落ちれば椿
――。
約一年前の事だ。
その日は終日インターンでジーニアスオフィスに居た。次の春からの進路が決まっているから、要は慣らし運転みたいなものだった。東京では珍しく雪が積もり、メインの業務は雪掻きだった。しかも降りやまないからキリがない。いつかと比べればましになったといえど、寒さは感覚を鈍らせる。得意とは到底言えない。まだ。
スリップ事故なんかの対応に他のサイドキックが出る間も、爆豪は延々と雪掻きをしていた。交通網が麻痺して駅では人が密集していたらしいが、群衆の整理なんかにもすでに人員は割かれていて、そちらに爆豪の出る幕はなかった。
単純作業の繰り返しだ。ただ雪掻きをするのもつまらなくて、どう動けば効果的な筋トレになるのかを考えていた。右手に許容範囲であろう負荷をかける。血行も気にしてゆっくり動かし続ける。埋まりかけた車の周囲を出せる程度まで掻いて、車の持ち主に礼を言われるのを適当に返す。ちゃんとスタッドレス履いてるからたぶんこの車は大丈夫だろう。事故を起こさないよう言い含めて、また一旦事務所に帰る事にした。雪に端を発するヘルプコールがまた入っているだろう。どうせ次も爆豪が命じられるのは雪掻きだろうが。
雪掻きのスコップを持って事務所に向かう大通りを歩いていると、ベストジーニストが立っているのが見えた。ベンチコートを着ている姿なんて初めて見た。やっぱり首まで覆われている。傘を差していなかったから、頭の上の方が少し白くなっていた。向かいの公園で、携帯端末で話をしているようだった。連絡なら室内でやればいいのに。そうはいかない事情のある任務だろうか。足を止めて眺めていると、爆豪の視線に気がついたのか、こちらを向いた。しんしんと、という言葉がよく似合う、人の声のほとんどしない景色だった。公園の入り口の椿の花に雪が積もっているのを見て、その耐寒性を少し羨ましく思った。一面彩度を落とした景色のなかで、椿の赤は目の端でチラチラと鮮やかだった。
遠く、目があった。声を届かすには張り上げる必要があった。言うこともない、と思って黙っていた。ベストジーニストは一つまばたきした。それだけだ。
雪が一匙、椿の葉から滑り落ちた。着地の音は微かだった。余所事を考えていれば聞こえないくらい。
そうして、爆豪は恋に落ちた。本人も気付かないうちに。
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ぽとり。
通りかかった直後に落ちた椿の花に自分が原因かと耳郎が慌てた顔をしたのを見て去年の事を思い出した。
あのバカみたいにひたすら雪掻きをさせられた日、ベストジーニストと合流して事務所に戻ると霜焼けを心配された。小康状態だから休憩を入れようという話になって、いつの間にか給湯室のココアを誰が一番上手く淹れられるかという話になっていた。爆豪が勝った。いつだって勝負事には負けたくない。そうしたらそれ以降爆豪のココアを飲んでみたいというやつがしばしば現れて、そろそろ金を取ろうかと思うようになったあたりで冬が終わった。
また冬が来た。今年こそは一杯五百円くらいむしり取ってやろうか。もう皆忘れているかも知れないが。
耳郎が落ちた椿の花を拾い上げてしょげた顔をしている。
「ぶつかっちゃったかなあ。ごめんね」
「風とかで落ちるんだしそうヘコむことないって」
芦戸が慰めるのを聴いて頷くと、そうっと塀の上に椿の花を乗せた。赤はまだ眩しいくらいの色をしている。
秋からかかっているミッションがようやく終わり、最終段階には三人の役割がほとんど無いまま解決となった。報告をまとめるに当たってどこかに集まろうということになり、ジーニアスの会議室を一つ予約して向かっている。
「椿が落ちるのってなんか縁起悪いっていうじゃん」
「そなの? じゃあミッション後でよかったねえ」
「確かにそうかも」
「『椿自体は縁起のいい植物だが、花がまるごと落ちる様子を首が落ちる様になぞらえて武士達の間で不吉の象徴になっていったよう』だとか……まあどの程度の信憑性か知らねーが」
適当に思い出して言えば、二人は同時に頷いた。
「時代劇で椿が落ちるとそういうシーンて感じる」
「首が落ちるってこう……ばらりずん?」
「あーなんか介錯のイメージだったなウチは」
「介錯ってそんな綺麗に落ちるんか」
爆豪が口を挟むと一瞬二人とも黙った。
「なんか想像しちゃった……」
「物騒だなー。椿は咲いて落ちてるだけなのにねえ。塀の上に乗ってても綺麗だよ」
「人間が勝手に不吉がってるだけって思うとなんか申し訳ないね」
「花側はどうでもいいんじゃねえ」
「爆豪もどうでもよさそう」
「どうでもいい」
「ほらあ! またこの子はこういうこと言う」
くすくす笑う二人を引き連れて事務所内に入ると、廊下の奥にはここにもまた椿が活けられて飾られている。
「『花自体は縁起が良い』んだもんね」
「見栄えする花なら縁起とかそんな気にしねーけどな」
「でも割りと気にされてるかもよ。風水的にとか」
三人のこのこ会議室にはいる。最終ミッションではやることもかなり少なかったというのに、膨大な情報の絡んだ長期ミッションともあってかなり報告を纏めるのに難儀した。
「これ中心の人とかヤバイだろなー」
「俺らがとっとと報告あげねえとどんどん向こうがヤバくなるぜ」
「ひゃー、急ぎます急ぎます」
作戦本部は情報管理も噛んでくるから一人一人機密調書を作るくらいはするかもしれない。この程度で済むのは末端だからだが、何年もしない間にその役割は回ってくるだろう。なるべく早くその段階まで登り詰めたい。
報告書はどうにか算段をつけて終わりにした。
「ご飯食べに行こう!!」
「爆豪良い店知ってる?」
「所内の食堂」
「もっと爆豪のセンスが出そうなところないの?」
「あー……近くに、メキシコ料理屋」
「タコス! 行こうそこ行こ!」
「お腹空いたあ。片付けるか」
ガタガタ机を元の場所に戻していると、会議室のドアが開いた。
「お疲れ様。終わったようだね」
「ベストジーニスト! お疲れ様です!」
「ああ。ダイナマイトに連絡だ。椿の水替えはやっておいた。花瓶はそのままでいい」
「了解」
それでは、とベストジーニストは去っていった。
耳郎と芦戸、二人の顔が爆豪に向く。
「ジーニアスオフィスのお花って爆豪の管轄なの?」
「全部がそうじゃねえよ」
「一部はそうなんだ……、さっきの椿も?」
「そう」
「いっ……言えよー! 見たときに」
「別に良いだろ」
「いいけど! 気になる!」
「なんで? 爆豪お花好きだっけ?」
二人してどこぞの先輩のような勢いで問い詰めてくる。メシ食いながら話すわ、と言って、ようやく一時的に解放された。
片づけを終え鍵をかけて戻ると、二人は活けられた椿の前に集合して、花に言葉を掛けていた。
「鮮やかだねえ」
「長持ちするといいね」
「テメーらメシ行くぞ!」
ついたレストランでは注文もそこそこに花について聞かれる。
「あの花瓶ってデニム柄だよね。ベストジーニストのコラボかなんか?」
「俺もそうかと思ったけど違うらしい。単にデニムデザインの気に入りだってよ」
へえー、と頷いて、満足したのかと思えばきっかけから聞き出してくる。爆豪はもらった紫陽花やバラのことを話した。なんだか芦戸がにやにやしている。
「紫陽花とかバラをもらっては所内に飾ってたんだ? 爆豪が?」
「あ、んだよ?」
「綺麗なお花見ると見せたげようって思うわけ?」
何か得体のしれない結論にたどり着かれそうな気がする。
「おい待て。ちげーだろ。家に花置くところがないんだよ」
「じゃああの椿は? あそこの木だよね。今日通った事務所そばの公園の」
「…………咲きそうだったから許可とって一本切ってもらった」
「バラのポプリは渡しっぱなしなんでしょう?」
「ちょっと待て……」
爆豪は頭を抱えた。脳内で非常ベルが鳴り響いている。
「それってさー、すごい好きなんだね」
ぽとり。介錯は大変腕がいい。
「もしかして恋!?」
ワクワクしたような芦戸の声が止めだ。
「あー、爆豪が恋じゃないって言うなら全然それでいいと思うけど、聞いてると好きなんだなって思うよ、少なくとも、花か、事務所か、ベストジーニストか、どれかが」
だって爆豪だもん、という耳郞の言葉が頭上を通り抜けていく。
爆豪は恋をしている。
本人はまだ頭を抱えているが、兎角、紛れもなく、恋である。恋は落ちるもの。いつかは着地する。花の先、種が落ちれば、きっといつか、芽吹く時も来る。
落ちれば椿あとがき・メモ
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