NEVER MEET YOUR HERO



 朝が怖い。いつも。
 夏は特にだ。眠れないまま迎えた午前4時、蝉の声が聞こえ始めた瞬間の感情、ああいうのを絶望と呼ぶんだと思う。身体は動かない。耳を塞ごうにも、カーテンの隙間から差し込む陽の光が否応なしに朝を告げてくる。
 家から出られなくなって4ヶ月が経った。いつまで経っても動けないまんまだ。ゴミを出す、ネットスーパーの食品を受け取る、精神科に行く、これだけがドアを開けるタイミングだ。
 心配されるのは煩わしく思う。それと同時にそう思う自分を軽蔑する。しばらく前に近況を聞かれた友人からのメッセージはずっと未読無視状態にある。通知のアイコンが嫌で、スマホはマナーモードにしてずっと触っていない。
 ウォークマンを握りしめる。10年前に組んだプレイリストを流している間は息苦しさが少し楽になる。かなり前の漫画、”崩壊”以前のヒーロー雑誌、そういうものがこの部屋には地層になっていて、それらを眺めている間は私は現在のこの時間から逃げることができる。
 どのチャンネルも朝のニュースを流すような時間になって、ようやく眠気が降りてきた。テレビなんて、もうしばらく付けてないなあ。
 眠れそうな時は寝る。生活リズムの乱れについて主治医に何か言われるかもだけど、昼間起きてたっていいことなんてない。そもそも夜に眠剤が効かないのが問題なんだし。
 昼には寝るし、ネットスーパーで食料は調達するし、たまにゴミは捨てるし。こんなに破綻してるのに生活をしようところにしてるのが滑稽だと思う。最近は死んだ人の音楽しか聞いてない。もういない人のことを考えるとすこし落ち着く。イヤホン越し以外で、絶対にこの人はわたしと出会わない。それってなんだか運命じゃない? 絶対にわたしによって損なわれないその存在が、わたしの心を軽くする。すこしだけ。
 隣人のドアの開閉の音のあとしばらくして、わたしはやっと眠りについた。

 自然に起きたわけではなかった。警報が鳴ったその音で目が覚めた。動悸が止まらない。掛け布団を握りしめて、意識して深く呼吸をする。あ、そうだ、頓服、どこにやったっけ。
 外の放送を聞くために、カーテンを開けて、窓を開ける。アラートはスマホで鳴るようにしてたはずだけど、たぶん充電が切れてる。
 避難指示だ。いつぶりだろう。学生の頃を思いだす。
 ぼんやりと聞いてしまったけど、ここが避難区域だ。近くのヒーローが声をかけているのが聞こえている気がする。
 どうしよう。避難って、なに持ってけばいいんだっけ。防災バックはあるけど、最後に中を見たのは半年以上前だし、えっと、あ!薬。薬は必要だよね。今のうちに1つ飲んでおいて、あとはそうだ、服、着替えなきゃ。普通の服、普通の、普通のってどんなのだっけ?
 雑然としたワンルームの中をうろうろするけどなにもできてない。こういうときは、一つずつ、できるやつからちょっとずつやるのが鉄則だってわかってるんだけど、頭の中が嵐みたいになっていて整理できない。あ、手、震えてる。
 ようやっと家から出るのに、どれくらいの時間がかかったのかわからない。お姉ちゃんに連絡しようと思ったけど、そうだった、いまスマホは役立たずなんだった。
 外に出ると胸が苦しくなる。辺りにはもう誰もいない。ゆっくりゆっくり、重くなったリュックを背負って充電切れのスマホを握りしめて歩く。あの準備の時間のうちに、何十パーセント分くらいは充電できただろうに。今日もわたしは馬鹿だ。
 よたよたと歩いていると、遠くで大きな音が聞こえた。まずい。もう始まってる。避難先の方向から音が聞こえる気がする。こっちであってるのかな。どうしよう。巻き込まれちゃったら困る。別に死にたいわけじゃないんだ。たまに自分を放り投げたくなるだけ。
 轟音とは逆側に歩を進める。こっち、あんまり、来たことない。キョロキョロ周りを見ながら進んでいくと、小さな公園があった。広場と噴水くらいで、ベンチはあるけど遊具はない。やっぱりここにも誰もいなかった。
 ゆっくり歩いただけなのにどうしようもないくらい息が切れていて、水飲み場で水を飲んだ。なるべく丁寧に呼吸をする。相変わらず遠くでなにかがぶつかるような音だとか、爆発音だとかが聞こえている。それなのにこの公園の中は閑散としていて、なんだか楽園みたいだった。誰にもなにも関係がない場所。もっと早くにこの公園を知っていたかった。そんな場合じゃないって知っているけど、もうちょっとだけベンチで深呼吸する。ぐしゃぐしゃになってた頭の中がすこしすうっとする気がする。
 ずっとここに居れたらいいのに。
 このまま公園ごとふわーっと浮かび上がって、ここじゃない場所に行きたい。何も、誰も、しらない場所。
 避難するように言われているこの状況で、呑気にそんなことを考えていた。だからバチがあたったのかもしれない。
 もうすこし水を飲もうと、立ち上がりかけた時だった。
 遠くで残響を伴って聞こえていた音が、急に近くで鳴った。
 流れ星を至近距離で見たらこんな感じかもしれない。薄く晴れた空の中を、それは切り裂くように飛んできた。わたしはすぐに目を瞑ってしまったから、どうやって着地をしたのかはわからなかった。
 わたしは、自分がまた水を飲もうとしたからだ、と思った。なぜだか説明は出来ないけど、わたしがあのまま座っていたらここは楽園のままだったはずなのに、と。
 目の前で相手を組み落としながら、確保!と叫んだ人がこっちを向いた。待って、って思ったけど、動けない。
 バチっと音がしそうなくらい強い視線だった。身が竦む。耳元を抑えて避難者、とか、逃げ遅れ、とか言っていた。
 す、と身を起こして、こちらに歩いてくる。思わず後ずさりすると、驚くような身のこなしで距離を詰めてきた。
 目が合って、思わず反らす。
 怖い。何が?怒られるのが?この人の視界の中にわたしが居ることが?
 もう一度その人の方を向こうとしたら、また目が合った。ずっと見られていたみたいだ。びっくりした。びっくりしたら、力が抜けて、またベンチに腰かけちゃった。
 
 その人が手をこちらに出した。何かわからなくて、顔を見ると、ため息をついて、俺はヒーローだ、と言った。そうだろうなと思った。
 その人…そのヒーローはもう一拍おいて、こう言った。
「俺はヒーローなんだよ。俺が来たんだから助かる覚悟を決めろや」

 後から考えてみるとそれは爆破の余熱だったんじゃないかと思うんだけど、そのときのわたしは、グローブ越しの手の熱さに、涙が出てしまったのだった。
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