出ていたらしい。彼は彼の広がった世界を、自分の足で歩いて、その両手で飛べるようになっていた。大人になった。
 それを袴田は知ったから、改めてフラットに爆豪を見つめようと思った。そう見ると、眩しくて少し目が眩むような気持ちがあった。何をしても賛否両論を呼ぶような極端なヒーローだが、彼はずっとヒーローで、それはどうにも、興味深い。
 ナチュラルボーンヒーロー、と言う言葉がある。ヒーロー免許の有無とは関係ない、オールマイトなんかによく使われていた言葉だ。エンデヴァーが歪んだ原因の一つでもあったろうと思う。袴田はそれではない。袴田が緊急事態に迷いなく動き出せるのはそのための訓練を積んだからだし、要救助者を安心させることができるのはそのやり方を知っているからだし、誰かを助けたいと思うのは自分がいつか助けられたことに対する恩返しと、そういう自分になりたくて、そういう自分で在りたいからだ。そうありたいと思わずともそれ以前にそうあれるヒーローをナチュラルボーンヒーローと呼ぶのだろうと思う。袴田はそうではないし、そこに劣等感を感じたことも特にない。袴田はベストジーニストと言うヒーローの在り方が大層好きだし、例えばモテたいからと言う理由でヒーロー免許を取得したような若手のことも好きだ。動機がなんであろうとも、ヒーローらしい振る舞いをした時、そこにヒーロー性は宿る。それは自然とか天然でなくとも、間違いのなく、ヒーロー性である。どちらだって出力されたものが変わらないならそこに貴賎はない。元々持ち合わせて生まれたから尊いということもなければ、努力の果てに獲得したから偉いということもない。デニムのヒゲを履き慣らして作るかヤスリなどで加工して作るかみたいなことだ。できた形が似合うかどうか、好みかどうか、それが問題だ。結果が全て、のようなものだ。
 大・爆・殺・神ダイナマイトのヒーロー性というやつはピーキーで、職業ヒーローとしての遵法意識は高いし成果はケチのつけようがないものをお出ししてくる割に、全てを台無しにする程度には態度が悪い。そもそも性格が悪いのだが、それを取り繕おうともしない。ヒーローというものを想像した時に浮かぶ像から遥かに離れて攻撃的だ。敵に対しても、ヒーローに対しても、市民に対しても、ほとんど当たりが変わらない。それをいいとは思わないが、ある種フラットですらある。誤解のないよう重ねて言うが、いいとは思わない。
 あれが素そのものではないのだろうが、生活の中で習慣的に身についた振る舞いであることは疑いようもない。ヒーローとしてナチュラルボーンというわけじゃなく、生まれてきた自分の進んできた照準をそのままヒーローにあわせて驀進している。そう思い至って、思わず笑う。だって面白い。別にヒーローじゃなくたって大成しただろうけど、かの男はヒーローだ。ヒーローを選んだ。ヒーローになった。きっとこれからもヒーローであるだろう。彼のままで。
 面白い子供は面白い男になった。爆豪と大・爆・殺・神ダイナマイトは袴田とベストジーニストよりも密接に撹拌されて紐づいている。よくやるな、というのが一番シンプルな感想だ。こんな面白い男そういない。
 どうやったって人間が人間を見るには視線に少しの雑味が混ざる。混ざった色は憧れにも似ていて、しかし袴田はヒーローだったら一番ベストジーニストが好きだ。あの在り方に憧れはしない。だからつまり。ヒーローとしてじゃなかったら。そう思ったところで思考を止めた。寝よう。
 それに触れれば、見て見ぬ振りはできなくなる。

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 全くもって春である。空はほんのりと霞んで見える。空気は柔らかく湿っていて、暖かい。スギ花粉の時期が過ぎたのでようやっと窓を全開にして朝を迎えられるようになった。日差しの持つ温度は少しずつ攻撃的になっている気がする。日焼け止めの残りが少なくなってきたな、と思い出した。袴田はいつ何が起きても問題ないように服の下にも丁寧に日焼け止めや虫除けを塗っておく派だ。夏なんかは流れる汗でさほど意味を無くしているだろうけど。天気予報に曰く、雨は降らなそうだ。かのヒーローもやりやすいだろう。
 暖かい日差しを浴びながら朝食を摂り、袴田はようやっと認めた。なんていったって春だった。
 袴田維は爆豪勝己のことを憎からず思っている。
 婉曲表現なのはこう……愛嬌である。そわそわと落ち着かない気持ちが走る。何年振りだろうか。初めてではない。だがこんな馬鹿みたいな浮かれてぽよんぽよん跳ねる気持ちに久しく縁がなかったのは確かだ。ふうと息を吐く。ため息だったのかもしれない。
 出勤すればいつもの通りハキハキとした挨拶がサイドキックから返ってきて、満足を覚えて一つ頷く。この春久しぶりに採用したサイドキックもまだ緊張した面持ちだが少しずつ慣れてきている。いつかの跳ねっ返りを採用した時はこんなものじゃなかったな、と思い出して含み笑いをした。信じられない方面からスタートダッシュから炎上まっしぐらだった。あの男のせいで新人研修マニュアルブックは従来の六倍の厚みになった。と、思ったところで、ハッと周りを見回した。誰にも気が付かれてはいない、ようだ。所長がこれでは締まるものも締まらないだろう。少し長い瞬きをして、目を開ける。今日もピッチリ進行でいこう。

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 ベストジーニストは大・爆・殺・神ダイナマイトのことが好きで袴田維は爆豪勝己のことが好きなようだった。この気持ちを擦り切れるまで持っていようと思った。紙原にだけ曖昧に伝えれば、応援のようなことを言われる。あいつはなんてったって忍者だから適当に言いふらすようなことはしない。慕情なんて、曖昧なエネルギーにして胸の中で燃やしておくのが一番いい。
 ベストジーニストは大人だった。勢いのままに飛び込んでいけるような若さはすでに少し遠くにあった。自分の春を慈しんで過ぎ去るのを待とうと思っていた。
 だから何も起こらない、はずだった。

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 ところで大・爆・殺・神ダイナマイトというヒーローはベストジーニストのことが好きで、爆豪勝己という人間は袴田維のことが好きだった。恋とか愛とかそういうものとして。

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 爆豪はずっと目標に向かって走ってきた。誰かがそれを贖罪と言ったが、そんな殊勝なものではなかった。もっと自己中心的で、勢い任せで、必死に望んでいた、そういうものだった。かくして幼馴染を再びヒーローとしての舞台に立たせることに成功した。結局メインの仕事は教職だと言うから、達成率百パーセントというわけにはいかなかったが、あの日損なわせたと思ったものを、また手に取れる範囲まで持ってくることができた。満足はしていないが、人心地ついた。それまで走ってきた道を振り返れば、意外なくらいたくさんの顔ぶれがあって、道はどこへでも続いていた。車を買った。どこにでもいけると思った。
 ヒーローとひとくちに言ってもいろんなあり方があるようになった。チャートの仕組みも変わった。走って走って通り過ぎた景色がこんな色をしているのだなとまじまじと辺りを見つめた。なりたいものは変わらなかった。オールマイトをも超える、ナンバーワンヒーロー。ナンバーワンの意味も憧れたあの日とはずっと変わっているはずだけど、爆豪はいちばんのヒーローになりたかった。そしてすでにひとりのヒーローだった。ナンバーワンヒーローへの道も、遠くともあるのだと思った。信じた。柄にもなく。買ったばかりの車で色々なところに行った。他人を乗せもした。自分の原点が憧れのあの姿なら、今の自分の基礎はあの高校時代にできたのだと思う。同期は会うたびに変わっていて、それでいてずっとあの時のままだった。先生はたまに会うと相変わらずだなと笑った。生徒として関わっていた時より、間に流れる空気は緩やかだった。先輩たちとの間に流れる空気は少しだけシビアになっていて、それはなんだか心地が良かった。命の恩人はなぜだかずっと自分のことを立ててくれていて、それが嬉しかった。
 なんだかんだ世話になった年上のヒーローのことを考えた。きっと爆豪の世界を広げる、その一番初めの一歩はあの言葉だった。爆豪の世界は広くなった。そして自分が見えるよりも世界はさらに広いのだと思った。美しいとは思わないけど、走って行く先は眩しくもなんともないかもしれないけど、それでも爆豪はそれが欲しいと思う。思うようになった。
 一歩進んで見回すと、自分の進むだろう方向に、かのヒーローは見えた。自分は少なくともここから二十年はヒーローができる。そう思った。二十年あれば世界は変わるだろう。ヒーローというあり方も変わるだろう。今自分の進む先は、どこまでも続き、頂は見えない。それでも、今、ヒーローという道を自分は選べる。
 息を整えながらその道を進んでいく。ベストジーニストに名前を呼ばれた。この世で一つのヒーローネームだ。この名前で呼ばれた時、俺はヒーローとしてそこにいる。

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 もはや慣れっこではあるのだが、カメラ前での言動について炎上した。そろそろ落ち着けよとあらゆる知り合いから声をかけられるが、声を荒げずに伝えようとしても大抵相手は聞きやしない。緊急事態になりふり構っていられないだろうと思って、いまだに態度は変えていない。ニュースを眺めていたらボロクソ言われていた。なんでも先人の積み重ねてきた『ヒーロー』というイメージへの冒涜だとか。目の前にいたら言い返していただろうが液晶越しである。どうでもいいっちゃどうでもいいけどイラつくことも確かだ。ヒーロー像もそれぞれであり、爆豪のそれがかなり極端なものだということは流石に身に染みて知っていた。だからって合わせてやろうとは思わない。爆豪には爆豪の目指すいちばんかっこいいヒーロー像がある。大事をとってオフにして、考える暇が無くなるまで訓練場でひたすら身体を動かした。
 誰かの気配があるなと思ったらベストジーニストが見ていた。声をかけると向こうはケーブルを操作する。じゃれあいみたいな技の応酬をした。ここの用意じゃベストジーニストのベストは見られないだろう。
「あんたとサシで叩き合ってみてえ」
「それは光栄だ」
 本気で相手になってくれるつもりはなさそうで、少しつまらないなと思う。じゃあ何しにきたんだと思えば、ベストジーニストは言った。
「きみのヒーロー性は確固たるものだと思う。私はそれを信頼している」
 フーン、と思った。この男の中で爆豪ははっきりとヒーローらしい。いくつかやり取りをして別れたが、その後も反芻していた。気分は少し上を向いた。
 一つわかった。俺は、大・爆・殺・神ダイナマイトは、ベストジーニストのことが好きらしい。
 自分はなかなか趣味がいいじゃないかと思った。

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 そうやってわかったことを応用していけば爆豪勝己という人間はベストジーニストというヒーローとそれを成立させる袴田維という人間のことが好きなのだとわかった。何せ自分の基盤を作った相手のひとりだ。人間の中で特別枠でもなんらおかしくないだろう。
 外はもう春爛漫といった様子である。

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 拠点だとか個性の相性にもよるが、ヒーロー間のつながりは案外密にあるものだ。ヒーローには対人コミュニケーションが得意なやつが多いので、大抵人間関係は広い。爆豪は例外だが、人の顔を覚えるの早いしなんて言ったって性格が悪いので、性悪説的な視点を持つものとして案外重宝されていたりする。火力についてはこの上ないから、大規模な作戦なんかなら呼ばれることの方が多い。というわけで、ベストジーニストは自分の恋心を認知してからさほど間を置かないうちにダイナマイトと顔を合わせていた。
 目的は詐欺グループの摘発で、その場にはヒーローと警察官が一対一くらいの比率で居た。組織的に行われているらしい。万が一の暴力沙汰ならトップクラスということでダイナマイトも招集されたのだろう。ヒーローはあらゆる方面の事件に首をつっこむスーパーお節介職業である。特殊詐欺被害防止の啓発のために集められた人当たりの良いヒーローたちと、荒事を見越して招集されたのであろうヒーローたちの座る席とで交わされる雑談の治安が違った。ベストジーニストは大体中間あたりに座っていた。
 一通りミーティングが終わったところでダイナマイトがベストジーニストの元に近づいてきた。隣の席を開ける。どっかり座り込んで、一つ言葉を放った。
「あんた恋人とかいんの」
「……居ないよ、今は」
 一瞬何が起きたのか分からなかった。自分の声が震えたり裏返ったりしなかったことは奇跡と言っていい。三十年弱『ベストジーニスト』としてあろうと思って身につけてきたことの集大成かもしれない。ベストジーニストは後輩に急に恋人の有無を聞かれても狼狽えない。そうかな? と思う頭の一部を無理やり押し込めて言う。
「それがどうかしたか」
「んーや。そいや私用の番号って変わったか」
「変えていないが」
「ならいーや」
 かくしてダイナマイトは去っていった。ベストジーニストはしばらく動かなかった。動けなかった。
 ベストジーニストは他人の好意にも敵意にも気がつく方である。元々の素質というよりはヒーローとして培われた部分だ。その好意センサーとも言える部分がささやく。ダイナマイトは私のことがそういう意味で好きみたいだな。頭の片隅では別の部分がロマンス詐欺だあと叫んでいた。そうだとしたらこの会場で仕掛けてくるダイナマイトは肝が座り過ぎている。確かにダイナマイトは肝が座り過ぎているのでやるとしたら場所を問わずやると思う。いやダイナマイトはやらないだろロマンス詐欺。不惑を過ぎてはや数年、ベストジーニストはひどい困惑の中にいた。
 ひとまず席を立つ。事務所に戻ったら、ロマンス詐欺の手口各種をあらためて確認してみようと思う。外では春の風で青々とした樹々がわさわさと揺れていた。

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 大捕物になった。詐欺グループ、というのは一面に過ぎず、誘拐され監禁された若者が必死でノルマとして他人から金品を騙し取っていた。ロマンス詐欺もあった。この間調べたところだ、とぼんやり考えた。指示役と見られる人間の指示役と見られる人間の指示役と見られる人間まで辿ればそこそこ大きな企業の幹部が出てきたし、違法薬物のやり取りなんかも見つかった。ヒーローのあり方が変わって、敵と呼ばれる個性犯罪者についても色々あったが、個性由来ではなく悪辣な犯罪組織というものは変わらなく存在したりする。もちろん個々で各々の持つ個性を使用してそれぞれの目的を果たそうとしているから、個性が関係ないわけではないのだが。一斉検挙のために全国各地でヒーローが動いていて、ホークスは今面倒ごとを必死で捌いているんだろうな、と地下で片っ端から捕縛して持ち物を検めながら思った。いけない、想像の十倍くらい人数がいたため作業感が出てきて、ちょっと別のことを考えてしまった。集中しなければ。ベストジーニストの含まれるC8班(CはキャプチャーのCだ。全部で十二班ある)は至って順調に終わりそうである。近場でどこか援護が必要か聞けば、対敵制圧担当S4班に人手が欲しいというので、向かうことにする。ダイナマイトはS1班だったな、と考えた。わざわざ覚えていたことが、どうにも気恥ずかしい。急ぐことにする。
 一日中夜をかけて一件は落着ということになった。これから後始末やメディア対応だ。そう思って仮眠をとって起きたら大・爆・殺・神ダイナマイトが炎上していた。もはや器用だと思う。ダイナマイトの暴言にはずっと見ていれば否応なしにやや慣れるのだが、毎度フレッシュに聞いたことがなくてひどい言葉をマスコミに提供している。今回はどうも一般市民がスマートフォンにて違法薬物によって姿を劇的に変えられた若者を映していたところを閃光で制圧したらしい。それじゃあ一月は謹慎処分が下りるだろうな、と思う。時間的に作戦後のことだろう。S1班は相手の人数も多く激戦だったと聞いていたが、そんな余力を残していたとは相変わらず活きが良い。それにしても珍しいな、と思う。あの男はあれでみみっちいから、処分が下るほどのことはなかなかない。ホークスに作戦後の話を振ろうと連絡を取ると、ダイナマイトの影響でメディア対応にちょっと余裕ができましたと笑う。本人については、まあ短期の活動停止処分でしょうね、有事なら呼んでしまうかもしれませんが、などという。仕事増やしやがって、という声が少し笑っていた。不謹慎な男だなと思う。
 爆豪にメッセージを送った。迷い迷った末に結局、お疲れ様、とだけ。
 返信はすぐだった。
『あんた直近のオフいつ? 夜だけ空いてりゃ良いんだけど』

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 最高気温が二十五度を超える日は夏日となる。夏日があっても春は春だ。春風っていうのは字面よりも荒っぽい風だよなといつも思う。待ち合わせたのは個室のある居酒屋だった。一対一で飲むのはもしかして初めてかもな、と思いつつ、烏龍茶を頼む。爆豪はハイボールを飲んでいるようだった。酒を飲むところを初めて見た。
「今日は暑いな」
「今日ニュースマジで天気の話とルミリオンの話しかしねえ。他にねえんか」
 スマートフォンをすいすいとなぞりながら爆豪が言う。
「まあ今日はルミリオンの日だろう。あれだけ活躍したんだから。ところでお前は? 謹慎じゃないのか」
「ヒーロー活動停止だよ。ほか特に制限ねえもん。長えオフと一緒」
「反省をしろ」
 爆豪はうざったそうに目を逸らす。
「お前もう良い歳だろう」
「じゃああんたよっぽどのジジイだよ」
「私も良い歳なのにお前がまたチャートを落とすから私の引退がまた遠のくなあ」
「引退のタイミングくらい自分で決めろよ。まだ引く気ないくせに」
 言われてしまうと事実なので少し黙る。まだ、ベストジーニストとしてやれることはあるだろうと思うし、できると思う。話を変えよう。
「いつもは謹慎まで喰らうような下手を打たないじゃないか。なんでそんなことをしたんだ」
「あんた説教に来た?」
「説教するべきかなとも思うが、お前も大人だしな、自分で顧みてくれ。これは下世話な興味だ」
 爆豪は少し考えてから話し始めた。曰く、この間の件で取り沙汰された中には被ると一時的ではあるが強制的に姿を変える薬品と言うのがあって、それをやけになって被った奴がいたらしい。姿は変わった。強そうに、厳しく、例えるなら、怪獣、のような。日中外でのことだったから、それを野次馬的に通りがかりが撮影しようとしたと言う。
「姿を変えるったって身体的特徴の誇張みたいなもんだった。別にそのぐらいのコワモテはいるだろうなって感じ。でも『変身』したらそれは、別物みたいに見られるだろう。あの映像が出回れば、『変身後』だと見られるような奴だっているだろ。そうしたら例えば障子がやってきたようなことがまた後退する。そしたらカワイソーだろが。見た目がいかつくなっただけで一瞬で俺にのされるようなやつとただの野次馬のせいであいつがやってきたことが邪魔されるのなんてつまんねえ」
 少し黙った。爆豪は同期の活躍を案外ちゃんと見ている。これを他のやり方で解決できればよかったのに、と思ったがすぐに思いつかなかった。きっと爆豪もそうだったんだろう。最善かはともかく、最速で想定される風評被害を防いだ、と言える。これを皆が知れば、と思うがダイナマイトは自分を盛り立てるようなことをするタイプでもない。ついてきたけりゃ勝手に来い、とでも言いそうなタイプだ。自分が後輩だったらダイナマイトというヒーローはどう見えるだろうな、と思う。案外簡単に、憧れてしまうかも知れない。
「ヒーローだな。褒めてやろうか」
「いらねー。なんかよくわかんねぇけど今週週間ランクちょっと上がったし」
 週間ランクというのはチャートでなく、非公式で大手サイトで行われているヒーロー人気ランキングのことだ。一日一人一票投票することができる。規模がそれなりに大きいのと、リアルタイムで変動するので、公式ではないだけでランキングとして扱われることも多い。爆豪も見るんだな、と思って少し笑った。ランキングが復調したのはわかる人はわかっている、と言うわけではなく、炎上でひどく下がったものがおとなしくしていることで少し落ち着いた結果だ。基本的に人気のあるヒーローなのだ。熱烈なアンチがいるのと暴君な言動が怖がられたり苦言を呈されたりするタイプなので、出番が増えると順位は安定しなくなる。
 サイトを開いて確認してみる。大体公式のチャートと似通っている。
「あんたも見んの? こういうの」
「好かれていたら嬉しいだろ」
「そーいう感じかねえ」
「今日はルミリオンが大差をつけて圧倒的な一位だ」
「んーそりゃなあ。ほとんどスーパーマンだったじゃん先輩」
「ダイナマイトに一票入れておこうかな」
 爆豪の話を聞いて少し嬉しくなった心のままに一つタップすれば、投票完了! とポップな文字が浮かんだ。それを見て呆れた顔をした爆豪が言う。
「あんた俺のこと好きなの?」

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 黙った。思わず。躱しようはいくらでもあったろうけど、咄嗟に思考が止まった。爆豪の前で思考を止めて隙を見せるなど、致命的な挙動である。
「そーなんだ?」
「まだ何も言ってないだろ」
「じゃあ言えよ好きですって」
「好きって言ったら好きってことになるだろう?」
 子供同士みたいな会話だ。
「言わなくてもあるもんはあるだろ。嫌いじゃねえんだろ」
 好きなんだろ、と笑う。笑うのか、と見てしまった。
「言葉は否応なしに輪郭を作るから、」
「からァ?」
「軽率には言えない……」
 もう認めているのと一緒だ。それでも抵抗をしてみる。
「往生際が悪い!」
「人間往生際なんて悪い方がいいぞ。美しく死ぬなんて選択肢、ないほうがいい」
 はあとでも言いそうな顔をしたので畳み掛ける。
「例えばあの日道半ばで君が死んでいれば、その邁進する美しさばかり思い出されて、語られるだろう。美しく散った犠牲として。これほどつまらないこともない」
 一つ息をつく。
「君が素晴らしいタフネスを持っていてしかも完全勝利を掲げるやつで本当に良かった」
「それがあんたの告白?」
 旗色は相変わらず悪いようだ。
「話変えんなよ。俺は生きてるし、あんたも生きてる。今は。今も。あんたや先輩が繋いだんだ」
 じいっとこっちを眺める。この瞳はいつでもギラギラと光を纏っている。初めて見た時から、ずっと。
「俺ぁ大人になったぞ。あんたカッコつけろや」
 今更格好なんてつかない。
「ここにいるのは袴田維だ……」
「だから何?」
「だってきみベストジーニストのこと好きだろう」
「すげえ自信!」
「違うのか」
 爆豪と眼が合う。
「あってるよ」
 想像のどれとも違う表情で爆豪は笑う。敵を目の前にどう攻めてやろうか考えている時の顔だ。獰猛な。
「ちなみにここにいるのは爆豪勝己だ。大・爆・殺・神ダイナマイトはヒーロー活動停止処分二週間目で自宅に引きこもってることになってるからな」
「お前とんだ不良じゃないか!」
「嫌いかよ」
「不良は好きじゃない」
「俺は?」
 ひどいため息が出る。頭を抱えていれば、まあこの辺で勘弁してやるわ、と爆豪の言う声がした。
「出るぞ」
 言われるがままに店を出る。奢られてしまった。

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 夜は流石に少し肌寒い。爆豪が羽織ものとしてGジャンを持っているのを見て何故か顔を覆いたくなった。普段より小さい歩幅の袴田を尻目に、爆豪は肩で風を切って歩いていく。こいつ今謹慎中だっていう自覚あるんだろうか。酒も入っているし。春休み気分か。
「お前は、爆豪は、私のことが好きなのか」
 人通りが少ないことを確認して、意趣返しのつもりで言う。声に出した途端後悔した。こっ恥ずかしい。
「俺は袴田維のことが好きだよ」
 爆豪はいとも簡単に言って見せた。無性に表情が知りたくなった。振り向け、と念じる。果たして思いは通じた。爆豪がこちらを向く。
 夜なのにきらきらと瞳が明るい。
「あんた俺に好かれてるか気になるんだ。それってどういうことかわかるか。わからないなら教えてやるよ」
 逆光で振り向いた輪郭が光って見える。
「あんたは、俺のことが好き」
 残念でした、とでも言いたげに、爆豪は口角を上げてみせた。
 また風が吹く。少し重みを持った風は、袴田の背中を押している。一歩踏みだす。新しい葉が風に揺れて擦れる音が聞こえる。特別な、優しい夜だ。
 春も盛りである。

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『春なんていつでも急に来ますよ。生きていれば、何度でも。すぐ夏が来て、少しだけ秋になったと思ったらまたすぐに冬です。年々短くなっていくんですから。本当に特別な春だって思うのなら、今のうちに、捕まえておかないといけない。こっちは最近、夜になると蝉の声が聞こえるんです。もうすぐです。春と同じくらい急に夏が来ますよ。会長、どうか、良い春を』

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