偽りのカンパネラ
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木枯らしに揺さぶられ、残り少ない葉がまた一枚、力尽き枝から滑り落ちた。
肌を掠めるひんやりとした風に、ついこの間までは疎ましかった真夏の太陽が恋しくなる。
季節が変われど、軒下では相変わらず鬼灯の風鈴が吊るされていた。
哀愁漂うその響きに、その真下でぼんやりと物思いに耽っていたきせが顔を上げる。
その音色は何一つ変わらないはずなのに、耳に届く音は何処か違って聞こえた。
夏が終わったのだから、いい加減片付けなさいとでも言っているかのよう。
吹き付ける風にその身を震わせ、風鈴が悲し気に音を鳴らす。
ちょうどその時、大空を飛び交う大きな鳥を見つけた。
鳴き声一つ上げず、屯所の周りを上空でぐるぐると旋回している。
鳩にしてはその体は大きく、体下面の羽衣が白く烏とも違う。
きせはその鳥から目を離さず、釣り上げられるようにしてその場に立ち上がった。
「…もしかして隼?」
旋回する鳥は一度だけ鳴き声を発すると、枝がむき出しとなった冬の桜木にゆっくりと舞い降りて来た。
駆け寄りきせが腕を差し出すと、爪を立てる事なく慣れた様子で飛び乗ってきた。
「おまえ、よく此所が分かったね」
懐かしい友に出会えた喜びに、きせの顔が綻ぶ。
胸から頬を指先で優しく撫でると、隼は甘えるように喉を鳴らした。
隼は、きせが住んでいた里では唯一の連絡手段としてどの家でも用いられていた、言わば飛脚のような存在だ。
仲間との連絡はもちろん、雇主からの仕事も隼が運んで来る。
目印も何も無いが、羽の模様や鳴き声などからこの隼が神凪家の所有する隼だと分かった。
見れば、その脚には小さく折り畳まれた紙が括り着けられている。
里は壊滅し、隼を操る者は居ない。
きせが里を出た時、この隼も自然に帰したはずなのに。
(一体誰が……)
迷った挙げ句、きせは隼の脚から手早く紙を解き放った。
『果ての月。天下の膝元、北東、紅の桟橋にて』
差出人の名前は無い。
念のため裏面も見てみるが、送り主を特定する物は何も見当たらなかった。
「お前、一体誰の元から飛んで来たの?」
答えるはずもないが、問わずにはいられない。
呑気に羽を繕う隼に苦笑し、きせは吐き出しかけた溜息を飲み込む。
おそらく、この手紙は祖父へ宛てられた物だろう。
利口な隼が、この手紙を亡き祖父に代わって受け取るべき資格はきせにあると、そう判断し飛んで来たに違いない。
「今月、江戸の北東にある桟橋に行けって事か」
読み解いた文を口にし、きせは人の気配を感じ手紙を拳の中で潰した。
雑談する隊士達の声が、少しずつ近づいて来る。
「会えて嬉しかった。行きなさい」
柔らかな羽毛の頬を今一度だけ撫でると、きせは腕を大きく振り上げ、隼を空へと誘う。
翼を大きく広げ、風に乗り空高く昇っていく。
そして、甲高く一声だけ鳴き声を上げた。
まるで隼からの別れの言葉のよう。
きせは、寂し気に瞳を揺らしながら、姿が見えなくなるまで見送った。
「もう縛られる必要はないんだよ。お前も、僕も……」
きせは一言だけそう呟くと、手紙をポケットに押し込んだ。
屯所の庭に植えられた木々の葉が全て大地へと散った日、きせは初めて会議に参加していた。
それなりに広い部屋へ続々と各隊の隊長が集まって来る。
きせ同様、何人か平隊士達も参席しているようだ。
列をなして座る隊士達の一番後ろを選んで座ると、きせはどうにも落ち着かない様子で会議が始まるのを待った。
「ここ最近、江戸の町で宇宙海賊団春雨の目撃情報が報告されている」
いよいよと、きせは土方の声が発せられると同時に背筋を伸ばした。
緊張のあまり、顔が強張ってしまう。
「なんて顔してんでィ」
密やかに呟き、遅れてやってきた沖田が含み笑いを零しながらきせの頬を指で突いた。
「遅刻ですよ」
「ちょっと寝坊」
「もっと気を引き締めて下さい」
「へいへい」
きせのお咎めをさらりと聞き流し、沖田はどっこいせと隣に座った。
隊長位ともなれば、こんな後ろではなく前列に座るべきではないのか。
そんな疑問が顔に出ていたのか、沖田は微笑みその頭をわしわしっと撫でた。
「ちゃんと聞いとけよ」
「はい…」
沖田が傍にいてくれるだけで、不思議と心強い。
(僕の事、気にかけてくれたのかな…)
そんな事を考えながら、きせも隊士達の頭向こうに佇む土方を真っ直ぐ見据えた。
「奴らが何の目的で江戸の町に出入りしているのかは、まだ調査中だ」
きせは土方の言葉をしっかりと耳にしながらも、以前犯罪者の資料に目を通した内容を反復していた。
天人で結成された宇宙海賊団、春雨。
非合法の薬物を主な収入源とした、銀河系最大の犯罪集団である。
幹部だけでも十二の師団があり、さらにその下にも末端組織が結成されている等と、かなり大規模な組織といえる。
その戦闘能力は極めて高く、同じ過激テロを行う桂一派とはまた違う危険性を伴っていた。
命を奪い取る事を躊躇しない、極悪非道な賊だ。
「お前らには今後、対春雨の任務にあたってもらう。ただし、夜間での単独任務は禁ずる。最低でも三人で行動しろ」
張り詰めた空気の中で、土方は次々と指示を出して行った。
しかし、そう簡単に春雨の尻尾を掴めるはずも無く。
監察方の山崎が昼夜問わず情報を収集しているも、これといった有力情報は得られず、日ばかりが過ぎて行った。
自ずと隊士達の緊張感も時と共に薄れ始める。
「疲れた〜…」
この日も明け方まで任務にあたっていた沖田は、昼前になってようやく自室へと戻る事が出来た。
バタリと布団の上に倒れ込むと、たちまち瞼が重くなる。
春雨の件を危惧して、ここ数日夜間の見廻りは先日会議に参列した実力有る隊士達のみで行われている。
夜間の見廻り程、危険な任務はない。
なにせ、悪い事を企んでいる輩というのは、夜更けを好んで行動するものだからだ。
しかし、各隊で交代の任務とはいえ、隊長ともなれば日中にもやる事はある。
サボる暇も口実すらも与えられず、沖田は連日目の前の任務に大人しく就かざるを得なかった。
「…サド丸、最近会ってねぇな……」
ぼそりと溢した声は寂し気で、沖田は大きな溜め息を吐く。
あの会議以来、沖田ときせは同じ隊だというのにすれ違いの日々を過ごしていた。
毎日一緒に連れ立っていたのが、もう遠い記憶に思える。
「…会いたいな……」
枕に顔を埋め、再び深々と溜め息を吐いた。
そして、思いを馳せながらも意識は急速に薄れ、沖田はそのまま昼餉も取らず寝入ってしまった。
「…ん……」
幾度と何かが地面を擦る音に、沖田は薄ら目を開けた。
時計の短針が、下り坂へと突入している。
僅かな時間だが、深く眠っていたらしい。
先程から耳に届く不可思議な音を辿り、這いずるようにして襖を開ければ、忽ち冷たい空気が部屋へと張り込み、思わず身を縮こませ目を細める。
再び目を開けば、夕陽に照らされた庭先で、散り積もった落ち葉を掃き掃除するきせを見つけた。
直ぐ傍には、掃き終え山となった落ち葉から燻った煙がモクモクと空に昇っている。
鼻歌を交え、何故か楽しそうに掃除しているきせに、沖田は無意識に微笑した。
手直にあった襟巻きを首に巻くと、草履に指を通し地を滑るようにして外へと出向く。
それに気付いたきせが駆け寄って来た。
「ごめんなさい、煩かったですか?」
「いや、後でまた寝るから」
パチパチと時折爆ぜる音を発した焚き火を前に腰を下ろし、そっと手を当て暖をとる。
「最近お掃除する暇がなかったから、枯れ葉がこんなに集まっちゃいました」
きせは沖田の横にしゃがみ込むと、枝で焚き火の中を突く。
じんわりと温まる手をそのままに、何をしているのかとその矛先を見れば、枯れ葉に混じって木の実が幾つか覗いて見えた。
休息もそこそこに、せっせと庭の掃き掃除をしていたのは、焼き栗目当てのようだ。
「もしかして栗、嫌いですか?」
蒸し焼きになっている栗を見つめた沖田に、きせが首を傾げた。
その顔には、僅かに不安の色が浮かんでいる。
嫌いと言われたらどうしよう、そんな表情だ。
「剥くのが面倒くさい」
「僕が剥きます。一緒に食べましょ」
ちょっとした意地悪心を口にするも、きせは無邪気な笑みを返して来た。
「そろそろ焼けるかな」
うきうきと楽し気なきせを見ているだけで、気付けば沖田の顔にも笑みが生まれた。
「お前の笑った顔、好きだな」
それは、吐息と共に口を突いて出た、沖田の本心だった。
過剰な任務に、いつしか体の奥に沈んでいた疲労という名の鉛。
好物を食べようと、睡眠を取ろうと、何をしても拭えなかった鉛が、きせの笑顔を見ただけですっと溶けて消えてしまった。
「見てるだけで安らぐ」
「……そう、ですか」
いつもの戯れか判断しかねたきせは、一瞬戸惑うも気恥ずかしそうに視線を反らし焚き火の奥を突く。
「今夜の見廻り、付き合えなくて悪いな。松平のとっつぁん交えての会議はさすがにサボれねぇ」
威圧感しかない強面の男の姿が脳裏を掠め、沖田は無駄な抵抗はすまいと、仕方無しに肩を落とす。
しかし、夜間組の動向も気がかりだ。
真選組が追いかけているのはあの春雨。
相見えれば、平隊士だけでは太刀打ち出来ない事など百も承知。
加えて、ここ数日警戒心が薄れて来た隊士達を、沖田は気に掛けていた。
それを感じ取ったきせは、お任せとばかりに胸に拳を突き立てた。
「大丈夫ですよ。僕がしっかり先導します」
「生意気言いやがって」
「あはは!やめて下さいよ」
クシャクシャっと少々乱暴に頭を撫でられ、きせは嫌々言いながらもどこか嬉しそうに笑った。
「ん、そういえばお前、随分と薄着だな」
「そうですか?」
己の身なりを見下ろし、きせはきょとんとする。
それなりに厚着はしているものの、防寒具の類いは一切身につけていない。
見ているこちらが益々寒くなる。
「これくらいで寒いなんて言ってたら、蝦夷地では生きていけませんよ」
北国生まれ北国育ちのきせにとって、このくらいの寒さはまだまだ序の口なのだろう。
得意気に胸を張るも、北風に晒された頬や鼻面は赤くなっている。
「夜になれば江戸も蝦夷地みたいなもんだろ」
沖田はするりと己の首から襟巻きを巻き取ると、手早くきせの首に巻き付けた。
「貸してやるから着けて行け」
「でも、それだと沖田隊長が寒いですよ」
遠慮するきせに、問答無用と襟巻きを押し付ける。
一度言い出したら梃子でも動かないと、きせは与えられた襟巻きに顔を埋め小さく溜息をつく。
(…沖田隊長の匂いがする)
持ち主の温もりが残った襟巻きに心地良さを感じながら、寒さとはまた違った意味で頬を赤くした。
「汚したら弁償な」
「意地でも汚しません」
沖田の優しさにはやはり裏があったと、きせは眉間に皺を寄せる。
「食べたら、お前も少し仮眠しとけよ」
「そうしたいんですけど、寝付けないんです」
芳ばしい香りのし始めた焚き火の中から、きせは苦笑しながら栗をかき出す。
夜間の見廻りを命じられた一番隊の隊士達は、数時間前から部屋で爆睡中。
一方のきせは、体内時計がまだ眠る時間ではないと、なかなか睡魔を寄越してくれない。
熱せられた栗を厚手の手拭で包み、力を込める。
中でバキッと小気味良い音が響いた。
「あちち」
きせの指を焼き焦がさんと熱を這わせる栗を掴み、ふぅふぅと息を吹きかける。
「ちゃんと焼けてるかな」
毒味とばかりに最初の一粒を口に運びかけた時。
「寝られねェってんなら、添い寝してやろうか」
「…はい?」
突拍子も無い発言に、栗を運びかけていたきせの手が止まる。
「いただき」
と、沖田はその手首を引き寄せ己の口に運んだ。
食らいつくようにきせの指から栗を食す。
沖田の柔らかい唇が指先に触れ、きせは口を開けたまま声にならない悲鳴を上げた。
「美味い。サド丸、もう一個剥いて」
「今…っ…なに…して⁉︎」
「俺、昼餉食い損ねてっから腹減ってるの」
掴んでいた手首を解放し、唖然としたままのきせに沖田は早くと急かす。
動揺から指が震え、なかなか割れない殻に悪戦苦闘しているきせには、含み笑いする沖田に気付く余裕は無い。
「あーん」
「な、なんですかその“あーん”て…」
訊かずとも分かるが、訪ねずにはいられない。
居たたまれず俯き口を窄めるその表情がまた可笑しく、沖田を飽きさせない。
「本当に可愛いな、お前」
「…なんか、楽しそうですね」
「うん、楽しい」
「……」
沖田の微笑んだ顔に、からかわれていると分かっていながらも、きせはぐっと息を詰め益々顔を赤らめさせた。
「なぁなぁ。この先を回ったら一度パトカーに戻ろうぜ」
夜ともなれば凍えるような寒さとなったこの季節、夜な夜な出歩く人間はそうそう見かけるものではない。
見かけたのは散歩中の野良猫くらいなもの。
「賛成。俺も寒くて無理」
「神凪はよく平気な顔してられるな」
「余裕です」
かじかんでしまった手を擦り合わせる隊士達をよそに、きせは平然と笑ってみせる。
それでも、夕刻に沖田から借りた襟巻きはしっかりと身につけていた。
荒ぶる冷風に身を震わせた一番隊の隊士二人と共に、寝静まったかぶき町の町を見廻る。
対春雨として始めた夜間の見廻りも今夜で数回目となるが、毎度不審な点もなく穏やかな夜が続いていた。
この調子なら、今夜にも厳戒態勢が解かれるのではないかとさえ思えてくる。
「悪い、ちょっとそこの公園で厠借りて来る」
「あ、俺も行くよ。神凪も行くか?」
「いえ、僕は大丈夫ですから、どうぞ行って来て下さい」
「じゃあそこの桟橋で待ってろ。直ぐ戻るから」
土方から単独行動を禁じられていたが、厠ともなれば致し方が無い。
女である自分が一緒に行くわけにはいかないのだ。
細道へと入って行った二人から背を向け、きせはゆっくりと桟橋へと向かった。
手摺に寄りかかり、足下でカサカサと音を立てる落ち葉に視線を落とす。
故郷の蝦夷地では、もう雪が積もっているだろう。
懐かしい冷風に吹かれながら、目映い月光に目を細め白い吐息を吐き出した時だった。
「随分と遅かったじゃないか」
「!?」
きせは俊敏に刀の柄に手を添えると、暗闇佇む小柄な人影を見据える。
薄らと体の輪郭は見えるが、闇に紛れ相手がどのような人物なのか見定められない。
(この人、まったく気配を感じなかった…)
頬を伝う冷たい汗もそのままに、いかなる動きも見逃すまいと目を凝らす。
そんなきせを嘲笑うかのように、闇の中から軽快な笑い声がした。
「約束の日はとっくに過ぎているぞ。まさか、手紙を読まなかったのか?」
「手紙って……」
思い当たるとすれば一つ、何週間も前に隼が運んで来たあの手紙だ。
きせは、相手に注意を向けたまま、今自分が立っている場所を見渡す。
この桟橋は例の手紙に指示された場所だったと、今更ながら気付く。
「まさか、ずっと待っていたんですか?」
「そうじゃよ、毎晩ここでお前が来るのを待っておった」
信じられないとか、何の為にそこまでとか思う事は多くあれど、きせはそれ以上に気になる事があった。
声に聞き覚えがあるのだ。
しかし、それはあり得ない事。
その声の持ち主とは、年明けに永劫の別れを告げたばかりなのだから。
そう言い聞かせるも、闇から届く掠れた声を聞けば聞く程、きせの顔から次第に血の気が引いて行った。
問いただそうにも、喉の奥で言葉が詰まって声が出ない。
柄を握る指が小刻みに震えるのを必死で制するきせに、影がゆらりと動きを見せた。
「止まりなさい!」
足を踏ん張り腰を据えると、きせは直ぐさま斬り返せる態勢をとる。
しかし、影は一歩ずつ、ゆっくりと月光の下へと向かった。
少しずつ露になったその姿に、いよいよきせは愕然と目を見開く。
「……そんな………」
白髪の整えられた短髪に、顎から枝垂れる髭、年配者とは思えない凛とした佇まい。
きせは、ついに刀の柄から指を滑り落とした。
「爺さま…………?」
「久しいな、きせよ」
ようやく声を絞り出したきせに、老父は穏やかな笑みを浮かべ手を差し伸べた。
「お前を迎えに来たよ、きせ。さあ、儂と共に行こう」
肌を掠めるひんやりとした風に、ついこの間までは疎ましかった真夏の太陽が恋しくなる。
季節が変われど、軒下では相変わらず鬼灯の風鈴が吊るされていた。
哀愁漂うその響きに、その真下でぼんやりと物思いに耽っていたきせが顔を上げる。
その音色は何一つ変わらないはずなのに、耳に届く音は何処か違って聞こえた。
夏が終わったのだから、いい加減片付けなさいとでも言っているかのよう。
吹き付ける風にその身を震わせ、風鈴が悲し気に音を鳴らす。
ちょうどその時、大空を飛び交う大きな鳥を見つけた。
鳴き声一つ上げず、屯所の周りを上空でぐるぐると旋回している。
鳩にしてはその体は大きく、体下面の羽衣が白く烏とも違う。
きせはその鳥から目を離さず、釣り上げられるようにしてその場に立ち上がった。
「…もしかして隼?」
旋回する鳥は一度だけ鳴き声を発すると、枝がむき出しとなった冬の桜木にゆっくりと舞い降りて来た。
駆け寄りきせが腕を差し出すと、爪を立てる事なく慣れた様子で飛び乗ってきた。
「おまえ、よく此所が分かったね」
懐かしい友に出会えた喜びに、きせの顔が綻ぶ。
胸から頬を指先で優しく撫でると、隼は甘えるように喉を鳴らした。
隼は、きせが住んでいた里では唯一の連絡手段としてどの家でも用いられていた、言わば飛脚のような存在だ。
仲間との連絡はもちろん、雇主からの仕事も隼が運んで来る。
目印も何も無いが、羽の模様や鳴き声などからこの隼が神凪家の所有する隼だと分かった。
見れば、その脚には小さく折り畳まれた紙が括り着けられている。
里は壊滅し、隼を操る者は居ない。
きせが里を出た時、この隼も自然に帰したはずなのに。
(一体誰が……)
迷った挙げ句、きせは隼の脚から手早く紙を解き放った。
『果ての月。天下の膝元、北東、紅の桟橋にて』
差出人の名前は無い。
念のため裏面も見てみるが、送り主を特定する物は何も見当たらなかった。
「お前、一体誰の元から飛んで来たの?」
答えるはずもないが、問わずにはいられない。
呑気に羽を繕う隼に苦笑し、きせは吐き出しかけた溜息を飲み込む。
おそらく、この手紙は祖父へ宛てられた物だろう。
利口な隼が、この手紙を亡き祖父に代わって受け取るべき資格はきせにあると、そう判断し飛んで来たに違いない。
「今月、江戸の北東にある桟橋に行けって事か」
読み解いた文を口にし、きせは人の気配を感じ手紙を拳の中で潰した。
雑談する隊士達の声が、少しずつ近づいて来る。
「会えて嬉しかった。行きなさい」
柔らかな羽毛の頬を今一度だけ撫でると、きせは腕を大きく振り上げ、隼を空へと誘う。
翼を大きく広げ、風に乗り空高く昇っていく。
そして、甲高く一声だけ鳴き声を上げた。
まるで隼からの別れの言葉のよう。
きせは、寂し気に瞳を揺らしながら、姿が見えなくなるまで見送った。
「もう縛られる必要はないんだよ。お前も、僕も……」
きせは一言だけそう呟くと、手紙をポケットに押し込んだ。
屯所の庭に植えられた木々の葉が全て大地へと散った日、きせは初めて会議に参加していた。
それなりに広い部屋へ続々と各隊の隊長が集まって来る。
きせ同様、何人か平隊士達も参席しているようだ。
列をなして座る隊士達の一番後ろを選んで座ると、きせはどうにも落ち着かない様子で会議が始まるのを待った。
「ここ最近、江戸の町で宇宙海賊団春雨の目撃情報が報告されている」
いよいよと、きせは土方の声が発せられると同時に背筋を伸ばした。
緊張のあまり、顔が強張ってしまう。
「なんて顔してんでィ」
密やかに呟き、遅れてやってきた沖田が含み笑いを零しながらきせの頬を指で突いた。
「遅刻ですよ」
「ちょっと寝坊」
「もっと気を引き締めて下さい」
「へいへい」
きせのお咎めをさらりと聞き流し、沖田はどっこいせと隣に座った。
隊長位ともなれば、こんな後ろではなく前列に座るべきではないのか。
そんな疑問が顔に出ていたのか、沖田は微笑みその頭をわしわしっと撫でた。
「ちゃんと聞いとけよ」
「はい…」
沖田が傍にいてくれるだけで、不思議と心強い。
(僕の事、気にかけてくれたのかな…)
そんな事を考えながら、きせも隊士達の頭向こうに佇む土方を真っ直ぐ見据えた。
「奴らが何の目的で江戸の町に出入りしているのかは、まだ調査中だ」
きせは土方の言葉をしっかりと耳にしながらも、以前犯罪者の資料に目を通した内容を反復していた。
天人で結成された宇宙海賊団、春雨。
非合法の薬物を主な収入源とした、銀河系最大の犯罪集団である。
幹部だけでも十二の師団があり、さらにその下にも末端組織が結成されている等と、かなり大規模な組織といえる。
その戦闘能力は極めて高く、同じ過激テロを行う桂一派とはまた違う危険性を伴っていた。
命を奪い取る事を躊躇しない、極悪非道な賊だ。
「お前らには今後、対春雨の任務にあたってもらう。ただし、夜間での単独任務は禁ずる。最低でも三人で行動しろ」
張り詰めた空気の中で、土方は次々と指示を出して行った。
しかし、そう簡単に春雨の尻尾を掴めるはずも無く。
監察方の山崎が昼夜問わず情報を収集しているも、これといった有力情報は得られず、日ばかりが過ぎて行った。
自ずと隊士達の緊張感も時と共に薄れ始める。
「疲れた〜…」
この日も明け方まで任務にあたっていた沖田は、昼前になってようやく自室へと戻る事が出来た。
バタリと布団の上に倒れ込むと、たちまち瞼が重くなる。
春雨の件を危惧して、ここ数日夜間の見廻りは先日会議に参列した実力有る隊士達のみで行われている。
夜間の見廻り程、危険な任務はない。
なにせ、悪い事を企んでいる輩というのは、夜更けを好んで行動するものだからだ。
しかし、各隊で交代の任務とはいえ、隊長ともなれば日中にもやる事はある。
サボる暇も口実すらも与えられず、沖田は連日目の前の任務に大人しく就かざるを得なかった。
「…サド丸、最近会ってねぇな……」
ぼそりと溢した声は寂し気で、沖田は大きな溜め息を吐く。
あの会議以来、沖田ときせは同じ隊だというのにすれ違いの日々を過ごしていた。
毎日一緒に連れ立っていたのが、もう遠い記憶に思える。
「…会いたいな……」
枕に顔を埋め、再び深々と溜め息を吐いた。
そして、思いを馳せながらも意識は急速に薄れ、沖田はそのまま昼餉も取らず寝入ってしまった。
「…ん……」
幾度と何かが地面を擦る音に、沖田は薄ら目を開けた。
時計の短針が、下り坂へと突入している。
僅かな時間だが、深く眠っていたらしい。
先程から耳に届く不可思議な音を辿り、這いずるようにして襖を開ければ、忽ち冷たい空気が部屋へと張り込み、思わず身を縮こませ目を細める。
再び目を開けば、夕陽に照らされた庭先で、散り積もった落ち葉を掃き掃除するきせを見つけた。
直ぐ傍には、掃き終え山となった落ち葉から燻った煙がモクモクと空に昇っている。
鼻歌を交え、何故か楽しそうに掃除しているきせに、沖田は無意識に微笑した。
手直にあった襟巻きを首に巻くと、草履に指を通し地を滑るようにして外へと出向く。
それに気付いたきせが駆け寄って来た。
「ごめんなさい、煩かったですか?」
「いや、後でまた寝るから」
パチパチと時折爆ぜる音を発した焚き火を前に腰を下ろし、そっと手を当て暖をとる。
「最近お掃除する暇がなかったから、枯れ葉がこんなに集まっちゃいました」
きせは沖田の横にしゃがみ込むと、枝で焚き火の中を突く。
じんわりと温まる手をそのままに、何をしているのかとその矛先を見れば、枯れ葉に混じって木の実が幾つか覗いて見えた。
休息もそこそこに、せっせと庭の掃き掃除をしていたのは、焼き栗目当てのようだ。
「もしかして栗、嫌いですか?」
蒸し焼きになっている栗を見つめた沖田に、きせが首を傾げた。
その顔には、僅かに不安の色が浮かんでいる。
嫌いと言われたらどうしよう、そんな表情だ。
「剥くのが面倒くさい」
「僕が剥きます。一緒に食べましょ」
ちょっとした意地悪心を口にするも、きせは無邪気な笑みを返して来た。
「そろそろ焼けるかな」
うきうきと楽し気なきせを見ているだけで、気付けば沖田の顔にも笑みが生まれた。
「お前の笑った顔、好きだな」
それは、吐息と共に口を突いて出た、沖田の本心だった。
過剰な任務に、いつしか体の奥に沈んでいた疲労という名の鉛。
好物を食べようと、睡眠を取ろうと、何をしても拭えなかった鉛が、きせの笑顔を見ただけですっと溶けて消えてしまった。
「見てるだけで安らぐ」
「……そう、ですか」
いつもの戯れか判断しかねたきせは、一瞬戸惑うも気恥ずかしそうに視線を反らし焚き火の奥を突く。
「今夜の見廻り、付き合えなくて悪いな。松平のとっつぁん交えての会議はさすがにサボれねぇ」
威圧感しかない強面の男の姿が脳裏を掠め、沖田は無駄な抵抗はすまいと、仕方無しに肩を落とす。
しかし、夜間組の動向も気がかりだ。
真選組が追いかけているのはあの春雨。
相見えれば、平隊士だけでは太刀打ち出来ない事など百も承知。
加えて、ここ数日警戒心が薄れて来た隊士達を、沖田は気に掛けていた。
それを感じ取ったきせは、お任せとばかりに胸に拳を突き立てた。
「大丈夫ですよ。僕がしっかり先導します」
「生意気言いやがって」
「あはは!やめて下さいよ」
クシャクシャっと少々乱暴に頭を撫でられ、きせは嫌々言いながらもどこか嬉しそうに笑った。
「ん、そういえばお前、随分と薄着だな」
「そうですか?」
己の身なりを見下ろし、きせはきょとんとする。
それなりに厚着はしているものの、防寒具の類いは一切身につけていない。
見ているこちらが益々寒くなる。
「これくらいで寒いなんて言ってたら、蝦夷地では生きていけませんよ」
北国生まれ北国育ちのきせにとって、このくらいの寒さはまだまだ序の口なのだろう。
得意気に胸を張るも、北風に晒された頬や鼻面は赤くなっている。
「夜になれば江戸も蝦夷地みたいなもんだろ」
沖田はするりと己の首から襟巻きを巻き取ると、手早くきせの首に巻き付けた。
「貸してやるから着けて行け」
「でも、それだと沖田隊長が寒いですよ」
遠慮するきせに、問答無用と襟巻きを押し付ける。
一度言い出したら梃子でも動かないと、きせは与えられた襟巻きに顔を埋め小さく溜息をつく。
(…沖田隊長の匂いがする)
持ち主の温もりが残った襟巻きに心地良さを感じながら、寒さとはまた違った意味で頬を赤くした。
「汚したら弁償な」
「意地でも汚しません」
沖田の優しさにはやはり裏があったと、きせは眉間に皺を寄せる。
「食べたら、お前も少し仮眠しとけよ」
「そうしたいんですけど、寝付けないんです」
芳ばしい香りのし始めた焚き火の中から、きせは苦笑しながら栗をかき出す。
夜間の見廻りを命じられた一番隊の隊士達は、数時間前から部屋で爆睡中。
一方のきせは、体内時計がまだ眠る時間ではないと、なかなか睡魔を寄越してくれない。
熱せられた栗を厚手の手拭で包み、力を込める。
中でバキッと小気味良い音が響いた。
「あちち」
きせの指を焼き焦がさんと熱を這わせる栗を掴み、ふぅふぅと息を吹きかける。
「ちゃんと焼けてるかな」
毒味とばかりに最初の一粒を口に運びかけた時。
「寝られねェってんなら、添い寝してやろうか」
「…はい?」
突拍子も無い発言に、栗を運びかけていたきせの手が止まる。
「いただき」
と、沖田はその手首を引き寄せ己の口に運んだ。
食らいつくようにきせの指から栗を食す。
沖田の柔らかい唇が指先に触れ、きせは口を開けたまま声にならない悲鳴を上げた。
「美味い。サド丸、もう一個剥いて」
「今…っ…なに…して⁉︎」
「俺、昼餉食い損ねてっから腹減ってるの」
掴んでいた手首を解放し、唖然としたままのきせに沖田は早くと急かす。
動揺から指が震え、なかなか割れない殻に悪戦苦闘しているきせには、含み笑いする沖田に気付く余裕は無い。
「あーん」
「な、なんですかその“あーん”て…」
訊かずとも分かるが、訪ねずにはいられない。
居たたまれず俯き口を窄めるその表情がまた可笑しく、沖田を飽きさせない。
「本当に可愛いな、お前」
「…なんか、楽しそうですね」
「うん、楽しい」
「……」
沖田の微笑んだ顔に、からかわれていると分かっていながらも、きせはぐっと息を詰め益々顔を赤らめさせた。
「なぁなぁ。この先を回ったら一度パトカーに戻ろうぜ」
夜ともなれば凍えるような寒さとなったこの季節、夜な夜な出歩く人間はそうそう見かけるものではない。
見かけたのは散歩中の野良猫くらいなもの。
「賛成。俺も寒くて無理」
「神凪はよく平気な顔してられるな」
「余裕です」
かじかんでしまった手を擦り合わせる隊士達をよそに、きせは平然と笑ってみせる。
それでも、夕刻に沖田から借りた襟巻きはしっかりと身につけていた。
荒ぶる冷風に身を震わせた一番隊の隊士二人と共に、寝静まったかぶき町の町を見廻る。
対春雨として始めた夜間の見廻りも今夜で数回目となるが、毎度不審な点もなく穏やかな夜が続いていた。
この調子なら、今夜にも厳戒態勢が解かれるのではないかとさえ思えてくる。
「悪い、ちょっとそこの公園で厠借りて来る」
「あ、俺も行くよ。神凪も行くか?」
「いえ、僕は大丈夫ですから、どうぞ行って来て下さい」
「じゃあそこの桟橋で待ってろ。直ぐ戻るから」
土方から単独行動を禁じられていたが、厠ともなれば致し方が無い。
女である自分が一緒に行くわけにはいかないのだ。
細道へと入って行った二人から背を向け、きせはゆっくりと桟橋へと向かった。
手摺に寄りかかり、足下でカサカサと音を立てる落ち葉に視線を落とす。
故郷の蝦夷地では、もう雪が積もっているだろう。
懐かしい冷風に吹かれながら、目映い月光に目を細め白い吐息を吐き出した時だった。
「随分と遅かったじゃないか」
「!?」
きせは俊敏に刀の柄に手を添えると、暗闇佇む小柄な人影を見据える。
薄らと体の輪郭は見えるが、闇に紛れ相手がどのような人物なのか見定められない。
(この人、まったく気配を感じなかった…)
頬を伝う冷たい汗もそのままに、いかなる動きも見逃すまいと目を凝らす。
そんなきせを嘲笑うかのように、闇の中から軽快な笑い声がした。
「約束の日はとっくに過ぎているぞ。まさか、手紙を読まなかったのか?」
「手紙って……」
思い当たるとすれば一つ、何週間も前に隼が運んで来たあの手紙だ。
きせは、相手に注意を向けたまま、今自分が立っている場所を見渡す。
この桟橋は例の手紙に指示された場所だったと、今更ながら気付く。
「まさか、ずっと待っていたんですか?」
「そうじゃよ、毎晩ここでお前が来るのを待っておった」
信じられないとか、何の為にそこまでとか思う事は多くあれど、きせはそれ以上に気になる事があった。
声に聞き覚えがあるのだ。
しかし、それはあり得ない事。
その声の持ち主とは、年明けに永劫の別れを告げたばかりなのだから。
そう言い聞かせるも、闇から届く掠れた声を聞けば聞く程、きせの顔から次第に血の気が引いて行った。
問いただそうにも、喉の奥で言葉が詰まって声が出ない。
柄を握る指が小刻みに震えるのを必死で制するきせに、影がゆらりと動きを見せた。
「止まりなさい!」
足を踏ん張り腰を据えると、きせは直ぐさま斬り返せる態勢をとる。
しかし、影は一歩ずつ、ゆっくりと月光の下へと向かった。
少しずつ露になったその姿に、いよいよきせは愕然と目を見開く。
「……そんな………」
白髪の整えられた短髪に、顎から枝垂れる髭、年配者とは思えない凛とした佇まい。
きせは、ついに刀の柄から指を滑り落とした。
「爺さま…………?」
「久しいな、きせよ」
ようやく声を絞り出したきせに、老父は穏やかな笑みを浮かべ手を差し伸べた。
「お前を迎えに来たよ、きせ。さあ、儂と共に行こう」