偽りのカンパネラ
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蓄えられた、長くてふわふわの顎髭。
きっちりと整えてある白髪。
笑うとしわが寄って、くしゃくしゃになるその顔。
間違いない。
「爺さま…」
そこに居たのは、きせの育ての親にして、里が壊滅した日に首を斬り落とされ、残虐な最期を迎えたはずの祖父だった。
冷たい夜風が全身を拐い、枯れ葉が足元を掠めていく。
首元では、沖田の襟巻きが波打つように靡いた。
月光に照らされた二つの影は微動だにせず、一定の距離を保ち見つめ合う。
(違う。爺さまは死んだ。生きているはずない)
きせは老父を睨みつけると、再び抜刀できるよう身構えた。
「お前は誰だ」
「……」
「何故爺さまの姿をしている」
「……ふむ、信じられんのも無理はないか」
顎に蓄えた髭を摩り、老父は動じる事なく言葉を紡いだ。
「きせや、お前の見た遺体、それは本当に儂の物であったか?」
「……」
「首から下しか存在しなかった遺体は、本当に儂だっただろうか。背格好が同じ老人を身代わりにしたとは考えなかったのか?」
「……」
黙ったままのきせは一見冷静に見えるが、その顔は強張っている。
確かに、きせは打ち捨てられた遺体が老父の物だと信じて疑わなかった。
老父の服を着て、老父の刀を持っている。
これが老父以外の何者だというのだ。
だが、根拠が無いのも事実。
斬り落とされた首は見つかっていない。
自分が勝手にあの遺体を老父だと思い込んでいたと言われればそれまでだ。
「身代わりなんて、何のために…」
「しばらく身を隠す必要があってな。故に、お前に会いに来るのも遅くなってしまった」
「……」
気持ちが激しく揺らいで、頭が酷く混乱している。
老父であって欲しいと願う心と、惑わされてはいけないと嗜める心。
(何を信じればいい……⁉︎)
未だ刀から手を離さないきせに構わず、老父は手を後ろで組み、ゆっくりと歩みを進めた。
「っ!!」
間合いに入った老父は丸腰。
その気になれば、意図も容易く討ち取る事が出来るだろう。
しかし、決めかねるきせは刀を抜く事が出来ない。
ついに触れ合える距離まで近付くと、老父は静かに微笑みそっと瞳を伏せた。
「お前の心に委ねるよ」
「…ぁ…」
無防備なその姿に、きせの手から刀が離れる。
「……本当に、爺さまなの?」
微かに震えたきせの声に、老父は頷きそのまま頭を僅かに下げた。
「長い間、一人にしてすまなかった。寂しかっただろう」
「や、やめて爺さま」
慌てて老父の顔を上げさせる。
軽く触れただけでも分かる、引き締まった筋肉。
華奢な老人らしい見た目と違い、その装束の下に隠された強靭な肉体。
その逞しい腕に抱き上げられ、愛おしみ守られた懐かしい記憶がきせの体を駆け巡った。
「本当に爺さまなんだね…生きて…いたんだね…」
「なんだ泣いておるのか?体は大きくなっても、まだまだ子供じゃな」
老父は、きせの頭を優しく撫でてやる。
じわりと滲んだ涙は粒となり、きせは零れ落ちる前にそれを袖で拭う。
「もう大丈夫じゃよ。これからはずっと家族一緒に暮らそう」
「爺さま…」
また家族と一緒に暮らす。
しかし、直ぐに返事をする事が出来なかった。
頭に浮かぶのは、真選組の仲間たち。
そんなきせの迷いを瞬時に見抜いた老父は、深妙な面持ちで顎髭を撫でる。
「真選組か」
「う、うん。今、真選組でお世話になってる。でも、何故爺さまがその事を…?」
「きせ、お前は真選組にいてはならんのだよ」
「なっ…⁉︎」
優しい物腰から一変、真剣な眼差しの老父に、きせは開きかけた口を閉じた。
「きせ、里を滅ぼし、お前に斬られたあの男を覚えているな」
「…うん」
きせは眉を潜め小さく頷いた。
忘れるはずが無い。
老父、姉と生まれて間もないその子供、そして里の者達の命を無慈悲に奪った男の顔は、今でも鮮明に思い出せる。
「裏ではなかなか悪辣としているが、あれでも表の顔はれっきとした幕府の人間でな」
「幕府の…」
「里の者は幕府の人間に殺された。なれば、幕府の犬である真選組は紛う事無き我らの仇と言えよう」
「…あの男と真選組は関係ない」
「きせ」
「あんな男と真選組のみんなを一緒にしないで!」
「きせ」
「っっ‼︎」
咎めるように名を呼ばれ、きせはぐっと口噤む。
重く息を吐くと、老父はきせを落ち着かせるように静かに再び話し出す。
「幕府の人間を殺めたお前は罪人だ。そんなお前を、真選組が今まで通り受け入れると思うか?」
「それは……」
幕府の要人を手にかけたきせが、幕府の特殊警察である真選組の隊士として属するなど笑止。
惨殺したのが自分だと知れた時、暗殺者を匿っていたとして局長である近藤や、副長である土方にも、何らかの制裁があるかもしれない。
巡り巡って、一番隊の隊長である沖田にも。
「沖田隊長……」
貸してもらった襟巻きを握りしめ、苦し気に息を詰める。
そんなきせの肩に手を添え、老父は慈しむようにその顔を覗き込む。
「幼い子供の命までも奪い去った幕府の人間を、お前は許せまい。そうだろう?」
「…僕は……」
「全てはお前のためなんだよきせ。奴らに復讐するためにも、儂と共に行こう」
「行くって、何処に」
「宇宙海賊、春雨の船じゃよ」
耳を疑った。
老父は今なんと言った?
「春雨の提督、あのお方は素晴らしい方だ。里が襲撃され深傷を負った儂を介抱するだけでなく、こうして幕府に復讐する強大な力を授けて下さったんだからな」
「爺さま…」
「我ら神凪家の力を持ってすれば、春雨の幹部に成り上がる事も夢ではないぞ!」
「なんで…こんな事に…」
誇らし気に語る老父の耳に、きせの声は届いていない。
過去と決別し、守る力を求めて歩き出したきせ。
全てを憎み、復讐に刀を握った老父。
里の壊滅したあの日、同じ場所に居たはずの二人は、真逆の道を選び進んでいた。
「神凪~!待たせて悪い‼︎」
間が悪く、先程厠へ向かった隊士二人が戻って来た。
寄り道でもして来たのだろう、手にビニールの手提袋を持っている。
「温かいお茶買ってきたぜ〜」
「ついでに夜食もな!」
こちらの事情など知りもしない彼等は、楽し気に戯れ合うようにしてこちらへ向かってくる。
そんな隊士達を一瞥し、きせは反射的に老父の顔を伺った。
「爺さま、彼らは…」
「真選組じゃな」
背筋の凍る声に、きせは一気に青ざめる。
顔から親しみは消え失せ、暗殺者の顔へと変貌していた。
「逃げて下さいっっっ!!!!!!」
そう叫んだ瞬間だった。
きせの前に居たはずの老父の姿は忽然と消え、その場に枯れ葉が舞い上がった。
「爺さまっ⁉︎」
すぐ後ろで、隊士の驚愕した声が聞こえる。
まるで瞬間移動でもしたかのように、老父が隊士達の前に立ちふさがっていた。
「なっ、何だお前っ⁉︎」
「短い間とはいえ、この者達が仲間だというならば、せめて苦しむ間も無く屠ってやろう」
隊士達が鞘から刀を抜く間もなく、老父の手に握られた刃が凪ぎ払われる。
「うあぁぁぁ!」
死を覚悟した隊士達は悲鳴を上げ目蓋を閉じるも、刃物がぶつかり合う甲高い音に、ハッとし顔を上げた。
「神凪⁉︎」
隊士達を庇うように、寸での所できせが老父の刀を防いでいる。
「くっ…ぅっ…っ…‼︎‼︎」
「邪魔立てするでないきせ」
「…っっっ‼︎」
刃の擦れる耳障りな音が耳を劈き、きせの刀が押され始めた。
老体相手だというのに、渾身の力を込めるも押し退ける事が出来ない。
「神凪‼︎‼︎」
「逃げて下さいっっ‼︎‼︎」
応戦しようとした隊士達に、きせは怒鳴りつけるようにして凄んだ。
三人の中で一番実力がある自分が押されるのだ、彼等に敵うはずもない。
「はっ、早くっっ‼︎‼︎‼︎」
これ以上防ぎ切れない。
苦し気に声を振り絞るきせに、隊士達は歯を食いしばる。
「待ってろ!直ぐに応援を呼んで来るから‼︎」
身を翻し駆けていく隊士達を見据え、老父の顔が恐ろしく歪んだ。
「この儂の前から逃げ果せた輩は、未だかつておらん」
「爺さま止めてっっ‼︎お願いだから‼︎‼︎」
悲痛な声で懇願するきせを見下ろし、老父はさらに力を込め刀を押し込んで来た。
「お前に、この儂は斬れん」
鍔迫り合いに押し負け、きせの手から刀をが弾き飛ばされると、隙が出来た腹を思い切り蹴り飛ばされた。
「がはっっっ!!!!」
勢い良く吹き飛ぶきせの体は、桟橋の手摺を破壊し緩やかに流れる小川の中へと打ち付けられた。
激しい水飛沫が上がる。
「ぅ…っ…げほっ!」
内蔵が傷ついたのか、口から吹き出すように吐血した。
透明な川の水を赤く染め、苦い口内に眉を顰める。
全身を強打し、骨が軋み悲鳴を上げるも、きせは直ぐに手を付いて体を起こす。
「…っ…爺さま!!!」
叫んだと同時。
か細い悲鳴と水飛沫の嫌な音がした。
視界が真っ赤に染まる。
ほんの数歩先で、白眼を剥いた隊士が、糸の切れた操り人形のようにぷつりとその場に崩れ落ちた。
「……ぁ……」
二人の体から流れる真っ赤な血を、きせは呆然と見つめる。
ガチガチと歯を鳴らし、震えが止まらない。
冬の真水に凍えて震えているのではなかった。
きせの心を支配しているのは恐怖。
「春雨の提督にお前の事をお話したら、是非にも連れて来いとお許しも頂いているんだよ」
刀に付着した隊士達の血を振り落とし、老父は顔に掛かった返り血を舌舐めずりする。
「だが、手土産無しでは些か失礼であろう」
老父は今まで以上に柔らかく微笑んだ。
「神凪家当主より命ずる。きせ、真選組局長、近藤勲の首を献上せよ」
一定の間隔で鳴る電子音が、静寂な病院の廊下に響いた。
硝子に隔てられた部屋の向こうで、数えきれない何本もの管に繋がれ横たわる二人の隊士。
心電図は安定した脈を計測しているが、意識は無く、その顔色は血の気が失せ真っ青だった。
きせはそれを虚な面持ちで見下ろす。
あの後。
騒ぎを聞きつけた他の見廻り組みが、きせ達の元に駆けつけた。
サイレンがあたり一帯に煩く鳴り響き、大地に染み込む真っ赤な血を赤灯が残酷に照らす。
「任務を果たせ。船で待っているぞきせ」
立ち尽くすきせにそう言い残すと、老父は姿を消した。
そこから記憶が曖昧だった。
気が付けば病院にいて、頭に大きな傷あてが貼り付いていた。
老父に蹴られた腹部は、少し力を入れただけでも激痛が走る。
しかし、彼等に比べたらこんな痛み等擦り傷みたいなものだ。
守る事が出来なかった。
自分がもっと強ければ。
沖田や土方のように強ければ、彼等が生死の境を彷徨う事はなかった。
(…違う。僕の刀に迷いがあったからだ)
きせが老父より強かったとしても、迷いがある限り、きっと、その体に刀を突き刺す事は出来なかった。
無意識の迷いが、彼等を救う妨げとなったのだ。
(爺さまを、止められなかった…)
誰の血とも知れぬ色の染まった襟巻に顔を竦め、眉尻を下げ瞳を震わせる。
「ごめんなさい…」
虫の鳴き声のように小さくか細い謝罪は、闇に溶け掻き消えた。
遠くから、けたたましい足音が聞こえる。
看護士らしき女性の咎める声も微かに聞こえるが、足音は止まない。
次第に近づいて来るその足音に、沈んだ面持ちのきせが僅かに顔を上げた時だった。
「サド丸!!!」
蒼白な顔をした沖田が、全速でこちらに走って来る。
「お、き…たいちょ……」
沖田の顔を見た途端、きせの中で繋ぎ止めていた何かが崩れ、大きな涙の玉が揺らぐ瞳から止め処なく零れ落ちた。
「沖田隊長…!!」
助けを乞うように伸ばされたきせの腕を通り越し、沖田はその体を乱暴に抱き寄せた。
「馬鹿野郎‼︎心配させやがって‼︎」
耳元で叫ばれた悲痛な声に、鼓膜が震える。
息も出来ない程強く抱きしめられ、傷付いた肋骨が圧迫され軋む。
それでもきせは、縋るようにして沖田の背に手を這わした。
「…僕…っ…任せてって、言ったのに…守れなく、て……」
「いい、もう何も言うな」
「っ…僕が弱い、から……僕が……っ」
「違う‼︎お前のせいじゃない‼︎」
「…ごめ…っ…ごめ、なさ、い…っ…ごめんなさい……っっ…‼︎‼︎」
足元から崩れ落ちたきせは、冷たい床に座り込み声を上げて泣き出した。
「ごめんなさ…っ…ごめんなさい…っっ」
「サド丸…」
自分を責め続け、謝罪を繰り返すきせ。
むせび泣くその姿はあまりにも痛々しく。
沖田は為す術なく、ただきせを包み込むようにして抱き締める事しか出来なかった。
きっちりと整えてある白髪。
笑うとしわが寄って、くしゃくしゃになるその顔。
間違いない。
「爺さま…」
そこに居たのは、きせの育ての親にして、里が壊滅した日に首を斬り落とされ、残虐な最期を迎えたはずの祖父だった。
冷たい夜風が全身を拐い、枯れ葉が足元を掠めていく。
首元では、沖田の襟巻きが波打つように靡いた。
月光に照らされた二つの影は微動だにせず、一定の距離を保ち見つめ合う。
(違う。爺さまは死んだ。生きているはずない)
きせは老父を睨みつけると、再び抜刀できるよう身構えた。
「お前は誰だ」
「……」
「何故爺さまの姿をしている」
「……ふむ、信じられんのも無理はないか」
顎に蓄えた髭を摩り、老父は動じる事なく言葉を紡いだ。
「きせや、お前の見た遺体、それは本当に儂の物であったか?」
「……」
「首から下しか存在しなかった遺体は、本当に儂だっただろうか。背格好が同じ老人を身代わりにしたとは考えなかったのか?」
「……」
黙ったままのきせは一見冷静に見えるが、その顔は強張っている。
確かに、きせは打ち捨てられた遺体が老父の物だと信じて疑わなかった。
老父の服を着て、老父の刀を持っている。
これが老父以外の何者だというのだ。
だが、根拠が無いのも事実。
斬り落とされた首は見つかっていない。
自分が勝手にあの遺体を老父だと思い込んでいたと言われればそれまでだ。
「身代わりなんて、何のために…」
「しばらく身を隠す必要があってな。故に、お前に会いに来るのも遅くなってしまった」
「……」
気持ちが激しく揺らいで、頭が酷く混乱している。
老父であって欲しいと願う心と、惑わされてはいけないと嗜める心。
(何を信じればいい……⁉︎)
未だ刀から手を離さないきせに構わず、老父は手を後ろで組み、ゆっくりと歩みを進めた。
「っ!!」
間合いに入った老父は丸腰。
その気になれば、意図も容易く討ち取る事が出来るだろう。
しかし、決めかねるきせは刀を抜く事が出来ない。
ついに触れ合える距離まで近付くと、老父は静かに微笑みそっと瞳を伏せた。
「お前の心に委ねるよ」
「…ぁ…」
無防備なその姿に、きせの手から刀が離れる。
「……本当に、爺さまなの?」
微かに震えたきせの声に、老父は頷きそのまま頭を僅かに下げた。
「長い間、一人にしてすまなかった。寂しかっただろう」
「や、やめて爺さま」
慌てて老父の顔を上げさせる。
軽く触れただけでも分かる、引き締まった筋肉。
華奢な老人らしい見た目と違い、その装束の下に隠された強靭な肉体。
その逞しい腕に抱き上げられ、愛おしみ守られた懐かしい記憶がきせの体を駆け巡った。
「本当に爺さまなんだね…生きて…いたんだね…」
「なんだ泣いておるのか?体は大きくなっても、まだまだ子供じゃな」
老父は、きせの頭を優しく撫でてやる。
じわりと滲んだ涙は粒となり、きせは零れ落ちる前にそれを袖で拭う。
「もう大丈夫じゃよ。これからはずっと家族一緒に暮らそう」
「爺さま…」
また家族と一緒に暮らす。
しかし、直ぐに返事をする事が出来なかった。
頭に浮かぶのは、真選組の仲間たち。
そんなきせの迷いを瞬時に見抜いた老父は、深妙な面持ちで顎髭を撫でる。
「真選組か」
「う、うん。今、真選組でお世話になってる。でも、何故爺さまがその事を…?」
「きせ、お前は真選組にいてはならんのだよ」
「なっ…⁉︎」
優しい物腰から一変、真剣な眼差しの老父に、きせは開きかけた口を閉じた。
「きせ、里を滅ぼし、お前に斬られたあの男を覚えているな」
「…うん」
きせは眉を潜め小さく頷いた。
忘れるはずが無い。
老父、姉と生まれて間もないその子供、そして里の者達の命を無慈悲に奪った男の顔は、今でも鮮明に思い出せる。
「裏ではなかなか悪辣としているが、あれでも表の顔はれっきとした幕府の人間でな」
「幕府の…」
「里の者は幕府の人間に殺された。なれば、幕府の犬である真選組は紛う事無き我らの仇と言えよう」
「…あの男と真選組は関係ない」
「きせ」
「あんな男と真選組のみんなを一緒にしないで!」
「きせ」
「っっ‼︎」
咎めるように名を呼ばれ、きせはぐっと口噤む。
重く息を吐くと、老父はきせを落ち着かせるように静かに再び話し出す。
「幕府の人間を殺めたお前は罪人だ。そんなお前を、真選組が今まで通り受け入れると思うか?」
「それは……」
幕府の要人を手にかけたきせが、幕府の特殊警察である真選組の隊士として属するなど笑止。
惨殺したのが自分だと知れた時、暗殺者を匿っていたとして局長である近藤や、副長である土方にも、何らかの制裁があるかもしれない。
巡り巡って、一番隊の隊長である沖田にも。
「沖田隊長……」
貸してもらった襟巻きを握りしめ、苦し気に息を詰める。
そんなきせの肩に手を添え、老父は慈しむようにその顔を覗き込む。
「幼い子供の命までも奪い去った幕府の人間を、お前は許せまい。そうだろう?」
「…僕は……」
「全てはお前のためなんだよきせ。奴らに復讐するためにも、儂と共に行こう」
「行くって、何処に」
「宇宙海賊、春雨の船じゃよ」
耳を疑った。
老父は今なんと言った?
「春雨の提督、あのお方は素晴らしい方だ。里が襲撃され深傷を負った儂を介抱するだけでなく、こうして幕府に復讐する強大な力を授けて下さったんだからな」
「爺さま…」
「我ら神凪家の力を持ってすれば、春雨の幹部に成り上がる事も夢ではないぞ!」
「なんで…こんな事に…」
誇らし気に語る老父の耳に、きせの声は届いていない。
過去と決別し、守る力を求めて歩き出したきせ。
全てを憎み、復讐に刀を握った老父。
里の壊滅したあの日、同じ場所に居たはずの二人は、真逆の道を選び進んでいた。
「神凪~!待たせて悪い‼︎」
間が悪く、先程厠へ向かった隊士二人が戻って来た。
寄り道でもして来たのだろう、手にビニールの手提袋を持っている。
「温かいお茶買ってきたぜ〜」
「ついでに夜食もな!」
こちらの事情など知りもしない彼等は、楽し気に戯れ合うようにしてこちらへ向かってくる。
そんな隊士達を一瞥し、きせは反射的に老父の顔を伺った。
「爺さま、彼らは…」
「真選組じゃな」
背筋の凍る声に、きせは一気に青ざめる。
顔から親しみは消え失せ、暗殺者の顔へと変貌していた。
「逃げて下さいっっっ!!!!!!」
そう叫んだ瞬間だった。
きせの前に居たはずの老父の姿は忽然と消え、その場に枯れ葉が舞い上がった。
「爺さまっ⁉︎」
すぐ後ろで、隊士の驚愕した声が聞こえる。
まるで瞬間移動でもしたかのように、老父が隊士達の前に立ちふさがっていた。
「なっ、何だお前っ⁉︎」
「短い間とはいえ、この者達が仲間だというならば、せめて苦しむ間も無く屠ってやろう」
隊士達が鞘から刀を抜く間もなく、老父の手に握られた刃が凪ぎ払われる。
「うあぁぁぁ!」
死を覚悟した隊士達は悲鳴を上げ目蓋を閉じるも、刃物がぶつかり合う甲高い音に、ハッとし顔を上げた。
「神凪⁉︎」
隊士達を庇うように、寸での所できせが老父の刀を防いでいる。
「くっ…ぅっ…っ…‼︎‼︎」
「邪魔立てするでないきせ」
「…っっっ‼︎」
刃の擦れる耳障りな音が耳を劈き、きせの刀が押され始めた。
老体相手だというのに、渾身の力を込めるも押し退ける事が出来ない。
「神凪‼︎‼︎」
「逃げて下さいっっ‼︎‼︎」
応戦しようとした隊士達に、きせは怒鳴りつけるようにして凄んだ。
三人の中で一番実力がある自分が押されるのだ、彼等に敵うはずもない。
「はっ、早くっっ‼︎‼︎‼︎」
これ以上防ぎ切れない。
苦し気に声を振り絞るきせに、隊士達は歯を食いしばる。
「待ってろ!直ぐに応援を呼んで来るから‼︎」
身を翻し駆けていく隊士達を見据え、老父の顔が恐ろしく歪んだ。
「この儂の前から逃げ果せた輩は、未だかつておらん」
「爺さま止めてっっ‼︎お願いだから‼︎‼︎」
悲痛な声で懇願するきせを見下ろし、老父はさらに力を込め刀を押し込んで来た。
「お前に、この儂は斬れん」
鍔迫り合いに押し負け、きせの手から刀をが弾き飛ばされると、隙が出来た腹を思い切り蹴り飛ばされた。
「がはっっっ!!!!」
勢い良く吹き飛ぶきせの体は、桟橋の手摺を破壊し緩やかに流れる小川の中へと打ち付けられた。
激しい水飛沫が上がる。
「ぅ…っ…げほっ!」
内蔵が傷ついたのか、口から吹き出すように吐血した。
透明な川の水を赤く染め、苦い口内に眉を顰める。
全身を強打し、骨が軋み悲鳴を上げるも、きせは直ぐに手を付いて体を起こす。
「…っ…爺さま!!!」
叫んだと同時。
か細い悲鳴と水飛沫の嫌な音がした。
視界が真っ赤に染まる。
ほんの数歩先で、白眼を剥いた隊士が、糸の切れた操り人形のようにぷつりとその場に崩れ落ちた。
「……ぁ……」
二人の体から流れる真っ赤な血を、きせは呆然と見つめる。
ガチガチと歯を鳴らし、震えが止まらない。
冬の真水に凍えて震えているのではなかった。
きせの心を支配しているのは恐怖。
「春雨の提督にお前の事をお話したら、是非にも連れて来いとお許しも頂いているんだよ」
刀に付着した隊士達の血を振り落とし、老父は顔に掛かった返り血を舌舐めずりする。
「だが、手土産無しでは些か失礼であろう」
老父は今まで以上に柔らかく微笑んだ。
「神凪家当主より命ずる。きせ、真選組局長、近藤勲の首を献上せよ」
一定の間隔で鳴る電子音が、静寂な病院の廊下に響いた。
硝子に隔てられた部屋の向こうで、数えきれない何本もの管に繋がれ横たわる二人の隊士。
心電図は安定した脈を計測しているが、意識は無く、その顔色は血の気が失せ真っ青だった。
きせはそれを虚な面持ちで見下ろす。
あの後。
騒ぎを聞きつけた他の見廻り組みが、きせ達の元に駆けつけた。
サイレンがあたり一帯に煩く鳴り響き、大地に染み込む真っ赤な血を赤灯が残酷に照らす。
「任務を果たせ。船で待っているぞきせ」
立ち尽くすきせにそう言い残すと、老父は姿を消した。
そこから記憶が曖昧だった。
気が付けば病院にいて、頭に大きな傷あてが貼り付いていた。
老父に蹴られた腹部は、少し力を入れただけでも激痛が走る。
しかし、彼等に比べたらこんな痛み等擦り傷みたいなものだ。
守る事が出来なかった。
自分がもっと強ければ。
沖田や土方のように強ければ、彼等が生死の境を彷徨う事はなかった。
(…違う。僕の刀に迷いがあったからだ)
きせが老父より強かったとしても、迷いがある限り、きっと、その体に刀を突き刺す事は出来なかった。
無意識の迷いが、彼等を救う妨げとなったのだ。
(爺さまを、止められなかった…)
誰の血とも知れぬ色の染まった襟巻に顔を竦め、眉尻を下げ瞳を震わせる。
「ごめんなさい…」
虫の鳴き声のように小さくか細い謝罪は、闇に溶け掻き消えた。
遠くから、けたたましい足音が聞こえる。
看護士らしき女性の咎める声も微かに聞こえるが、足音は止まない。
次第に近づいて来るその足音に、沈んだ面持ちのきせが僅かに顔を上げた時だった。
「サド丸!!!」
蒼白な顔をした沖田が、全速でこちらに走って来る。
「お、き…たいちょ……」
沖田の顔を見た途端、きせの中で繋ぎ止めていた何かが崩れ、大きな涙の玉が揺らぐ瞳から止め処なく零れ落ちた。
「沖田隊長…!!」
助けを乞うように伸ばされたきせの腕を通り越し、沖田はその体を乱暴に抱き寄せた。
「馬鹿野郎‼︎心配させやがって‼︎」
耳元で叫ばれた悲痛な声に、鼓膜が震える。
息も出来ない程強く抱きしめられ、傷付いた肋骨が圧迫され軋む。
それでもきせは、縋るようにして沖田の背に手を這わした。
「…僕…っ…任せてって、言ったのに…守れなく、て……」
「いい、もう何も言うな」
「っ…僕が弱い、から……僕が……っ」
「違う‼︎お前のせいじゃない‼︎」
「…ごめ…っ…ごめ、なさ、い…っ…ごめんなさい……っっ…‼︎‼︎」
足元から崩れ落ちたきせは、冷たい床に座り込み声を上げて泣き出した。
「ごめんなさ…っ…ごめんなさい…っっ」
「サド丸…」
自分を責め続け、謝罪を繰り返すきせ。
むせび泣くその姿はあまりにも痛々しく。
沖田は為す術なく、ただきせを包み込むようにして抱き締める事しか出来なかった。