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P.S.宇宙より

 厚い扉の向こうから、わっはっはと豪快な笑い声が聞こえた。
 乗組員のプライベート・ルームの前で足を止める。おかしくてたまらないというような笑い声と朗らかな話し声が、通路まで響いていた。
 オレはため息をついて、扉の前をそのまま通り過ぎた。 
 のんきなもんだ。これから近いうち、死刑にされるってのに。
 死刑を待つ囚人には当然あるべきの緊張感やら悲壮感やらが、どうにもこいつらには欠けている。それは大吾に限らず、乗組員全員に言えることだった。
 追いつめられた者の醜い姿を、オレは幾度も見てきた。泣いて命乞いをするヤツや、自暴自棄になって誰彼構わず傷つけようとするヤツもいた。自分かわいさに他の者を犠牲にする卑怯者も、中にはいた。
 乗組員たちの様子は、そのどれにも当てはまらなかった。穏やかで、それでいて湿っぽさなどどこにも無く、気味が悪くなるほどの明るさが漂っている。
 地球人は極端に鈍いか、考えなしなのか。そのどちらかか、或いは現実逃避だろうか。
 つらつらと思考をもてあそびながら、オレは居住モジュールを出て、普段は出入りしない発電モジュールへなんとなく足を向けた。
 その名の通り、コロニーの活動において必要な電力をまかなうためのモジュールだ。大仰な発電器が積まれているが、操作は基本的に全自動で、一人のエンジニアを除けば、乗組員が立ち入ることはほとんどない。
 ただ、大吾は頻繁にここに顔を出す。色黒のエンジニアの男を気にかけて、様子を見に来ているらしかった。
 開け放された作業部屋の中に、エンジニアの男の背中が見える。今日も男は、一人で黙々と作業を続けていた。
 黙々と、という表現は間違っているかもしれない。実際、男は作業中独り言を言うわけではないが、見ているぶんにはきわめて賑やかな作業風景なのだ。
 丸まった背中が時々跳ね、赤くなった指に息をふーふーと吹きかけたり、足下にぐちゃぐちゃとはびこるコードに引っかかって転びかけたりと、なかなか刺激的な仕事ぶりだ。おせっかいな大吾が、ここに顔を出すわけだ。
 ぐっと伸びをしてふらふらと部屋を出ていく男とすれ違いに中へ入ると、先客がいた。
「うげっ……」
 運悪く、抑えたつもりの声が漏れて、さらに悪いことに、その声は相手の耳に届いたらしい。
 竪琴のような姿をしたそいつは、目をきっとつり上げる。
「ロック、アナタ相変わらず失礼ね。女心ってものを少しは勉強したらどう?」
「んな面倒なモン、知りたかねぇよ。ハープ……」
 このちんちくりんは、ハープだ。
 一応、同じ戦士として肩を並べているFM星人だ。戦闘力では他の戦士より劣るが、精神攻撃や話術に長け、他人の心に取り入るのが上手い。ある意味、オックスや他の戦士より恐ろしいやつだ。
 オレは正直、苦手だ。それに、こいつと話していると何というか……どっと疲れる。
 オレは渋々口を開いた。
「なぜお前がここに? 上の命令か?」
「いーえ? ただの個人的な暇つぶし」
「暇つぶし? そっちは地球の観測にてんてこ舞いだと聞いたが」
「そうみたいねー」
 まるっきり他人事だ。オレは不安になって聞く。
「オイ。お前、ここにいていいのか?」
「ウフフフ……」
「笑ってごまかすな!」
 ハープは不気味に笑って、妙なしなを作って、上目遣いに見上げてくる。
「いいじゃない? お仕事のための充電なんだもの」
「それらしいこと言って、ただのサボリじゃねえか」
「ワタシがこっちに来たこと、上の人にはナイショね。ちょーっと困ったことになるから」
「お前な……」
 あきれるオレをよそに、ハープはクスクスと笑っている。
 ……やっぱり、こいつは苦手だ。
 ハープは、自分の職務怠慢を「そんなことより」と棚に上げ、
「なかなか面白いじゃない? 地球人って」
「面白い? どこかだ」
「みーんな同じ顔、同じ体つき、同じ服。なんだか判を押したみたい。ずうっとお気楽そうな所も、ヘンな感じ」
 前半はともかく、後半に対しては同じ意見だ。地球人というやつらは、とかく緊張感が欠けている。
 ハープは「それに」と、いやに嬉しそうに笑って、
「かわいがり甲斐もたっくさんありそうだものね。地球に行くの、楽しみになってきちゃった」
と言う。
 こいつの言う「かわいがり甲斐がある」というのは、つまるところ、操り人形にもってこい、ってことだ。FM星でそうだったように、こいつは地球へ行っても、気味の悪い笑みを振りまいて他人の心をころころと弄び、惑わすのだろう。簡単に想像がついてしまって、オレはうんざりする。
「相変わらず良い趣味してるな、お前は」
「アラ、それはアナタもでしょ」
「あん?」
「ずいぶんご執心だって聞いたけど」
 含みのあるハープの言葉には、まるで心当たりがない。オレは苛立って問いつめる。
「何の話だ?」
「わからないならいいのよ、忘れてちょうだいな」
「ああ!?」
 ハープはいったい何の話をしているんだ? オレがさらに問いつめようと、怖い顔を作って近寄ると、
「あらっ、もうこんな時間? 残念だけど、そろそろ戻らないと」
 ハープはさりげなくオレから距離をとって、わざとらしく首を傾げた。逃げられてしまいそうな予感がして、オレは慌てて怒鳴る。
「オイ、待っ……」
「じゃあねー」
 あっさりと言って、ハープはさっさと姿を消してしまった。

 * * *

 だからあいつと顔を合わせるのは、嫌だったんだ。
 オレは得も言われぬ疲労をずるずると足に引きずって、居住モジュールのほうへ戻ってきた。
 本当ならFM星のほうへ一旦帰って休んでしまいたかったが、ハープと鉢合わせする可能性がある。それはなんとしても避けたかった。
 通路には人の影が無かった。
 今は、地球でいうところの夜だ。乗組員は自室に引き上げて、もう眠っているのかもしれない。
 ただ、ハープと会う前に通りすがっていた部屋からは、未だに誰かの話し声が漏れていた。
(……この声)
 オレの耳が聞き覚えのある声を拾う。
 立ち止まって耳をそばだてていると、前触れもなく話し声が扉に近づいてくる。
「……ああ、おやすみ……」
 まもなく扉が開いて、箱のようなものを小脇に抱えた人間が出てきた。人間の目がオレを見つけて、意外そうに丸く見開かれる。
 やはり、大吾だった。
 待ち伏せしていたような形になって、オレは少しばつの悪さを感じながら、仕方なく、
「……よお」
と声をかけた。
 驚きから回復した大吾は、後ろ手にドアを締め、気安く挨拶を返してくる。
「奇遇だな、ウォーロック。もしかして、待ってたのか?」
「バカ言え、偶然通りかかっただけだ」
「ほお?」
「……言っとくが、マジだからな」
「はは、わかってるさ」
 大吾はニヤニヤと笑みを浮かべる。本当にわかってるんだろうな?
 言い返す気力もわかず、ただため息がこぼれた。すると、大吾は笑いを引っ込め、オレを気遣わしげにのぞき込んでくる。
「どうした? どことなく疲れているようだが」
「何でもねえよ」
「本当に?」
「……面倒な顔見知りに会っただけだ」
 あまりハープとのことは思い出したくない。オレは「それより」と、無理矢理話題を変える。
「大吾、ソレは何だ?」
「ん?」
 大吾が小脇に抱えた「ソレ」。オレが指さすと、大吾はきょとんとして箱らしきものとオレを見比べる。
「これは……将棋磐だよ」
「ショウギバン?」
 大吾が両手でそっと持ち上げたソレに、顔を近づける。
 箱のようなもの、と思っていたソレは意外と厚みが無く、底の四隅には箱を支える足のようなものがついていた。上の面には格子状に黒い線が引かれ、その線に区切られた空間に収まるように、五角形のへんてこな小さい札が置かれていた。
 オレは見たこともない奇怪な箱に、首を思い切りひねる。
「何だよコレは」
「将棋磐。地球には、将棋っていうゲームがあるんだ。ざっくり言えば、駒を使った陣取り合戦のゲームだな。それをするための道具だよ」
「ゲーム?」
「頭を使う娯楽さ。FM星には、こういうのは無いのか?」
「ねェな」
 オレはしげしげとショーギバン、とやらを眺める。宇宙で暮らすオレにとっては、地球の文化は何かと物珍しく映るのだ。
 大吾は肩をすくめながら言う。
「さっきまで、散々負かされてきたんだ」
「負ける? こりゃ一人でやるんじゃねぇのか」
「一人でもできないことはないが、ふつうは誰かとやるものだよ」
 大吾はさっき出てきた扉に向かって、顎をしゃくる。
「あいつ、こういうゲームが無性に強いんだよ。俺はいつも、気持ちいいくらいに負かされる」
 この部屋が妙に賑やかだったのも、将棋とやらに講じていたからなのだろう。
 大吾が研究室に向かって歩き出すのに、オレはなんとなくついて行きながら、声をかけた。
「お前らはのんきだな」
「ん?」
「ゲームだかなんだか知らねえが、もうすぐ死刑になるんだぞ?」
 大吾は快活に笑い飛ばして、さらりと言ってのける。
「これくらいで折れるようなやつは、宇宙へは来ないさ」
「そーかよ」
「それに、ゲームと言っても将棋は頭を使わないと……」
 大吾はそこで言葉を切って、目を輝かせてオレを振り返る。大吾がこういう目をするのは、たいてい、ロクでもないことを考えついた時だ。
「そうだ! ウォーロックもやろう!」
「は?」
「ああ、でも将棋はルールがちょっと複雑だからな……オセロにしよう」
「オイ、勝手に話進めてんじゃねえ」
「そうと決まれば、借りてこよう。ウォーロックはオレの研究室で待っててくれ」
 大吾はくるりときびすを返し、どたばたと走り去っていく。
「オイ! オレはやるなんて一言も言ってねぇー!」
 オレの怒鳴り声にかまわず、意気揚々とした大吾の背中は、さっきの部屋へ吸い込まれていった。肩に疲労がずっしりとのしかかる。
 大吾が戻る前に逃げることもできるが、そうする気にはなれなかった。どうしてか、考えるのも億劫だ。そういうことにした。
 疲労でずきずきと重くなる頭に、なぜか、去り際のハープの言葉がよぎった。
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