短文ノック
走ることは苦しかった。痛かった。辛かった。だから選んでいた。視界が狭くなって、足が限界を叫ぶ。そうすると、脳に行くべき酸素がなくなって、目の前はぼやける。見えなくなる。見なくてよくなる。そのために走っていた。
「もったいなくない?」
ある日初めて走る道で、戻れなくなるかもしれない、と言う気持ちを圧倒的に上回る、戻れないくらい遠くへ行きたい、という衝動のままに走っていたら、一つの出会いがあった。
そうして僕は新しく生まれた。きっと、君は知らないのだろうけど。
はやく走ることなんて考えたこともなかった。がむしゃらに足を動かしていれば、どこか遠くに行けるかもしれないと、淡い期待だけがあった。その期待が叶わないことなんてずっと知っていた。
言われた通りに動くと体が勢いよく前進した。景色が変わって見えた。驚いた。空を飛ぶ魔法のようだった。今までは前にも進めていなかったことを初めて知った。一度知ってしまえば、もう戻れない感覚だった。速くなりたい。もっと、もっと! 君が見てる景色に。追いつけるくらいに!
足がはやいとそれだけで見える景色は変わるし、行ける場所が増える。クラスメイトに放課後遊ぼうと誘われたのなんて初めてだった。せっかくだったけど断った。やってみたい練習があった。もっと、もっと速くなりたかった。
誰よりも速ければ、と君は言った。続けた言葉通り、君は誰よりも速かった。つまりあの時、僕は君より速くはなかった。もっと、もっとと思った。他のみんなには勝てた。あとは君だけだ。君よりも、速くなりたい!
もしかしてと思った。確かめてみたかった。君と走ってみたかった。最後のチャンスだった。勝てないに決まってる、とは思わなかった。もしかしたら、と言う期待ばかりがあった。僕は期待してばかりだ。そしてその時、僕はうまく走れなかった。
悔しかった。走ることを初めて少ししか経っていないのに、こうも悔しくなるのだと思った。君はその悔しさをわかっていないような声でまたと言った。返事は出なかった。
そうして僕はまた走った。彼が教えてくれたのは短距離の走り方で、より遠くに行くのは難しかった。もっと走った。一番速くなれば、全部解決すると思ったから。
妬心に晒されて、削られて、研がれて、僕はより速くなった。何も解決しないじゃないか、って、ちょっとだけ思った。君よりも速くなっていて、その思いは余計強まった。君のかけた魔法はとっくに切れていた。
それでも走った。走ることしか知らなかったから。本当にもっとはやく、誰にも触れられないようなこの世で一番のスプリンターになれば、あの魔法もまた蘇るんじゃないかと思ったから。
果たして魔法はまた君が運んできた。走って、走り切って、息が落ち着いて、なんだか空気が知らない味をしていた。光る視界に、瞳孔が開いているんだ、と思ったけど、見える景色は言葉にできなかった。君はひどい顔をしていた。でも一言、楽しかったろ、と言った。肩を貸した。楽しかった、って言葉じゃ不足だと思った。走りたいと思った。走ることでしか知れない世界が、あのぼやけた景色の先にあって、そのことは僕だって知っていたはずなのだけど、君がいつか教えてくれたはずなのだけど、それでも、僕はそうやって、また新しく生まれた。
きっと君は知らない。それも。それならば、これは僕だけの秘密だ。
君と走れてうれしい。
「もったいなくない?」
ある日初めて走る道で、戻れなくなるかもしれない、と言う気持ちを圧倒的に上回る、戻れないくらい遠くへ行きたい、という衝動のままに走っていたら、一つの出会いがあった。
そうして僕は新しく生まれた。きっと、君は知らないのだろうけど。
はやく走ることなんて考えたこともなかった。がむしゃらに足を動かしていれば、どこか遠くに行けるかもしれないと、淡い期待だけがあった。その期待が叶わないことなんてずっと知っていた。
言われた通りに動くと体が勢いよく前進した。景色が変わって見えた。驚いた。空を飛ぶ魔法のようだった。今までは前にも進めていなかったことを初めて知った。一度知ってしまえば、もう戻れない感覚だった。速くなりたい。もっと、もっと! 君が見てる景色に。追いつけるくらいに!
足がはやいとそれだけで見える景色は変わるし、行ける場所が増える。クラスメイトに放課後遊ぼうと誘われたのなんて初めてだった。せっかくだったけど断った。やってみたい練習があった。もっと、もっと速くなりたかった。
誰よりも速ければ、と君は言った。続けた言葉通り、君は誰よりも速かった。つまりあの時、僕は君より速くはなかった。もっと、もっとと思った。他のみんなには勝てた。あとは君だけだ。君よりも、速くなりたい!
もしかしてと思った。確かめてみたかった。君と走ってみたかった。最後のチャンスだった。勝てないに決まってる、とは思わなかった。もしかしたら、と言う期待ばかりがあった。僕は期待してばかりだ。そしてその時、僕はうまく走れなかった。
悔しかった。走ることを初めて少ししか経っていないのに、こうも悔しくなるのだと思った。君はその悔しさをわかっていないような声でまたと言った。返事は出なかった。
そうして僕はまた走った。彼が教えてくれたのは短距離の走り方で、より遠くに行くのは難しかった。もっと走った。一番速くなれば、全部解決すると思ったから。
妬心に晒されて、削られて、研がれて、僕はより速くなった。何も解決しないじゃないか、って、ちょっとだけ思った。君よりも速くなっていて、その思いは余計強まった。君のかけた魔法はとっくに切れていた。
それでも走った。走ることしか知らなかったから。本当にもっとはやく、誰にも触れられないようなこの世で一番のスプリンターになれば、あの魔法もまた蘇るんじゃないかと思ったから。
果たして魔法はまた君が運んできた。走って、走り切って、息が落ち着いて、なんだか空気が知らない味をしていた。光る視界に、瞳孔が開いているんだ、と思ったけど、見える景色は言葉にできなかった。君はひどい顔をしていた。でも一言、楽しかったろ、と言った。肩を貸した。楽しかった、って言葉じゃ不足だと思った。走りたいと思った。走ることでしか知れない世界が、あのぼやけた景色の先にあって、そのことは僕だって知っていたはずなのだけど、君がいつか教えてくれたはずなのだけど、それでも、僕はそうやって、また新しく生まれた。
きっと君は知らない。それも。それならば、これは僕だけの秘密だ。
君と走れてうれしい。