ゴーストライクユー

 そこに現れたのは背の高い男だった。制服を着ている。どこか現実離れした佇まいで、静かに爆豪を見つめていた。気配がなかった。爆豪の脳裏を旧校舎の怪談話が駆け巡る。旧校舎が現役だった時代の生徒のユーレイが今でもずっと通ってるんだって。廊下をずうっと歩いてる。そいつが元々有名な生徒で、急に失踪して行方不明なんだって。旧校舎を取り壊したら遺体が見つけられるんじゃって話があるから、チキってずっと解体できないでいるらしい。遺体出てきたら大事件だもんな。
 男は確かにこの学校の制服を着ていた。この季節だと言うのに冬服だ。生徒ではないと確信があった。総会では全校生徒が講堂に集められる。こんなやつ、目立たない訳がないし一度でも目にしたら覚えているに決まってる。悠然とした立ち姿は美しい、と言っていいと思う。
「一年生か」
 爆豪が何も言わずにいるうちに幽霊は話し出した。
「普段はちゃんと着ているんだろう。もったいない。放課後だから着崩したのか?」
 爆豪の制服を見て話している。ふむ、と顎に手を寄せ、もう片手で幽霊は手招きをした。何も反応せずにいると、向こうから近寄ってくる。足音がないな、と思って目線を下ろした。足はある。接地してるように見える。影もある。
「は?」
 手が喉元に伸びてきて、やっと声が出た。
「ずいぶんなご挨拶だ」
 一瞬、首を絞められるかと思った。想像に反して、幽霊の手は襟のボタンを留め、しゅるしゅると爆豪のネクタイを結んでみせた。あっと言う間で、魔法のような手際のよさだった。
「こちらの方が格好いいと思うがね」
 すうと身を離された。鳥肌が立っている感覚がある。なんだこいつは。制服の肩をなぞられて何かと思えば、錆が付いていたと言われた。外の非常階段の錆だ。柵を越えたりなんだりしているうちに付いたのだろう。布越しに感じる手の感触は冷たかった。
 西日が強い。頭がぼうとするような眩しさだ。目の前の男がいよいよ現実味をなくす。
「おっと。こんな時間か。もう日が沈むよ。帰りたまえ。また来るのなら今度は正面玄関口を開けておく」

 その翌日、放課後爆豪はふたたび旧校舎へ向かった。前日のことは白昼夢のように感じていた。茫然としたまま寮に戻って、夜もしっかり眠れなかった。あの幽霊の存在を確かめたかった。
 正面玄関のガラスドアに手を掛ければスムーズに開く。言っていた通りだ。校舎内は薄暗かった。階段を昇る足音が妙に響く。そういえば昨日も下足で室内に入ったがよかったのだろうか。よくなくても今さら上履きを取りに行こうとは思わないが。
 三階に着いた。一番端の被服室を目指して歩を進める。
 いた。ドアを開けると、窓際の机にあの男が腰かけていた。
「今日はちゃんと玄関から入ったな」
 幽霊が笑う。相変わらず冬用の制服だ。あつらえたようにぴったりと身に沿う布地は優雅に見える。爆豪も同じデザインの制服を着ていたはずだが、自分はまだ少し着せられている感があると気づいた。
「あんた何?」
 爆豪が問うと幽霊は首を傾げた。
「君は知らないか? それなりに噂になっていると思ったのだが」
 立ち上がると背が高い。爆豪はいつかの夜に見た影を思い出した。こんな背格好の人影だったと言われれば納得できる。
「あんたは……」
 幽霊なのか、と問おうとしたが、爆豪は口をつぐんだ。響きのバカバカしさに耐えられない。多分年上だろうとは思うが、それ以上のことは読み取れなかった。男を眺めていると、じっと見つめ返される。気まずくなって窓の外に顔を向けた。
「ようこそ私の秘密基地へ」
「は?」
 どういう意味だ、と聞こうと振り返ろうとすると、ちょうど風が強く吹き込む。カーテンがバタバタと顔の周りに纏わりついた。鬱陶しい。払って向き直ると、
「は……?」
 男は消えていた。教室に居るのは爆豪だけだ。
 見回してもいない。
「おい」
 返事はない。
 爆豪は思った。また化かされた。

 翌日も放課後旧校舎に向かうつもりだったが、バスケ部員に捕まった。今度は爆豪のクラスメイトだけじゃなく、二年生の部員まで連れて懇願された。
「なあ爆豪くん。頼むよ、副キャプ大変なんだ」
「俺が行っても変わんねえだろうが」
「そうでもねえって! お願い! てか夕飯前に走ってるぐらいじゃん!」
 有り余ってんでしょ、と腕を掴まれる。今日は用事がある、と言ってやってもよかったがなんとなく口を噤んだ。ほぼ引きずられるようにして体育館に連れて来られた。いっそ疑問だ。
「どうなってんだよセンパイは」
「怒んないで聞いてよ」
「あ? 内容によるに決まってんだろが」
「もう怒ってる?」
 クラスメイトの言うところによると、副キャプテンが怪我をしてしまってから、三年生の様子が皆変なのだという。
「部長は? 責任者だろ。てか顧問は?」
「部長、キャプテンね、事故以来なんか落ち込んでるっぽいっていうか。いつも副キャプが天然ボケしたりするとツッコミ入れる感じの人だったんだけど、それが今や全然なワケ。他の三年生もなんか気が引けてる感じ。顧問は掛け持ちで放送部持ってて忙しいからなかなか来ない。副キャプに怒ったらしいて聞いたけどこれだしな。マジなのかわかんない」
「下んね。なんでいつも俺に声かけんだよ」
「爆豪怖いもんな」
 ああ? と威嚇すれば顔の前でぶんぶんと手を振った。
「待て待て怒んないで。爆豪こう空気あんま読まないじゃん。するべきことはするーって感じで。みんなそれでちょっと身が引き締まるというか練習に意識が向くっていうか。怖えけど。バスケ部なんだしバスケやんなきゃな」
「おまえバスケ好きなんだな」
「ちょっと照れるな。……だから部長のことけっこー好きだったんだけどなー」
 ふーん、と適当に頷いて着替えた。旧校舎の被服室に得体の知れない男が居るくらいだし、本当に呪われたバスケットボールでもあるのかもしれないと戯れに思う。
「副キャプテンがしゃべりたいせいなんだろ? 言いたいだけ言わせりゃ満足すんじゃねえの。あれだろ。子供が話聞いてもらえなくて必死になるやつ」
「先輩にも容赦ねえよなーアナタ……」
 部活動の時間はせいぜいが二時間だ。効率だけで言ったら一人で走っている方がいい気がするが、必死に頼んでくる姿は気分がいいと言えなくもない。ボールに触るのも好きだ。それなりに。ただ旧校舎のことが気になって、その日はよく身が入らなかった。
 閉校時間ギリギリに練習が終わる。もう夕食か入浴かを進めなくては消灯間際に詰め込むことになる。早く寝たいのでおとなしく寮に帰った。

 翌日は朝から隣席で頼む頼むとうるさいので頷いてしまった。授業中にも話しかけてきそうな勢いだった。それでもあの幽霊が頭から離れないので昼に旧校舎に向かった。
 正面玄関口の鍵はかかっていたので、また非常階段を昇る。ガンガンと音が鳴った。開いている窓から被服室に侵入する。
 幽霊は目を丸くして爆豪のことを見ていた。
「授業はどうした。……ああ、昼休みか」
 それに答えずに爆豪は問いを投げた。
「ずっとここにいんの」
「そうでもない。でも」
 幽霊はずいぶんと美しく微笑んでみせた。
「君がそう望むなら」

 それ以来時間を見つけては旧校舎へ足を向けるようになった。幽霊を確かめるような気持ちだった。何時行っても幽霊は変わらずそこに居た。隣席のバスケ部員には、「爆豪がたまにどこにも居ない」と不思議がられたが旧校舎でのことは何も話さない。旧校舎に行くときはいつも、誰にも気づかれないように注意を払っていた。
 ある日のことだ。怪談同士共鳴するものがあるかもしれないと思い、バスケットボール部で起こっている怪奇現象未満の疑心暗鬼について幽霊に話した。ふだんは一言二言話したあとは幽霊が布地を手繰るのを眺めているだけだ。急に長い話を始めた爆豪のことを幽霊は興味深そうに見つめていた。
「ふむ、嫌な話だね」
 幽霊は口許に手を寄せた。冗談みたいに絵になる姿だった。
 幽霊は小さく呟いた。聞かせようとした音量ではなかった。
「同じような事故が起きないといい」
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