いつでも離せる手を繋ぐ
二十年一緒に生きていればこのまま死ぬまで一緒かなという気持ちも芽生える。という話を爆豪がしたら微笑ましいとでも言いたげな顔をされた。
「俺は今からプロポーズしようとしてるんだが」
憮然としてそういうと、目の前の相手は居住いを正した。よろしい。
「心して聞こう」
「あんた俺の喪主やりたくねえ?」
「タイム」
「は? 心して聞けよ」
「すこし構えた方向性と違ったんだ」
手を顔の前に広げて突きつけられる。掴んでよけようとするとこれが案外力が強い。動かないので皺をなぞって玩ぶ。
「大事な話だろう。ちょっと待ってくれ。建て直すから」
一つ二つ深呼吸をして、手のひらは元の場所に戻っていった。三人がけのソファは向き合うには不向きだったかも知れない。
「喪主やりたくねえの? 俺はやりたいんだけど」
「そうだな……。あまり想像できないというか、したくないというか」
「してみろよ」
「強引なのはちょっとな」
じゃあ他のアプローチを考えるしかない。爆豪は黙った。少し考える。付けっぱなしのテレビの中では車が大横転する様子が写されていた。映画だ。金がかかっている。
「まさかそれだけでプロポーズを? 見切り発車が過ぎるんじゃないか、というか私の遺書にはすでに君のことが喪主として指名してあるんだが」
黙っていれば驚いた声で知らなかった話が降ってくる。
「初耳だ」
「言わなかったか?」
「聞いてねえな……おい」
驚いた顔をしている。二人の間に沈黙が落ちた。
「私の中で当然のことのようになっていたから相談を怠ったようだ。申し訳ない」
別に結婚しなくともすでに、爆豪は袴田の喪主をやれる下地が整っているらしい。爆豪は呟いた。
「じゃあ結婚しなくてもいいか……」
そう大きな声でもないのに少し響いた。
「待て。ちょっと待って、いくつか聞かせてくれ」
普段よりまばたきの回数が増えているな、と爆豪は袴田の目元を眺めた。この笑い皺をどれだけの人が知っているのだろうと思うと、ちょっとした優越感がある。
「してもいいと思ったんだろう? どうしてだ」
君は、と袴田は言葉を続ける。
「結婚しないんですかと散々聞かれて苛立たしく思っていたことがあっただろう。ああ言われてまで未婚にしていた意味があるんじゃあないのかい」
「意味なんてな。ただの意地だよ。勝手に想定されてるルートの上に乗るのが癪だっただけだ」
交際関係にあることはウィキペディアにだって載っているし、お互いの間にある特別を、特段高らかに言う必要もなかった。各所に話は通してあるから、万が一の時にもやり良いようになる。
「それでも、なにかきっかけがあるんだろう。それを教えてくれよ」
流しっぱなしの映画では悪役が大きな声で笑っている。そろそろストーリーが劇的な瞬間を迎えそうだ。テレビを消すタイミングを逃したなと頭の奥で思った。
ずっと考えていたから、言葉にはなる。言いにくいのは心情の問題だ。
「結婚てさ、なんかこう、絶対だと思ってたんだろうな。両親はああだし」
同期がどいつもスーパーハッピーブライダルという感じだったのもある。
「永遠を誓い合う二人みたいなさ、お互いに何時も百パーセントを向けるような。でも永遠に全てなんていうのは想像できなかった。変化していくだろう、なんだって」
爆豪はそれを知っている。これまで散々知ってきた。
「ただそれでも、俺たちの間に最期があるならそれをほしい。それがほしい。その瞬間を俺のものにしたい」
「だから喪主を?」
「そう」
頷いた。
「ずっと、婚姻関係ってそれを完遂できる人しかやっちゃいけないと思ってた。でも完遂できないってなったらさ、そうなったらすりゃあいいんだよな。離婚」
反応が気になって観察する。見つめながら、言葉を続ける。
「あんたには、それを言っても許されると思った」
ぱちりと音が鳴りそうなまばたきをひとつして、袴田は言った。軽やかに。
「じゃあ結婚してもいいんじゃないか?」
確かにそれはそうだ。だからした打診だ。
「あんたはそれでいいの」
「いいよ」
簡単そうに言う。思わず力んでいた肩から、爆豪はゆっくり力を抜いた。なんだ。安心、だと思う。安心した。ひとつ問いかける。
「じゃああんたさあ、なんてプロポーズされてえ?」
すると袴田は長考に入った。
「あー? 結婚に理想像があるタイプか。そりゃあ悪かったな」
言葉うちの揶揄の響きを聞き咎めて、おい、と言ってくる。
また少し考えてから、話し出した。
「なんだろう。びっくりしていて思い付かないな」
「びっくりしてんの?」
平静そうに頷いたくせに、と思って聞くと、ああ、と返ってくる。
「話の最初からとても驚いているし急にチャンスボールが投げられたような気分にもなって、それにも驚いている。君にも私にも、結婚願望とかそういうものはないと思っていた。君は理想像と言ったが、私も結婚だけが幸せのかたちのように喧伝されるのもなにか抵抗があったし」
「独身貴族として鳴らしてたもんな」
「ヒーローにはありがちなんだがな」
公表していないだけ、という例も多いが、それを含んでもヒーローの未婚率は一般のそれよりも高い。忙しくて私生活に頓着していない者も居れば、身内の安全を重要視して懐に入れない者も居る。単純に結婚しなくても暮らしていけるというのもある。それでもヒーローのプライベートはかつてより大切にされている。
「メリットそんなないしな。節税策としても微妙だし」
爆豪は頷いた。
「俺らが結婚すんのにも意味はないかもしれねーけど、別に意味はなくてもいいな。俺がそうしたくて、それがあんたに受け入れられるなら」
「そうしたいと、言ってもらえて私は嬉しいよ」
テレビで流れている映画はいよいよ大詰めだ。
「喪主はやりたいって言った以上、責任もってやってくれ」
「契約書交わしとくか」
「それが婚姻届なのでは? すでに遺言もあるよ」
「予防だよ。離婚してても喪主は絶対やってやる。あんた側が嫌になったらそう遺言書に書き直しとけ。俺はやる気でいるからな」
テレビ台の横から白い紙を取り出す。普段電話のメモくらいにしか使わない紙だがまあ良いだろう。
「どっちが甲でどっちが乙がいい?」
「どっちでもいいよ。というか『爆豪勝己』と『袴田維』でいいよ」
爆豪勝己は、から始まる文章をサラサラと書いていくと、感心したような眼差しに覗き込まれる。文面が完成すると右下に署名をして、袴田にペンを渡す。紙の上に二人分の名前が並んでいる。爆豪は満足げに息をついた。
最後に日付を書き込む。二十年か、と呟いた。交際してから、二人が隣で生きるようになってから二十年だ。
「あの時のあんたの年の頃に追い付いたら考えてたことわかるかと思ったけどそうでもねえな。二十下とかガキにしか見えねえし。向こうも同じ人間だと思ってねえな」
「人間扱いしたつもりだよ」
「そうだな、されたわ。おおむねな」
「概ね……。今からでも教えてくれ。直せるところなら直そう」
「いや、あんたは……。直すところっつか……。俺のこと、ちょっと、かわいいと思ってるから」
どちらも黙るとテレビの音が響く。数拍おいて、ふ、と息が洩れる音が聞こえた。
「んふ、ふ、ははははははは!!! 君いま相当かわいいぞ!!」
なかなか見ない大笑いだ。息も絶え絶えになりながら、袴田は真剣な話の途中にすまない、と言ってくる。爆豪も口に出した瞬間に笑うとは思った。
目尻の涙を拭いながら、先ほど、と袴田が話しだした。
「多分、私はな。結婚してくださいって言われたらいいよって言うつもりだったんだ」
きゅうと目が弧を描いている。目元の皺が深くなった。
「かわいいからって君に請われるままに差し出しているんじゃないぞ。私もあげていいと思ったからだ。いつか後悔したとしても、ここにはその意思があって、変化はあっても、嘘にはならない」
だからね、と爆豪の手を掬い上げる。
「今の私に渡せるものなら、永遠でもなんでもあげるよ。相手は君がいい。君がいいな」
ちなみに、と言葉を続けた。
「かわいいというよりいとおしいだよ。愛してる。やりにくいかもしれないが」
手が暖かいと思った。それをずっと、知っている。何を答えたものかと思って横を向けば、テレビの中ではずいぶんと勢いの良いハッピーエンドが迎えられている。ながら見でわかるくらい大味だが悪い映画じゃなかった。
言葉に笑いの名残を含ませながら、袴田が爆豪に問いかける。
「諸々も確認しておこうか。姓は別姓?」
「うん。式はなくてもいいよな?」
「君のタキシード姿は見たい」
「あんたの着道楽に付き合うのは年に二回って決めてる」
そのうち一回は袴田の誕生日だ。
「じゃあ来年だな」
「結婚式って何すんだ。一年で出来んの?」
「披露宴のお色直しとかスピーチとかが私は好きだがもっと小規模でもいいよ」
「披露宴って改めて聞くと直球の名前だな。式本体だけっていうのもあるか」
「誓いの言葉があれば最低限二人だけでもいいな」
「誓いの言葉も必要あるか?」
「宣誓だよ。それらしくていいと思うが。私達なりの言葉を選ぼうか」
「あー……、法律により定義される婚姻による権利を存分に行使することを誓います?」
さすがにないかと思って首をかしげたが、笑って頷かれた。
「いいんじゃないか。他の事は結婚するからそうしている訳ではないし。我々、結婚してもそう変わらないさ。ちょっと便利になったり、もしかしたら不便にもなったりするくらいだろう」
ふうん、と息をつく。想像はまあ悪くない。
「他には?」
「会見でもするか」
「なに喋るんだよ」
「結婚の決め手は何ですか?」
マイクを持つ手の振りをして、爆豪の方に向ける。
「あー、この人となら離婚してもいいと思ったから。そちらこそ何?」
「二十年の積み重ねかな」
二十年。爆豪としても確かにそうだ。
「改めて聞くと長えな」
「そうかい?」
「俺ァ若いんでね。二十年も永遠もそんな変わらねえわ」
言ったな? と袴田は口角をあげた。
「えー、我々の間には永遠に近い年の隔たりがあるわけだが、そんな二人で婚姻関係を結んでどうなるか。見物だ」
「楽しみだな?」
「ああ」
エンドロールが省略されてコマーシャルになったのを見て、爆豪はテレビを消した。
「面白かった?」
「悪くない」
「よかった。なあ君、」
半分立ち上がった爆豪を袴田が見据える。
「もう二度と先に死なないでくれよ」
何を言うのかと思えば、何十年も昔のことを思い出したように釘を刺してくる。
「ナメんな。俺の人間ドックの結果見せてやろうか」
「それは……君が良いなら見たいが」
見たいのかよ。爆豪は少し笑った。
「ちょっと待ってろ」
ソファーを立って、寝室に向かった。サイドボードの引き出しを開ける。
遺書、保険関係の書類が入った段の下が、生活のための書類の段だ。そのもう一つ下の引き出しの鍵を開けて、ファイルに仕舞われた紙を二つ取り出す。
ぞんざいに健康診断の結果表を渡せば、おお、と感動したような声が漏れる。
「君はほんとうにすごいな」
「んでこれ、婚姻届」
もう一枚の紙をテーブルに置く。爆豪の書くべき欄はすでに埋めてある。証人欄にはサインが入っているのを見て、袴田が声をあげた。
「なあちょっと、紙原に会うなら言えよ君。ずるいぞ」
私だって最近会えていないのに、と嘆くのを背景に、書かれている文字を確認していく。
印刷された夫/妻になる人、の文字の夫の部分に丸をつけて、姓の欄には別姓にチェックを入れる。
ん、とペンを渡すと、先ほどのように、さらさらと名前を書き入れていった。親の名前を書き終えて、同居の始めたとき、の欄を眺める。
「二十年前の六月で多分良いはずだろ」
「そうだな」
それだけ暮らしてきたのだ。袴田が書いてしまえばあっという間にほぼ完成になった婚姻届を眺める。
「証人もう一人は決めなかったのか?」
「あんたが俺のプロポーズに応じるかわかんなかったから。無理だったら紙原先輩にごめんって言うだけで済まそうと思って」
実際お互いにとってお互いが内縁の夫のようなものだったというのに、いや、だからこそ断られる可能性が考慮されたのか、と袴田は考えた。とはいってもだ。
「ここまで整えておいてじゃあいいやってなかなかならないだろう。初めて会った時から思ってるんだが、君は本当に面白いやつだよ」
ふん、と爆豪は息を鳴らす。
「証人候補いるか? 受けてくれそうなやつ」
「まあ何人か」
「一人で良い。したら完成だ」
ふう、と息をついた。準備はほとんど整った。
「何か変えた方がいいのか?」
「『何か』?」
「あー……呼び方とか。『維くん』?」
「結構いいな」
「バカだ」
「失礼な。この年になると、自然に権威になってしまうから、気安くされると楽しい」
「クソジジイ……」
「君もじきそうなるよ。なにを言っても相手が納得しそうになるときがある。あれは怖いものだぞ」
「そんくらいならもうなってる」
若い頃、反対意見を出されると嬉しそうにするお偉方が居てなんなら不気味に思っていたが、あの表情に納得できるようになった。ナメられるのは腹立たしいが、盲信はもっとやりにくい。神とでも思っているのかよと思う。確かに大・爆・殺・神ではあるから、間違ってはいないが。
「そうか……。君、張り合いかたそれで合ってるか?」
「さあ」
目を合わせてふ、と笑いを溢した。
「あんたさ、若いのに気安くされてくらっとくんなよ。あんたにもらった二十年分の重みで潰すからな。あんたも、相手も。どっちも」
「わかったよ、肝に銘じておく。そんな命知らずもいないだろうけど。君こそ若い人たちと交流が多いだろ。ときめくなよ」
「ガキにしか見えねえって言っただろ」
「そうか、君の好みはそうだもんな、脂の乗った同世代の方が危険か」
「ふは」
「君、同窓会で誰かとときめき合ったりするなよ!」
「しねえしついでに言や向こうから断られるわ」
ぶつぶつと一緒に暮らしている内に好みが寄ってくる可能性、などと呟いているのを爆豪は眺めた。
「そんな仮定の話をしても仕方がないか」
「俺が言い出したけど、二十年大丈夫だったんだから多分大丈夫だろ」
「ニアリー永遠だものな。万が一ときめきが止められない、ってなったらすぐに私に教えてくれ」
「Can't stop lovingってか?」
「そういう曲あったな……」
どこか遠くを見つめる袴田を尻目にその状況はないだろうなと思いつつ頷く。言われたらどうするつもりなんだと思うと少し笑えた。
いろんなことがあったのだ。出会ってから、また出会うまでに。そしてそれからも。これから先にも形を変えながら続いていく。
一度心臓が止まっても地球が終わりそうになってもどんな窮地があったって、爆豪の世界は止まらない。止まらなかった。そうだ、言っておこうと思っていたんだ。
「俺の世界は広い。あんたは俺の世界を拡げた。あんたが死んでも、どうなっても、俺の世界は終わらない」
嬉しいだろ、と胸を張ってみせる。
「まあ決定的に欠けはするだろうが」
袴田は笑った。
「そうだね、嬉しい。とても光栄に思うよ」
ほぼ出来上がった婚姻届をきれいに折り直してファイルに仕舞った。
「お互いが、婚姻関係の何かに耐えられなくなったら離婚しよう。この仕組みにはそれができる。ではこれから、配偶者としてもよろしく」
差し出された手を握る。
離せることを確認して繋ぐ手は、必要で掴む手と同様に確からしいものだった。やっぱりそうだ。そうだろうと思った。やわらかく、体温がにじんで、均一になっていく。ぎゅうと力を入れてみれば、やり返してくる。
ちょっと楽しい。
ゆっくりと離す。
いまここで、何かは変わったとしても、爆豪は爆豪だし、袴田は袴田だ。それは確かなことだ。
たぶん、と爆豪は想像する。そういうものだ。例えば結婚ですべてが変わるわけじゃないのと同じように、離婚でも、すべてが変わるわけではないのだろう。
「再婚って仕組みもあるな」
「気が早くないか。離婚を前提に結婚するわけじゃあないんだよな?」
爆豪が思い付いたことをそのまま呟けば、すぐに突っ込みが入った。
「届を出してみたいから離婚しようって言われたらプレゼン次第で是を返しかねないぞ、私は」
「なんだそれ。しねェわ。……多分」
「結婚してみないとわからないか。まあそうなったらそれで一興かな、私達なりのかたちとして」
ファイルを片付けて、爆豪はまたソファに戻った。袴田も二人分のコーヒーを入れ直して戻ってくる。
「しかし結婚か。初めて会った時には思いもよらなかったな」
「だろうな。なんだっけ、『正直君のことは好きじゃない』? あれいつだよ。三十……一年前か?」
「根に持たれている……」
「一生忘れねえ」
「爆豪勝己、君のことが好きだよ」
「今さら取り返そうとすんな!」
何せ二十年だ。爆豪はそんなこと、とうの昔に知っている。
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