短文ノック

 走るために生まれた、というフレーズを聞いて立ち止まった。声の出所を探すと、馬のぬいぐるみを鞄につけた学生らしき人が、慌ててスマートフォンの音量を操作していた。ぬいぐるみの馬には鞍がついていて、耳にも何か覆いをつけている。たぶん競走馬だ。ぬいぐるみにくっついている名前も、なんか聞いたことある気がする。
 走るために生まれた。ブラッドスポーツなら、ありうる表現だ。選択肢ってものがあるべきだと思うけど、俺は惰性でだったとしても二十五年間これを選び続けてきたからそう思うけど、そういう世界もあるだろう。隣を歩いていく小宮くんに追いつくために少し早足になりながら、口に出す。
「なんのために生まれたかって怖い問いだね」
「なんのために走ってるのか、とどう違うの」
「小宮くんは走るために生まれたの?」
 小宮くんならそのくらい極端な思考を持っててもおかしくないよな、と勝手なことを考えながら言う。怖い人だな、相変わらず。声は少し笑ってしまった。
「どうだろう」
 やっぱり。否定しないんだ。尊敬する。小宮くんは真面目な顔をして考え込んだ。小宮くんって結構歩くの速いんだな……ってさっきから俺が思っているのにはきっと気がついていない。歩くのが速いっていうより、普段から自分のペースでしか歩かないから俺も他人と歩くときにする気遣いみたいなのを一切しなくて済むっていう感じな気がする。
 駅の構内には音が溢れていて、少しだけうんざりする。人ってこんなにいるものなんだな。普段一・二二メートルの距離は侵されないことが担保されている世界にその身をやつしているので、こうも人間が縦横無尽に歩いていると、圧を感じる。いや正直に言う。邪魔だなって思う。
「そう思うことはある」
 小宮くんが突然そう言ったのを聞いてなんだっけと考え、『小宮くんは走るために生まれたのか』と言う検討の答えだと言うことに思い至る。そう思うことはある。なんとも強気なことだ。
「というか、全てこのためだったんだ、と思ったことがある。走っている最中に」
 自らの生も、ここまでの軌跡も、全部このためだったと思う、確かにそれは俺も知っている感覚だったので、そっか、と曖昧に応える。ちょっとこの話の流れをぼやかしたくなってきたな、と思う。
「この前。君と走った時に、思った」
 ほら! ほら言った。小宮くんは大抵のことに対して大概俺より真剣な人間であるので、そういうことが言えてしまったりする。ここ駅だぞ。俺ら歩いてる最中だよ。なんでそんなこと言えんだよ。
 自分がよっぽどの殺し文句を言ったとおそらく気がついていない彼は、俺が耳がめちゃくちゃ熱くてなんなら逃げ出したいな、と思っていることに気が付かずに続ける。足が治るまでは全力で逃げられないし、全力で逃げたところで小宮くんとはデッドヒートだ。逃げ切れる保証はない。逃げ切れないとはプライドに賭けて言わないけども。
「君と走るために生まれたんだったら、なかなかいい」
 きっとそうではない。俺たちはなんとなしに生まれて、走ることを選んでいる。誰に御されて走っているわけでもない。強いていうなら己自身だ。でも走りたいという気持ちだけは、もしかしたら共有できるかもしれない。言葉も共有していない彼ら彼女らと。だって彼らも足が速い。
 今こんなにも走り出したい。小宮くんにそれを伝えようかどうしようか迷っている間に、改札にたどり着く。
「今すぐ足治んないかな」
「焦ったら良くないよ。僕は知ってるけど、後々響く」
「俺だって知ってるよ」
 改札を抜けた先にはまた道があって、車が道を走る。全部どかして、俺たちの走るためのトラックに、はやく行きたいと思う。まだ高負荷はいけないと言われている俺の足は今、次走ることを楽しみにしている。あんなに怖いこと。結局、俺も小宮くんも好きなのだ。走るのが。なんのために生まれたのだとしても。
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