偽りのカンパネラ
なまえ変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
昨日から降り続く雨によって気温は下がり、残暑も何処へやらと、少々肌寒い風が吹き抜ける。
つい先日までは、夜でも暑くて茹だっていたというのに。
縁側の廊下で寝そべる沖田は、一人頬杖をつき濡れる中庭を傍観していた。
眉を吊り上げ、尖った口と、その顔からして沖田が心底不機嫌だという事を見抜けない者はいない。
触らぬ神に祟りなしと、うっかり通りかかった者は足早に回れ右をし、その場から離れて行った。
事の発端は昨日に遡る。
昼食までの僅かな暇をもらったきせが何処へ出かけたのか、沖田は会議中も気になって仕方が無かった。
訪ねる間柄の人間がいるのか考えてみたが、これといって思いつく相手もなく。
よくよく考えれば、真選組に入隊する前にきせが何処で何をしていたか、兄弟がいる事以外何一つ知らなかった。
江戸に知り合いがいるのか。
上京して知り合いが出来たのか。
笑顔で自分の元を去って行ったきせの顔を思い出す度に、沖田の腹底が重く渦めいた。
思いの外早く終わった会議に、暇を与えてしまった事を少し後悔したくらいだ。
空を見上げれば、朝には見えていた太陽が分厚い雲に覆われ見えなくなっていた。
風に運ばれる雲は次第に重みを増し、灰色と化した空からは今にも雨が降り出しそうだ。
そう思ったまさにその時。
空から大粒の雨が降り出す。
と、沖田は居ても立っても居られず傘を手に屯所の外へと歩き出していた。
ここで山崎に会えたのは、沖田にとってこの日一番運が良かった。
物は試しできせの行き先を知らないか訪ねた所、山崎はあっさりとその答えを口にした。
「万事屋の場所を訊かれたから、おそらく旦那の所に行ったんだと思いますよ」
以前、熱中症に倒れたきせを冷房の効いた甘味処へ連れて来たのは、銀時だった事を思い出した。
律儀なきせの事だ、菓子折りでも持って御礼へ行ったに違いない。
そう思い立つと、早る気持ちとは裏腹にのんびりとした足取りで万事屋へと向かった。
傘を一本しか持たなかったのは、迎えに来たと悟られたくなかったからだろう。
「素直じゃないなぁ」
山崎の呟きが雨に掻き消されたのは、彼にとってこの日一番運が良かった。
もし沖田の耳に届いていようものなら、容赦なく砲弾を喰らっていただろう。
さて、問題はここからだ。
万事屋の前を行ったり来たり、何度か往復を繰り返した所で、ようやく中からきせと銀時が出て来た。
手を振るきせに、偶然にも通りかかったと素知らぬ素振りで顔を上げる。
先日会った時よりも打ち解けた様子の二人が、仲睦まじく笑い合う姿にムッとした。
残念ながら、雨の音で会話の内容は聞こえない。
つまらなそうに口を尖らせる沖田だったが、銀時の指がきせの唇に当てられた瞬間、その顔に見る見る憎悪の影を広げた。
触るな。
それは俺のものだ。
身体中を駆け巡る醜い独占欲。
ふつふつと湧き上がる怒りにも似た感情は行き場を求め、拳を震わせた。
狭い傘の中、二人で寄り添い雨を凌ぐ帰路。
銀時と何を話していたのかそれとなく聞いてみれば、取り留めない世間話をしていただけだと答えた。
本当にそうだろうか。
その割に、随分親し気な雰囲気だったが。
「はぁ……」
まるで沖田の心を映したように、雨は止む気配を見せない。
それどころか、益々雨粒の量が増えたように思える。
沖田は治まらない苛立を抱えたまま、盛大な溜息一つ吐き出し起き上がると、重々しい足取りで自分の部屋へと入って行った。
一方、沖田が一人葛藤を繰り広げているとは露程にも知らないきせは、一番隊が寝食共にする部屋で繕い物をしながら空を見上げていた。
気のせいだと自分に言い聞かせてみるも、耳に届く獣の唸り声のような音は次第に間隔を狭め近づいてくる。
じっと空を見つめていると、一瞬空が稲光を発した。
「ひぅっ!!いたっ!」
ビクっと肩を跳ね上げさせたきせは、その反動で縫い針を右手の人差し指を刺してしまう。
ぷっくりと血玉が出来上がった指を口に加え、今一度空を見上げた。
雲の上でゴロゴロと喉を慣らす獣が、いつ雷を落として来るのか気が気で無い。
広い部屋に一人きり。
ぽつんと座るきせは、周囲を見渡し眉尻を下げた。
その後一気に雨脚は強まり、大地を叩き付けるような豪雨になった。
吹き荒れる風が、木々や建物を激しく揺さぶる。
土方が数名の隊士を引き連れ、パトカーで町の様子を見に出て行った。
留守番組となったきせは、雨と風の音以外聞こえない静まり返った部屋で一人青ざめていた。
気が削がれ繕い物は捗らず、縁側から外の様子を伺って見る。
そろそろ巡察に向かった隊士達が戻って来てもいい頃なのだが、一向に戻って来る気配はない。
何か事件でもあったのか、それとも途中で土方達に出くわし、そのまま同行させられているのか。
非番で外出している隊士達も、この豪雨では戻るに戻れないのかもしれない。
強風に煽られた雨が、窓を破壊しようとばかりに勢い良く叩き付けて来る。
「…何処か、一人になれる場所、探さなきゃ……」
か弱い声を漏らし、きせは恐る恐る部屋の外に出ると、早足で廊下を歩き出した。
いつもなら何処からともなく聞こえて来るはずの話し声もなく、不安はより一層駆り立てられる。
その時、突如空から雷鳴が轟き、辺り一帯を目映い閃光で包んだ。
「ひゃぁっ!」
悲鳴を漏らし耳を塞いでその場に縮こまると、きせは恐怖に体を振るわせた。
再びゴロゴロと唸り声が聞こえる。
これは直ぐにも次の雷が来るに違いない。
きせは慌てて手近な襖を開け、中に逃げ込んだ。
急いで襖を閉めると、落ちて来る雷に構え、その場で頑なに目を閉じ身構える。
そこが誰の部屋なのかも知らずに。
「サド丸じゃねェか、どした?」
きせの頬がピクリと引くついた。
顔を上げれば、この天候の中のんきに欠伸をしながら寝そべる沖田が居た。
土方の物と思わしきマガジンをパラパラとめくり、暇を持て余している様子。
「お、沖田隊長……」
しまった、と後悔しても時既に遅し。
逃げ込んだ部屋は、よりにもよってサディスティック王子の部屋だった。
部屋の入り口で立つつくし、微妙な作り笑いのきせを不信に思った沖田がもそりと体を起こす。
「何かあったのか?」
「…いえ、あの……」
その時だった。
凄まじい稲光と共に、耳を劈くような雷鳴が大地に向かって轟いた。
余韻を残しながらゴロゴロと唸り、さすがに今のは凄かったなと沖田が目を瞬かせる。
「雷様はかなりご立腹みてぇだ。なぁ、サド丸」
問いかけるも、きせは棒立ちで目を見開き唇を噛みしめ頑なに閉じている。
口を開けたら何かが吐き出されそうな、そんな顔。
「サド丸?」
眉を潜め首を傾げる沖田の声を打ち消すように、再び落雷が当たり一帯を震撼させた。
耳を劈く雷に、沖田も思わず顔をしかめる。
そして、きせは二度も沖田の前で悲鳴を飲み込んだ自分を褒めた。
「…ぁ、ぁ…はは。ぼぼぼぼく、そ、そろ、そろ…い、行かな…きゃ…」
平静を取り繕うと必死だが、かなり無理があった。
引きつった笑みに、震える声。
一刻も早くこの部屋を出なければならないが、体が硬直してしまい、後ろ手で探る襖の取手はなかなか見当たらない。
「…お前さっきからおかしいぞ」
「そっ⁉︎そそそんな事!ないですよっ⁉︎」
「いや、声裏返して動揺しまくりじゃねぇか」
きせの異常な様子に、沖田も怪訝な面持ちで立ち上がった。
益々焦るきせは、指先まで硬くなった手を必死に動かして、ようやく取手を探り当てた。
「ほっ本当に何でもありませんから!では!失礼します‼︎‼︎」
早口に捲し立て、襖を開けかけた、まさにその瞬間。
隙間から見えた空は閃光を放ち、稲妻を走らせ、大地に突き刺した。
「………」
「サド丸?」
完全に固まったきせの肩に手を掛けると、その体は小刻みに震えていた。
意を決したように、ゆっくりと振り向いたきせの目は潤んでいる。
「お、おい、マジでどうしたんだよ」
「…………」
「…ん?」
口をパクパクと動かし、何かを呟くきせの声は、小さく掠れていて聞き取りにくい。
沖田は耳を近づけ、促してやる。
「…昔、から…苦手、なん…です」
部屋の外で再び雷鳴が轟くと、きせがくぐもった悲鳴を漏らした。
それにピンときたのか、沖田は目を瞬く。
「雷が怖い?」
小さく頷くきせの瞳は、決壊寸前まで潤み出した。
雷如きに恐怖を抱き、醜態をさらすなど情けないと自身が一番良く知っているのだ。
だが、こればかりはどう頑張っても克服出来ない。
涙が溢れそうになり、きせは咄嗟に俯いた。
が、引力に引かれた大粒の雫が、畳に染みを作る事になった。
「……わ、笑いたければお好きにどうぞ」
「……」
沖田は、恥じらいと悔しさに肩を震わせるきせを黙ったまま見下ろした。
そして、震えの止まらないきせに手を伸ばすと、そのまま自分へと引き寄せた。
胸の中にすっぽりおさまったきせの頭を、優しく撫でてやる。
「よ~しよし、怖くな~い怖くな~い」
「……え」
なんとも軽い励ましに、涙で潤んだ瞳を見開きながらきせは呆然とした。
だが、雷の恐怖と泣き顔を見られる事への羞恥から、その腕を振りほどく事は出来ず顔も上げられない。
カッとけたたましく空を割った雷の音が、再び恐怖を呼び起こす。
「やっ、やだっ!沖田隊長っっ!!」
たまらず必死にしがみついて来たきせの勢いに押され、沖田は尻餅をつく。
近くに落雷したのではと思わせる程激しい轟音がする度、きせは身を縮み込ませた。
「…っ…こわい…っ…沖田たいちょ…」
「サド丸…」
可哀想なくらい震えるきせに、沖田はその背を優しく擦る。
負けん気が強く自尊心が高いきせが、こうも呆気なく泣き崩れるとは。
隊服を握りしめる指は白く、皺が出来そうな程力が籠っている。
下ろしたての服だったのにとか、涙で滲みになったとか、そんな事は一切気にかからない。
それよりも、どうしたらきせの恐怖を取り除いてやれるのかを考えた。
部屋に入って来た時、自分を頼って訪ねて来たわけではないのが少々気に食わないが。
今はこうして自分に縋るきせに、そんな苛立ちも消え失せていた。
「なぁ、サド丸。心臓の音、数えてみろ」
「な、なんですか?」
「俺の心臓の音」
抱きしめる腕に力を込め、沖田はきせの頭を胸に押し付け、一方の耳にそっと手を被せた。
「聞こえるか?」
こくんと頷き、とくん、とくんと、打ち鳴らされる生命の脈動をゆっくりと数える。
強張っていた筋肉が解れ、体に柔らかさが戻る。
叩き付ける雨の音も、吹き荒れる風も何処へやら。
雷の轟が不思議と遠く感じた。
「大丈夫だサド丸。怖くない、怖くない」
おまじないのように唱える沖田の声があまりにも優しく、きせは虚ろ気な目で聞き入った。
服を介して伝わる体温も心地良い。
ぽんぽんと背を一定のリズムで叩き、まるで赤子をあやす母親のようだ。
沖田の手が、声が、温もりが優し過ぎて、悲しくもないのに泣きそうになった。
「…もう少し…このままでもいいですか……」
沖田から返事は無いが、きせを抱く腕には僅かに力が込められた。
どれくらいの時間が経っただろう。
激しく唸っていた風が、少し和らいだように思える。
雨音も静かになり、入れ替わって腕の中から聞こえて来た寝息に沖田は小さく吹き出す。
「ったく、だからガキだって言うんだよ」
優しく体を擦りながら、穏やかな寝顔のきせを盗み見る。
この天候なら、外に出ていた隊士達も直に戻って来るだろう。
彼等が戻って来る前に起こしてやるのが親切というもの。
沖田は、後ろ髪を引かれる思いできせを抱きしめる腕を緩めた。
「サド丸、そろそろ…」
「ん……」
すると、離さないでとばかりにきせが沖田の胸へと体をすり寄せてきた。
「お、おいサド丸…」
ドクンと跳ね上がった心臓の音に一瞬瞼を持ち上げるが、込み上げて来る睡魔がそれを閉じさせた。
きせを脅かす雷雲は風に流されている。
だが、沖田は再度抱き心地の良い体に腕を回した。
満足そうに抱き寄って来るきせに思わず微笑する。
「……可愛い」
無意識に零れ落ちた本音。
よしよしと、今一度体を擦る。
「今度、俺以外の奴にしっぽを振るような真似したらお仕置きだからな」
くすくすと鼻で笑いを零し、沖田は甘い香りのするきせの髪に頬を埋めた。
その数十分後。
町の様子を見に行っていたパトカーが屯所へと戻って来た。
徒歩で巡察に向かっていた彼等も一緒のようだ。
全員、頭からぐっしょりと濡れている。
あの豪雨の中、氾濫しかけていた川で土嚢を積み上げ、周辺の住民を安全な場所へと避難させていたのだ。
髪から滴る水をそのままに、土方は湿気って火のつかない煙草を未練がましく口に加えたまま自室へと向かった。
服が肌に貼り付き不愉快極まりない。
さっさと着替えて、買って来たばかりのマガジンを読もうと先を急ぐ。
「ん?」
道すがら、沖田の部屋を通りがかった土方は足を止めた。
人が一人通れるか否か開けられた襖から、部屋の中が伺える。
部屋に捨て置かれたマガジンを見つけるなり、襖を両手で勢いよく開け放つ。
「総悟ーっっ!!勝手に持ち出すなって……何回、言えば…分かる…ん………んだ……………」
土方の口から湿気った煙草が、音も無くすり落ちる。
(何やってんだ?この二人…)
そこには、いつの間にか眠ってしまった沖田と、その腕に抱かれ眠るきせの姿。
まるで恋人のように抱き合う二人を見て、誤解するなというのが無理というもの。
(マジで何やってたの⁉︎⁉︎)
土方の顔から血の気が一気に引き、思考は完全に停止したのだった。
つい先日までは、夜でも暑くて茹だっていたというのに。
縁側の廊下で寝そべる沖田は、一人頬杖をつき濡れる中庭を傍観していた。
眉を吊り上げ、尖った口と、その顔からして沖田が心底不機嫌だという事を見抜けない者はいない。
触らぬ神に祟りなしと、うっかり通りかかった者は足早に回れ右をし、その場から離れて行った。
事の発端は昨日に遡る。
昼食までの僅かな暇をもらったきせが何処へ出かけたのか、沖田は会議中も気になって仕方が無かった。
訪ねる間柄の人間がいるのか考えてみたが、これといって思いつく相手もなく。
よくよく考えれば、真選組に入隊する前にきせが何処で何をしていたか、兄弟がいる事以外何一つ知らなかった。
江戸に知り合いがいるのか。
上京して知り合いが出来たのか。
笑顔で自分の元を去って行ったきせの顔を思い出す度に、沖田の腹底が重く渦めいた。
思いの外早く終わった会議に、暇を与えてしまった事を少し後悔したくらいだ。
空を見上げれば、朝には見えていた太陽が分厚い雲に覆われ見えなくなっていた。
風に運ばれる雲は次第に重みを増し、灰色と化した空からは今にも雨が降り出しそうだ。
そう思ったまさにその時。
空から大粒の雨が降り出す。
と、沖田は居ても立っても居られず傘を手に屯所の外へと歩き出していた。
ここで山崎に会えたのは、沖田にとってこの日一番運が良かった。
物は試しできせの行き先を知らないか訪ねた所、山崎はあっさりとその答えを口にした。
「万事屋の場所を訊かれたから、おそらく旦那の所に行ったんだと思いますよ」
以前、熱中症に倒れたきせを冷房の効いた甘味処へ連れて来たのは、銀時だった事を思い出した。
律儀なきせの事だ、菓子折りでも持って御礼へ行ったに違いない。
そう思い立つと、早る気持ちとは裏腹にのんびりとした足取りで万事屋へと向かった。
傘を一本しか持たなかったのは、迎えに来たと悟られたくなかったからだろう。
「素直じゃないなぁ」
山崎の呟きが雨に掻き消されたのは、彼にとってこの日一番運が良かった。
もし沖田の耳に届いていようものなら、容赦なく砲弾を喰らっていただろう。
さて、問題はここからだ。
万事屋の前を行ったり来たり、何度か往復を繰り返した所で、ようやく中からきせと銀時が出て来た。
手を振るきせに、偶然にも通りかかったと素知らぬ素振りで顔を上げる。
先日会った時よりも打ち解けた様子の二人が、仲睦まじく笑い合う姿にムッとした。
残念ながら、雨の音で会話の内容は聞こえない。
つまらなそうに口を尖らせる沖田だったが、銀時の指がきせの唇に当てられた瞬間、その顔に見る見る憎悪の影を広げた。
触るな。
それは俺のものだ。
身体中を駆け巡る醜い独占欲。
ふつふつと湧き上がる怒りにも似た感情は行き場を求め、拳を震わせた。
狭い傘の中、二人で寄り添い雨を凌ぐ帰路。
銀時と何を話していたのかそれとなく聞いてみれば、取り留めない世間話をしていただけだと答えた。
本当にそうだろうか。
その割に、随分親し気な雰囲気だったが。
「はぁ……」
まるで沖田の心を映したように、雨は止む気配を見せない。
それどころか、益々雨粒の量が増えたように思える。
沖田は治まらない苛立を抱えたまま、盛大な溜息一つ吐き出し起き上がると、重々しい足取りで自分の部屋へと入って行った。
一方、沖田が一人葛藤を繰り広げているとは露程にも知らないきせは、一番隊が寝食共にする部屋で繕い物をしながら空を見上げていた。
気のせいだと自分に言い聞かせてみるも、耳に届く獣の唸り声のような音は次第に間隔を狭め近づいてくる。
じっと空を見つめていると、一瞬空が稲光を発した。
「ひぅっ!!いたっ!」
ビクっと肩を跳ね上げさせたきせは、その反動で縫い針を右手の人差し指を刺してしまう。
ぷっくりと血玉が出来上がった指を口に加え、今一度空を見上げた。
雲の上でゴロゴロと喉を慣らす獣が、いつ雷を落として来るのか気が気で無い。
広い部屋に一人きり。
ぽつんと座るきせは、周囲を見渡し眉尻を下げた。
その後一気に雨脚は強まり、大地を叩き付けるような豪雨になった。
吹き荒れる風が、木々や建物を激しく揺さぶる。
土方が数名の隊士を引き連れ、パトカーで町の様子を見に出て行った。
留守番組となったきせは、雨と風の音以外聞こえない静まり返った部屋で一人青ざめていた。
気が削がれ繕い物は捗らず、縁側から外の様子を伺って見る。
そろそろ巡察に向かった隊士達が戻って来てもいい頃なのだが、一向に戻って来る気配はない。
何か事件でもあったのか、それとも途中で土方達に出くわし、そのまま同行させられているのか。
非番で外出している隊士達も、この豪雨では戻るに戻れないのかもしれない。
強風に煽られた雨が、窓を破壊しようとばかりに勢い良く叩き付けて来る。
「…何処か、一人になれる場所、探さなきゃ……」
か弱い声を漏らし、きせは恐る恐る部屋の外に出ると、早足で廊下を歩き出した。
いつもなら何処からともなく聞こえて来るはずの話し声もなく、不安はより一層駆り立てられる。
その時、突如空から雷鳴が轟き、辺り一帯を目映い閃光で包んだ。
「ひゃぁっ!」
悲鳴を漏らし耳を塞いでその場に縮こまると、きせは恐怖に体を振るわせた。
再びゴロゴロと唸り声が聞こえる。
これは直ぐにも次の雷が来るに違いない。
きせは慌てて手近な襖を開け、中に逃げ込んだ。
急いで襖を閉めると、落ちて来る雷に構え、その場で頑なに目を閉じ身構える。
そこが誰の部屋なのかも知らずに。
「サド丸じゃねェか、どした?」
きせの頬がピクリと引くついた。
顔を上げれば、この天候の中のんきに欠伸をしながら寝そべる沖田が居た。
土方の物と思わしきマガジンをパラパラとめくり、暇を持て余している様子。
「お、沖田隊長……」
しまった、と後悔しても時既に遅し。
逃げ込んだ部屋は、よりにもよってサディスティック王子の部屋だった。
部屋の入り口で立つつくし、微妙な作り笑いのきせを不信に思った沖田がもそりと体を起こす。
「何かあったのか?」
「…いえ、あの……」
その時だった。
凄まじい稲光と共に、耳を劈くような雷鳴が大地に向かって轟いた。
余韻を残しながらゴロゴロと唸り、さすがに今のは凄かったなと沖田が目を瞬かせる。
「雷様はかなりご立腹みてぇだ。なぁ、サド丸」
問いかけるも、きせは棒立ちで目を見開き唇を噛みしめ頑なに閉じている。
口を開けたら何かが吐き出されそうな、そんな顔。
「サド丸?」
眉を潜め首を傾げる沖田の声を打ち消すように、再び落雷が当たり一帯を震撼させた。
耳を劈く雷に、沖田も思わず顔をしかめる。
そして、きせは二度も沖田の前で悲鳴を飲み込んだ自分を褒めた。
「…ぁ、ぁ…はは。ぼぼぼぼく、そ、そろ、そろ…い、行かな…きゃ…」
平静を取り繕うと必死だが、かなり無理があった。
引きつった笑みに、震える声。
一刻も早くこの部屋を出なければならないが、体が硬直してしまい、後ろ手で探る襖の取手はなかなか見当たらない。
「…お前さっきからおかしいぞ」
「そっ⁉︎そそそんな事!ないですよっ⁉︎」
「いや、声裏返して動揺しまくりじゃねぇか」
きせの異常な様子に、沖田も怪訝な面持ちで立ち上がった。
益々焦るきせは、指先まで硬くなった手を必死に動かして、ようやく取手を探り当てた。
「ほっ本当に何でもありませんから!では!失礼します‼︎‼︎」
早口に捲し立て、襖を開けかけた、まさにその瞬間。
隙間から見えた空は閃光を放ち、稲妻を走らせ、大地に突き刺した。
「………」
「サド丸?」
完全に固まったきせの肩に手を掛けると、その体は小刻みに震えていた。
意を決したように、ゆっくりと振り向いたきせの目は潤んでいる。
「お、おい、マジでどうしたんだよ」
「…………」
「…ん?」
口をパクパクと動かし、何かを呟くきせの声は、小さく掠れていて聞き取りにくい。
沖田は耳を近づけ、促してやる。
「…昔、から…苦手、なん…です」
部屋の外で再び雷鳴が轟くと、きせがくぐもった悲鳴を漏らした。
それにピンときたのか、沖田は目を瞬く。
「雷が怖い?」
小さく頷くきせの瞳は、決壊寸前まで潤み出した。
雷如きに恐怖を抱き、醜態をさらすなど情けないと自身が一番良く知っているのだ。
だが、こればかりはどう頑張っても克服出来ない。
涙が溢れそうになり、きせは咄嗟に俯いた。
が、引力に引かれた大粒の雫が、畳に染みを作る事になった。
「……わ、笑いたければお好きにどうぞ」
「……」
沖田は、恥じらいと悔しさに肩を震わせるきせを黙ったまま見下ろした。
そして、震えの止まらないきせに手を伸ばすと、そのまま自分へと引き寄せた。
胸の中にすっぽりおさまったきせの頭を、優しく撫でてやる。
「よ~しよし、怖くな~い怖くな~い」
「……え」
なんとも軽い励ましに、涙で潤んだ瞳を見開きながらきせは呆然とした。
だが、雷の恐怖と泣き顔を見られる事への羞恥から、その腕を振りほどく事は出来ず顔も上げられない。
カッとけたたましく空を割った雷の音が、再び恐怖を呼び起こす。
「やっ、やだっ!沖田隊長っっ!!」
たまらず必死にしがみついて来たきせの勢いに押され、沖田は尻餅をつく。
近くに落雷したのではと思わせる程激しい轟音がする度、きせは身を縮み込ませた。
「…っ…こわい…っ…沖田たいちょ…」
「サド丸…」
可哀想なくらい震えるきせに、沖田はその背を優しく擦る。
負けん気が強く自尊心が高いきせが、こうも呆気なく泣き崩れるとは。
隊服を握りしめる指は白く、皺が出来そうな程力が籠っている。
下ろしたての服だったのにとか、涙で滲みになったとか、そんな事は一切気にかからない。
それよりも、どうしたらきせの恐怖を取り除いてやれるのかを考えた。
部屋に入って来た時、自分を頼って訪ねて来たわけではないのが少々気に食わないが。
今はこうして自分に縋るきせに、そんな苛立ちも消え失せていた。
「なぁ、サド丸。心臓の音、数えてみろ」
「な、なんですか?」
「俺の心臓の音」
抱きしめる腕に力を込め、沖田はきせの頭を胸に押し付け、一方の耳にそっと手を被せた。
「聞こえるか?」
こくんと頷き、とくん、とくんと、打ち鳴らされる生命の脈動をゆっくりと数える。
強張っていた筋肉が解れ、体に柔らかさが戻る。
叩き付ける雨の音も、吹き荒れる風も何処へやら。
雷の轟が不思議と遠く感じた。
「大丈夫だサド丸。怖くない、怖くない」
おまじないのように唱える沖田の声があまりにも優しく、きせは虚ろ気な目で聞き入った。
服を介して伝わる体温も心地良い。
ぽんぽんと背を一定のリズムで叩き、まるで赤子をあやす母親のようだ。
沖田の手が、声が、温もりが優し過ぎて、悲しくもないのに泣きそうになった。
「…もう少し…このままでもいいですか……」
沖田から返事は無いが、きせを抱く腕には僅かに力が込められた。
どれくらいの時間が経っただろう。
激しく唸っていた風が、少し和らいだように思える。
雨音も静かになり、入れ替わって腕の中から聞こえて来た寝息に沖田は小さく吹き出す。
「ったく、だからガキだって言うんだよ」
優しく体を擦りながら、穏やかな寝顔のきせを盗み見る。
この天候なら、外に出ていた隊士達も直に戻って来るだろう。
彼等が戻って来る前に起こしてやるのが親切というもの。
沖田は、後ろ髪を引かれる思いできせを抱きしめる腕を緩めた。
「サド丸、そろそろ…」
「ん……」
すると、離さないでとばかりにきせが沖田の胸へと体をすり寄せてきた。
「お、おいサド丸…」
ドクンと跳ね上がった心臓の音に一瞬瞼を持ち上げるが、込み上げて来る睡魔がそれを閉じさせた。
きせを脅かす雷雲は風に流されている。
だが、沖田は再度抱き心地の良い体に腕を回した。
満足そうに抱き寄って来るきせに思わず微笑する。
「……可愛い」
無意識に零れ落ちた本音。
よしよしと、今一度体を擦る。
「今度、俺以外の奴にしっぽを振るような真似したらお仕置きだからな」
くすくすと鼻で笑いを零し、沖田は甘い香りのするきせの髪に頬を埋めた。
その数十分後。
町の様子を見に行っていたパトカーが屯所へと戻って来た。
徒歩で巡察に向かっていた彼等も一緒のようだ。
全員、頭からぐっしょりと濡れている。
あの豪雨の中、氾濫しかけていた川で土嚢を積み上げ、周辺の住民を安全な場所へと避難させていたのだ。
髪から滴る水をそのままに、土方は湿気って火のつかない煙草を未練がましく口に加えたまま自室へと向かった。
服が肌に貼り付き不愉快極まりない。
さっさと着替えて、買って来たばかりのマガジンを読もうと先を急ぐ。
「ん?」
道すがら、沖田の部屋を通りがかった土方は足を止めた。
人が一人通れるか否か開けられた襖から、部屋の中が伺える。
部屋に捨て置かれたマガジンを見つけるなり、襖を両手で勢いよく開け放つ。
「総悟ーっっ!!勝手に持ち出すなって……何回、言えば…分かる…ん………んだ……………」
土方の口から湿気った煙草が、音も無くすり落ちる。
(何やってんだ?この二人…)
そこには、いつの間にか眠ってしまった沖田と、その腕に抱かれ眠るきせの姿。
まるで恋人のように抱き合う二人を見て、誤解するなというのが無理というもの。
(マジで何やってたの⁉︎⁉︎)
土方の顔から血の気が一気に引き、思考は完全に停止したのだった。