P.S.宇宙より
ここ何日か、大吾の姿を見ていない。
オレは勝手知ったる宇宙ステーションの通路を抜け、大吾の研究室へ向かった。
立ち聞きした乗組員の話では、大吾は最近、自分の研究室に籠もっているらしい。
……断っておくが、オレはただ世話係として、姿の見えない不審な地球人を見張りに行くだけだ。決して心配しているとか、そういうことではない。断じてだ。
誰に見られるわけでもないのに、オレはちらちらと後ろを振り返りながら大吾の研究室を目指した。
研究室の扉をすり抜けると、中は真っ暗だった。夜目は利くほうだが、それでも部屋の中は暗くて見づらい。机やがらくたのシルエットだけが、辛うじて見て取れる。
その中に、人影らしきものは無かった。
「大吾、いねえのか」
沈黙。
オレは頭をかく。入れ違いか、もしくはもう寝ているか。どちらにしろ、タイミングが悪かったようだ。
部屋の中まで進んで、ようやく目が闇に慣れてきた。
すると、部屋の奥に位置する机の上に、見慣れない何かが覆い被さっていた。
「……大吾!?」
オレの目がそれを認識したとたん、全身に寒気が走った。
机に突っ伏しているのは間違いなく、大吾だった。机の上に投げ出された手は、ぴくりともしない。
「お、オイ、どうした! チクショウ、大吾、大吾!」
肩を掴んで揺さぶろうとして、オレの手が大吾をすり抜けた。そうだ、オレの体は電波でできている。人間に触れるわけがない。目の前で人間が倒れていても、オレにできることなどない。
落ち着け、落ち着くんだ。とにかく誰かを呼んで来よう。乗組員のやつらなら、大吾をどうにかできるはず……。
「……ううん……ん? あれ?」
むっくりと大吾らしき影が起きあがり、部屋の明かりがついた。大吾は目をこすりながら、ゆっくりと首を巡らせる。
とろんとした目が、固まっているオレを見つけた。
「……おはよう、ウォーロック」
「……」
「朝……じゃないな。何をしていたんだっけ」
あくびをかみ殺しながら、大吾は頭の後ろをとんとんと叩く。
机の上を見て、大吾は「ああ、そうだった」と呟く。
「いつの間にか寝てしまっていたな……ふああ、よく寝た」
全身の力が、がっくりと抜けた。本当に人騒がせなやつだ。
「なあウォーロック、さっき大声出してなかったか?」
「出してねえ」
「いや、確かにお前の声が」
「気のせいだろ」
「……どうして怒ってるんだ?」
「オレのどこが怒ってるって!?」
「怒ったじゃないか……」
大吾は耳を塞いで、いたずらをした子供のような口調で言う。
「うるせえ、誰が何と言おうとオレは怒ってねえ」
「ところで、どうしてここにいるんだ?」
「うぐっ」
的確に痛いところをついてくる。こいつ、わざとじゃないだろうな?
「ん? どうした?」
「たまたま通りかかっただけだ。それより、お前はこんなところで何してんだ」
「俺か?」
大吾は目をひとこすりして、机の上にあった薄い白いモノを取り上げる。
「手紙を書いてたのさ」
オレは首を傾げる。
「手紙? 何だそりゃ?」
「ああ、FM星には無いのかな? 手紙っていうのは、誰かに向けたメッセージを書いた紙のことだ」
いま大吾が掲げている白い薄っぺらいモノが、「紙」なのだろう。
「今はメールといって、電波に乗せてメッセージを送るのが主流だが、手紙はすごいぞ。電波の届かない場所にいる相手でも、必ず届くんだ」
「フーン、じゃあここから地球にも届くのか?」
「それは、残念ながら。地続きの場所じゃないと、届かないな」
「不便だな」
正直な感想を漏らす。同時に、疑問がわき上がってきた。
「なら誰に向けて書いてたんだよ、乗組員の誰かか?」
「いいや。地球にいる家族に向けてさ」
なんだって?
「はは、理解できない、って顔だな」
「当たり前だ! お前が言ったんだからな、地球には届かないってよ」
「ああ。届かないけれど、もしかしたら届くかもしれない。だから書くんだ」
「メチャクチャだな」
「俺もそう思うよ」
机の上の紙を、大吾はさらりと指先で撫でる。
「……もうすぐ、息子の誕生日なんだ」
独り言のように呟く大吾の目は、まるで懐かしいものを見るようにやわらかく細められていた。
「……タンジョウビ?」
「その人が生まれた日のことさ。地球の風習みたいなもので、一年ごとにその日を祝うんだ」
大吾は時々、地球の風習や言葉について、オレに話をする。FM星との違いや理解の及ばない地球の生態に、オレはその都度目を剥いていたが、いちいち驚いていてはやっていられない。「そういうものか」と受け取ることにした。
今回も、いまいち理解はできなかったが、「ほう」と訳知り顔で頷いておいた。
タンジョウビはともかく、気になったことを尋ねる。
「お前、息子がいたのか」
「ああ! 自慢の息子がな」
大吾は椅子をくるりと回して、壁に埋め込まれたディスプレイの一つを指さす。
近寄ってみると、二人の人間がそこに映っていた。髪の毛がツンツン尖ったチビと、顔のととのったオンナが、寄り添ってこちらに笑いかけている。チビの弾けるような笑顔は、どことなく大吾のそれに似ていた。
「チビの左にいるのは誰だ」
「俺の自慢の奥さんだ。星河あかね。俺が生涯で一番愛した女性だよ。今までもこれからも、俺にとって最愛のひとだ」
「……そういうの、言ってて恥ずかしくねえのか」
「まったく。本当のことだからな」
「あっそう……」
聞いてるオレのほうが恥ずかしいんだがな。
「息子のほうは、お前に似てるな。なんとなく」
「そうか!? いやぁ、参ったなあ」
参ったなと口では言いつつも、顔は完全に緩みきっている。めちゃくちゃ嬉しそうだ。
「名前はスバルといって、ああ、オレが名付けたんだ、良い名前だろ? スバルはとにかく元気なやつで、好奇心旺盛で……」
大吾の口がぺらぺらとよく動く。そして、オレは直感で悟った。
この話、長くなりそうだな……。
三十秒ほど息子自慢を聞いたところで、オレは飽きてしまった。むしろ、三十秒も黙って聞いてやったオレに、褒美があってもいいくらいだ。
なんとか話を逸らそうと、無理矢理口をはさんだ。
「ところで、もうすぐその息子の誕生日なんだってな」
「お、そうそう、それが明日なのさ。それにあわせて、少し前から手紙を書こうとしているんだが」
一旦口を閉ざした大吾に、オレはほっとした。
大吾は机に向き直り、エンピツを手に取り、黒く尖っていないほうで紙をつついた。紙は清々しいほどに真っ白で、文字の類は見当たらない。
「どうにも、書けないんだ」
大吾は困り切った様子で、エンピツで耳の後ろを掻く。
「何でだ? あんだけぺらぺら喋っておいて、一言も書けねえのかよ」
「そうだよなあ。ウォーロック、何かないか? 良い書き出し」
「知るか」
「コツとかヒントとか」
「経験ゼロのオレに、無茶振りすんじゃねえ!」
「ううん……俺にはこういうのは向いてないのかもしれない。昔から、がっつり理系だったものな」
「リケイ?」
「ええと……説明が難しいな。宇宙とか計算とか、理科が好きな人のことかな」
「フーン」
「それでもって、文章を書くのが苦手な傾向にある人種だ」
大吾は髪の毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜて、椅子の背もたれに体重を預けて仰け反る。
「手紙なんて、ずっと書いていないからなあ……」
「じゃあ、やめればいいじゃねえか。そもそも、何で手紙なんか書こうと思ったんだ? 苦手なくせによ」
大吾がちらりと一瞥をくれて、元通りに椅子にきちんと座った。背もたれが、ぎい、と音を立てる。
「何で、だろうな」
神妙な顔をして、そう言った。
「知ったこっちゃねえ。言い出したのは大吾のほうだろ」
「……そうだな」
大吾は気怠げに、頬杖をついた。もう一方の手の指先で、エンピツを器用にくるくると回してもてあそんでいる。
「少し、独り言を聞いてくれるか」
やたら神妙な前置きに、オレはすこし身構えながら「ああ」と応えた。
大吾はひとつ瞬きをして、口を開く。
「一週間前だ、息子の誕生日がもうすぐだと、急に思い出した。この誕生日を迎えれば、息子は次の進級で五年生になる。そのことにも気付いた」
シンキュウ、ゴネンセイ、よくわからない単語が続いた。文脈からして、人間の子供の成長の節目のことだろう。オレは口をはさまずに、大吾のひとりごとを聞く。
「そのとき、急に地球が懐かしくなった……地球に残してきたあかねや、NAXAのみんな。それに今まで世話になった、沢山の人。どうしているか、変わりはないか。俺は、みんなと会いたくなった」
エンピツはまだ、くるくると回っている。
「だから、手紙を書こうと思ったんだ。みんなの話は今は聞けない。その代わりに、俺が誰かに言いたいこと、伝えたいことを残しておこう。この先、この手紙を読む人がいなかったとしたら、それでもいい。でももし、俺の言葉が地球に届くなら、この手紙に託してもいいかもしれないと」
エンピツの回転が止まり、からりと軽い音をたてて机の上に転がった。
「言いたいことも、伝えたいことも、山ほどある。けど、どうしても書けないんだ」
厚いガラスの窓の外に流れる闇を、大吾はぼんやりと見つめた。その目は、ここではないどこか遠くを見つめていた。
「どうしてだろうなあ」
始めて見る大吾の姿だった。オレの知っている星河大吾は、いつだって自信に溢れていて、景気のいい呑気な顔をしていて、『絶望』とか『挫折』なんて言葉の対極にある男だった。
だが今の大吾は、いつもの大吾より、ずっとずっと小さく見えた。
しばらくして、大吾は夢から覚めたようにはっとして、気まずそうに作り笑いを浮かべた。
「悪いな、こんなつまらない話をして」
「別に……独り言につまるもつまらないもあるかよ」
「そう言ってくれると助かる。手紙はもう少し考えてみよう」
机の端に紙とエンピツを押しのけて、「ところで」と切り出した大吾は、もういつもの大吾だった。
「ウォーロックの家族は今どうしてるんだ?」
「オレ?」
思わぬ質問が飛んできて、オレは面食らう。
「やはり、FM星で暮らしているのか?」
「オレの家族、ねぇ」
オレは、普段は奥深くに仕舞っている『家族』の思い出を呼び起こす。圧倒的な力と破壊にかき消された記憶だ。
「……オレの身内は、もういねえよ」
大吾が目を見開いた。オレは淡々と続ける。
「昔あった争いで、もろともな」
「……すまない。辛いことを聞いてしまって」
律儀にも、大吾が固い顔で頭を下げてくる。オレは慌てて言った。
「謝ることじゃねえ。もう昔のことだ」
「だが」
「それ以上言うな。オレは気にしねえから、お前も気にすんな」
「……わかった」
オレが折角取りなしたのにも関わらず、大吾の顔は固いままだ。沈黙が長くなるにつれ、腹の中がむかむかしてくる。
耐えきれずに、オレは叫んだ。
「ああもう、オレはこういう辛気くせえのは苦手なんだ!」
オレは大吾の胸元に指を突きつけ、
「オイコラ、大吾!」
「は、はい」
「今日は全体的に、お前が悪いんだよ! 反省しろ! 元はといえば、お前が手紙を書こうとするのがいけねえんだ! やめちまえ、そんなまどろっこしいもん!」
ギャンギャン怒鳴り始めたオレを、大吾は口をぽかんと開けて見上げている。こんな時でなければ、アホ面だと鼻で笑ってやっているところだ。
「だいたいなぁ、言いたいことがあるんなら、そいつらに直接言えばいいだろうが! お前、リケイなんだろ? 書くより口の方がマシなら、そっちで白黒つけりゃいいじゃねえか」
大吾の目が、いっそう見開かれる。
……ん?
今、勢いに任せて、おかしなことを口走らなかったか?
地球の奴らに直接言えというのは、いくら何でも、無理な話だろう。それに、こいつらは刑を待つ死刑囚で、オレはその看守だ。
「……」
タンマだタンマ。今の発言は無しだ。
だらだらとイヤな汗をかきながら口を開こうとするのと同時に、大吾が椅子を勢いよく蹴った。
「うおっ!?」
「そうだ、直接言えばいいんだ!」
大吾は目を輝かせて、今にも飛び跳ねそうにうきうきした口調になる。
「どうして忘れていたんだろう、そんなシンプルなこと……ははっ、ふははは」
笑い方が怖い。オレがあとじさると、大吾はオレの手のあたりにある空気を掴んで、激しく上下に揺さぶった。
「な、何のつもりだ? おかしくなっちまったのか?」
「こういう時、触れないのは不便だな。できることなら思い切り握手して、フォークダンスでも踊りたい気分だよ」
「フォーク……?」
「おお、乗り気なのか?」
「違う! 何かは知らねえが、もし触れたとしても、オレは付き合わねえぞ!」
「遠慮しなくていいぞ、オレたちの仲じゃないか」
「あん? 誰と誰の仲だって?」
オレが聞き返すと、大吾は堰を切ったように豪快に笑い始めた。
「ははっ、ははははっ」
「……」
オレは、急に元気になった大吾のテンションについていけない。
しばらく、じっとりとした目で大吾を観察する。ようやく落ち着いた大吾は、目尻をさらりと拭って、口角をくっと上げて見せた。
「ありがとう、ウォーロック。オレは絶対に、地球に帰ってみせるよ」
オレはため息を飲み込んで、大吾に言う。
「それをオレに言っていいのか? FM星の戦士だぞ、こっちは」
「直接言えと言い出したのはウォーロックだろう?」
「……」
取り返しのつかない失言をした少し前のオレを、ボコボコにしてやりたかった。
「俺は絶対諦めないぞ。ほんの僅かでも、希望がある限り……!」
一人で盛り上がり、拳を突き上げる大吾は、いつもより8割増しに元気だった。さっきまでの辛気くさいツラが、何かの間違いだったかのように。オレは大きく息を吐き出す。
それが、弱気になった大吾を見た、最初で最後だった。
オレは勝手知ったる宇宙ステーションの通路を抜け、大吾の研究室へ向かった。
立ち聞きした乗組員の話では、大吾は最近、自分の研究室に籠もっているらしい。
……断っておくが、オレはただ世話係として、姿の見えない不審な地球人を見張りに行くだけだ。決して心配しているとか、そういうことではない。断じてだ。
誰に見られるわけでもないのに、オレはちらちらと後ろを振り返りながら大吾の研究室を目指した。
研究室の扉をすり抜けると、中は真っ暗だった。夜目は利くほうだが、それでも部屋の中は暗くて見づらい。机やがらくたのシルエットだけが、辛うじて見て取れる。
その中に、人影らしきものは無かった。
「大吾、いねえのか」
沈黙。
オレは頭をかく。入れ違いか、もしくはもう寝ているか。どちらにしろ、タイミングが悪かったようだ。
部屋の中まで進んで、ようやく目が闇に慣れてきた。
すると、部屋の奥に位置する机の上に、見慣れない何かが覆い被さっていた。
「……大吾!?」
オレの目がそれを認識したとたん、全身に寒気が走った。
机に突っ伏しているのは間違いなく、大吾だった。机の上に投げ出された手は、ぴくりともしない。
「お、オイ、どうした! チクショウ、大吾、大吾!」
肩を掴んで揺さぶろうとして、オレの手が大吾をすり抜けた。そうだ、オレの体は電波でできている。人間に触れるわけがない。目の前で人間が倒れていても、オレにできることなどない。
落ち着け、落ち着くんだ。とにかく誰かを呼んで来よう。乗組員のやつらなら、大吾をどうにかできるはず……。
「……ううん……ん? あれ?」
むっくりと大吾らしき影が起きあがり、部屋の明かりがついた。大吾は目をこすりながら、ゆっくりと首を巡らせる。
とろんとした目が、固まっているオレを見つけた。
「……おはよう、ウォーロック」
「……」
「朝……じゃないな。何をしていたんだっけ」
あくびをかみ殺しながら、大吾は頭の後ろをとんとんと叩く。
机の上を見て、大吾は「ああ、そうだった」と呟く。
「いつの間にか寝てしまっていたな……ふああ、よく寝た」
全身の力が、がっくりと抜けた。本当に人騒がせなやつだ。
「なあウォーロック、さっき大声出してなかったか?」
「出してねえ」
「いや、確かにお前の声が」
「気のせいだろ」
「……どうして怒ってるんだ?」
「オレのどこが怒ってるって!?」
「怒ったじゃないか……」
大吾は耳を塞いで、いたずらをした子供のような口調で言う。
「うるせえ、誰が何と言おうとオレは怒ってねえ」
「ところで、どうしてここにいるんだ?」
「うぐっ」
的確に痛いところをついてくる。こいつ、わざとじゃないだろうな?
「ん? どうした?」
「たまたま通りかかっただけだ。それより、お前はこんなところで何してんだ」
「俺か?」
大吾は目をひとこすりして、机の上にあった薄い白いモノを取り上げる。
「手紙を書いてたのさ」
オレは首を傾げる。
「手紙? 何だそりゃ?」
「ああ、FM星には無いのかな? 手紙っていうのは、誰かに向けたメッセージを書いた紙のことだ」
いま大吾が掲げている白い薄っぺらいモノが、「紙」なのだろう。
「今はメールといって、電波に乗せてメッセージを送るのが主流だが、手紙はすごいぞ。電波の届かない場所にいる相手でも、必ず届くんだ」
「フーン、じゃあここから地球にも届くのか?」
「それは、残念ながら。地続きの場所じゃないと、届かないな」
「不便だな」
正直な感想を漏らす。同時に、疑問がわき上がってきた。
「なら誰に向けて書いてたんだよ、乗組員の誰かか?」
「いいや。地球にいる家族に向けてさ」
なんだって?
「はは、理解できない、って顔だな」
「当たり前だ! お前が言ったんだからな、地球には届かないってよ」
「ああ。届かないけれど、もしかしたら届くかもしれない。だから書くんだ」
「メチャクチャだな」
「俺もそう思うよ」
机の上の紙を、大吾はさらりと指先で撫でる。
「……もうすぐ、息子の誕生日なんだ」
独り言のように呟く大吾の目は、まるで懐かしいものを見るようにやわらかく細められていた。
「……タンジョウビ?」
「その人が生まれた日のことさ。地球の風習みたいなもので、一年ごとにその日を祝うんだ」
大吾は時々、地球の風習や言葉について、オレに話をする。FM星との違いや理解の及ばない地球の生態に、オレはその都度目を剥いていたが、いちいち驚いていてはやっていられない。「そういうものか」と受け取ることにした。
今回も、いまいち理解はできなかったが、「ほう」と訳知り顔で頷いておいた。
タンジョウビはともかく、気になったことを尋ねる。
「お前、息子がいたのか」
「ああ! 自慢の息子がな」
大吾は椅子をくるりと回して、壁に埋め込まれたディスプレイの一つを指さす。
近寄ってみると、二人の人間がそこに映っていた。髪の毛がツンツン尖ったチビと、顔のととのったオンナが、寄り添ってこちらに笑いかけている。チビの弾けるような笑顔は、どことなく大吾のそれに似ていた。
「チビの左にいるのは誰だ」
「俺の自慢の奥さんだ。星河あかね。俺が生涯で一番愛した女性だよ。今までもこれからも、俺にとって最愛のひとだ」
「……そういうの、言ってて恥ずかしくねえのか」
「まったく。本当のことだからな」
「あっそう……」
聞いてるオレのほうが恥ずかしいんだがな。
「息子のほうは、お前に似てるな。なんとなく」
「そうか!? いやぁ、参ったなあ」
参ったなと口では言いつつも、顔は完全に緩みきっている。めちゃくちゃ嬉しそうだ。
「名前はスバルといって、ああ、オレが名付けたんだ、良い名前だろ? スバルはとにかく元気なやつで、好奇心旺盛で……」
大吾の口がぺらぺらとよく動く。そして、オレは直感で悟った。
この話、長くなりそうだな……。
三十秒ほど息子自慢を聞いたところで、オレは飽きてしまった。むしろ、三十秒も黙って聞いてやったオレに、褒美があってもいいくらいだ。
なんとか話を逸らそうと、無理矢理口をはさんだ。
「ところで、もうすぐその息子の誕生日なんだってな」
「お、そうそう、それが明日なのさ。それにあわせて、少し前から手紙を書こうとしているんだが」
一旦口を閉ざした大吾に、オレはほっとした。
大吾は机に向き直り、エンピツを手に取り、黒く尖っていないほうで紙をつついた。紙は清々しいほどに真っ白で、文字の類は見当たらない。
「どうにも、書けないんだ」
大吾は困り切った様子で、エンピツで耳の後ろを掻く。
「何でだ? あんだけぺらぺら喋っておいて、一言も書けねえのかよ」
「そうだよなあ。ウォーロック、何かないか? 良い書き出し」
「知るか」
「コツとかヒントとか」
「経験ゼロのオレに、無茶振りすんじゃねえ!」
「ううん……俺にはこういうのは向いてないのかもしれない。昔から、がっつり理系だったものな」
「リケイ?」
「ええと……説明が難しいな。宇宙とか計算とか、理科が好きな人のことかな」
「フーン」
「それでもって、文章を書くのが苦手な傾向にある人種だ」
大吾は髪の毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜて、椅子の背もたれに体重を預けて仰け反る。
「手紙なんて、ずっと書いていないからなあ……」
「じゃあ、やめればいいじゃねえか。そもそも、何で手紙なんか書こうと思ったんだ? 苦手なくせによ」
大吾がちらりと一瞥をくれて、元通りに椅子にきちんと座った。背もたれが、ぎい、と音を立てる。
「何で、だろうな」
神妙な顔をして、そう言った。
「知ったこっちゃねえ。言い出したのは大吾のほうだろ」
「……そうだな」
大吾は気怠げに、頬杖をついた。もう一方の手の指先で、エンピツを器用にくるくると回してもてあそんでいる。
「少し、独り言を聞いてくれるか」
やたら神妙な前置きに、オレはすこし身構えながら「ああ」と応えた。
大吾はひとつ瞬きをして、口を開く。
「一週間前だ、息子の誕生日がもうすぐだと、急に思い出した。この誕生日を迎えれば、息子は次の進級で五年生になる。そのことにも気付いた」
シンキュウ、ゴネンセイ、よくわからない単語が続いた。文脈からして、人間の子供の成長の節目のことだろう。オレは口をはさまずに、大吾のひとりごとを聞く。
「そのとき、急に地球が懐かしくなった……地球に残してきたあかねや、NAXAのみんな。それに今まで世話になった、沢山の人。どうしているか、変わりはないか。俺は、みんなと会いたくなった」
エンピツはまだ、くるくると回っている。
「だから、手紙を書こうと思ったんだ。みんなの話は今は聞けない。その代わりに、俺が誰かに言いたいこと、伝えたいことを残しておこう。この先、この手紙を読む人がいなかったとしたら、それでもいい。でももし、俺の言葉が地球に届くなら、この手紙に託してもいいかもしれないと」
エンピツの回転が止まり、からりと軽い音をたてて机の上に転がった。
「言いたいことも、伝えたいことも、山ほどある。けど、どうしても書けないんだ」
厚いガラスの窓の外に流れる闇を、大吾はぼんやりと見つめた。その目は、ここではないどこか遠くを見つめていた。
「どうしてだろうなあ」
始めて見る大吾の姿だった。オレの知っている星河大吾は、いつだって自信に溢れていて、景気のいい呑気な顔をしていて、『絶望』とか『挫折』なんて言葉の対極にある男だった。
だが今の大吾は、いつもの大吾より、ずっとずっと小さく見えた。
しばらくして、大吾は夢から覚めたようにはっとして、気まずそうに作り笑いを浮かべた。
「悪いな、こんなつまらない話をして」
「別に……独り言につまるもつまらないもあるかよ」
「そう言ってくれると助かる。手紙はもう少し考えてみよう」
机の端に紙とエンピツを押しのけて、「ところで」と切り出した大吾は、もういつもの大吾だった。
「ウォーロックの家族は今どうしてるんだ?」
「オレ?」
思わぬ質問が飛んできて、オレは面食らう。
「やはり、FM星で暮らしているのか?」
「オレの家族、ねぇ」
オレは、普段は奥深くに仕舞っている『家族』の思い出を呼び起こす。圧倒的な力と破壊にかき消された記憶だ。
「……オレの身内は、もういねえよ」
大吾が目を見開いた。オレは淡々と続ける。
「昔あった争いで、もろともな」
「……すまない。辛いことを聞いてしまって」
律儀にも、大吾が固い顔で頭を下げてくる。オレは慌てて言った。
「謝ることじゃねえ。もう昔のことだ」
「だが」
「それ以上言うな。オレは気にしねえから、お前も気にすんな」
「……わかった」
オレが折角取りなしたのにも関わらず、大吾の顔は固いままだ。沈黙が長くなるにつれ、腹の中がむかむかしてくる。
耐えきれずに、オレは叫んだ。
「ああもう、オレはこういう辛気くせえのは苦手なんだ!」
オレは大吾の胸元に指を突きつけ、
「オイコラ、大吾!」
「は、はい」
「今日は全体的に、お前が悪いんだよ! 反省しろ! 元はといえば、お前が手紙を書こうとするのがいけねえんだ! やめちまえ、そんなまどろっこしいもん!」
ギャンギャン怒鳴り始めたオレを、大吾は口をぽかんと開けて見上げている。こんな時でなければ、アホ面だと鼻で笑ってやっているところだ。
「だいたいなぁ、言いたいことがあるんなら、そいつらに直接言えばいいだろうが! お前、リケイなんだろ? 書くより口の方がマシなら、そっちで白黒つけりゃいいじゃねえか」
大吾の目が、いっそう見開かれる。
……ん?
今、勢いに任せて、おかしなことを口走らなかったか?
地球の奴らに直接言えというのは、いくら何でも、無理な話だろう。それに、こいつらは刑を待つ死刑囚で、オレはその看守だ。
「……」
タンマだタンマ。今の発言は無しだ。
だらだらとイヤな汗をかきながら口を開こうとするのと同時に、大吾が椅子を勢いよく蹴った。
「うおっ!?」
「そうだ、直接言えばいいんだ!」
大吾は目を輝かせて、今にも飛び跳ねそうにうきうきした口調になる。
「どうして忘れていたんだろう、そんなシンプルなこと……ははっ、ふははは」
笑い方が怖い。オレがあとじさると、大吾はオレの手のあたりにある空気を掴んで、激しく上下に揺さぶった。
「な、何のつもりだ? おかしくなっちまったのか?」
「こういう時、触れないのは不便だな。できることなら思い切り握手して、フォークダンスでも踊りたい気分だよ」
「フォーク……?」
「おお、乗り気なのか?」
「違う! 何かは知らねえが、もし触れたとしても、オレは付き合わねえぞ!」
「遠慮しなくていいぞ、オレたちの仲じゃないか」
「あん? 誰と誰の仲だって?」
オレが聞き返すと、大吾は堰を切ったように豪快に笑い始めた。
「ははっ、ははははっ」
「……」
オレは、急に元気になった大吾のテンションについていけない。
しばらく、じっとりとした目で大吾を観察する。ようやく落ち着いた大吾は、目尻をさらりと拭って、口角をくっと上げて見せた。
「ありがとう、ウォーロック。オレは絶対に、地球に帰ってみせるよ」
オレはため息を飲み込んで、大吾に言う。
「それをオレに言っていいのか? FM星の戦士だぞ、こっちは」
「直接言えと言い出したのはウォーロックだろう?」
「……」
取り返しのつかない失言をした少し前のオレを、ボコボコにしてやりたかった。
「俺は絶対諦めないぞ。ほんの僅かでも、希望がある限り……!」
一人で盛り上がり、拳を突き上げる大吾は、いつもより8割増しに元気だった。さっきまでの辛気くさいツラが、何かの間違いだったかのように。オレは大きく息を吐き出す。
それが、弱気になった大吾を見た、最初で最後だった。