P.S.宇宙より
「ふうん……」
ロックの長い話が終わって、ぼくは鉛筆を指先でくるりと回した。
ロックはあからさまに顔をしかめる。
「リアクション薄いな! せっかく人が長話してやったのに『ふうん』はねえだろ」
「そ、それはゴメン」
思わず謝ると、ロックは珍しいものを見るような目をぼくに向ける。
「オイ、どうかしたのか?」
「なんだか、色々考えちゃって」
三年前、宇宙ステーションが行方不明になった時から、父さんの記憶は過去になって、ぼくの中の時は凍り付いたように止まっていた。
でも、ぼくが閉じこもっていた時も父さんは確かに生きていて、クルーのみんなやロックと同じ時を刻んでいた。
ロックの話の中の父さんは、確かにぼくの知る父さんそのものだったけれど、ぼくの知らない父さんの姿でもあった。まるで、終わった物語の続きを聞かされているような、不思議な時間だった。
ロックは、ぼくの沈黙をどう勘違いしたのか、にやにやと笑って、
「ほほう、お前、もしかして妬いてんのか」
「違うよ。どうしてそういう話になるのさ」
「お前の知らない父さんの話を聞かされて、羨ましがってるんじゃないのか?」
「そんなんじゃないったら」
「なら何だよ」
ロックの話を聞く中で、少し、ひっかかることがあった。
ぼくの机の上には、升目の引かれた原稿用紙が載っていた。手の中の鉛筆を、ぐっと握りしめる。
「……父さんの手紙」
「ああ、大吾が書こうとして、諦めたやつか」
「父さんが書こうとしてたのは、本当に手紙だったのかな」
地球から果てしなく遠い宇宙に放り出されて、刑の執行を待つばかりだった父さん。もし地球に届くことがあるならと、父さんは「手紙」を書こうとした。地球に残してきたみんなに、言い残したことを伝えるために。自分の死を目の前にして。
それはまるで—。
「スバル? オイ、起きてっか?」
顔を上げると、ロックがぼくの顔の前で、手を振っていた。
「うん。ゴメン。ちょっとぼーっとしちゃってた」
……きっと、ぼくの勘違いだろう。父さんは本当に、ぼくらへの手紙を書いていたと思う。父さんは、いつでも諦めたりしないひとだから。
急に黙り込んだぼくの顔を、ロックはじろじろと見る。
「なあ、お前さっきから変だぞ。もうおねむの時間か?」
「ちが……って、時間?」
ぼくは急いで時計を見る。
「うわーーっ!?」
夜の十二時が、目前に迫っていた。体中の血が引いていく、さあっという音が聞こえた。ロックは耳をふさいで、
「ウルセーな、ご近所めいわくだぞ」
「ど、ど、ど、どうしよう。もう夜だよ」
「夜だな」
「さ、作文、書けてない……」
「あ」
ぼくらの視線は、同時に机の上に移動した。原稿用紙は清々しいほどに、真っ白だ。「おれのこと、忘れちゃいねえか?」とでも言いたそうに、原稿用紙は机の上で無視できない存在感を放っていた。
ぼくはめまいを覚えて、頭を抱えた。
「……どうしよう……」
「オイスバル! 何としても完成させろよ! せっかく協力してやったのに、やっぱりできませんでした、はねえぞ」
「でも……」
「大吾のこと、色々話してやったろうが」
「うーん……」
確かに、ロックの話は新鮮だった。ぼくの知らない父さんのことも聞けてうれしかったのは事実だけれど、作文に生かせるかと言われたら、微妙だ。ロックしか知るはずのないそれを書いたところで、先生に気遣われるのが落ちだ。
たったの四〇〇字。何かひとつ、きっかけさえ掴めれば、書ける気がするのに。
何か、何かないか……。
「こんな紙切れ一枚に親子そろって……情けねえなあ」
ロックは出来の悪い生徒を見る先生のような目でぼくを見て、ため息をつく。悪かったね、親子ともども理系ひとすじで。
「あ」
そのとき、ぼくの頭の中にきらりとひらめくものがあった。
「手紙……」
「手紙がどうしたよ」
ぼくはロックを振り返って、今し方思いついた名案を口にする。
「父さんへの手紙にすればいいんだ。これ」
父さんへ送る手紙のつもりで書くのなら、書くことは沢山ある。ロックはふんふんと頷いて、
「いいんじゃねえか? 大吾のリベンジってことでよ」
「うん」
そうと決まれば、さっそく取りかかろう。
父さんに伝えたいこと、言いたいこと、たくさんあるんだ。ロックと出会って、初めてのブラザーができて、友達も増えて。母さんも元気だよって、伝えてあげなくちゃ。
ぼくは鉛筆を取り上げて、原稿用紙に向き合った。
……そうだ。始める前に、ひとつだけ。
ぼくはロックを振り返る。
「ロック、ありがとう」
「あ?」
「父さんのこと話してくれて」
「礼なんていらねえよ。お前とは、そういう約束だ」
「そうだったね」
「ヘッ、せいぜい頑張りな」
ぼくは微笑んで、机に向き直る。
父さんへ向ける言葉は、自分でも驚くくらい、すらすらと出てくる。
ぼくは原稿用紙に鉛筆を走らせながら、果てしない宇宙を想った。いくつもの星の間を、どこまでも続く暗闇を、父さんはまださまよっているのかもしれない。この手紙が届くのも、いつになるのか、想像もつかない。
けれどいつか、絶対に届くとぼくは信じている。ううん、ぼくがきっと、届けてみせる。
待ってて、きっといまに、父さんを迎えに行くから。
ロックの長い話が終わって、ぼくは鉛筆を指先でくるりと回した。
ロックはあからさまに顔をしかめる。
「リアクション薄いな! せっかく人が長話してやったのに『ふうん』はねえだろ」
「そ、それはゴメン」
思わず謝ると、ロックは珍しいものを見るような目をぼくに向ける。
「オイ、どうかしたのか?」
「なんだか、色々考えちゃって」
三年前、宇宙ステーションが行方不明になった時から、父さんの記憶は過去になって、ぼくの中の時は凍り付いたように止まっていた。
でも、ぼくが閉じこもっていた時も父さんは確かに生きていて、クルーのみんなやロックと同じ時を刻んでいた。
ロックの話の中の父さんは、確かにぼくの知る父さんそのものだったけれど、ぼくの知らない父さんの姿でもあった。まるで、終わった物語の続きを聞かされているような、不思議な時間だった。
ロックは、ぼくの沈黙をどう勘違いしたのか、にやにやと笑って、
「ほほう、お前、もしかして妬いてんのか」
「違うよ。どうしてそういう話になるのさ」
「お前の知らない父さんの話を聞かされて、羨ましがってるんじゃないのか?」
「そんなんじゃないったら」
「なら何だよ」
ロックの話を聞く中で、少し、ひっかかることがあった。
ぼくの机の上には、升目の引かれた原稿用紙が載っていた。手の中の鉛筆を、ぐっと握りしめる。
「……父さんの手紙」
「ああ、大吾が書こうとして、諦めたやつか」
「父さんが書こうとしてたのは、本当に手紙だったのかな」
地球から果てしなく遠い宇宙に放り出されて、刑の執行を待つばかりだった父さん。もし地球に届くことがあるならと、父さんは「手紙」を書こうとした。地球に残してきたみんなに、言い残したことを伝えるために。自分の死を目の前にして。
それはまるで—。
「スバル? オイ、起きてっか?」
顔を上げると、ロックがぼくの顔の前で、手を振っていた。
「うん。ゴメン。ちょっとぼーっとしちゃってた」
……きっと、ぼくの勘違いだろう。父さんは本当に、ぼくらへの手紙を書いていたと思う。父さんは、いつでも諦めたりしないひとだから。
急に黙り込んだぼくの顔を、ロックはじろじろと見る。
「なあ、お前さっきから変だぞ。もうおねむの時間か?」
「ちが……って、時間?」
ぼくは急いで時計を見る。
「うわーーっ!?」
夜の十二時が、目前に迫っていた。体中の血が引いていく、さあっという音が聞こえた。ロックは耳をふさいで、
「ウルセーな、ご近所めいわくだぞ」
「ど、ど、ど、どうしよう。もう夜だよ」
「夜だな」
「さ、作文、書けてない……」
「あ」
ぼくらの視線は、同時に机の上に移動した。原稿用紙は清々しいほどに、真っ白だ。「おれのこと、忘れちゃいねえか?」とでも言いたそうに、原稿用紙は机の上で無視できない存在感を放っていた。
ぼくはめまいを覚えて、頭を抱えた。
「……どうしよう……」
「オイスバル! 何としても完成させろよ! せっかく協力してやったのに、やっぱりできませんでした、はねえぞ」
「でも……」
「大吾のこと、色々話してやったろうが」
「うーん……」
確かに、ロックの話は新鮮だった。ぼくの知らない父さんのことも聞けてうれしかったのは事実だけれど、作文に生かせるかと言われたら、微妙だ。ロックしか知るはずのないそれを書いたところで、先生に気遣われるのが落ちだ。
たったの四〇〇字。何かひとつ、きっかけさえ掴めれば、書ける気がするのに。
何か、何かないか……。
「こんな紙切れ一枚に親子そろって……情けねえなあ」
ロックは出来の悪い生徒を見る先生のような目でぼくを見て、ため息をつく。悪かったね、親子ともども理系ひとすじで。
「あ」
そのとき、ぼくの頭の中にきらりとひらめくものがあった。
「手紙……」
「手紙がどうしたよ」
ぼくはロックを振り返って、今し方思いついた名案を口にする。
「父さんへの手紙にすればいいんだ。これ」
父さんへ送る手紙のつもりで書くのなら、書くことは沢山ある。ロックはふんふんと頷いて、
「いいんじゃねえか? 大吾のリベンジってことでよ」
「うん」
そうと決まれば、さっそく取りかかろう。
父さんに伝えたいこと、言いたいこと、たくさんあるんだ。ロックと出会って、初めてのブラザーができて、友達も増えて。母さんも元気だよって、伝えてあげなくちゃ。
ぼくは鉛筆を取り上げて、原稿用紙に向き合った。
……そうだ。始める前に、ひとつだけ。
ぼくはロックを振り返る。
「ロック、ありがとう」
「あ?」
「父さんのこと話してくれて」
「礼なんていらねえよ。お前とは、そういう約束だ」
「そうだったね」
「ヘッ、せいぜい頑張りな」
ぼくは微笑んで、机に向き直る。
父さんへ向ける言葉は、自分でも驚くくらい、すらすらと出てくる。
ぼくは原稿用紙に鉛筆を走らせながら、果てしない宇宙を想った。いくつもの星の間を、どこまでも続く暗闇を、父さんはまださまよっているのかもしれない。この手紙が届くのも、いつになるのか、想像もつかない。
けれどいつか、絶対に届くとぼくは信じている。ううん、ぼくがきっと、届けてみせる。
待ってて、きっといまに、父さんを迎えに行くから。
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