P.S.宇宙より
ぼくは悩んでいた。
具体的には、真っ白な原稿用紙の前で、両手で頭を抱えて、うんうん唸りながら、悩んでいた。
今のぼくの姿を見た人は、きっと一人残らず「なるほどこの少年は悩んでいるのだな」と訳知り顔で頷くだろう。「全宇宙悩むひとグランプリがあったら、ぶっちぎりで金賞を受賞してしまいそうだ。……それは言い過ぎかな。ここは、奨励賞くらいで……。
いや、いや、そんな悠長なことは言ってられないんだ。残された時間はそう長くないんだから。がんばれ、星河スバル!
そう自分を急かしてみても、鉛筆を握った右手はぴくりとも動かないで、頭を抱えたままでいた。
どうしよう、どうしよう。
「……何か悩んでんのか、スバル」
ぼくはばっと顔を上げて、声がしたほうを振り返る。
そこには部屋の壁があるだけで、声の主は見あたらなかった。ぼくは小さなミスに気付いて、急いでビジライザーをかけた。
「ど、どうしてわかったの、ロック」
何もなかった空間に、大きくて猫背の青い獣が現れる。遠いFM星から来た宇宙人、そしてぼくの相棒、ウォーロックはやれやれと言うように首を振った。
「そのせりふは流石に白々しいぜ? いかにも『ぼくは悩んでます、誰か助けて』みたいな雰囲気出しといて。どーせ、オレが話しかけるのを待ってたんだろ」
ぎくり。図星をずばり突かれて、ぼくは慌てて言い返す。
「た、助けてなんて誰も言ってないじゃないか」
「そーかそーか、じゃ、一人でがんばりな」
「あっ……」
ロックは突き放すようにそう言って、ぼくに背を向けてどこかへ行こうとする。
慌てて、その背中に声をかけた。
「ま、待って」
「なんだ?」
面倒くさそうに、ロックは顔だけぼくを振り返る。早く済ませろと言わんばかりに、湿りきった目でぼくを睨んでさえいる。
ロック相手にこれを言うのは、ちょっと……いや、とっても悔しいが、こうなったら仕方がない。膝の上の拳を握りしめて、振り絞るようにロックに言った。
「……た、たすけてください……」
振り返っていたロックの顔が、少し間をおいて、チェシャ猫みたいににやあっと笑った。
「へっ、最初っからそう言やいいんだよ」
「だって……」
素直にすぐ助けを求めるなんて、何だか悔しいじゃないか。ロックが相手なら、特に。……なんて言ったら、ヘソを曲げてしまうかもしれない。ぼくは横を向いて、適当に答える。
「できるだけ、自分の力でやりたかったんだよ」
「意気込みだけはご立派だな」
「うるさいなあ」
「んで? 何に悩んでるんだよ」
ぼくが答える前に、ロックはぼくの机の上に目をやって、
「まあ、大体予想はつくけどな」
と、肩をすくめる。
ぼくは素直にうなずく。ロックも学校にいた時に、宿題の話は聞いていたのだから、当然と言えば当然だ。
「大吾についての作文だろ」
「うん。父の日の宿題だから」
「なあ、その父の日ってのは何なんだ?」
「お父さんに日頃の感謝を示す日のことだよ」
「あー、地球人お得意のキネンビ、ってやつか」
「それが明日なんだ」
明日。ぼくは自分の言葉に否応なく現実をつきつけられて、がばっと頭を抱えた。
「うう、そうだった」
「おい、いきなりどうした」
「いや……締め切り、明日なんだって思い出して」
「そりゃ大変だな」
ロックは同情のかけらも無い声で言う。
「他人事だと思って……」
「グダグダ言ってねえで、サクッと片づけちまえよ」
「それができないから困ってるんじゃないか」
「何でだ? 大吾のことなら余るほど書くことがあるだろうが」
「そうなんだけど、ありすぎて書けないっていうか、どこからどう書いていいのやらで」
「何だそりゃ」
ロックがあきれるのも無理はない。けれど、ぼくの方が、もっと自分にあきれている。
今、宇宙のどこかにいる父さん。父さんとの思い出は数え切れないほどある。宇宙のすばらしさを教えてくれたこと、一緒に隣町の展望台までサイクリングしたこと、肩車してくれた時の力強い腕や、頭をなでてくれた手。頼もしい声までも、鮮明に思い出せる。
けれど、昔ながらの400字詰め原稿用紙を前にすると、ぼくの頭は真っ白になる。有り余る思い出を、何からどう書けばいいのか、さっぱりわからなかった。
宿題を出されてから一週間。ぼくの右手は、一文字たりとも原稿用紙に意味のある字を刻んでいない。頭のひとつも抱えたくなる。
「要するにスバル、お前作文が苦手なんだろ」
はい。そうです。おっしゃる通り。
ぼくは赤べこ人形みたいに、がくがくと首を縦に振る。
「がっつりリケイだもんな、お前は」
「まだ小学生だから、そういうの無いけど……」
ロックは理系とか文系とか、どこで覚えてくるんだろう。ぼくは作文よりそちらの方に気を取られてしまった。好奇心がぐつぐつと疼く。
……だ、ダメだダメだ。今は作文に集中しないと。頭をもたげた疑問を、ぼくは全力で追い払う。
暴れまわる好奇心と戦うぼくをよそに、ロックは真っ白い紙をじろじろと見ている。指先でつつくようなそぶりをして(実際には触れやしない。ロックの体は電波でできていて、地球のものには触れないのだ)、投げやりにたずねる。
「で、オレにどーしろってんだよ」
「それは……」
ぼくは言葉に詰まる。助けてほしいとは言ったものの、具体的に考えてはいなかった。無茶を承知で、ロックに振ってみる。
「ロック、なにか良い案ない?」
「んなもんねぇよ」
「いいから、考えてみてよ」
「……あー、めんどくせえな」
口ではそう言いつつも、一応考えてくれているようだ。「うーん」としばらく唸ったあと、
「宇宙人は作文、書かねえからな……」
と、至極真面目にそんなことを言う。ぼくだって、宇宙人が作文を書く文化があるとは思っていない。
「大吾のことを書きゃいいんだろ? それっぽい出来事のひとつやふたつ、適当に書いときゃいいじゃねえか」
「それができてたら、助けなんか求めてないよ」
「じゃあ、オフクロに聞くのはどうだ」
「今日はパートで、夜遅くなるって」
「天地は?」
「お仕事中に邪魔したくないよ」
「あークソッ、ほんっと〜にめんどくさいヤツだな! 親子そろって、何なんだ!」
ついにロックまで頭を抱えて、ガーッと叫ぶ。
今にも暴れ出しそうな勢いのロックに、ぼくはきく。
「ねえ、『親子そろって』ってどういうこと?」
「そのまんまの意味だよ」
ぼくは「えーっ」とのけぞった。
「じゃ、じゃあ、父さんも作文を……?」
「どうしてそうなるんだよ!」
ロックはずずいとぼくに顔を近づけて怒鳴る。と思えば、「あ」と呟いて、決まり悪そうにぼくから離れる。
「思い出しちまった。作文じゃないが、似たようなことはあったな」
「どういうこと?」
ぼくが前のめりに聞くと、ロックは腕を組んで「うーん」と考えこんでしまう。
「もしかして、言いたくない?」
おずおずと尋ねる。
「そういうわけじゃねぇよ。どっから話せばいいかと思ってな」
ロックはあっさりと言って、
「あいつとは……まあ、色々あったからなぁ」
「ふうん」
随分含みのある言い方だ。
考えてみれば、宇宙ステーションが消息不明になった3年前から、ロックが地球に来た最近まで、二人は一緒にいた。ここ数年で言えば、ロックのほうが父さんの近くにいたのだ。
ここまで考えたところで、ぼくの頭の中で豆電球がピカッと点いた。今の膠着状態をうち壊す、とびきりの名案だ。ぼくは身を乗り出す。
「ロック、それ、最初から話してよ」
「最初?」
「父さんとのこと。どうやって出会ったのかとか、気になるよ」
「全部話せって? めんどくせぇな」
「作文のヒントになるかもしれないし、頼むよ」
「でもなぁ」
渋るロックに、ぼくはとっておきの切り札を出す。
「もともとそういう約束だったでしょ、父さんのこと教えてくれるって」
ロックは心底嫌そうな顔をして、悔しげに舌打ちをする。
「……お前、かわいくなくなったな」
失礼な。せめて成長したと言ってほしい。
ぼくはにっこり笑って、何度となく口にしたあの言葉を、ロックにぶつけた。
「父さんのこと、教えてよ」
具体的には、真っ白な原稿用紙の前で、両手で頭を抱えて、うんうん唸りながら、悩んでいた。
今のぼくの姿を見た人は、きっと一人残らず「なるほどこの少年は悩んでいるのだな」と訳知り顔で頷くだろう。「全宇宙悩むひとグランプリがあったら、ぶっちぎりで金賞を受賞してしまいそうだ。……それは言い過ぎかな。ここは、奨励賞くらいで……。
いや、いや、そんな悠長なことは言ってられないんだ。残された時間はそう長くないんだから。がんばれ、星河スバル!
そう自分を急かしてみても、鉛筆を握った右手はぴくりとも動かないで、頭を抱えたままでいた。
どうしよう、どうしよう。
「……何か悩んでんのか、スバル」
ぼくはばっと顔を上げて、声がしたほうを振り返る。
そこには部屋の壁があるだけで、声の主は見あたらなかった。ぼくは小さなミスに気付いて、急いでビジライザーをかけた。
「ど、どうしてわかったの、ロック」
何もなかった空間に、大きくて猫背の青い獣が現れる。遠いFM星から来た宇宙人、そしてぼくの相棒、ウォーロックはやれやれと言うように首を振った。
「そのせりふは流石に白々しいぜ? いかにも『ぼくは悩んでます、誰か助けて』みたいな雰囲気出しといて。どーせ、オレが話しかけるのを待ってたんだろ」
ぎくり。図星をずばり突かれて、ぼくは慌てて言い返す。
「た、助けてなんて誰も言ってないじゃないか」
「そーかそーか、じゃ、一人でがんばりな」
「あっ……」
ロックは突き放すようにそう言って、ぼくに背を向けてどこかへ行こうとする。
慌てて、その背中に声をかけた。
「ま、待って」
「なんだ?」
面倒くさそうに、ロックは顔だけぼくを振り返る。早く済ませろと言わんばかりに、湿りきった目でぼくを睨んでさえいる。
ロック相手にこれを言うのは、ちょっと……いや、とっても悔しいが、こうなったら仕方がない。膝の上の拳を握りしめて、振り絞るようにロックに言った。
「……た、たすけてください……」
振り返っていたロックの顔が、少し間をおいて、チェシャ猫みたいににやあっと笑った。
「へっ、最初っからそう言やいいんだよ」
「だって……」
素直にすぐ助けを求めるなんて、何だか悔しいじゃないか。ロックが相手なら、特に。……なんて言ったら、ヘソを曲げてしまうかもしれない。ぼくは横を向いて、適当に答える。
「できるだけ、自分の力でやりたかったんだよ」
「意気込みだけはご立派だな」
「うるさいなあ」
「んで? 何に悩んでるんだよ」
ぼくが答える前に、ロックはぼくの机の上に目をやって、
「まあ、大体予想はつくけどな」
と、肩をすくめる。
ぼくは素直にうなずく。ロックも学校にいた時に、宿題の話は聞いていたのだから、当然と言えば当然だ。
「大吾についての作文だろ」
「うん。父の日の宿題だから」
「なあ、その父の日ってのは何なんだ?」
「お父さんに日頃の感謝を示す日のことだよ」
「あー、地球人お得意のキネンビ、ってやつか」
「それが明日なんだ」
明日。ぼくは自分の言葉に否応なく現実をつきつけられて、がばっと頭を抱えた。
「うう、そうだった」
「おい、いきなりどうした」
「いや……締め切り、明日なんだって思い出して」
「そりゃ大変だな」
ロックは同情のかけらも無い声で言う。
「他人事だと思って……」
「グダグダ言ってねえで、サクッと片づけちまえよ」
「それができないから困ってるんじゃないか」
「何でだ? 大吾のことなら余るほど書くことがあるだろうが」
「そうなんだけど、ありすぎて書けないっていうか、どこからどう書いていいのやらで」
「何だそりゃ」
ロックがあきれるのも無理はない。けれど、ぼくの方が、もっと自分にあきれている。
今、宇宙のどこかにいる父さん。父さんとの思い出は数え切れないほどある。宇宙のすばらしさを教えてくれたこと、一緒に隣町の展望台までサイクリングしたこと、肩車してくれた時の力強い腕や、頭をなでてくれた手。頼もしい声までも、鮮明に思い出せる。
けれど、昔ながらの400字詰め原稿用紙を前にすると、ぼくの頭は真っ白になる。有り余る思い出を、何からどう書けばいいのか、さっぱりわからなかった。
宿題を出されてから一週間。ぼくの右手は、一文字たりとも原稿用紙に意味のある字を刻んでいない。頭のひとつも抱えたくなる。
「要するにスバル、お前作文が苦手なんだろ」
はい。そうです。おっしゃる通り。
ぼくは赤べこ人形みたいに、がくがくと首を縦に振る。
「がっつりリケイだもんな、お前は」
「まだ小学生だから、そういうの無いけど……」
ロックは理系とか文系とか、どこで覚えてくるんだろう。ぼくは作文よりそちらの方に気を取られてしまった。好奇心がぐつぐつと疼く。
……だ、ダメだダメだ。今は作文に集中しないと。頭をもたげた疑問を、ぼくは全力で追い払う。
暴れまわる好奇心と戦うぼくをよそに、ロックは真っ白い紙をじろじろと見ている。指先でつつくようなそぶりをして(実際には触れやしない。ロックの体は電波でできていて、地球のものには触れないのだ)、投げやりにたずねる。
「で、オレにどーしろってんだよ」
「それは……」
ぼくは言葉に詰まる。助けてほしいとは言ったものの、具体的に考えてはいなかった。無茶を承知で、ロックに振ってみる。
「ロック、なにか良い案ない?」
「んなもんねぇよ」
「いいから、考えてみてよ」
「……あー、めんどくせえな」
口ではそう言いつつも、一応考えてくれているようだ。「うーん」としばらく唸ったあと、
「宇宙人は作文、書かねえからな……」
と、至極真面目にそんなことを言う。ぼくだって、宇宙人が作文を書く文化があるとは思っていない。
「大吾のことを書きゃいいんだろ? それっぽい出来事のひとつやふたつ、適当に書いときゃいいじゃねえか」
「それができてたら、助けなんか求めてないよ」
「じゃあ、オフクロに聞くのはどうだ」
「今日はパートで、夜遅くなるって」
「天地は?」
「お仕事中に邪魔したくないよ」
「あークソッ、ほんっと〜にめんどくさいヤツだな! 親子そろって、何なんだ!」
ついにロックまで頭を抱えて、ガーッと叫ぶ。
今にも暴れ出しそうな勢いのロックに、ぼくはきく。
「ねえ、『親子そろって』ってどういうこと?」
「そのまんまの意味だよ」
ぼくは「えーっ」とのけぞった。
「じゃ、じゃあ、父さんも作文を……?」
「どうしてそうなるんだよ!」
ロックはずずいとぼくに顔を近づけて怒鳴る。と思えば、「あ」と呟いて、決まり悪そうにぼくから離れる。
「思い出しちまった。作文じゃないが、似たようなことはあったな」
「どういうこと?」
ぼくが前のめりに聞くと、ロックは腕を組んで「うーん」と考えこんでしまう。
「もしかして、言いたくない?」
おずおずと尋ねる。
「そういうわけじゃねぇよ。どっから話せばいいかと思ってな」
ロックはあっさりと言って、
「あいつとは……まあ、色々あったからなぁ」
「ふうん」
随分含みのある言い方だ。
考えてみれば、宇宙ステーションが消息不明になった3年前から、ロックが地球に来た最近まで、二人は一緒にいた。ここ数年で言えば、ロックのほうが父さんの近くにいたのだ。
ここまで考えたところで、ぼくの頭の中で豆電球がピカッと点いた。今の膠着状態をうち壊す、とびきりの名案だ。ぼくは身を乗り出す。
「ロック、それ、最初から話してよ」
「最初?」
「父さんとのこと。どうやって出会ったのかとか、気になるよ」
「全部話せって? めんどくせぇな」
「作文のヒントになるかもしれないし、頼むよ」
「でもなぁ」
渋るロックに、ぼくはとっておきの切り札を出す。
「もともとそういう約束だったでしょ、父さんのこと教えてくれるって」
ロックは心底嫌そうな顔をして、悔しげに舌打ちをする。
「……お前、かわいくなくなったな」
失礼な。せめて成長したと言ってほしい。
ぼくはにっこり笑って、何度となく口にしたあの言葉を、ロックにぶつけた。
「父さんのこと、教えてよ」
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