たとえば特別のひとつやふたつ
爆豪は決意した。この気持ちになんらかの決着をつけなければならない。
かねてより恋心を抱いている二十年上の男に、告白をすることにした。爆豪も散々っぱら迷ったが、これも円滑なヒーロー活動のためである。
いつから惹かれていたのかはさっぱり見当もつかない。第一印象は向こうも悪かったらしいがこちらも相当なものだった。好きと言われれば好きになるわけでもないが、好きじゃないと言われた相手をわざわざ好意的に見るようなことはない。しかし端からぶちまけてしまおうというその姿勢は別に嫌いじゃない。手間が省けていいくらいだ。
爆豪は言われたことも言ったこともよく覚えている。相手が真剣なら尚更だ。珍奇なコンセプトを掲げているとは思ったものの、それが心の底から本気でやっていることはよくわかった。生半可な覚悟ではトップヒーローは立ち行かない。
あの職場体験で交わした言葉は今もなお鮮やかに取り出せる。それなり以上に不満を覚えたこともはっきり覚えている。そこでの言葉が、爆豪が学生生活を過ごす上で一つの導となっていたのはいつの間にだっただろうか。あの時言われた『矯正』とありたい自分との間でいつの間にか折り合いがついていた。現状の爆豪について矯正が完了しているのかは聞いてみないとわからないが。
爆豪はベストジーニストが好きだ。一番好きなヒーローはオールマイトだし、親しみを持っているのは切島であるし、一番拘った人間関係は幼馴染相手である。そういうものと一つひとつ吟味して、爆豪は結論を出した。この気持ちは恋心である。
爆豪は恋心についてそこまでポジティブではない。なんだか振り回されている心地がするし、振り回されるのが楽しいとは思わない。上鳴なんかが交際相手を欲しがって嘆くのをみてもさほど面白そうにも見えない。母親が強烈に父親のことを好きでアプローチした話を聞くとため息が出る。その結果として自分が存在するのだからありがたくてもいいはずだろうが、どうも恋愛ごとはそれによって可処分エネルギーが無駄遣いされている気がする。だから自分の感情に恋情というラベリングをした時に決めたのだ。この気持ちはいつか然るべき処理をする、と。
社会は一変した。ヒーロー社会はぐちゃぐちゃになり、ヒーローの株は下げ止まりまで行った。今はそこから立ち上がるために、これからの社会の生活基盤からどうするべきか考えている最中だ。そんな時だからこそ、結局ヒーローの出番は多い。起きたことに対処するのに一番いい立場にあるからだ。よってヒーローは学生含めて大小あらゆる緊急事態をそこかしこで捌く羽目になっている。ベストジーニストはその中でも極めて過酷な状況に置かれていると言える。異次元の激務である。何せトップヒーローが皆ボロボロの中で、善良なヒーローとしての立場と能力を備えたままでいる。どうしようもなく変化している社会の中で、変わらずあるものは安心感をもたらすし、安心を求めている者は多くいる。
爆豪はそれをそう遠くない場所でみていた。常闇や切島のおかげで、関わりのあるヒーローに懐いていることが不思議に思われなかったことが爆豪にとって幸いだった。この距離感を茶化されようものなら自分が何を口走るかわかったものじゃない。
ベストジーニストとそのサイドキックたちが身を粉にして働くのをみて、爆豪は強い満足を覚えた。自分の好きな人とそれを取り囲む環境が、必死なくらい、真摯さを十二分に持つものであることは、爆豪にとって大変好ましいことだった。ただ、誰にでもできる雑務としか思えないものまで業務に含まれているのには閉口した。ヒーローは何でも屋に近い。爆豪からしたら抱え込む必要がないとしか思えないものまで己の仕事としていく。それでもこの事務所はまだ整理されている。所長の意向が末端までよく理解されているし、仕事の分配は適切だと思う。手伝いの爆豪にもある程度の業務が任せられるし、同時にある程度まで、おそらく学生の身で責任が取れる範囲までしか任せられない。歯痒さを感じることもあるが、あの前線を戦い抜いた学生に任せられる範囲はそれなりに多い。爆豪もなかなか忙しくしている。
そんな中で思ったのだ。卒業する前にこの恋心になんらかの始末をつけよう、と。
卒業したら爆豪も『学生ながら』という但し書きのつかない一人のヒーローになる。そうしたらベストジーニストとの距離感も多少は変化があるだろう。爆豪はベストジーニストが好きだ。今まさに好きだ。この感情が拗れたり熟成しすぎて腐ったりしたら手がつけられなくなる。その前にどうにかするべきだ。
どうにかとは何か。
例えば恋情をもって好きな相手とは交際が発生したりするらしい。爆豪はベストジーニストとそうなりたいのか。考えてみた。わからなかった。芦戸に聞いてみた。付き合うっていうことの何がメリットなのか。芦戸はかなりはしゃいだ顔をしたけれど、誰にもいうなと言えば神妙そうに頷いてみせた。その答えはこうだ。お互いのことを堂々と特別扱いができる。
特別扱いはもう十分にされている気がした。ベストジーニストにとってはあれがスタンダードなのかもしれないが、爆豪にとって必要な言葉と必要な環境をくれた人だ。学生の中では親しい方であると思うし、現状近くにいられることは爆豪にとってかなり好い状況だ。そして爆豪の側からも、ベストジーニストは特別な位置に置かれている。多少は気づかれているのではないかとも思う。じゃあ別に交際関係になりたいとは思わない。爆豪はこの状況を壊したいとは思わない。
それでもこの気持ちを持ったままのんべんだらりと生きていくのはできない。爆豪は中途半端が嫌いだ。それにこのままベストジーニストと接するのは、隠し立てをしているようで気に食わない。いつか恋心に思い悩んでヒーロー活動に支障をきたしてしまってからでは遅い。それに、ヒーローというのは明日がわからない身でもあるし。
だから、ただ好きだということを知ってもらうべきだと考えた。
ベストジーニストは老若男女に大人気のヒーローであるから、きっと軽やかに好意を受け取ってそして流してくれるだろう。子供の『好き』に心を割いてしまうような失態を晒すことはないだろう。自分が告白したところで変に態度を変えるならそれまでの男だったという話だ。
以上が真っ昼間のジーニアスオフィス執務室の所長デスク前でサイドキック達とのランチミーティング後に爆豪がベストジーニストに告白し、何の返答も得ないままその場を去るに至った思考の道筋である。
△△△
袴田維は困窮した。ほとほと困った。頭を抱えた。二十年下の発展途上の目をかけている少年とも青年ともつかない相手に告白されると自分はこうなるのだと初めて知った。
袴田はヒーローである。ヒーローになって二十年ほど経つ。実力に裏打ちされた人気のあるヒーローをやっている。サイドキックあるいは後輩ヒーローから告白されたのは初めてではない。人から好かれることは嬉しい。伝えてくれる勇気に感謝を感じる。関係を変えることはできなくとも、好意に値する自分でありたいと思う。そういうようなことを丁寧にラッピングして伝えるお断り文句その他のバリエーションも持っている。
だというのに爆豪にあんたのことが好きだと言われて咄嗟に反応できなかったのは、バカみたいな量の業務に追われて感じる疲れに対して自分は一流のトップヒーローであると脳内で延々と念じながらいたせいだし、伝達事項が多すぎてランチミーティングだというのにほとんど昼食を口にできなかった空腹感からだし、爆豪のヒーロースーツの首元のほつれの赤ちゃんを本人が気が付かないうちに直すために個性を使っていたせいだし、衣替えにあたってコスチュームを相談しようと思っていたデザイナーからの折り返しがなかなか来ないせいだし、猛暑のパトロール帰りの熱中症未満の怠さのせいであり、
――何より一瞬、満更でもないと思ったからである。
毎日ピッチリ平常運行で鳴らすジーニアスオフィスが放課後の学生達のような浮ついた雰囲気に包まれている。告白した当の本人はすでにこの場にいない。パトロールに出ている。朝スケジュールを指示したのは袴田だ。とりあえずこの場を納めるために全体に声をかける。午後の業務も引き締めていこう。シュア! ベストジーニスト! 大変よろしいお返事である。
袴田は午前の記録をつけ、部下の業務記録を確認し、それ以外に午後に予定していたものがないことを確かめた。仮眠室へ向かう。異様な忙しさの中でやっていくコツは、無理矢理にでも休む時間を確保することだ。
爆豪が自分に懐いているのには気がついていた。野生の動物が人に慣れていくのを見るような俗っぽい面白さも覚えていた。爆豪たちはトップヒーローとの関わりが強い者も多いし、実戦経験も多い。デビューすれば皆即戦力となるだろう。そういった面で、爆豪が自分や周りからたくさんのことを吸収していくのを楽しみに見ていた。さながらリジッドデニムをエイジングさせていくような嬉しい味わいがある。
袴田は爆豪のことを好ましく思う。打てば時間をかけてでも確かに響く。学生という限られた期間で次々と自己変革を遂げる姿を美しく感じる。もともと最近見ないような尖った、あるいは捻くれた性格に興味を持って指名をしたわけだが、こんなに目の離せない相手とは思わなかった。
爆豪は一度、袴田の目の前で心肺を停止した。その時のことを考えると今でもあの子どもの生を奇跡のように感じる。控えめに言って生意気で理想ばっかりが先行した子どもは一人のヒーローになっていたし、一人のヒーローはあくまで人間で、心臓が破れればすぐに死の元へ行ってしまう。どう思い出しても後悔がつきまとう。
それでも爆豪は生還していまここにいる。それがどれだけふとした瞬間の胸の痛みを和らげるか。爆豪は知らないだろうなと思う。
男子三日会わざれば刮目して見よとは言ったものだが、少し目を離したうちに急成長しているし、慣れてきたなと思っていたこのタイミングでさっきの告白である。全く度肝を抜かれる。そんな爆豪を見ていることができるのは、袴田にとって、好ましいことなのだ。
仮眠をしようと思ってもできない。爆豪はそもそもいつから袴田のことが好きだったのか。なぜこの極限的に忙しいこのタイミングで告白をしたのか。謎は多い。
個性の影響、という可能性もなくはない。個性はいまだにわかっていないことも多い。人の恋心をぶちまけさせてしまう個性があったって取り立てておかしな話じゃあない。しかし何らかの個性の影響にあれば報告が上がるはずだ。そういう教育をされている。さらに言えば個性の影響を想定したらキリはなく、爆豪が喋る言葉全てが周りには告白に聞こえているみたいな可能性だってありうるわけで。あわや陰謀論である。
だからきっと、爆豪の言った『あんたのことが好きだ』は、爆豪による袴田への愛の告白と見ていいだろう。いいはずだ。
では、それには、袴田維はどう答えるべきか。難題である。
普通に考えれば、たくさん持っているお断り文句の中から、一番予後の良さそうなものを使ってお断りするべきだ。しかしそもそも好きとしか言われていない。爆豪が袴田を好きということはお断りされることではないように見える。だからそうなれば好いてくれてありがとうという他ないのだろう。でもそれじゃあ足りない気がしてしまう時点でやっぱり問題なのだ。好かれているだけよりもう一歩、何かあったら、と思ってしまう。思ってしまったのだ。
袴田は忙殺されている。ヒーローはオールシーズン繁忙期だが、過去最高があるとしたら今である。頭の中は業務用にセッティングされているから、これを考えているのは少しの余剰部分だ。爆豪は大事な後輩で、サイドキックで、目をかけていた子どもで、急成長著しいヒーローで、やっぱり、目が離せない一人の人間だ。
それをどうやってあの子に伝えようか。君に好かれていて嬉しいということを。
爆豪がパトロールから帰ってくるまで、あと三十分ほどである。仮眠は結局、一切できそうにない。
△△△
爆豪が事務所に帰るとそこは何だか生ぬるい気配が充満していた。顔を見てあっと言われるのは爆豪にとって日常茶飯の出来事だが、この事務所では初めて来た時以来である。何だか腹立たしい。一体なんだというのか。
「いつからベストジーニストのこと好きなの?」
「わかんね。いつの間にか」
「デートとかしたい? どんなデートしたい?」
「別に。そんな暇ねえだろ」
先輩ヒーローが恋バナを目の前にした芦戸のようになってしまった。ため息。
「何でもいいだろ。好きなもんは好きだし、別に、」
きゃあっと声が響く。この事務所では今まで聞くことのないタイプの歓声であった。
「もいっここれだけ教えてよ。どういうところが好きなの?」
「背筋が伸びてるところ。目線が迷わないところ。一対一で話すときの声」
「趣味がいいー!」
余計なお世話である。先輩を押し退けて報告書の作成に取り掛かることにする。
もう一つ爆豪が袴田を好くにあたって大事なところは、袴田が生き返ったことだ。それは爆豪がこの男は約束を違えないと信じるに十分な出来事であった。仮死状態になってまで一つの成果を求めるというのは貪欲さとして好ましくも思うが、あんなこと言っといて放ったままで消えたのかよとは思ったし今も思っている。だからたとえ過酷な戦闘中であっても、再び会うことができて嬉しかったのだ。以来それどころではなかったから意識することもなかったが、あの一瞬を経て爆豪の好意はもはや揺らがぬものになったのだろう。
パトロール日誌のフォーマットを埋めていると、急に所内がざわつき出した。緊急のアラームは鳴っていない。状況を把握しようと、周りを見回すと、休憩に入っていたはずのサイドキックが息せき切って駆け込んできた。
「ちょっと大変! 有事は副所長の指示に従うように。業務に変更は基本的になし!」
「何事だよ?!」
「ベストジーニストがエナドリ飲んで昏倒した!」
爆豪は激怒した。
△△△
目が覚めると身体は重く、何か着ぐるみでも着せられているようだった。袴田が目線をずらすとそばには目を吊り上げた爆豪がいた。
爆豪はよく怒る。すぐ怒る。相手によっては常に怒っていると言ってもいいくらいだ。とはいえここ最近の爆豪は怒るのにも少し逡巡を挟むことが増えた。ある人はそれを見て大人になったんだなと思ったし、またある人はアンガーマネジメントしても結局怒鳴ることになるのかよと面白がった。
しかし爆豪は今まさに怒っている。爆ギレである。袴田は自分の挙動が爆豪の感情に着火させたことを一拍置いて把握した。ずいぶん久しぶりである。心配の照れ隠しとするには激しいが、爆豪式ならこのレベルでもおかしくない気がする。
「自己管理の不注意で自分でとどめさして倒れるとかバカだろ。ありえねえ」
照れ隠しではなさそうである。
「……ええと、すまない。現状は?」
「あんたの仕事は属人性の高いやつ以外は副所長が引き継いだ。今は午後の九時。ここは医務室。さっきまで医者がくどくどくどくどあんたに苦言を言ってた。録音したから後で聞けよ」
「そうか、申し訳ないね」
「それを言われるべきなのは俺じゃない」
「でもきみ怒っているだろう」
「相手が怒ってるから謝んのかよ。適当だな」
「ええと、違うな、そういうことじゃない。君に謝りたくて…、そうだな、カッコ悪いところを見せてすまない」
爆豪は激怒した。二度目である。す、と表情を消し、スツールから立ち上がった。床に擦れる音がやけに大きく聞こえた。ドアを開く。
「その謝罪はいらねえ」
袴田は自分の眉間をなぞった。やってしまった。おそらく爆豪をここに置いたのは昼のことで愉快そうにしていたサイドキックの誰かだろうな、と現実逃避じみたことを考えた。
袴田維はベストジーニストである。ベストジーニストをやっていると言ってもいい。『ベストジーニスト』を名乗ると決めたあの日の決意とこれまでの自らの研鑽が、袴田をベストジーニストたらしめる。
『ベストジーニスト』はこんな失態を演じないなあとため息をついた。袴田は人気商売としてヒーローをやるのもそれなりに好きだ。好かれる像であるという自負もある。二回り弱年下を怒らせて落ち込むようなのは柄じゃない。
サイドボードに置かれている端末を持ち上げ、確認する。爆豪からメールが届いていた。音声データが添付されているだけで、本文はなにもない。ボタンをタップすると、懇意の医師からの苦言と心配が再生された。落ち込んでいる身には少々効きすぎる。
申し訳なく思いつつも聞き流すことにする。爆豪はどうして怒ってしまったのか。心配をかけただろうことは間違いないが、それでああまで怒るだろうか。爆豪ならありえる。それとも好きだといった人間がやわで怒ったのだろうか。かなりどうかと思うが、爆豪ならありえる気もする。
録音が二度とエナドリに頼るんじゃないどうしてもって言うなら一万歩譲ってコーヒーにしなさいというようなことを言って終わった。端末が置いてあったところには血液検査の結果がペラ一枚で置いてある。内蔵の傷んだ身である。神妙に見ることにする。じっくりと眺めていれば、裏面に何かペンで書かれているのに気がついた。
『忙しいのに変なこと考えさせて悪かった』
袴田は頭を抱えた。二度目である。
それを知った頃はあの戦いの渦中であったこともあり言及したことはなかったが、爆豪にはどうにも奥ゆかしいと言えるようなところがあるらしい。言い切るにはどこか確信が足りないので伝聞調だ。袴田とて他人の秘めたものを無理やり暴くのは趣味でないし、ヒーロー活動でもないのに相手の粉飾を剥ぎ取るのは衣類愛好者としての倫理にも反するので何か働きかけようとはしなかった。とはいえ、見ているとどうにも爆豪が茨の道ばかり選んでいるようにも見えるのは確かだ。もっと器用に立ち回ることだってできるだろうと思う。その程度の器量はあるだろうに、絶対にそれをしないのだ、あの男は。感情を隠すのであれば怒りの面を納めて好意を明らかにしてしまえばスムーズになることも多いだろうにとも思う。絶対に口に出しはしないが。側から見ていればどうにも歯痒く感じるところではあるけれど、それは爆豪の選択で、他人に勧められたって変わりやしないだろうし、彼の芯の部分でもあるのだろう。あのプライドは稀有だ。袴田の矯正だって難航したものだ。
きっと爆豪の好意というものは、彼にとって大切なものを置く場所に丁寧に仕舞われているのだと思う。彼が好むものたちと一緒に。だから滅多に表に出ては来ないのだ。そして表に出てきたレアケースである今日の告白は、このままだと再び仕舞われてもう二度と日の目を浴びないようにされてしまうのだろう。
惜しい、と思う。
袴田は好かれることがそれなり以上に好きだ。鍛錬を積む、自己プロデュースをする、そうやって織り上げた自分好みの自分の像がある。どれだけ気を抜いていても、習慣にしたものは自分という人間を染め上げている。人から好かれるというのは、作品とそれを編み上げた自分に対する拍手のようなものだ。いつだって喝采は嬉しい。
同時に他人のことが基本的に好きだ。人の活動によって生まれる波紋が好きだ。人の意思が好きだ。人と人の間で織りなされる模様が好きだ。素朴な感情も意識した見せ方も全てがその人を作り上げていて、それを美しく思う。慈しまれるべきだと思う。
爆豪のことを考えた。
メールを送る。
話がしたいから時間を作ってくれないか。
△△△
爆豪は後悔していた。同時にたいへん怒ってもいた。自分自身に対して。言うんじゃなかった。
感情を処理するのはエネルギーを使うことなのだ。身をもって知っていたのにやらかした。爆豪ならまず怒りとして表出するような感情でも、思考を割いて考えてしまうような者は多い。特にヒーローには。バカみたいに負担がかかってる時だというのに、ベストジーニストの思考に割り込みたかったわけじゃなかった。俺がバカだった。
翌日、業務終わりに袴田に呼び出されたのは事務所近辺の公園であった。約束の時間の十五分前に着いたが、相手はすでに待っていた。暗い中で。
「なんで事務所じゃないんだ」
周りで木々がザワザワと風を受けて鳴っていた。暦の上では春だが、ここ数日は夏日が続いている。来週には落ち着くらしい。夜になってようやく気温は下がって、気持ちのいい風が吹くようになる。遠くで蝉の声が聞こえる。一匹だけ土の下から見当違いにはやく出てきてしまったのだろうか。
袴田が口を開いた。
「私的な話だからね。それに早く休めと追い出されてしまうから」
「じゃあ休めよ」
「この話が終わったら。君と胸襟を開いて話したい」
袴田はいつものコスチュームではなく、高級なレストランにでも行けそうな小綺麗な格好をしていた。
まっすぐに爆豪を見つめる。爆豪もそれを見返した。瞳の色が少し濃く見えた。
袴田が言った。
「君の告白にすぐ答えが渡せなくて悪かったね。あまりに未練ないようなそぶりで立ち去るものだから声もかけられなかった」
「その話はもういい」
「よくない。爆豪、コミュニケーションしよう。言い逃げだったんだぞあれは」
爆豪は黙った。業腹だが、否定はできなかった。
「私は君の好意を嬉しく思うよ。私も君のことは特別に感じる」
「そういうのが欲しかったわけじゃない」
「ただ言いたかっただけかい?」
「……そうだよ。悪かったな」
思わず目を逸らしていた。
「どうして伝えてくれようと思ったんだ?」
頭に血がのぼる感覚がした。適当なことを言ってしまおうかと思った。できなかった。爆豪は自分の一次感情を偽りたくない。いつだって。
「好きなもんを好きって言いたかったんだよ! あんたの時間と思考を割かせるつもりじゃなかった!」
自棄のような気持ちで相手の顔を見ると、目を丸くしていた。続けて言う。
「あんたのことが好きだよ。あんたが昨日あのまま倒れて死んでても好きだった。別に何かになりたいわけじゃないし、何かが欲しかったわけでもない。このままぐちゃぐちゃ考えてるのが嫌だった。隠してるみたいなのも嫌だった。好きって言っちまえば、俺がこの先何考えていても、どうなっても、そうだったってことがわかるだろ。そうすれば、全部すっきりすると思った」
息が切れる。絶対に泣きたくなかった。
袴田がゆっくりと笑って口を開いた。
「ありがとう。嬉しいよ」
袴田は続けて答えた。
「ちなみに君が何を宣ってもなんだかんだ私のことを憎からず思っているのは何となく承知していた」
「そーかよ! うるせえな!」
「君は捻くれてるのに素直だな」
「何なんだよ。これで満足か?」
感情が昂っている。昨日好きだと言った時にはこうならなかったのに。
「いいやもっと話そう。私は君の気持ちが嬉しい。君の存在を大切にしたいし、君の感情を慈しみたい。でも君は何も欲しがらないな」
爆豪は答えた。さっきから吹いていた風が一旦収まって、あたりは静かになった。
「そんなのは、もう十分もらってる」
袴田は嘆息した。
「そうか……。それは、……よかった」
困ったような笑みに見えた。顔が綺麗だ。こうやって一対一で話すときに、すこし言葉をゆっくり発音するところが好きだ。
晴れた夜空に星が瞬いていて、よく似合っていると思った。
「俺がお付き合いしてくださいって言ってじゃあしましょうかとはならないだろ」
「そうだね。不可能ではないにしろ、そうなるのは難しいだろう。君は未成年だしね」
「だからそう言うのはいい。そのままでいい」
「そうか。君のお眼鏡にかなって嬉しいな」
爆豪はふんと息を吐いた。
「でもあんた、未成年だからって言ったけどな。俺は一途なんだ。どうせ一生あんたのことが好きだよ」
爆豪は笑った。この場に来てはじめて。
「せいぜい長生きするこった」
かねてより恋心を抱いている二十年上の男に、告白をすることにした。爆豪も散々っぱら迷ったが、これも円滑なヒーロー活動のためである。
いつから惹かれていたのかはさっぱり見当もつかない。第一印象は向こうも悪かったらしいがこちらも相当なものだった。好きと言われれば好きになるわけでもないが、好きじゃないと言われた相手をわざわざ好意的に見るようなことはない。しかし端からぶちまけてしまおうというその姿勢は別に嫌いじゃない。手間が省けていいくらいだ。
爆豪は言われたことも言ったこともよく覚えている。相手が真剣なら尚更だ。珍奇なコンセプトを掲げているとは思ったものの、それが心の底から本気でやっていることはよくわかった。生半可な覚悟ではトップヒーローは立ち行かない。
あの職場体験で交わした言葉は今もなお鮮やかに取り出せる。それなり以上に不満を覚えたこともはっきり覚えている。そこでの言葉が、爆豪が学生生活を過ごす上で一つの導となっていたのはいつの間にだっただろうか。あの時言われた『矯正』とありたい自分との間でいつの間にか折り合いがついていた。現状の爆豪について矯正が完了しているのかは聞いてみないとわからないが。
爆豪はベストジーニストが好きだ。一番好きなヒーローはオールマイトだし、親しみを持っているのは切島であるし、一番拘った人間関係は幼馴染相手である。そういうものと一つひとつ吟味して、爆豪は結論を出した。この気持ちは恋心である。
爆豪は恋心についてそこまでポジティブではない。なんだか振り回されている心地がするし、振り回されるのが楽しいとは思わない。上鳴なんかが交際相手を欲しがって嘆くのをみてもさほど面白そうにも見えない。母親が強烈に父親のことを好きでアプローチした話を聞くとため息が出る。その結果として自分が存在するのだからありがたくてもいいはずだろうが、どうも恋愛ごとはそれによって可処分エネルギーが無駄遣いされている気がする。だから自分の感情に恋情というラベリングをした時に決めたのだ。この気持ちはいつか然るべき処理をする、と。
社会は一変した。ヒーロー社会はぐちゃぐちゃになり、ヒーローの株は下げ止まりまで行った。今はそこから立ち上がるために、これからの社会の生活基盤からどうするべきか考えている最中だ。そんな時だからこそ、結局ヒーローの出番は多い。起きたことに対処するのに一番いい立場にあるからだ。よってヒーローは学生含めて大小あらゆる緊急事態をそこかしこで捌く羽目になっている。ベストジーニストはその中でも極めて過酷な状況に置かれていると言える。異次元の激務である。何せトップヒーローが皆ボロボロの中で、善良なヒーローとしての立場と能力を備えたままでいる。どうしようもなく変化している社会の中で、変わらずあるものは安心感をもたらすし、安心を求めている者は多くいる。
爆豪はそれをそう遠くない場所でみていた。常闇や切島のおかげで、関わりのあるヒーローに懐いていることが不思議に思われなかったことが爆豪にとって幸いだった。この距離感を茶化されようものなら自分が何を口走るかわかったものじゃない。
ベストジーニストとそのサイドキックたちが身を粉にして働くのをみて、爆豪は強い満足を覚えた。自分の好きな人とそれを取り囲む環境が、必死なくらい、真摯さを十二分に持つものであることは、爆豪にとって大変好ましいことだった。ただ、誰にでもできる雑務としか思えないものまで業務に含まれているのには閉口した。ヒーローは何でも屋に近い。爆豪からしたら抱え込む必要がないとしか思えないものまで己の仕事としていく。それでもこの事務所はまだ整理されている。所長の意向が末端までよく理解されているし、仕事の分配は適切だと思う。手伝いの爆豪にもある程度の業務が任せられるし、同時にある程度まで、おそらく学生の身で責任が取れる範囲までしか任せられない。歯痒さを感じることもあるが、あの前線を戦い抜いた学生に任せられる範囲はそれなりに多い。爆豪もなかなか忙しくしている。
そんな中で思ったのだ。卒業する前にこの恋心になんらかの始末をつけよう、と。
卒業したら爆豪も『学生ながら』という但し書きのつかない一人のヒーローになる。そうしたらベストジーニストとの距離感も多少は変化があるだろう。爆豪はベストジーニストが好きだ。今まさに好きだ。この感情が拗れたり熟成しすぎて腐ったりしたら手がつけられなくなる。その前にどうにかするべきだ。
どうにかとは何か。
例えば恋情をもって好きな相手とは交際が発生したりするらしい。爆豪はベストジーニストとそうなりたいのか。考えてみた。わからなかった。芦戸に聞いてみた。付き合うっていうことの何がメリットなのか。芦戸はかなりはしゃいだ顔をしたけれど、誰にもいうなと言えば神妙そうに頷いてみせた。その答えはこうだ。お互いのことを堂々と特別扱いができる。
特別扱いはもう十分にされている気がした。ベストジーニストにとってはあれがスタンダードなのかもしれないが、爆豪にとって必要な言葉と必要な環境をくれた人だ。学生の中では親しい方であると思うし、現状近くにいられることは爆豪にとってかなり好い状況だ。そして爆豪の側からも、ベストジーニストは特別な位置に置かれている。多少は気づかれているのではないかとも思う。じゃあ別に交際関係になりたいとは思わない。爆豪はこの状況を壊したいとは思わない。
それでもこの気持ちを持ったままのんべんだらりと生きていくのはできない。爆豪は中途半端が嫌いだ。それにこのままベストジーニストと接するのは、隠し立てをしているようで気に食わない。いつか恋心に思い悩んでヒーロー活動に支障をきたしてしまってからでは遅い。それに、ヒーローというのは明日がわからない身でもあるし。
だから、ただ好きだということを知ってもらうべきだと考えた。
ベストジーニストは老若男女に大人気のヒーローであるから、きっと軽やかに好意を受け取ってそして流してくれるだろう。子供の『好き』に心を割いてしまうような失態を晒すことはないだろう。自分が告白したところで変に態度を変えるならそれまでの男だったという話だ。
以上が真っ昼間のジーニアスオフィス執務室の所長デスク前でサイドキック達とのランチミーティング後に爆豪がベストジーニストに告白し、何の返答も得ないままその場を去るに至った思考の道筋である。
△△△
袴田維は困窮した。ほとほと困った。頭を抱えた。二十年下の発展途上の目をかけている少年とも青年ともつかない相手に告白されると自分はこうなるのだと初めて知った。
袴田はヒーローである。ヒーローになって二十年ほど経つ。実力に裏打ちされた人気のあるヒーローをやっている。サイドキックあるいは後輩ヒーローから告白されたのは初めてではない。人から好かれることは嬉しい。伝えてくれる勇気に感謝を感じる。関係を変えることはできなくとも、好意に値する自分でありたいと思う。そういうようなことを丁寧にラッピングして伝えるお断り文句その他のバリエーションも持っている。
だというのに爆豪にあんたのことが好きだと言われて咄嗟に反応できなかったのは、バカみたいな量の業務に追われて感じる疲れに対して自分は一流のトップヒーローであると脳内で延々と念じながらいたせいだし、伝達事項が多すぎてランチミーティングだというのにほとんど昼食を口にできなかった空腹感からだし、爆豪のヒーロースーツの首元のほつれの赤ちゃんを本人が気が付かないうちに直すために個性を使っていたせいだし、衣替えにあたってコスチュームを相談しようと思っていたデザイナーからの折り返しがなかなか来ないせいだし、猛暑のパトロール帰りの熱中症未満の怠さのせいであり、
――何より一瞬、満更でもないと思ったからである。
毎日ピッチリ平常運行で鳴らすジーニアスオフィスが放課後の学生達のような浮ついた雰囲気に包まれている。告白した当の本人はすでにこの場にいない。パトロールに出ている。朝スケジュールを指示したのは袴田だ。とりあえずこの場を納めるために全体に声をかける。午後の業務も引き締めていこう。シュア! ベストジーニスト! 大変よろしいお返事である。
袴田は午前の記録をつけ、部下の業務記録を確認し、それ以外に午後に予定していたものがないことを確かめた。仮眠室へ向かう。異様な忙しさの中でやっていくコツは、無理矢理にでも休む時間を確保することだ。
爆豪が自分に懐いているのには気がついていた。野生の動物が人に慣れていくのを見るような俗っぽい面白さも覚えていた。爆豪たちはトップヒーローとの関わりが強い者も多いし、実戦経験も多い。デビューすれば皆即戦力となるだろう。そういった面で、爆豪が自分や周りからたくさんのことを吸収していくのを楽しみに見ていた。さながらリジッドデニムをエイジングさせていくような嬉しい味わいがある。
袴田は爆豪のことを好ましく思う。打てば時間をかけてでも確かに響く。学生という限られた期間で次々と自己変革を遂げる姿を美しく感じる。もともと最近見ないような尖った、あるいは捻くれた性格に興味を持って指名をしたわけだが、こんなに目の離せない相手とは思わなかった。
爆豪は一度、袴田の目の前で心肺を停止した。その時のことを考えると今でもあの子どもの生を奇跡のように感じる。控えめに言って生意気で理想ばっかりが先行した子どもは一人のヒーローになっていたし、一人のヒーローはあくまで人間で、心臓が破れればすぐに死の元へ行ってしまう。どう思い出しても後悔がつきまとう。
それでも爆豪は生還していまここにいる。それがどれだけふとした瞬間の胸の痛みを和らげるか。爆豪は知らないだろうなと思う。
男子三日会わざれば刮目して見よとは言ったものだが、少し目を離したうちに急成長しているし、慣れてきたなと思っていたこのタイミングでさっきの告白である。全く度肝を抜かれる。そんな爆豪を見ていることができるのは、袴田にとって、好ましいことなのだ。
仮眠をしようと思ってもできない。爆豪はそもそもいつから袴田のことが好きだったのか。なぜこの極限的に忙しいこのタイミングで告白をしたのか。謎は多い。
個性の影響、という可能性もなくはない。個性はいまだにわかっていないことも多い。人の恋心をぶちまけさせてしまう個性があったって取り立てておかしな話じゃあない。しかし何らかの個性の影響にあれば報告が上がるはずだ。そういう教育をされている。さらに言えば個性の影響を想定したらキリはなく、爆豪が喋る言葉全てが周りには告白に聞こえているみたいな可能性だってありうるわけで。あわや陰謀論である。
だからきっと、爆豪の言った『あんたのことが好きだ』は、爆豪による袴田への愛の告白と見ていいだろう。いいはずだ。
では、それには、袴田維はどう答えるべきか。難題である。
普通に考えれば、たくさん持っているお断り文句の中から、一番予後の良さそうなものを使ってお断りするべきだ。しかしそもそも好きとしか言われていない。爆豪が袴田を好きということはお断りされることではないように見える。だからそうなれば好いてくれてありがとうという他ないのだろう。でもそれじゃあ足りない気がしてしまう時点でやっぱり問題なのだ。好かれているだけよりもう一歩、何かあったら、と思ってしまう。思ってしまったのだ。
袴田は忙殺されている。ヒーローはオールシーズン繁忙期だが、過去最高があるとしたら今である。頭の中は業務用にセッティングされているから、これを考えているのは少しの余剰部分だ。爆豪は大事な後輩で、サイドキックで、目をかけていた子どもで、急成長著しいヒーローで、やっぱり、目が離せない一人の人間だ。
それをどうやってあの子に伝えようか。君に好かれていて嬉しいということを。
爆豪がパトロールから帰ってくるまで、あと三十分ほどである。仮眠は結局、一切できそうにない。
△△△
爆豪が事務所に帰るとそこは何だか生ぬるい気配が充満していた。顔を見てあっと言われるのは爆豪にとって日常茶飯の出来事だが、この事務所では初めて来た時以来である。何だか腹立たしい。一体なんだというのか。
「いつからベストジーニストのこと好きなの?」
「わかんね。いつの間にか」
「デートとかしたい? どんなデートしたい?」
「別に。そんな暇ねえだろ」
先輩ヒーローが恋バナを目の前にした芦戸のようになってしまった。ため息。
「何でもいいだろ。好きなもんは好きだし、別に、」
きゃあっと声が響く。この事務所では今まで聞くことのないタイプの歓声であった。
「もいっここれだけ教えてよ。どういうところが好きなの?」
「背筋が伸びてるところ。目線が迷わないところ。一対一で話すときの声」
「趣味がいいー!」
余計なお世話である。先輩を押し退けて報告書の作成に取り掛かることにする。
もう一つ爆豪が袴田を好くにあたって大事なところは、袴田が生き返ったことだ。それは爆豪がこの男は約束を違えないと信じるに十分な出来事であった。仮死状態になってまで一つの成果を求めるというのは貪欲さとして好ましくも思うが、あんなこと言っといて放ったままで消えたのかよとは思ったし今も思っている。だからたとえ過酷な戦闘中であっても、再び会うことができて嬉しかったのだ。以来それどころではなかったから意識することもなかったが、あの一瞬を経て爆豪の好意はもはや揺らがぬものになったのだろう。
パトロール日誌のフォーマットを埋めていると、急に所内がざわつき出した。緊急のアラームは鳴っていない。状況を把握しようと、周りを見回すと、休憩に入っていたはずのサイドキックが息せき切って駆け込んできた。
「ちょっと大変! 有事は副所長の指示に従うように。業務に変更は基本的になし!」
「何事だよ?!」
「ベストジーニストがエナドリ飲んで昏倒した!」
爆豪は激怒した。
△△△
目が覚めると身体は重く、何か着ぐるみでも着せられているようだった。袴田が目線をずらすとそばには目を吊り上げた爆豪がいた。
爆豪はよく怒る。すぐ怒る。相手によっては常に怒っていると言ってもいいくらいだ。とはいえここ最近の爆豪は怒るのにも少し逡巡を挟むことが増えた。ある人はそれを見て大人になったんだなと思ったし、またある人はアンガーマネジメントしても結局怒鳴ることになるのかよと面白がった。
しかし爆豪は今まさに怒っている。爆ギレである。袴田は自分の挙動が爆豪の感情に着火させたことを一拍置いて把握した。ずいぶん久しぶりである。心配の照れ隠しとするには激しいが、爆豪式ならこのレベルでもおかしくない気がする。
「自己管理の不注意で自分でとどめさして倒れるとかバカだろ。ありえねえ」
照れ隠しではなさそうである。
「……ええと、すまない。現状は?」
「あんたの仕事は属人性の高いやつ以外は副所長が引き継いだ。今は午後の九時。ここは医務室。さっきまで医者がくどくどくどくどあんたに苦言を言ってた。録音したから後で聞けよ」
「そうか、申し訳ないね」
「それを言われるべきなのは俺じゃない」
「でもきみ怒っているだろう」
「相手が怒ってるから謝んのかよ。適当だな」
「ええと、違うな、そういうことじゃない。君に謝りたくて…、そうだな、カッコ悪いところを見せてすまない」
爆豪は激怒した。二度目である。す、と表情を消し、スツールから立ち上がった。床に擦れる音がやけに大きく聞こえた。ドアを開く。
「その謝罪はいらねえ」
袴田は自分の眉間をなぞった。やってしまった。おそらく爆豪をここに置いたのは昼のことで愉快そうにしていたサイドキックの誰かだろうな、と現実逃避じみたことを考えた。
袴田維はベストジーニストである。ベストジーニストをやっていると言ってもいい。『ベストジーニスト』を名乗ると決めたあの日の決意とこれまでの自らの研鑽が、袴田をベストジーニストたらしめる。
『ベストジーニスト』はこんな失態を演じないなあとため息をついた。袴田は人気商売としてヒーローをやるのもそれなりに好きだ。好かれる像であるという自負もある。二回り弱年下を怒らせて落ち込むようなのは柄じゃない。
サイドボードに置かれている端末を持ち上げ、確認する。爆豪からメールが届いていた。音声データが添付されているだけで、本文はなにもない。ボタンをタップすると、懇意の医師からの苦言と心配が再生された。落ち込んでいる身には少々効きすぎる。
申し訳なく思いつつも聞き流すことにする。爆豪はどうして怒ってしまったのか。心配をかけただろうことは間違いないが、それでああまで怒るだろうか。爆豪ならありえる。それとも好きだといった人間がやわで怒ったのだろうか。かなりどうかと思うが、爆豪ならありえる気もする。
録音が二度とエナドリに頼るんじゃないどうしてもって言うなら一万歩譲ってコーヒーにしなさいというようなことを言って終わった。端末が置いてあったところには血液検査の結果がペラ一枚で置いてある。内蔵の傷んだ身である。神妙に見ることにする。じっくりと眺めていれば、裏面に何かペンで書かれているのに気がついた。
『忙しいのに変なこと考えさせて悪かった』
袴田は頭を抱えた。二度目である。
それを知った頃はあの戦いの渦中であったこともあり言及したことはなかったが、爆豪にはどうにも奥ゆかしいと言えるようなところがあるらしい。言い切るにはどこか確信が足りないので伝聞調だ。袴田とて他人の秘めたものを無理やり暴くのは趣味でないし、ヒーロー活動でもないのに相手の粉飾を剥ぎ取るのは衣類愛好者としての倫理にも反するので何か働きかけようとはしなかった。とはいえ、見ているとどうにも爆豪が茨の道ばかり選んでいるようにも見えるのは確かだ。もっと器用に立ち回ることだってできるだろうと思う。その程度の器量はあるだろうに、絶対にそれをしないのだ、あの男は。感情を隠すのであれば怒りの面を納めて好意を明らかにしてしまえばスムーズになることも多いだろうにとも思う。絶対に口に出しはしないが。側から見ていればどうにも歯痒く感じるところではあるけれど、それは爆豪の選択で、他人に勧められたって変わりやしないだろうし、彼の芯の部分でもあるのだろう。あのプライドは稀有だ。袴田の矯正だって難航したものだ。
きっと爆豪の好意というものは、彼にとって大切なものを置く場所に丁寧に仕舞われているのだと思う。彼が好むものたちと一緒に。だから滅多に表に出ては来ないのだ。そして表に出てきたレアケースである今日の告白は、このままだと再び仕舞われてもう二度と日の目を浴びないようにされてしまうのだろう。
惜しい、と思う。
袴田は好かれることがそれなり以上に好きだ。鍛錬を積む、自己プロデュースをする、そうやって織り上げた自分好みの自分の像がある。どれだけ気を抜いていても、習慣にしたものは自分という人間を染め上げている。人から好かれるというのは、作品とそれを編み上げた自分に対する拍手のようなものだ。いつだって喝采は嬉しい。
同時に他人のことが基本的に好きだ。人の活動によって生まれる波紋が好きだ。人の意思が好きだ。人と人の間で織りなされる模様が好きだ。素朴な感情も意識した見せ方も全てがその人を作り上げていて、それを美しく思う。慈しまれるべきだと思う。
爆豪のことを考えた。
メールを送る。
話がしたいから時間を作ってくれないか。
△△△
爆豪は後悔していた。同時にたいへん怒ってもいた。自分自身に対して。言うんじゃなかった。
感情を処理するのはエネルギーを使うことなのだ。身をもって知っていたのにやらかした。爆豪ならまず怒りとして表出するような感情でも、思考を割いて考えてしまうような者は多い。特にヒーローには。バカみたいに負担がかかってる時だというのに、ベストジーニストの思考に割り込みたかったわけじゃなかった。俺がバカだった。
翌日、業務終わりに袴田に呼び出されたのは事務所近辺の公園であった。約束の時間の十五分前に着いたが、相手はすでに待っていた。暗い中で。
「なんで事務所じゃないんだ」
周りで木々がザワザワと風を受けて鳴っていた。暦の上では春だが、ここ数日は夏日が続いている。来週には落ち着くらしい。夜になってようやく気温は下がって、気持ちのいい風が吹くようになる。遠くで蝉の声が聞こえる。一匹だけ土の下から見当違いにはやく出てきてしまったのだろうか。
袴田が口を開いた。
「私的な話だからね。それに早く休めと追い出されてしまうから」
「じゃあ休めよ」
「この話が終わったら。君と胸襟を開いて話したい」
袴田はいつものコスチュームではなく、高級なレストランにでも行けそうな小綺麗な格好をしていた。
まっすぐに爆豪を見つめる。爆豪もそれを見返した。瞳の色が少し濃く見えた。
袴田が言った。
「君の告白にすぐ答えが渡せなくて悪かったね。あまりに未練ないようなそぶりで立ち去るものだから声もかけられなかった」
「その話はもういい」
「よくない。爆豪、コミュニケーションしよう。言い逃げだったんだぞあれは」
爆豪は黙った。業腹だが、否定はできなかった。
「私は君の好意を嬉しく思うよ。私も君のことは特別に感じる」
「そういうのが欲しかったわけじゃない」
「ただ言いたかっただけかい?」
「……そうだよ。悪かったな」
思わず目を逸らしていた。
「どうして伝えてくれようと思ったんだ?」
頭に血がのぼる感覚がした。適当なことを言ってしまおうかと思った。できなかった。爆豪は自分の一次感情を偽りたくない。いつだって。
「好きなもんを好きって言いたかったんだよ! あんたの時間と思考を割かせるつもりじゃなかった!」
自棄のような気持ちで相手の顔を見ると、目を丸くしていた。続けて言う。
「あんたのことが好きだよ。あんたが昨日あのまま倒れて死んでても好きだった。別に何かになりたいわけじゃないし、何かが欲しかったわけでもない。このままぐちゃぐちゃ考えてるのが嫌だった。隠してるみたいなのも嫌だった。好きって言っちまえば、俺がこの先何考えていても、どうなっても、そうだったってことがわかるだろ。そうすれば、全部すっきりすると思った」
息が切れる。絶対に泣きたくなかった。
袴田がゆっくりと笑って口を開いた。
「ありがとう。嬉しいよ」
袴田は続けて答えた。
「ちなみに君が何を宣ってもなんだかんだ私のことを憎からず思っているのは何となく承知していた」
「そーかよ! うるせえな!」
「君は捻くれてるのに素直だな」
「何なんだよ。これで満足か?」
感情が昂っている。昨日好きだと言った時にはこうならなかったのに。
「いいやもっと話そう。私は君の気持ちが嬉しい。君の存在を大切にしたいし、君の感情を慈しみたい。でも君は何も欲しがらないな」
爆豪は答えた。さっきから吹いていた風が一旦収まって、あたりは静かになった。
「そんなのは、もう十分もらってる」
袴田は嘆息した。
「そうか……。それは、……よかった」
困ったような笑みに見えた。顔が綺麗だ。こうやって一対一で話すときに、すこし言葉をゆっくり発音するところが好きだ。
晴れた夜空に星が瞬いていて、よく似合っていると思った。
「俺がお付き合いしてくださいって言ってじゃあしましょうかとはならないだろ」
「そうだね。不可能ではないにしろ、そうなるのは難しいだろう。君は未成年だしね」
「だからそう言うのはいい。そのままでいい」
「そうか。君のお眼鏡にかなって嬉しいな」
爆豪はふんと息を吐いた。
「でもあんた、未成年だからって言ったけどな。俺は一途なんだ。どうせ一生あんたのことが好きだよ」
爆豪は笑った。この場に来てはじめて。
「せいぜい長生きするこった」
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